―――――― 夜のとばりのおりた高級住宅街に、その大邸宅はあった。 堅牢な塀に囲まれたその邸の威容は、家を通り越し、城を思わせる。 しかし、著名な建築家がデザインした瀟洒な外装に反して、その内側はどこまでも派手でどぎつい。今、三船美優がいる応接間では、シャンデリアの下、虎の剥製や甲冑、金塗りの屏風など、洋の東西に関係なく絢爛豪華な装飾品が脈絡なく所狭しと並べられ、その存在を声高に誇示している。 「どうしたんだね、美優くん。顔色が悪いようだが」 革張りのソファーにふてぶてしく座った男が、葉巻の煙を吐いて尋ねる。この邸の持ち主である彼の名前は◯◯――国際的な企業をいくつも経営する企業家だ。もう六十歳を超えているが、その全身には脂ぎった生気がいまだ衰えず横溢している。 ポロシャツを膨らませるその肥満体の両脇にはべっているのはふたりの女――ひとりは鷺沢文香、そして、もうひとりは新田美波だ。書物を愛する文学少女である文香。真面目な優等生である美波。しかし、彼女たちの今の服装は、ファンが抱いているであろうイメージを粉微塵に砕いてしまうようなものだった。 「美優さんは緊張してるだけです」 そう言った美波は「お酒、お注ぎしますね♡」と空のグラスに酒を注ぐ。そのあいだに、文香が「はい、あーん♡」と盛り合わせの皿からフルーツを彼の口へと運ぶ。 ふたりが体をねじ込んでいるのは、エナメル生地のボディコンドレスだ。文香は濃紫の、美波は鮮やかな青のそれは、身動きのたびに、ぎちぎちと苦しげに鳴き、収めた体の曲線を浮き彫りにするのみならず、牝肉の豊満さをこれでもかと強調している。 脚は太腿丈のストッキングに包まれていて、それぞれのドレスと同じ色のロンググローブが、照明の光を映えて、体の各所を飾り立てる金銀のアクセサリーとともに、妖しく輝きを帯びていた。 アイドルにはふさわしくない服装だが、悪趣味を極めたような部屋には、これ以上なく似つかわしい。香水を濃厚に匂わせる彼女たちは、たまらなく魅力的でありつつも、品性を欠いた美術品としてこの部屋に存在していた。 そして、それは、彼らの向かいのソファーにひとり座る美優も同じだ。 彼女が身につけているのは漆黒のボディコンドレス――大きく開いた胸元からはたわわな乳房が溢れ、ないも同然のスカート部からは何もしなくても蛍光ピンクのパンティがのぞいてしまっている。 どうしてこんなことになったのか。 下着を隠すため、短すぎる裾をどうにか引き下げようと悪戦苦闘しながら、美優は必死に考えている。 オフが重なった美優と文香と美波の三人で、ショッピングに行き、映画を鑑賞し、夜景の綺麗なレストランで食事をしながらお喋りを楽しむ――本来ならばそのはずだった。しかし、いざ集まってみると、予定が変わったからとふたりにこの邸に連れてこられた。 陥れられたのだ、と気づいた時にはもう遅かった。 もしも逆らえば、美優と彼女の担当プロデューサーとの交際をマスコミにリークする――誰にも知られてはいないはずの事実で脅されれば、従うしかない。自分はどうなっても構わない。しかし、そんなことが明るみに出れば、事務所にとって大切な商品に手を出したプロデューサーの馘首は確実だろう。才能ある彼の未来だけは、何としてでも守らなければならなかった。 「はー、美味し♡」 という文香の声で、美優は我に返る。彼女がその手にしているグラスを見て、美優は「ふ、文香ちゃん!」と眉をたてた。 「あなた、お酒なんて――」 「えー。堅苦しいこと言いっこなしですよ♡」 こわーい、とおどけた口調で言う文香――今はトレードマークともいえるヘアバンドは着けておらず、ヘアピンで長い前髪をまとめ、すべらかな額を露出させている。普段のナチュラルメイクとは方向性を異にする、目元と唇を強調する化粧以上に、へらへらとした笑いが彼女をまったくの別人のように見せていた。 美優の視線を受けながらも、文香はさらにもう一口酒をあおる。 「このお酒、本当に美味しい♡ ◯◯さんと一緒に飲んでるからですね♡」 ふふっ、と笑いながら文香はその身をかたわらの◯◯に擦り寄せる。媚びを多分に孕んだその声音は、耳にしているだけで鼓膜が爛れ落ちそうだ。 「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」 にやりと笑った彼は、煙草の火を灰皿に揉み消す。その腕が文香の肩に回され、いささかの躊躇いもなく、掌が乳房を鷲掴みにする。文香は「あんっ♡」と声をあげこそすれ、抵抗する素振りはない。 「文香、お前のデカ乳、また大きくなったんじゃないか?」 ◯◯は、我が物顔で文香の乳房を揉みしだく。掌が蠢くたび、エナメル生地を軋ませつつ、柔肉が魅惑的に撓んだ。肉鞠が形作る陰影が変化するたび、漂う香水の香りが強くなるように感じられるのは、果たして本当に美優の錯覚だろうか。 甘く身悶えしつつ、◯◯の問いかけに、はい、と文香が頷く。 「◯◯さんがたくさん揉んでくださるから、ますます大きくなっちゃいました(笑)」 「それなら、もっと揉んで、さらに育ててやらんとな。乳は大きければ大きいほど喜ぶ人間が増える。大衆に奉公するのが富裕層のつとめというものだ。ノブレス・オブリージュ、というやつだな」 ◯◯は太鼓腹を揺らして笑う。あわせて、顎下の肉が醜く震えた。 激しく乳房を揉まれ、文香が「あん♡」「んっ♡」と息遣いを漏らす。眉間に皺を寄せて身悶えしつつ、やはり、文香に抵抗は見られない。それどころか、その顔は垂涎せんばかりに蕩けきっている。 「文香ちゃんだけずる〜い」 私の胸も揉み揉みしてくださーい、と美波が◯◯に擦り寄る。その声音の糖度の高さは文香に負けていない。◯◯が、空いている手で美波の乳房を弄びはじめると、その声はますます甘くなった。 「◯◯さんの胸の揉み方、すごくうまくて……美波、これだけでイッちゃいそうです♡」 蕩けた目つきでそう言った美波は◯◯の頬にキスをする。 圧倒的な人気を誇るアイドルふたりを、文字通りに両手の華とする。すべての男の夢想を現実のものとして味わい、◯◯の股間は浅ましい隆起を見せていた。 美優くん、と呼びかけられ、彼女の体がこわばる。 しかし、◯◯が発したのは誘惑ではなく謝罪の台詞だった。 「すまなかったね。騙して連れてくる形になってしまって。本当に申し訳ないと思っているよ――などと言っても信じてはもらえないだろうね」 「あ、当たり前ですっ」 と、美優は吐き捨てる。拳を強く握りしめても、嫌悪感は消えはしない。彼に視線を向けられている、という、それだけでも不快だった。 ずいぶんと嫌われてしまったな、と◯◯は苦笑する。 「しかし、仕方ないだろう。気分を害している時には、どんな謝罪の言葉も軽薄に響くものだ。それなら、私の気持ちを具体的に示させてもらおうじゃないか」 隣の部屋からあれを取ってこい、と◯◯は文香と美波に命じた。はい、と頷いてふたりが部屋を出ていく。一体何が、と美優が眉をひそめていると、文香がアタッシュケースを抱えて戻ってきた。持ち方からすると、それなりの重さがあるようだった。 ケースをテーブルに置き、文香はふたたび部屋を出る。入れ違いに美波がケースを持って部屋にやってきて、それをテーブルに置き、部屋を出ていく。――それが繰り返され、合計で十のアタッシュケースが、酒やフルーツを押しのけてテーブルに並んだ。 「これが、私の謝罪の気持ちだ」 そう言いながらアタッシュケースの蓋を、端から端へと開いていく◯◯――開陳されていく光景に、美優は絶句する。部屋は適温に保たれているはずなのに、蓋が開くたび、血が凍っていく思いがした。 ケースを充たす一万円札の束。束。束。 見ているだけで目眩がした。 合計で十億円だ、と◯◯が言った。 「どうかこれで私の失礼を許して――愛人になってはくれないかな?」 「じゅ――」 十億円、と口にしただけで、気絶しそうだった。はあっ、と吐く息が惨めに震えている。心臓の鼓動がうるさい。呼吸が荒く、リズムが乱れている。ごくり、と唾を飲みこむ音がひどく生々しく頭蓋の内側に響いた。 いくら金銭を積まれようと、こんな男の愛人になどなるわけがない。自分にはプロデューサーがいる。愛する男性は、この世でただひとり彼だけだ。 「ふざけないでください! お金なんかで、私の心は買えません!」 ――そんなふうに考え、そう啖呵をきるべきなのだろう。 しかし、十億円という金額は、そんな綺麗事をいともたやすく吹き飛ばしてしまっていた。 どうするかね、と◯◯が尋ねる。 それに対して、美優は「なります!」と即答していた。 「あ、愛人っ♡ ◯◯さんの愛人になりますっ! 私を◯◯さんの愛人にしてくださいっ!」 血走った目と膨らんだ小鼻が、彼女の本気を示している。 十億円――それを聞いたその瞬間に、美優の心は陥落していた。たった一秒もかけず、美優はこれまでの二十六年間で積み上げてきた誠実さをかなぐりすてていた。 しかし、仕方がないではないか。 だって十億円なのだ。 どこの誰が美優を責められるだろう。もし責める人間がいたとして、その言葉に十億円の価値を覆すほどの説得力があるわけもない。 十億、という言葉を心に紡ぐたび、たまらない喜びが美優の胸の内側にひろがる。それは、これまで彼女が味わったどんな喜びよりも濃厚で――彼女自身をも塗りつぶしていくようだった。 「色よい返事が聞けて嬉しいよ。ああ。税金だの何だの、つまらない心配はしなくてもいい。ここにある紙幣一枚余さず、すべてきみのものになるよう、手はずを整えておく」 「あ、ありがとうございますっ!」 絶叫に近いほどの激しさで礼を述べる美優に、文香と美波がくすくすと笑いあった。 あーあ、と美波は言った。 「たった十億円で堕ちちゃいましたね、美優さん」 どういうことかと訝る美優に、美波は続けた。 「私は十五億円まで耐えて、文香ちゃんは二十億円まで粘ったのに」 「に、二十億円っ⁉」 途方もないと思っていた額のさらに二倍――それを受け取ったという文香は、いえーい、ぴーす、と横に倒したピースサインで左右非対称の凶悪な笑顔を飾る。 「おかげで、人生観完全に変わっちゃいました☆ 本当は仕事なんてやめて遊んでくらしたいんですけど――」 それは許さんぞ、と通話をおえた◯◯が言う。 「私はアイドルであるお前たちに金を出したんだからな。そこらにいる、顔と体がいいだけの女に価値などない。」 はーい、と返事をした文香は、「ねーねー◯◯さん♡」と甘えた声で彼に密着する。その手は彼のズボンの股間を愛しげに撫でさすっていた。 「美優さん見てたら、私もお小遣い欲しくなっちゃいました♡」 文香がそう囁やけば、「私もです」と美波も上目遣いで◯◯に媚びる。 一生かかっても使い切れない金額を手に入れても、満足はできない。それどころか、喜びと同じだけの渇きを覚え、さらに金銭を求めるようになってしまう。――今の美優には彼女たちの気持ちが痛いほどわかった。なぜなら、美優自身もそうなのだから。 股間がぐっしょりと濡れているのが、自分でわかる。◯◯の圧倒的な資産に、美優は発情していた。金銭の魅力に脳を破壊された美優にとっては、経済力こそが、その男の価値を決める唯一の物差しだ。 プロデューサーを――あんな貧乏人をどうして愛することができたのか、今となってはわからない。彼を裏切ったという意識すら、美優にはなかった。 「◯◯さん、お願いします」と文香が切ない声をあげる。うるうると目を潤ませた美波は、◯◯に胸を押しつけながら、「お金♡ お金♡」と猫撫で声でねだった。どろりと濁った瞳に金銭欲を渦巻かせた彼女たちの目――美優も同じ目をしているに違いなかった。 仕方がないな、と◯◯は苦笑した。 そして、美優に向かって、きみもこい、と命じる。 「文香や美波との差額を埋めるのは大変だろうが、これから頑張って稼ぐんだぞ、美優くん――いや、美優」 その呼びかけに、美優は言葉ではなく笑顔を作ることで答える。ひたすらの媚びとへつらいで作られたその笑みは、どこまでも卑しいものだった。 ―――――― 残り5000字を収録したPDFを含むバックナンバーはBOOTHにて頒布中です。 https://ringokidjp.booth.pm/items/3664272