AIが描けないもの。それは「悔しさ」と「孤独」から生まれる。
今日はAIの勉強をしてきたのですが、その講演の1つでとても胸に刺さった講演があったので、自分の振り返りを兼ねて書き連ねます。。
今月の学び
詳しく知りたい人は下記論文を読んでください。
論文名: "TeleAbsence: A Vision of Past and Afterlife Telepresence"
著者: Hiroshi Ishii, Daniel Pillis, Pat Pataranutaporn, Xiao Xiao, Hayoun Noh, Lucy Li, Alaa Algargoosh, Jean-Baptiste Labrune
https://trackr-media.tangiblemedia.org/publishedmedia/Papers/731-MTA3N/Published/PDF
画像生成AIの進化がすさまじい。誰もが「それらしい絵」や「綺麗なビジュアル」を瞬時に作れる時代。私のXのタイムラインは綺麗なAIの絵に溢れており、圧倒的な「効率」と「物量」の前に、自分の存在価値を問われている。
そんな中、今回の講演では
という明確な答えを突きつけてくれた。
AIの「価値」と、人間の「価値」
教授が語るに、AIの仕事は「低創造層」。つまり、過去の膨大なデータを学習し、それっぽいパターンを高速で生成することだ。これは「創造性の底上げ」であり、
だが、AIには限界がある。どれだけ学習しても、
一方で、人間が立つべき場所は「高創造層」。 それは、「高い視座からの、新しい問題設定と美的価値判断」だという。
要するに、AIは「正解っぽいもの」は作れるが、
を決めることはできない。その判断こそが、人間に残された最後の、そして最強の領域なのだ。
では、その「高創造層」の力はどこから来るのか? この講演では「人間ならではの要因」を挙げていた。
「内発的動機(なぜそれをやるのか?)」 「意味づけ、物語性、探究心、身体性、感情」
そして、その例として挙げられていた言葉が胸に刺さった。
AIは「愛」を学習できても、「愛する人を失った痛み(悲嘆)」や「あの時こうすればよかったという(後悔)」、そして「誰にも理解されない(孤独)」という、
ポルトガル語の**「サウダージ(Saudade)」**—「失ったものへの、痛みを伴う憧憬」—という言葉が紹介されていたが、まさにこれだ。
AIで大量に作り上げられた絵には、巨大娘に求める母性や、この世を破壊したいという作者のフェチ、それこそ中途半端にいうこと聞いてくれない画像生成という機能に妥協をしたそれらには到底真似できないだろう。
特にハッとさせられたのが、「三感(three emotional forces)」というスライドだった。
これを見て確信した。
私が7年前イラストを描いてた時には、いいねは100行ったら神作。自分以外の絵師が次々に評価されるのを恨めしながら見ていた。今だって新たに目立ってくる人は多い。なんなら四桁当たり前みたいな怪物がサイズフェチの分野に侵攻してきている。
私たちが本当に向き合うべきはAIではない。自分自身の「飢餓感」であり、「屈辱感」であり、「孤高感」だ。そのドロドロした生々しい感情こそが、AI時代のクリエイターを駆動する最強のエンジンなのだ。
「What legacy do you wish to leave for those living in 2200?」 (あなたは、2200年に生きる人々に、何を遺したいですか?)
「How do you want to be remembered?」 (あなたは、どう記憶されたいですか?)
講演の締めはこんな言葉だった。
AIが作った「綺麗な絵」は、数年後、いや数日後には人々の記憶から、なんなら作った作者ですら忘れ去られているだろう。 だが、作り手の「痛み」や「孤独」、そして「愛」が込められた作品は、時代を超える力を持つ。
テクニックはAIに任せればいい。 私は、私たちの人生を、感情を、哲学を、作品に叩きつけるだけだ。
ギガギャルやその他のオリジナルキャラが、いろんな二次創作や他の作者よりも評価されなくても、この記事を読んだらあなたに刻まれてくれればとても嬉しい。私はいいねの数ではなく、あなたの記憶に残る作品を作り続けたい。
少しでも共感いただけたら、ぜひ今後とも一緒に作品を作り続けていきましょう。よろしくお願い致します。