基本的にDDDの湊編のネタバレです。
ベータ版からの変声箇所について、列挙してるわけでなく、意識したことを書いてます。覚書。気が向いたら修正してるかも。
難産だった。
タグ含めて6万字をゴミ箱に投げた。
スチルも3枚ボツにした。一部服装描き直した。
書き直して、書き直して、ようやく、納得した。
とにかくベータ版の湊編が、つっっっっっっっっっっまらなかった。
2023年1月に再プレイしてびっくりした。好きだった人いたらごめん。
対となる春樹編に比べて
・謎が無い
・新垣がヘタレ
という点が重なり、何にも切り込めていない・感情の乗っていない・無難に済まそうとしているだけのシナリオだった。
春樹編は2020年のエアコミケ数週間前に血眼で直した甲斐あって面白かった。
2023年2月、湊編をベータ版のまま世に出すと後悔するという確信があり、ほぼ書き直すことを決意する。
時間は足りなかった。
足りなかったけど、やるしかないよね。
Q.どうすれば面白くなるか
A.謎を用意する
本来DDD編でやるはずだった箇所。
ずっと引っ張ってきてた「湊と間宮が似てる問題」。
これは本当に最後の最後さらーっと触って「あれ!?全然重要じゃないの!?」で済ませる予定だった。そういうのが面白いと2016年ぐらいは思ってた。
んだけど、謎が足りないのでトピックとして使用することにした。
DoomsDay編はDayDreams編に比べて、DDD冒頭で「1999年と2012年を混ぜた意味」が希薄なルートだった。
春樹編はその混沌を「幻想カニバリズムへのつじつま合わせ」で語るけど、湊編に無かったのも物足りなさを感じる要因だった。
ならば逆に湊本人が1999年に向かえばどうだろう、というのが新しいプロットだ。
他のFD組が1999年に向かう物語的メリットは特にない。
しかし、湊だけは違う。
間宮と外見が瓜二つだから。
DF湊編で「バニシングツイン」の話題を出すとき「湊はそれがみーなと勘違いしているが、本来は間宮であった予定」という設定はあった。
(そこに対して夏目が「僕らは魂の双子」と言ってしまうのも、マミヤの正体が分かると、夏目が顕在意識で感じている意味と、潜在意識で感じている意味合いが異なるように組んだ)
湊にとってのバニシングツインはみーなであり、ピンクハウスにとってのバニシングツインは間宮。
ここで大きな願望の対立が生まれるので、書かない手はない。
今思うと、かなり面白い部分なのでもうちょっと紙面を割いても良かったなー。
テンポは良かったと思う。良すぎたかもしれない。
2023年の私は、最低限の手数で伝えることにこだわっていた。
しかし湊を1999年にすっ飛ばしても、まだつまらなかった。
Q.なぜつまらないのか
A.感情が書かれていないから
湊は争いや対立を好まない。
できるだけ穏便に過ごすことが一番美徳と感じているキャラクターだ。
ベータ版では、そういった湊の「俺あんま声を荒げたくないんですよね~」という我儘に流されていたため、キャラクターがまったくイキイキしていなかった。
ので、声を荒げざるを得ない状況に引き摺り込んだ。
絶対的な悪・加害者・自分より強いのに卑怯な人、としか描かれていなかったまゆりを、自分よりも弱い・被害者として出す。
ただ、憎み呪う対象が、同情できるか弱い人間にうつる。
湊は自分が声を上げずにいれば周囲が穏便に済むなら、その選択肢を選ぶ。加害者であるまゆりのことも「自分が黙っていればいい」として、傷のままにした。一種の自己陶酔でもある。
けれど、できなくなる。自分の傷に浸れなくなったとき、湊は感情的にまゆりに怒鳴る。年上のまゆりには怒鳴れないくせ、同年代で女のまゆりには可能な事実が、湊をさらに惨めにする。
私はこのシーンがかなり好き。湊が初めて自分の汚さに直面するから。
湊は多少潔癖なところがあって、平均よりもまともなほうでいたいという意識が強い(これはペアである冬馬もそう)。どんなに「自分は穢れているから」と口で言っても、自認が被害者であるうちは清くいられる。
しかしこの時、湊は自分にも加害感情があることを知る。
湊のテーマである「清濁混ざり合った川」の肯定に近づく。
そんな感じ。
私はハンターハンターのゴンVSネフェルピトーのシーンが好きすぎる人です。
ダンスシーンでは、まゆりの視点を多く追加した。
あのシーン以降、湊の意思は固く、…つーか湊はかなり頑固かつ元来深く考えない陽キャなので特にモノローグすることがない。その点まゆりは追い詰められ、葛藤し、ずっと苦しめられている。
ので、ダンスシーンでは殺したはずの敵が戻ってきた焦燥感にスポットをずらした。
新垣まゆりは、ずっと終わらせたかった。湊編冒頭の独白にあるように。
自分の罪を罰せられたかったけれど、共犯であるあの家の三人に、食らった間宮に許されなかった。
そのうち「わたし」が押し殺されて「私」になっていった。
30歳のまゆりは冬馬よりも悲痛で、優しくて、仮面だけ分厚くなった。
(余談だけどナースマミヤだけ顔が見えているのは、そもそも「あのデフォルメの強い顔そのものが仮面だから」というつもり)
結論として、湊もまゆりも言葉にするのが下手くそ。
だからこんなに書きづらかった。二人も言葉にしたくてもできなかったんだと思う。春樹みたいにモノローグ大好き野郎じゃない。
なので、踊った。
踊りに言葉はいらないので二人とも素直だった。
ずっとこれ聴いてた。
avexバリバリのユーロビート。
30歳のまゆりは形式ばっかり重視してクラシックを踊ろうとするけれど、結局そこには上っ面の言葉しかない。本音は自分たちの親しんだ音楽にしかないのに。
みーなはアイドルダンス、まゆりは世代的にパラパラ。
外見は優雅でクラシックだけど魂はべたべたの大衆音楽。
みーなとまゆりが2012年に再会したクラブのまま。そんなイメージ。
ここでEDM的な音を流すと舞台設定的に浮くのでゲーム的にはラテンを使用。
30歳のまゆりは誰よりもヘタレでずっと逃げたかったがっていた。
けれど17歳の自分に鼓舞されて、最後は逃げずに悪役を貫いて偉かった。
あとエピローグでも相変わらず双方言葉足りてないけど、髪切ってるのは自首するためです。これはベータ版からも変わってないけど。
言葉足りなさすぎて英語でも誤訳されてた。現在は修正頂いてるはずです。多分。
間宮とのバニシングツインの話を湊ルートに引っ張る以上、恐ろしく一歩間違えれば危険な選択をしなければならなかった。
エンディングタイトルにもあるように、湊は最後ラベリングされることを拒む。
男であれ女であれわかりやすくあれ、そうすれば争いを生まずに済むと過ごしてきた湊の成長における着地点だ。
ベータ版においては、これは湊とみーなだけの話だった。
しかし、そこに、間宮も加わった。
するとどうなるか?
湊に「演技する」という要素が加わる。
結局、伝えたい本質は変わらない。湊が自分を誤魔化さず好きな自分で生きていけという話だ。
けれど、湊にとってのみーなが「演じていた」ものになる。
実際今までもそういう面はあったんだけど、なんていうんだろう、意味合いの濃度が変わる。それはFD編、DF編と湊の感情を追っていたユーザーにとって「キャラクターの色が変化した」ように感じられるだろう。
これはすごく難しい話で、自分の本質を投影してるものを「演じているもの」と外野に結論づけられれば、戸惑い、ショックを受けるユーザーが出るかもしれない。
私はそのことを理解していながらも、許容した。
なぜならユーザーに、湊そのものを大切にしてほかった。
いや、みーなも湊の本質なんだけど、みーなじゃなくても、湊の本質はたくさんあるはずで…。湊って人間はそんなにはっきりしてなくて…。ぼやぼやで…。
つまり…わかりやすい「みーな」というラベリングをしなくても、湊は自分の流動性を表出して、肯定してもいい。もちろん「みーな」も大切にしていい。
さらに言うなら湊は17歳と若く、まだ着地点を決める必要はない。
たとえキャラクターがぶれて映るデメリットを取ってでも、湊にとって未来の可能性が広くなる話にしようと思った。
これがきっとベータ版との大きな変更点。
湊のことを言葉にして話そうとするのはずっと難しかった。8年間難産だったよ。
今回の湊編でようやく、湊という人のことを理解して書き切ることができたんじゃないかなあ。
キャラクターじゃなくて、人間になったと思う。
「演じる」ってネガティブな使用が多いけど、最後の湊はポジティブな意味として使っている。
ずっと「誰かに必要とされる自分」を求めてきた人に、「自分がなりたい自分」を演じて欲しい。
その結論はゲーム内では出さなかったし、それこそ湊のエンディングタイトルなので、断言は野暮というものだ。
たくさん聞いた。
私のSpotify2023再生数トップ5なんですけど本当にたくさん聴いてる。
3曲もランクインです。
時間がないなりに、たくさん時間をかけました。
今手を入れればもっとよくなることはわかってるけど、まあ、及第点ということに。