凛世がイケボなおじさんに堕ちてしまうお話です。 本作品はpixivリクエストにて依頼を受けて制作させていただきました。 ―――――― ■【プロデューサー視点・現在】 「撮影が始まるのが、今から楽しみでなりません……」 受け取った台本を胸に抱きしめ、凛世は喜びの声を弾ませた。 艷やかな黒髪。白磁の肌。にわかには信じられないほど繊細に整った顔立ち。藤の花を静かに咲かせた藍の和装が彼女の気品を際立てている。 大正時代を舞台にしたベストセラー小説の映画化。今回、凛世はそのヒロインを演じることになっている。名家の令嬢ながら、身分を偽ってカフェで女給として働き、そこで大好きな歌を歌っている、という役どころだ。撮影はまだ先だが、キャスティングはすでに発表されている。凛世ならば役にぴったりだ、という声は多い。 以前ならば、プロデューサーである彼も、何の疑いもなくそう思ったに違いない。 「明日は朝からバラエティの収録だったか。なかなか休みを作ってあげられなくてすまないな。くれぐれも無理はしないでくれ」 「構いません。凛世はアイドル――忙しいのは良きことでございます。プロデューサーさまこそ、このところとてもお忙しい様子。ご無理はなさらず」 「ああ。わかってる。心配してくれてありがとうな」 では、と挨拶を置いて、凛世は部屋の出口へと向かった。その背中を見送りながら、どうにか今回もいつも通りのやりとりができた、と彼は安堵していた。 部屋を出ていく寸前で、凛世は立ち止まり、彼を振り返った。小豆色の瞳――そこに宿る光が、彼をまっすぐに刺した。 「やはり何もお尋ねにならないのですね、プロデューサーさま」 くすくす、と口に笑いを含みながら、凛世は言った。 何と答えればいいかわからず、彼は「ああ」と「うう」の中間の音を呻く。その無様な様子を見て、凛世の口元が嘲りに歪んだ。 「それでは、今度こそ失礼いたします」 典雅な声音でそう言い、目礼をしてから、凛世は事務所を出ていった。彼女がいなくなっても、彼女の香りと彼女の浮かべていた嘲りは、しばらくその場にわだかまり、彼を責め苛んだ。 ■【プロデューサー視点・回想】 振る舞いは上品で控えめ。しかし、その内側に芯の強さを秘めている。大和撫子という古風な形容が似つかわしいアイドル――それが杜野凛世だ。 彼はそう信じて疑っていなかった。 だが、今から一週間前に、その信仰は完膚なきまでに破壊されてしまった。 その日、屋外ロケからの帰路、彼と凛世は電車に乗っていた。通常、アイドルの送迎は事務所の車で行っている。だが、その時は交通事情の関係で、電車を使っていた。満員には至らないものの、それなりに乗客がいる車内。彼と凛世はシートに座ることがかなわず、出入り口付近の空間に立っていた。 車窓を流れていく風景は、夜の闇に染まり始めていた。電車を降りたら、ねぎらいの意味をこめて、凛世を夕食に連れて行こう。そう思いながら、車内に視線を戻すと、凛世の様子が明らかにおかしい。白のワンピースに濃紺のカーディガンを羽織った彼女は、俯けた顔を蒼白にして、全身をこわばらせていた。 原因は考えるまでもなかった。凛世の背後に立つ男。その手が、凛世の尻を撫で回していた。ひくつく鼻は、彼女の頭髪の香りを貪っているのだろう。 「あなた、何をしているんですかっ」 凛世が何をされているのか認識した瞬間、彼は男の手首を掴んでいた。 相手の年齢は四十歳すぎ。服装はグレーのシャツにジーンズ。体型はやや小太り。顔の造作は、似顔絵の名手でも描くのに難儀しそうな、特徴のないものだった。成人向け漫画に登場する、男性器を提供するためだけのキャラクターに似ている、と思ったのを覚えている。ジーンズの股間には、生地の硬さを物ともせず、恐ろしく巨大なものがくっきりと浮き彫りになっていた。 「ありがとうございます……っ」 解放された凛世は彼の後ろに隠れ、背中にしがみついた。礼を述べる声は、恐怖に縮こまり、怒りに輪郭を震わせていた。凛世から目を離したのは数十秒。たかが、とは言えない。そのあいだ、凛世は男の卑劣な行為の餌食になっていたのだ。守るべきアイドルを守れなかった自分を、彼は大いに恥じた。 彼の声を聞き、乗客たちの視線がこちらに集まっていた。だが、凛世は感染症予防のためにマスクを装着していたので、幸いないことに、誰ひとり彼女の正体には気づいていない。それだけは、不幸中の幸いだった。 「今、この子の体を触っていましたよね」 男の手首を掴む手に力を込めて、彼は言った。駅員に引き渡せば、掌に付着した繊維が証拠になる。もしも解放すれば、その証拠を隠滅されてしまう恐れがあった。 「触った? 僕が? おいおい、そんなわけないじゃないか。誤解だよ、誤解」 男は言った。冴えない外見からは想像もできない、低く潤いのある声だった。耳ではなく、脳の中枢に語りかけているような、落ち着いた喋り方だった。 男の言葉を聞いた瞬間、凛世が息を飲むのがわかった。「あ、あのっ」と上擦った声をあげなら、彼女はそれまで背中にすがっていた彼を邪険に押しのけ、男に近づいた。思わぬ方向からふいを突かれてよろけた彼は、離すまいとしていた男の手首をあっけなく離してしまった。 「貴方さまは、もしかして――」 凛世は男に顔を近づけ、囁き声で何事かを尋ねた。男は掴まれた手首を反対の手で擦りながら、笑みを浮かべて頷いた。それを見て、凛世が「やっぱり♡」とはしゃぐ。それから、彼女は「実は――」とふたたび男に何事かを囁く。男の笑みがさらに濃くなった。 そして、凛世が彼のほうを見る。 「この方は、不届きなことは何もなさっておりません」 突如として態度を翻した凛世に、彼は愕然とした。 「待ってくれ。何を言っているんだ。俺は確かに――」 「考え事をして俯いていていましたので、それで勘違いなされたのでしょう」 そんなわけはない。自分は確かに見た。そう言いたかったが、当の凛世がそう主張している以上、抗弁は出来なかった。何だ勘違いか、という白けた雰囲気が周囲に広がっていった。 垣間見える車窓を窓代わりにして、凛世は前髪を手櫛で整えた。それから、ん、ん、と可愛らしく咳払いをして男に向き直る。 「連れが失礼をいたしました。大変申し訳ありません。お怪我はありませんか? ぜひ、お詫びをさせてください。もしまだでしたら、夕食をご馳走させていただきたいと思うのですが、いかがでしょう♡」 探るような上目遣い。耳が爛れそうな甘い声。胸の前で握られた両掌。悩ましく揺れ動く腰。……凛世はメスの媚びを全開にして男を誘っていた。相手が凄まじく美形の男ならば、納得はできないが理解はできる。しかし、凛世が媚びているのは、どこにでもいるような、冴えない中年男なのだ。 この男は一体何者なのか。彼には見当もつかなかった。 「謝罪の必要はないよ。勘違いは誰にでもあるからね」 でも、と男は言った。 「君のような若い女の子と食事をする機会を逃したくはない。だから、つまらないことは抜きにして、一緒に食事を楽しむというのはどうかな? 和食、中華、フレンチ、イタリアン……何にするか、次の駅で降りて相談しよう。食事だけで済ませるかどうかも、ね」 男の提案に、凛世は息を呑み、それから「はいっ♡」と返事を弾ませた。 「ま――」 待ってくれ、これはどういうことなんだ、尋ねようとした彼を咎めるように、ブレーキが軋り、電車が駅に停まった。車両の扉が開くと、凛世は男に腰を抱かれて電車を降りていってしまった。立ち尽くす彼の視線の先――歩みを止めずこちらを振り返った凛世は、マスクで覆われた口元の前に人差し指を立て、静かにウィンクをした。 このことは、どうかご内密に♡ 凛世の声の幻がすぐ耳元で聞こえた。息が首筋を撫でる錯覚すら感じた。 電車がふたたび動き始めても、彼はただ呆然としていた。 ■【プロデューサー視点・現在】 あれから一週間、凛世とは何度も顔を合わせている。 だが、あの男は何者なのか、あの後何があったのか。尋ねるべきことは、尋ねられていない。欺瞞だとわかっていながら、彼はそれまでと変わらない態度を続けている。 (でも、次こそは――) どうせ次もまた何も聞くことはできないとわかっていながら、彼は自分に言い聞かせた。 溜息を吐きつつ目頭を揉み、視界に残る凛世の嘲りを振り払う。それから、パソコンに向かい直し、凛世が台本を取りに事務所にやってくる前にしていた作業を再開した。ネット上で所属アイドルの誹謗中傷が行われていないかの調査。気の滅入る仕事だが、彼女たちのためにも悪評は放置できない。 浅倉透、有栖川夏葉、市川雛菜……と五十音順に下っていく調査が、やがて杜野凛世の番となる。その文字列を検索窓に打ち込むだけで心が揺れた。深々と呼吸をして、落ち着きを取り戻してから書き込みをさらっていく。たちまち、彼の心臓が大きく跳ねた。 とある成人向けチャンネルの動画に出演している女性が凛世とよく似ている――そんな書き込みが多く目についた。前までならば、単に似ているだけに決まっている、と一笑に付しただろう。だが今、彼は笑えない。 そんなわけがない、と思いながらも、確認せずにはいられない。 万が一誰かがやってきた時のことを考えて、彼は事務所のトイレにこもった。 スマートフォンを使って、彼は当該のチャンネル――『イケボおじさんのマラハメちゃんねる』に入会した。震える指をどうにか動かして、つい昨日投稿された最新の動画をタップする。 動画の読み込みを待つ彼は、見開いた目を血走らせ、完全に呼吸を忘れていた。 ■【男視点・現在】 「おお。いい感じ」 チャンネル加入者の増加をチェックして、男は喜びの声をあげる。 キッチンへ行った彼は、ビールを手にパソコンの前に戻り、ひとり祝杯をあげる。 『イケボおじさんのマラハメちゃんねる』は、男が運営している成人向けの有料動画チャンネルだ。毎週投稿している動画は、あくまでも「竿」としての役割に徹するため、黒い目出し帽で顔を隠した男が、さまざまな女性と性行為をするさまを撮影したもの。凄まじい巨根で女性がハメ潰されていくさまは圧巻と評判だ。 月額料金はかなり高く設定しているが、加入者の数は凄まじい。 男性だけではなく、女性にもこのチャンネルのファンは多くいる。その理由はチャンネル名にも冠されている男の声だ。潤いのある低音の声で囁かれながら、めちゃくちゃにハメられたい――そんな願望を持った女性からの出演希望は絶えない。先ごろは男のペニスを完全再現したディルドが限定発売され、瞬時に完売した。 出演者は、そうした女性たちから選ぶ他、男が街なかでスカウトしたりもしている。絶対に公にはできないが、これは、と思い定めた女性に対しては、逃げられない状況で、体を触りながら女性特攻の声で口説き落とすこともある。現在までのところ、それで堕ちなかった女はただひとりとしていない。 (でも、今回は危なかったな……) ビールの喉越しを楽しみながら、男は思う。 今回は、適当に乗り込んだ電車で良さげな女を見つけ、尻を触りながら口説こうとした。マスクをつけてはいたが、彼女は間違いなく凄まじい美人だと「おじさん」の直感が告げていた。絶対に逃がしてはいけない、と焦っていたせいだろう。その女がすぐそばに男を連れているのに気がつかず、危うく警察沙汰になるところだった。もしも女がかばってくれなかったら、社会的に死んでいただろう。 彼女は「おじさん」の熱狂的なファンで、男の声を聞いた途端、その正体に気づいて助けてくれたのだ。しかも、その女は杜野凛世――芸能界に疎い男でも知っている人気のアイドルだった。彼女と連れ立って電車を降りた後、出演を打診してみると、「マスクをつけたままでよろしければっ♡」と快諾してくれた。 「前から出演してみたいと思っていました。何卒よろしくお願いいたします♡」 あまりにも都合の良すぎる展開に、これはもはや神が彼女が出演している動画を見たがっているに違いない、と男が興奮したのは言うまでもない。 撮影した動画は、編集を済ませ、昨日投稿した。その内容は「某アイドル」に激似だと早くも話題になっている。最終的に、その「某アイドル」がどれほどの金銭をもたらすのか――それを想像しながら、男は一気にビールを干して、空き缶を握り潰した。 (続き→ https://ringokidjp.booth.pm/items/7097372 )