これは俺がまだリオルだった頃のお話。
卵から孵って、初めて見た人間の表情と言葉が今でも脳裏に焼き付いている。
「ちっ・・・5Vか・・・」
ゴミを見るよう目で確かに、その人間は言った。
最初はそれが何を意味するのか分からなかった。
しかし、すべてを知った時の怒りと絶望は、俺の心を深い闇に染めるのに十分だった。
信じられない話だが、俺には127人の兄弟がいた。
「ボックス」という狭い空間の中に、ぎゅうぎゅう詰めにされていた為、決して居心地は良くなかったが、それでもたくさんの兄弟に囲まれていたから、寂しくはなかった。
俺は25番目に生まれた子供で、その後も続々と弟や妹ができていった。しかし、30番目の子供がボックスにやってきた時から、急に状況は変わった。
一匹新しい兄弟ができるたびに、今までボックス内にいたはずの兄弟が一匹どこかへ消えてしまうのだ。
仲の良かった兄、優しく見守ってくれた姉、甘えん坊の妹、やんちゃな弟・・大事なものが、何の前触れもなく消え、二度と戻ってこない恐怖。
不安は伝染し、兄弟皆、震えながら毎日を過ごしていた。
いつか自分もどこか知らない場所に消えてしまうのか、そう思うと怖くて怖くてたまらなかった。しかし、消えていくのは兄弟ばかりで、自分の番は一向にやってこなかった。
気付けば俺はボックス内の最年長者になっており、弟や妹の心の拠り所になっていた。自身も不安でいっぱいだったが、彼らが安心して眠れるよう毎日、宥めて回った。
そんなある日のこと。
ついに自分にも“その時”がきた。
何の前触れもなく目の前が暗転し、暗闇に包まれたかと思いきや、次の瞬間には視界は緑と茶色で埋め尽くされている。
ずっとボックス内で過ごした自分には、この時、その場所がなんなのかも分かっていなかったが、今考えれば、何の変哲もないただの森だったように思う。ほとんど外の世界を知らない俺は、森すら知らなかったのだ。
右も左もわからない外界で、不安に押し潰されそうだったが、幸い辺りには自分と同じように飛ばされてきた弟や妹の姿があった。しかも29人全員。
どうやら、ボックス内にいた全員が一斉に外の世界に放出されたようだ。
もしかしたら、今まで消えていった兄弟達もこの森のどこかにいるのではないか。そう思うと、心が希望で満ち溢れてくる。
突然の外界に弟妹達も戸惑い不安がっている。早くこのことを伝えてあげよう。
「みんな!もしかしたら・・」
それは俺が口を開いた矢先のことだった。
グルルルルルル・・
背後で唸り声のような音が響き渡る。
全身の毛が逆立つ。これは危険のサインだ。
俺は勇気を振り絞り、後ろを振り向いた。
しかし、その瞬間にはもう“そいつ”は叢から飛び出していた!
・・一瞬の出来事。
唸り声の正体を目に捉えたときには、すでに弟の一匹が喉元を咥えられており、四肢は力なく垂れ下がっていた。
ヘルガー。野生のポケモンだ。
その眼光の鋭さと、有無を言わせず襲い掛かってきた余裕のなさから、今いるこの場所が弱肉強食の世界であることを知る。
ボックス内で育った赤子同然の俺たちには彼らに対抗する力はなかった。恐怖で固まっている兄弟達はまさに餌同然。一匹、また一匹といとも簡単に狩られていく。
俺はなんとかできないかと必死に考えた。
(そうだ・・・技だ!)
兄弟達は生まれつき多種多様な技を覚えていた。ボックス内では、それをお互い見せあってよく遊んでいたものだ。
「みんなっ!・・なんでもいい!技を使って乗り切るんだっ!」
俺の一声で、総崩れだった兄弟達がようやく気を取り直し、応戦。
しかし、レベルがあまりにも違い過ぎるのか、相手を退散させるほどのダメージをはなかなか与えることができない。
それどころか、血の匂いを嗅ぎつけた他の野生のポケモンたちが次々と場に参戦してくる。状況は悪化するばかりだ。
ヘルガー、そして血を嗅ぎつけてやってきたグラエナとその子供のポチエナたち、更には空からオニドリルやピジョットなどの猛禽類まで集まる始末だ。中には音もなく急に背後に現れては、確実に急所をついてくるエスパータイプのポケモンもいる。
戦闘未経験のリオル達にはあまりに酷な状況と言えるだろう。
だが、リオル自体がもともと戦闘に特化したポケモンなのだろう。レベル差を考えるとまだ奮闘しているほうだ。
俺が特別に覚えていた技は“まねっこ”。
よく兄弟の技を真似して遊んでいたが、これがこの状況下では存分に真価を発揮した。
場当たり的な使い方にはなるが、相手の使ってきた“あなをほる”を真似て一時的に危機を回避したり、兄弟を襲った技を真似て、そのままそっくりお返しして見せると、ダメージを与えられているかは別として、相手を驚かせて時間を稼ぐことくらいはできた。
持てる力をすべて尽くして、ようやく生き永らえるような絶望的な状況。
ジリ貧の中、弟妹達は次々と命を散らしていく。
絶望。
自分が一番お兄ちゃんなのに。誰一人守ってやれない。次々と両手から零れ落ちていく命を、ただ黙って見ていることしかできない。なんて俺は非力なのだろう。
気付いた時には2本足で立っているのは自分だけになっていた。いつもそうだ。なぜか俺はいつも最後なのだ。
しかし、悪あがきにも限界がある。自分の番もすぐにやってくることだろう。
俺は走馬灯のようにに自らの短い一生を振り返った。
風景も何もない。ただ真っ白な空間。背景すらない淡白な思い出・・。
でも、兄弟たちの輝く笑顔だけはいつも傍にあった。
そう、何もないボックスの中で兄弟達だけが唯一大切な宝物だったのだ。
(もう俺には何も残っていない)
(このまま生き続けて何になるのか。)
そう思った瞬間・・生を諦めた瞬間、不思議と急速に身体から力が抜けていく。
まるで死を受け入れる準備のように。
四方八方からポケモンたちの唸り声が聞こえる・・数秒後には彼らの凶刃にかかり、俺は命を落とすことだろう。
・・・しかし。捕食者たちの牙が今まさに俺の喉元を捉えんとしたその刹那。
俺の頭の中にある一つの疑問が浮かび上がった。
(なぜこんなことになったのか。)
それは本当にシンプルな問いだった。
何も知らない、何の罪も犯していない俺たちが、なぜこんな仕打ちを受けなくてはならなかったのか。
ただそれを知りたい。
そう願った時には、もう俺は無意識に行動していた。
“まねっこ”
技の発動と同時に身体が輝いたと思った次の瞬間もう視界には全く別の風景が移っていた。
俺が真似たのはテレポートだ。兄弟の最後の一匹がエスパータイプのポケモンのテレポートによって、背後を取られ一撃のもとに葬りさられていたのを俺は確かに見ていた。
今の今まで聞こえていたはずの唸り声、死屍累々の地獄絵図はまるでそっと扉を閉めたように、俺の五感から隔絶されていた。どうやら、遠く離れたどこか別の場所に瞬間移動したようだ。
なんと悪運の強いことだろう。またしても、“まねっこ”が俺を救ったのだった。
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