■ 「乾杯」の声もなく、だらだらと酒が飲まれ始める。 時刻は宵の口――真央は5人の男たちと一緒にいた。場所は彼らのうちのひとりの私室。壁に貼られたポスター、TVに繋がったゲーム機、乱雑に積まれた漫画雑誌……そこまで広くはない部屋は6人もの人間を詰めこみ、冷房を点けていてもなお空気に熱と湿気を感じる。 男たちはいずれも38歳の真央より20歳は年下。本来ならば飲酒が許される年齢ではないが、今更注意する気にもなれない。大体、彼らが飲んでいる酒は、テーブルにならぶツマミとともに、彼らに頼まれて真央が買ったものだ。 真央が着ているのはヒョウ柄のボディコンドレス――攻撃的な服装とは反対にその表情は穴に落ち込んだように暗い。俯けた視線、引き結ばれた唇、光の少ない瞳。それが熟女の妙なる容姿に艶めかしい影を与え、その美しさを引き立てている。 はあ、と真央は溜息をつく。それにあわせ、グラスの中、焦げ茶色の液体が揺れた。 男たちは酒を飲んでいるが、彼女のグラスに注がれているのは烏龍茶だ。ナイトクラブで記憶を失うほど飲まされてからこちら、酒は一滴も口にしていない。どうしても体が受け付けなくなってしまったのだ。トラウマになったということなのだろう。飲むと嘔吐しかねないほど気分が悪くなってしまうため、真央に様々な無理強いをしてきた裕貴も、裕貴から命令を受けているこの男たちも、飲酒については免除してくれている。 「おいおい、まおっちー」「何暗い顔してんだよ」 そんな真央を見て、左右から男たちが体を擦り寄せてくる。彼らの手は、それが当たり前であるかのように、真央の乳房を揉み、剥き出しになった太腿を撫でていた。それを咎めようという考えも、今の真央にはない。今いる5人には、もうすでにさんざん体を弄ばれている。 真央をアホに変えろ――裕貴がこの男たちにそう命じたのは4日前のことだ。 それから、男たちは真央を昼夜を問わずあちこちに連れ回しつつ、言葉遣い、行動、仕草……さまざまな点について、彼女が「アホ」らしく振る舞えるよう指導をしていった。いや、罰や褒章の存在を考えれば、それはしつけと呼ぶべきかもしれない。 うまくできなければ罰として性行為をされる。うまくできたとしても気まぐれにご褒美として性行為をされる。どちらにしろ与えられる快感は、望まぬ知識を熟女に徐々にだが確実に染み込ませている。少なくとも、喋り方については、口に出す前に考えさえすれば、それらしいものができるようになった。ただし、それを進歩とは考えたくない。 はあ、と溜息をつきたい気持ちを抑えて、真央は無理矢理に笑みを作った。 「ま、まおっちは大丈夫だよん♡ 心配させちゃってごめんね~♡」 だらしなく引っ張られた母音。「まおっち」という馬鹿げた一人称。わざとらしいまでに可愛らしさを意識した発声は、聞くものが聞けば「萌え声」と表現するだろう。……年若ければまた別かもしれない。しかし、どれほど美しかろうとも38歳の熟女の口から出るそれは滑稽に聞こえざるをえない。そして、滑稽だからこそ、その喋り方は彼女にたまらない魅力をまとわせている。 それを耳にした男たちは、苦笑いを浮かべつつ、「きっついわ~♡」「無理すぎて最高」と称賛を口にして、肉の感触を楽しむ。 (誰がこんなことをさせていると思っているの! あなたたちじゃない!) こみあげる言葉を押し殺し、真央は変わらずへらへらとした笑みを浮かべ続ける。その笑い方も喋り方同様、この――自分よりはるか年下の、子供であってもおかしくはない男たちに指導されたものだ。 「ほら、まおっち、唐揚げ♡」「ピザもうまいよ。はい、あーん♡」 差し出される油物を、真央は「あ、あーん♡」と咥え込み、咀嚼していく。どうしてこんなことをしなければいけないのか。恥ずかしい。恥ずかしくてたまらない。しかし、何よりも耐え難いのは、こんな振る舞いをすることに恥ずかしさだけではなく昂りも感じてしまっている、ということだ。 ■ 「まじで傑作だったよな」「あれは笑った」「動画撮ってあるけど見る?」「見る見る。送って」「ネットにアップすんなよー」「わかってるって」「つーかこの唐揚げうめえ」「なー」「うまいよなー」「俺のぶんもとって」「トイレ行ってくる」「俺のぶんも出してきて」 料理の並ぶ場にはふさわしくない冗談に、男たちが笑い声をあげる。男たちだけではなく、真央もまた笑みを浮かべてしまっていた。 (わ、私、今、笑って――) それに気がつき、真央は慌てて唇を平らに結び直す。 こんな冗談は、かつてならば眉をひそめていたに違いない。しかし、今の真央はそれを面白いと感じてしまう。知性に欠けた振る舞いをすることで、それを教える彼らの持つ価値観に染まり始めているのかもしれない。 (こんな子たちと同じようになるなんて――) 現にそうなりつつあることを真央は認めなければいけない。冗談を聞いて浮かんでしまった笑みがその証拠だ。もしも完全に染まりきったとしたら――と考えると、真央の胸はどきどきどきどきどき♡♡♡♡♡と高鳴った。体中を血液ではなく強酸性の液体が巡っているような気分になる。結び直したはずの唇がほころび、腹の底からわきあがった熱情を切なく吐き出した。 視線をあげると、向かい側に座っている男が煙草を吸い始めるのが見えた。 手慣れた様子で口に咥えて火をつけた彼は、目を細めつつ中空に煙を吹き上げる。 (煙草なんておいしいのかしら……?) 当然、真央に喫煙の経験はない。家族にも喫煙者はいなかったし、夫も非喫煙者だ。嫌煙家というほどではないが、煙草にいいイメージはまったく抱いていない。逆ナンした男たちのなかにも煙草を吸っている者は多くいた。彼らの唾液の味には慣れたが、吸ってみようと思ったことは一度としてなかった。しかし―― (もし吸ったらどんな気持ちになるの……?) そんなふうに考えてしまうのは、自分らしくない振る舞いをすることの楽しさ――自己破壊の愉悦を知ってしまったからなのだろう。おいしいかもわからない煙草を吸っている自分の姿が鮮明に浮かんできてしまう。ますます高鳴る心臓。押し殺さなければいけないほどに荒くなろうとする息遣い。肌にじっとりと滲んだ汗が、彼女の周囲にかぐわしい薫香を漂わせた。 「ん?」 真央の視線に気がつき、その男が眉をあげる。 「何? もしかして、まおっち、煙草に興味あるん?」 鼻にピアスを光らせている彼の名前は黒井涼介――この5人のリーダー的な存在であり、真央たちが今いるここは彼の私室だ。階下では両親が騒ぎ立てる声を迷惑に思っていることだろう。 涼介の父は会社員、母は近くのスーパーでパートとして働いているという。家に連れ込まれた時にちらりとふたりの姿を見たが、年齢は真央と同じくらいだった。子供でもおかしくはない年齢だということは理解していたが、実際にそれを目にすると衝撃的だった。涼介の両親も真央を見て、ひどく動揺していたようだった。あの束の間に味わった気まずさは、思い出すだけで奥歯を噛み締めずにはいられない。 「べ、別に興味あるとかそういうわけじゃないけどぉ……」 否定する真央は、その弱々しい口調で、涼介の言葉を肯定してしまう。 「吸ってみる?」 涼介が真央に向かって煙草を差し出す。 「ええと……その……遠慮しとく。あっ、そこのフランクフルトとって欲しいな~。おいしそ~」 あからさまに話題をそらそうとする真央に、5人の男たちは嗜虐的な笑みを交わしあった。「いいじゃん」「吸ってみれば?」「そうそう」「何事も挑戦っしょ」「1本だけ吸ってみよ?」男たちは口々に言いつつ、真央の手に無理やり煙草を押しつける。 「どうする、まおっち。吸う?」 涼介が尋ねてくる。名前の通りに涼やかな作りをした彼の顔には、5人の中でもっとも凶悪な表情が浮かんでいた。見ているだけで背筋がぞくぞくと痺れてくる。 「いや、どうしても嫌だって言うならやめてもいいよ。無理やり吸わせて吐かれたりしても萎えるしさ」 突きつけられる最後通牒に対して「嫌だ」「煙草なんて吸いたくはない」と答えることが真央にはできない。拒絶しなければいけないことはわかっているのに、そのための言葉は喉元に引っかかってしまう。 (どうしよう……) あらためて、真央は掌に載っている煙草を見下ろす。初めて手にしたそれはごく軽いはずなのに、鉛のように重く感じられた。 (どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……) 吸ってみたいという気持ちはあるが、それを素直に認められるほどには、まだ真央の良識は溶けてはいない。しかし吸ってはいけないと思えば思うほどに、吸いたいという気持ちは強まっていく。 (そ、そうよ。もしここで吸わなかったとしたら……罰としてセックスさせられてしまうかもしれないわ。吸いたくなんてないけど……本当に吸いたくなんてないけど……この場合は仕方ないわよね……) 葛藤がもたらす苦しみから逃れようと、真央の頭はどうにか言い訳をひねり出す。どうせ吸えば吸ったで褒美として性行為を強要されるのだから苦しい言い訳だということはわかっている。だが、真央が説得しようとしているのは真央自身だ。そして、その真央は説得されたがっている。誘惑に負けるのは、溶けかけたバターにナイフを入れるよりなお容易だった。 「す、吸ってみよう……かな……っ♡」 呼吸を乱れさせながら、上擦った声で真央は言った。 (どうしよう♡ 私、言っちゃった♡ 煙草を吸うって言っちゃった♡) 言ってしまったという後悔は、言うことができたという歓喜にたちまち塗り潰されて消えてしまう。それを契機に、掌に感じる煙草の重さがほとんどないも同然に軽くなる。きっとこれが本来の煙草の重さなのだろう。 真央の答えを聞き、男たちが「おー♡」「吸お吸お♡」「吸ってるとこ見して♡」と湧く。その声を聞いて初めて自分は初めて自分の意思で馬鹿な――アホな行動をしてしまったのだと気がついた。だが、今更どうしようもない。真央はすでに上ることのかなわない坂を下り始めている。 煙草についてはまったく無知な真央を相手に、男たちは喫煙のやり方を仕込んでいった。 はるか年上の女に喫煙を教える背徳の喜びに、彼らはいつになく意気込んでいた。 まずはフィルターのついているほうを唇に咥える。次にライターに火をつけ、ストローで飲み物を飲む時のように息を吸い込みながら煙草の先端に火をあてる。先端が燃えて煙が出ていればそれで着火完了だ。それから、深く煙を吸って口の中に溜める。煙草から口を離し、溜めていた煙を深呼吸をする要領で肺に入れてから吐き出す。どの動作でも焦らずにゆっくりと行えばいい――と言われても、簡単にできるものではない。 最初は煙草に火をつけるのすら苦労をして、二度、三度と試みなければいけなかった。やっと火がついても怖くてなかなか煙を吸いこめず、思い切って吸引すれば呼吸が困難になるほどにむせてしまう。 「吸うって言ったけど……む、無理かもぉ……」 目に涙を滲ませつつ弱音を訴える真央を、男たちは「大丈夫だって♡」「できるできる♡」「いいから吸えよババア♡」と無責任に励まし、無理矢理喫煙に挑ませる。吸うという決断を心の底から後悔しながら、真央は彼らの言う通りにし続けた。 その甲斐あって、しばらくすると、どうにか咳き込むことなく吸えるようになった。 教えられた通りにゆっくりと煙を口に含み、ゆっくりと肺に入れてから、またゆっくりと吐き出す。ニコチンやタールといった成分と一緒に喫煙の実感が体に染み込んでくる。 (煙草の美味しさはまだわからないけど……煙草を吸うのは楽しい……かも……) 逆ナンによって目覚めてしまった、本来の自分――よき母よき妻を逸脱する愉悦がここでも発揮されてしまう。 「すーっ………………ふーっ………………♡」 煙草を挟んだ人差し指と中指の細さ、呼吸にあわせて上下する胸、煙の向こう側で細められる目……緩慢な動きで生まれて初めての喫煙に耽る美熟女の艶姿に、年若い男たちは軽口を叩く余裕すら失って見惚れている。それはまったく性的な行為ではないからこそ、かえって鋭く牡の心の真芯を貫いた。もうすでに何度も性行為を重ねていなかったら、彼らはたちまちのうちに真央に襲いかかり、無茶苦茶に犯していたことだろう。 「すーっ………………ふーっ………………♡」 ある程度まで吸った真央は手を伸ばし、灰皿代わりになっているビールの空き缶に煙草の灰を落とす。フィルター部分に付着した口紅の鮮やかさに、男たちの誰もが息を呑んだ。肌に感じる彼らの熱い視線が、真央の感じている楽しさをさらに増幅する。 こんなところを夫や息子が見たらどう思うだろう。軽蔑されてしまうに違いない。その時の彼らの目つきを想像すると、肌にぞくぞくと痺れが走った。今の真央にとっては、家族の失望すらも興奮の材料になってしまうのだ。 (だ、だめよ。こんなに楽しいなんて……。こんなに楽しかったら……絶対……絶対絶対絶対絶対癖になっちゃう♡ 煙草吸うのやめられなくなっちゃう♡ ああもうっ♡ 若い頃は煙草なんて不良の吸うものだって思ってたのに……38にもなってハマっちゃうだなんて……私……なんて恥知らずなの……) いけないということを理解してはいる。それを言い訳にして、真央は煙草の残りを吸っていく。じりじりと煙草が短くなっていくのがひどく口惜しかった。煙草がすっかり短くなったところで、「それくらいでおわりかな」と煙草を消すように言われる。続く指導のとおりに空き缶の上面で火を揉み消したところで、「おー」「吸えたじゃん」「いい感じ」と称賛だけではなく、拍手までが送られ、真央を恥じ入らせた。 「べ、別に……褒められるようなことしてないけどぉ……♡」 喫煙をおえても口の中には煙草の風味が濃厚に残り、自分が間違いなく煙草を吸ったのだという証拠となる。多少の頭痛は感じるが、そんなものは血を騒がせる興奮が押し流してしまった。 「どうよ、まおっち、煙草吸った感想は?」 それは、と真央は答える。 「その……ちょっとは……楽しかった……かも……♡」 そう言う彼女の目の輝きは、喫煙に感じた楽しさが「ちょっと」では済まないことを端的に表している。吸い終わったばかりだというのに、もっと吸ってみたいと口が疼いてしまう。たった一度の喫煙で、彼女は完全に煙草を吸うという行為に心を掴まれてしまっていた。 「これ、プレゼント」 「これ――」 涼介が真央に差し出したのは煙草の箱とライターだった。 受け取ってはいけないと理性は主張している。しかし真央はそれを「……ありがと♡」と蕩けた笑みとともに受け取ってしまっていた。 (わ、私、何をしているの。こんなものを受け取ったりして……。これじゃ、絶対に吸っちゃう……。たくさん煙草を吸って……本当に煙草が好きになっちゃう……♡) 受け取ったものを見下ろす真央の顔は、わきあがる恐れとは裏腹に、喜色に塗れている。ひくひくと痙攣する唇の端も、潤んだ目も、上気した頬も、さらなる堕落を心待ちにしているようにしか見えないだろう。 「じゃあ、次はちゃんと煙草吸えたご褒美な♡」 真央の隣に陣取った涼介が、乳房を鷲掴みにして笑う。 ご褒美が何を意味するのかは尋ねるまでもない。あぐらをかいた彼の股間は、ズボンごしにもはっきりとわかるほど勃起している。裕貴ほどではないが、その素晴らしい巨大さはこの4日間で何度も体験していた。 近づく涼介の顔。唇が奪われ、舌が口腔に侵入してくる。 「んむっ♡ はぁう♡ んちゅ♡ ちゅ♡ れぅ……れろぉ……♡ ん……ふ……♡」 「……やっべ。まおっちの口んなか、めっちゃ煙草の味する」 「んふっ♡ ちゅっ♡ 当たり前だよぉ……だって、煙草吸ってたんだもん……。んむぅ♡ んちゅ♡ はん……むぅ……♡」 (これ……気持ちいい……気持ちよすぎ……♡) 切なく鼻を鳴らしながら、真央は内股をもじもじとこすり合わせる。 初めての喫煙後のキスは、これまで数限りなく重ねてきたものとはまったく違っていた。こんなにも美味しいと思えたキスは今までしたことがないとすら思った。同じ煙草の味がするふたりの唾液が舌の蠢きで混ざり合い、泡立ち、粘りついた。 そんなふたりの様子を横目で眺めつつ、他の男たちはツマミに手を伸ばし、酒を煽り、雑談をしている。彼らの駄弁と真央たちの接吻音――本来は混ざり合わないはずのものが混ざり合い、部屋の空気を猥雑に歪めていった。 「はむっ♡ んちゅ♡ ちゅっ♡ れろっ♡」「明日どこ行く?」「明日は学校行くわ」「うわ真面目」「出席日数やばいんよ」「カラオケ行きてー」「遊園地は?」「あーいいな。それ」「絶叫マシン乗ろ」「んふっ♡ んむぅ♡ れるぅぅ♡」「つーか、お前ら、裕貴さんから金もらえたら何に使う?」「俺バイク買う」「俺は旅行かな」「貯金」「うわ夢ねー」「つーかこの唐揚げ冷めてもうまい」「やば……っ♡ た……煙草ちゅー♡ やっばぁ……♡」「どこで買ったん?」「駅前の店」「あそこかー」「どこよ。元々タピオカ屋だったとこ?」「そうそう」「んっ♡ はぅ♡ んっ♡ むっ♡ ちゅっ♡ ちゅっ♡ じゅるっ♡ ちゅ~~~っ♡」 涼介たちの罰あるいはご褒美は、大抵このように恥じらいもない形で与えられる。 当然、最初は抵抗があった。しかし、それもすぐに馴れ、これも日常の一部に成り果てている。性行為とは神聖な愛の営みであるべき――そう考えていたはずなのに、この神聖さの欠片もないセックスに嫌悪すら抱かなくなってしまっている。 たっぷりと10分以上もキスに耽った後で、ふたりの唇はようやく離れた。 「はぁ……♡ はぁ……♡ はぁ……♡」 荒く呼吸を喘ぐ真央。その目は完全に据わり、瞳には狂乱がぐるぐると渦を巻いている。その顔つきは完全に酩酊状態にある者のそれ――ただし、彼女が酔っているのは酒ではなく喫煙という、よき妻よき母にあるまじき行為だ。 「あーやっべ。もう我慢できねーわ。下着脱いで。そうだ。ハメおわったらまた煙草吸おっか♡」 また煙草が吸える――その喜びが瞬時に真央の瞳に妖しい光を宿らせる。 「期待しといていいよ」 ベルトを弛めつつ涼介は言った。 「期待……?」 「ハメた後のヤニってめちゃくちゃ美味いから♡」 その言葉が煽り立てた期待は、瞳に宿った光を輝きと呼べるほどに眩いものへと変える。はあっ……♡と焦げた息を吐き、下唇を舐めたその顔は完全に獣――飢えた肉食獣のそれだった。 勃起に避妊具を装着した涼介は、対面座位の姿勢で真央を貪り始める。 「ああっ♡ あんっ♡ あっ♡ ああっ……♡」 チューブトップはそのままに、ショーツだけを脱いだ真央――内側から突き上げられるたび、爆乳が顎下につきかねないほど跳ね上がった。汗の匂い、ボディソープの香り、甘ったるい乳臭、そして煙草の匂い……それらが複雑に絡まりあったものが全身から醸し出されていた。 喘ぎながら真央が考えるのはひとつ――事後の一服だけだった。つい先程生まれて初めての一本を吸ったばかりだというのにもう吸いたくて吸いたくてたまらない。 (た……煙草っ♡) 性的な快感は確かにある。しかし、煙草への欲求はそれをはるかに上回る昂りで真央を揺さぶった。性的快感は、その程度がどれほどであろうと、もはやあって当然のものとなっている。だが、目覚めたばかりの喫煙欲は真央にとっては目がくらむほどに強烈なものだ。 (煙草♡ 煙草♡ 煙草♡ 煙草♡ 煙草♡ 煙草♡ 煙草♡ 駄目だけど……吸ったら駄目なのはわかってるけど……吸いたい♡ 吸いたい♡ 吸いたい♡ 吸いたい♡ 吸いたい♡ 吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたいっっっ♡♡♡♡) 「おおっ♡ おっほ♡ ほっ♡ お゛お゛っ♡ お゛お゛ん゛っ♡ あっ♡ やば♡ やば♡ や………………っべ♡ やっべイくっ♡ やっべイくイくイくイくイくイくイくイくイくっ♡ まおっちイくイくイくっ♡ イっくうううううう゛う゛う゛う゛お゛お゛お゛お゛っ♡♡♡♡」 強烈な欲求が真央を女の高みへと昇りつめさせる。膣壁の収縮による愛撫に、たまらず涼介が爆ぜた。幸せそうな顔で、びゅるっ♡ びゅるるっ♡ びゅるるるる~~~っ♡ と勢いよく精液を放つ彼は、当然、真央が性的快感ではないもので絶頂したとはまったく気づいていなかった。 そして、事が終わると、ふたりはそれぞれ煙草を吸い始める。 「どうよ、まおっち。煙草おいしいっしょ♡」 「……うん♡」 涼介の言った通り、性行為の後の煙草はたまらなく美味しく感じられた。先程は感じる余裕のなかった風味や味わいまでもが細部に至るまで明瞭に捉えられる。まるで近眼の人間が適切な度数の眼鏡をかけたようだ。 (どうしよう……これじゃ、ますます煙草が好きになっちゃう……) どうしようと思いつつも、真央はまったく困惑してはいない。その顔は禁断の快楽にどろどろに蕩け――まさに「アホ面」と形容するにふさわしいものだった。 ■ 時刻は午前7時すぎ。その女はコンビニに現れた。 派手な金髪はぼさぼさと雑に乱れている。素足にサンダルを履き、着ているのは男物のシャツにジャージ――オーバーサイズではあるが、乳房と尻房の部分は圧倒的な肉感に押し上げられ、魅惑的に張り詰めている。ブラジャーはつけていないらしく、胸の頂点には乳首の存在をあらわす突起が浮かび上がっていた。 顔はいっさい化粧がほどこされていない――いわゆるすっぴんの状態だ。眉はまったく存在せず、腫れぼったい瞼と不機嫌そうな表情が睡眠不足を主張している。しかし、肌艶の美しさと造作の完璧さは化粧が施されていないからこそ如実に伝わってくる。 通勤あるいは通学の途中に店に立ち寄った男たちは、彼女から溢れ出る魅力に心を奪われ、女たちは本能的な嫉妬を掻き立てられ、眉をひそめていた。 レジの列に並んだ彼女は大きな欠伸をしながら、シャツの裾から手を入れてぼりぼりと腹を掻く。順番が回ってくると女は店員に番号を告げ、煙草を1箱購入した。 店を出た女に降り注ぐ太陽の光。うっとおしそうに目を細めた女は、もう一度大きな欠伸をしてのろのろと歩き始める。 恥ずかしげもなくこんな醜態をさらす彼女が、つい数ヶ月前まで楚々とした人妻だったと誰が信じられるだろう。しかし、これが現在の真央の姿だった。 (眠い……だるい……) 昨夜も涼介たちの飲み会に付き合わされ、ほとんど眠っていない。というか、この時間になってもまだ飲み会は続いている。起きて煙草がないことに気がついた真央は、それを補充するため、近くのコンビニへと赴いたのだ。この服は寝巻きとして借りたものをそのまま着てきた。 (あー……早く帰って一服したい……) 煙草を初めて吸ったのは今から2週間前。煙草に嫌悪を抱いていた真央は、たった14日のあいだで完全に変わってしまった。はじめは1日の4、5本しか吸っていなかった。しかし、本数はまたたく間に増えていき、今では1日1箱近く吸ってしまう。最初のうちは感じていた頭痛や喉の異物感もすでにまったくない。 吸い始めの頃は、禁忌に手を染める興奮があったが、それは幾度も繰り返すうちに薄れていき、今は純粋に煙草の味に惹かれて喫煙をしている。煙草は美味しい。これまで吸ってこなかったのを後悔してしまうほどだ。ただし、吸っていない時に襲ってくる倦怠感は困りものだった。 煙草を吸うようになってから、難しいことを考えられなくなっていると感じる。いつも集中力を欠いていて、すぐにイライラしてしまう。この前、買い物をした時には、レジ打ちの手際がたどたどしい新人店員に「早くしてよ……」と悪態をついてしまった。口に出してから慌てて謝りはしたが、今までの真央であれば絶対にこんなことはしなかっただろう。 どれほど負の側面を認識していても、そこに煙草があれば吸ってしまう。これが中毒という状態なのだろうか。 裕貴への服従の期間は今月と来月――残り約1ヶ月半。それがおわったとして、果たして自分は煙草をやめることができるだろうかと思う。いや、気弱になっていてはいけない。やめなければいけないのだ。夫や息子の前で煙草をふかすことなんてできるわけがない。 (やめるわ。やめてみせる。絶対にやめるから……だから……今は楽しんでしまってもいいわよね……) 禁煙の期間に待ち受けている苦しみから目をそらし、真央は自分を納得させる。 ほどなく真央は飲み会が行われている涼介の家へと帰り着く。 苦々しい態度を隠さない涼介の両親にぞんざいな会釈をして戻った涼介の部屋――そこでは案の定まだ酒宴が続いていた。5人のうちふたりは腕を枕にして床に雑魚寝しており、涼介と残りのふたりがテーブルを囲んで酒をあおっている。 学校にも行かずいつまで飲むつもりなのか、と呆れざるをえない。若いだけあって体力は底なしらしい。彼らといると、自分の年齢をあらためて感じさせられる。 この頃は、罰あるいは褒美としての性行為を強要されることはほとんどない。たまに性欲の発散を手伝わされることがある程度だ。毎日一緒に遊び歩くうちに、真央と彼らの関係は友人のようなものへと変わっている。それはつまり、真央の価値観が彼らのそれに毒されているということだ。 それを憂う思考も、今は霞んで消えてしまう。 (そんなことより……今は煙草っ♡) 「おかえりー、まおっち」 男たちの声に出迎えられ、真央は出かける前に自分が座っていた場所に腰をおろした。そして、早速封を切った煙草を吸い始める。咥え方も持ち方も火の付け方もすっかり手慣れたものだ。 「すーっ……♡」 煙草は美味しいものだが、やはり最も美味しく感じるのは最初の一口だ。寂しく疼く肺に、有害物質をたっぷりと孕んだ煙ががつんと染み渡っていく。その心地よさが眠気を強引に吹き飛ばしてしまった。 (ああ♡ やっぱり煙草……美味しすぎ……♡) 「ふーっ……♡」 煙を吹く真央の顔が心地よさに弛む。体に絡んでいた眠気が多少は晴れた気がした。男たちの話を聞くともなしに聞きながら、真央はその1本を吸い終わる。その火を揉み消した彼女は、ほんのつかの間だけ迷い、それから早速の2本目を箱から引き出していた。 「また吸うの? まおっち、もう完全にヤニカスじゃん」 へらへらと笑いながら涼介が言った。 「や、ヤニカスなんかじゃないし~。涼介くん失礼すぎ〜」 ヤニカス。重度の喫煙中毒者を指す言葉。自分は違う。確かに多少は煙草に中毒しているかもしれない。しかし、まだそこまでではない。 (私がヤニカスだなんて……そんなことあるわけないじゃない……) 自分に言い聞かせながら、真央は2本目の煙草を吸い始めた。 (続)