学校の授業中とかにノートの切れ端で友達と会話したことってありませんか?
その発展というか、私の場合は一行ずつ文章を書いて複数人で一つの物語を作るという遊びが流行ったことがあります。
ブーム自体はすぐに終わりましたが、私ともう一人の友人の間でだけ、その創作活動は続き、お互い別のクラスになった後もノート交換のように数ページ単位で合作していました。
周囲から見るとそこまで熱を持ってやり続けられていること自体が異質というか不思議だったようで、同級生から「まだ書いてるの?」「破壊神どうなった?」とかよく話題にあがるくらいでした。
(※物語のタイトルが「破壊神」だった。普通のファンタジー小説。サイズフェチ要素はゼロ)
その友人は失恋から精神を病み、今は施設に通うことになり、会うこともなくなってしまいましたが、小説を書く楽しさを知った私は、その後も密かに物書きを続け、児童小説の書き方の通信教育をとってみたり、実際に賞に応募してみたこともありました。
(⇒『泣き虫な黒い悪魔』せっかくなので昔応募した時の作品を載せておきます。子供向け児童小説として書いているので原文は平仮名多めですが、読みにくいと思うので漢字に直したり、今の文章力で色々修正してあります。簡単に表紙も描きました。優秀賞でもなんでもないですが、小さな賞も貰っています。)
昔から「あらしのよるに」が大好きで、いつか自分も絵本を出版したいな、みたいなふわっとした夢は前から持っていたのですが、しかしほとんど絵を描いたこともなかったし、何かに本気になれるほど当時は何事にも情熱がなく停滞した人生を送っていたので、夢はそのまま夢で終わっていました。
会社に就職してからは馴れない業務や時差勤務で消耗し、完全に創作の手が止まってしまいましたが、ある日ふと何も熱意を持って打ち込むものがない自分への不安や、ある種の承認欲求のようなものに駆られ、一転して絵本とは真逆の凄惨なサイズフェチイラストを投稿するという暴挙に出ました。
「暴挙」という書き方をしたのは、当時はまだ巨ケモ黎明期にあり、特に国内に限定すると巨ケモイラストは指で数えるほどしかなかった為、いきなりちんこバッキバキ、足裏ぐっちゃぐちゃのイラスト(しかもポケモン)なんて投稿したら、色んな人を不快にさせてしまうのではないかとか、異常者として晒上げられるのではないか、とか色々危惧する部分があったからです。
(一番最初に投稿した絵)
実際、少なからず私の絵を見て不快になった人もいるとは思いますが(ゾーニングの問題でもありますが)、ただ、思い返せば「自分はこういうのが好きなんだよ!!」って、あの時自身の性癖を絵という目に見える形で他人に公開したことは、窮屈で鬱屈とした自身の気持ちを解き放つという意味で非常に大きな一歩でした。
結局のところ仕事の疲れを無視してでも机に向かう為には、私の場合、性欲という原動力が必須であり、また、創作することで自己肯定感が生まれ、創作物が評価されれば承認欲求も満たされる。何より異常性癖は自分だけでない、という安心感も得られる。
そういう意味で巨ケモ創作は非常に自分にマッチしていたと言えるでしょう。
あとは皆さんご存知の通り、もともと小説を書くのが好きだったのと、画力の問題で表現しきれない部分を補いたいという気持ちから、徐々にイラストのキャプションが充実していって… そして今の創作スタイルに至ります。
今の自分の創作活動があの時の何でもないノートの切れ端から始まっていると思うと感慨深いものがあります。
長々とまた自分語りしてしまいましたが、何が言いたかったのかというと、勉強でも遊びでも何でも、ちゃんと熱を持って向き合ったものは後の人生にとんでもなく大きな影響を与えるということ。
月並みではありますが、これは私が巨ケモ老人会に所属するような歳になった今、改めて実感しているものでもあります。
子供時代ちゃんと勉強に向き合わなかった分、当然ながら進路の幅は途轍もなく狭いものとなり、今になっても学が足りない分、仕事で余計に苦労する部分もありますし、外国の方とのコミュニケーションや創作活動など趣味の分野まで勉強不足の影響は波及しています。
しかしその反面、子供の頃に「ぷよぷよ」で大連鎖作りに夢中になっていたことが、後に算数や数学が得意科目になるきっかけとなり、大好きな生物学とあわせてほぼほぼこの二科目だけで無理やり学生時代を乗り切るという荒業を実現させるに至っています。
(当時、秋山仁先生という数学者がテレビで「ぷよぷよ」をやると頭が良くなると言っていたこともあり、ぷよぷよだけは何時間やってても親に怒られなかった)
子供の頃、ぷよぷよにハマっていなかったら全く違う人生を歩んでいただろうことを考えると、ただのゲーム一本との出会いも侮れません。
「ゲームは時間の無駄」なんてよく言われますが、それは惰性でやれば確かにそう。しかし、ある程度の熱を持ってプレイすれば、ゲームから得られるものは時に人生レベルになりうる。今ではeSportsも立派な職業ですしね。
ポケモンが服を着るという性癖ドストライクから何気なしに始めた「ポケモンユナイト」でも、反射神経のある若い子達相手に勝つためには何が必要なのか、どのような戦術ならこの差を埋められるのか等を真剣に友人と語り合った経験や、周囲に瞬時に分かり易く意図を伝える為にはどうコール(指示、戦略共有)するべきなのか、など沢山悩んで改善していった経験は、そのまま仕事にも活かされ、明らかに今の職を遂行するのに寄与しています。
「ポケモンスリープ」なんてまさにその最たる例。ポケスリは中長期のマネジメント能力が問われるリソース管理ゲーでもありますが、好きなポケモンを最効率(睡眠促進ゲームという側面を損なわずに)で育成する為に簡単なマクロや関数まで使ってエクセル管理するくらいガチでやっていた時期があり、そのままそのポケスリで培ったマネジメント管理の考え方を応用したら、一般的に1年以上掛かると言われる難関資格をたった1、2カ月の勉強で合格できたこともありました。取得した資格は人生の方向性を決定づける重要なものでしたので、そういう意味でもまたゲームで人生が変わったと言えるでしょう。
どちらも根本はポケモンへの愛が原動力となっているのでしょうが、その熱量が「ただゲームを楽しんだ」だけでは終わらない何か別の付加価値を生み出してくれたりするのだから、人生面白いものですね。
こんな月並みの講釈を垂れたくなったのは、やはり近年のAIの浸食があります。周りを見ても自身の創作活動の方向性で迷い始めている人がたくさんいます。
確かに、短時間で(表面上は)綺麗なイラストがポンポンと生成され、手描きかAIかすら気にしないようなユーザーがその生成物を評価するという近年の流れに、筆を折ってしまう絵師も多いかもしれません(物書きや動画クリエイターも同じ未来にある)。
そりゃあAIの何倍も何十倍も時間を掛けて、評価はAIの何分の1、何十分の1だったらまぁ良い気持ちはしないのは当たり前ですよね。
でもAI生成物が表面上だけ綺麗なハリボテなのと同じように、実はその評価も同時にハリボテだったりします。
これは実際のAI術士のアカウントやリプ欄を見れば一目瞭然ですが、フォロワーだけ見れば、数値上は沢山いるように見えても、異様にリプが少なかったり、日常の呟きになると極端に反応が少なくなる場合がほとんどです。
これについては、余程革新的な使い方をしていない限りは、AI生成自体誰でもできることなので、術士本人を評価する部分を見つけるのが難しいことが要因としてあるでしょう。
自分の好みの生成物を定期的に供給してくれる都合の良いbotのような感覚で皆フォローしているのであって、生成者本人についてはあまり興味がないでしょうし、それこそSNS上でよくみる無断転載の動画まとめアカウントと似たような存在とも言えます。
そう、結局のところクリエイター本人が沢山考えて、時間を掛けて、熱意を持って取り組んで、壁にぶつかったら努力して乗り越えて…そうやって成長していかない限りは、本人自体の価値は全くといって上がらないのです。
前述した通り、私が「たかが」ゲームを熱意を持ってプレイするだけでも非常に沢山のものが得られたわけですから、“頑張って絵を描く”という行為がどれだけ多くのものを生むかは想像に容易いと思います。
私も集中力だったり何かを継続する力だったりは創作によって培われましたし、時間を掛けて一つのキャラをより可愛くエロく描こうと向き合った経験はそのキャラをより好きになるきっかけとなり、人生を豊かにしてくれています(意味深)。なにより創作活動をする中で出会った様々な方達との出会いは人生レベルのかけがえのないものとなるでしょう。
確かに手描きはAIより時間が掛かる。でもその時間・過程からこれだけ大事なものが沢山生み出されているのですから、掛けた時間は全く無駄にはなっていません。絵を描く過程で生まれるこの“大事なもの”までAIでスキップするのは果たして本当に有意義なのでしょうか。
勿論、これはただAIを頭ごなしに否定したいんじゃなくて、もし本気で熱意を持ってより良いものを作る為にAI生成に取り組まれている方がいれば、その姿は周囲に伝わりますし、実際そういう方達が今のAI技術を飛躍的に発展させているのだと思いますから、それはそれで評価されて然るべきでしょう。
これは過程が大事という話ですので、ゲームでも創作でも長々と惰性でやるなら何も身になりません。それこそ表面上の評価で承認欲求を満たしたいだけならAI生成のほうが断然タイパはいいですしね。
ただ、実際にChatGPTやAI絵生成技術を触ったことのある人は痛感していると思いますが、自分の脳内イメージを正確にAIに伝える為にプロンプト調整や環境整備していると、びっくりするくらい時間が溶けていきます。
相手が生身の人間ならまだしも、AIに理解してもらう為に、人間側がああでもないこうでもないと時間を浪費し、いざ生成されたイラストを投稿しても、時間を掛けた本人は評価されずただ「AIって凄いね」ってなるだけなので、本当に虚無で身にならないもの。
AIを使うどころか、時に立場逆転してAIに使わされる奴隷になってしまうことさえあります。
それなら周りに惑わされず自分が熱意を持って取り組めるものを信じて、そこに時間を投資するのが何より健全で人生も充実するんじゃないかな、と私は思っています。
というか実際に自身の経験からもそうだと確信できています。
AIが台頭してきて、世の中も流動的ですが、別に迷うことは何もない。好きなこと、やりたいことに全力投資が大正解。それで思いっきりコケても大丈夫。どんな分野でも「全力」で取り組んでさえいれば副次効果として「人としての成長」がついてくる。そして未来は自ずと開かれる。
だってどれだけAIが進歩しても、人間はまだ現実世界に取り残されたまま。努力して、成長して、競争して、生きていかなくてはならない(少なくとも私達が生きている間に電脳化は難しそうですし)。頑張ってもどうせすべてAIに置き換わる、とやる気をなくして惰性で生きていても思考能力も言語化能力も低下してしまう。ただでさえスマホゲームや動画など(短期快楽)で脳の報酬系回路が毒されていて、長期的な努力、継続力、集中力が低下しがちな現代人ですから、このままAIが台頭するとどんどん人がダメになっていくことが予想されます。この問題にちゃんと向き合えない人は弱者として今後社会で淘汰・搾取されることになるでしょう。
AIに使われないようにだけ注意して、あくまで未来を切り開く為のアシスタントとして使えばいい。決して承認欲求を満たす為の“逃げ”に使わずに、自らの独創性は自分で養うしかない。考え続けることを止めてはならない。
最近では「ゼルダの伝説」でも草一本一本生やしたりはAIに頼っているという話を聞いたことがありますし、スマブラの桜井さんも昨今のAAAタイトルの開発は予算的にも工数的にも限界がきていて、いかに生成AIを健全に巧く使うかが今後の肝になるだろうとおっしゃっていました。
クリエイティブな部分、面白さの部分は人間が担い、作業的な部分はAIに肩代わりしてもらう。グレーな手法で印象の悪い「パルワールド」は他者IPの威を借る狐で、褒められたものではありませんが、開発体制だけみれば先駆的で、今後のゲーム開発のスタンダードになってもおかしくないかもしれませんね。
クリエイターの方ほど今のAIを巡る問題には嫌悪感を覚え、辟易しているとは思いますが、ちゃんとこの問題に向き合わないと、これからくるシンギュラリティ、パラダイムシフトについていけなくなる可能性もあります。
AIをツールとして健全に有効活用し、自身の独創性を伸ばし続けた者だけが今後は生き残ることでしょう。
…と、ここまで長々と偉そうなこと書いてきましたが、これは自分に言い聞かせている部分が強いです。今年も自分が迷わずに全力で創作に向き合って成長していけるよう、独創性を磨き続けられるよう自己暗示&自戒です。
最後までこんな怪文書を読んでくれた方は本当に有難うございます。
深淵ネコジャラス
2025-10-07 16:04:14 +0000 UTCでるでる
2025-10-07 10:54:11 +0000 UTC