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けもの道☆ガーリッシュスクエア第0話SS「森野球美の場合」前編

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 キーンです。

 キンキンです。

 空気には温度があるということを、この職場に来てわたしは初めて知りました。

 具体的にはこの肌で。

 今日もわたしの空気は冷えきっています。

 こんなにたくさん人がいるのに、物音ひとつしません。

 一応、念のために補足しておきますが、ここのピカピカの目に痛い空間は監獄でも実験室でもありません。

 いわゆるレストランの厨房です。

 ズラッと並んでいる調理台の川を、今も凄腕のコックさんや調理補助の人が忙しく行き来しています。

 この一糸乱れぬチームワークが極上のお料理を生み出すのです。

 全部が全部、いつもの光景ということですね。

 ここに来る前まで、わたしがこういう職場に抱いていたイメージは違っていました。

 もっと何かこう「何してんのー」みたいな怒号が飛び交っていたり、それに対して新人が「すいません」って謝ってたり。

 そういう面でのへこたれない覚悟を決めて来ました。

 でも、そうではありません。

 なんというか、ここは漂う緊張感までが洗練されていて――

「森野さん、フルーツのカットまだかかる?」

「はひ! も、もうちょっとです」

 ああ、またやってしまいました。

 言葉使いとか態度とか、色々と間違ってしまいました。

「……よろしくね」

 栄光の象徴……立派に伸びたシェフの帽子(帽子の背が高いほど偉いのだそうです)をかぶった、デザート担当のシェフさんが言います。

 冷たく突き放したような目に見えるのは、わたしの心の弱さのせいでしょうか?

 きっとそうです。決まっています。

 わたしごときに意地悪してる暇なんか、あるわけないので。

 ここは、この東京都内でも上から数えた方が早い超一流ホテルの中にあるレストランです。

 本来はわたしみたいな小者の居場所ではありませんが、わたしが通っている調理師の専門学校の学生課の斡旋で、見習いというかアルバイトみたいな感じで働かせてもらっています。

 とはいえ斡旋はあくまで紹介にすぎなくて、働けるかは面接次第でした。

 どうして採用されたのかは今でもよくわかりません。

 正直に言います。

 初日で胃に穴が空きそうになりました。緊張感とか色々で。

 でも、やるしかありません。

 お昼は専門学校で授業。

 夕方から夜にかけてはここ、ホテルのレストランで修行を兼ねたアルバイト。

 それがわたし……森野球美の毎日です。

「森野さん?」

「ひゃい!」

 なんででしょうか? いつも「は」が上手く出ません。

 いつも通り、ツッコミもありません。

 もう、ここで勤務を始めて2ヶ月くらいは経つのですが……まだ『お客さん』のままなのを感じます。

 この職場でも。

 この、東京という大都会に対しても。

 それで……ええと? シェフさんはなんで呼びかけただけで何も言って……。

 フルーツのカットです!

「できました!」

 わたしは一生懸命カットした季節のフルーツをボウルに移して、シェフに差し出します。

 シェフは一言もなく、チラッとだけボールの中を一瞥しました。

 それから、コツンと軽く突っ返されました。

 はい、何度も経験があるやつですね。

 わたしがカットした不揃いなフルーツは、後でスタッフがおいしくいただくことになりました。

「お客様にお出しするものだから。もう少し一定のサイズになるようにね」

「……すいませんでした」

「ここはいいから洗い物お願い」

 怒鳴られたり、胸ぐらを掴まれたりされることはありません。

 パワハラとは無縁の職場です。

 でも、時々思います。

 それくらい強くて熱いものをぶつけてもらった方が、まだしも「頑張れわたし」って自分を励ませるのに……と。

 もちろん、わかっています。

 努力ややる気は売り物ではありません。

 物覚えや手際、学ぶ力を見せて欲しいということなのです。

 アルバイト初日に支配人さんに言われました。

 学生気分じゃ続かないよ。キミはもうお金をもらって仕事をするプロなんだから、と。

(覚えが悪いなぁ、使えないなぁって思われてるんだろうなぁ……)

 また、気持ちがずーんと落ち込みます。

 じゃぶじゃぶ、ざばざば。

 身に染み付いた習慣とはたいしたもので、そんな風に内心で落ち込んでいても、手はちゃんと動いていました。

 お皿洗いは失敗することもほぼありませんし、最低限、働いている実感を得られるので嫌いではありません。

 好きでもないです。

 今日もこの後ずーっとお皿を洗い続けて、指がしおしおになる頃に1日が終わります。

 多分、明日も明後日も。

 1週間をこうやって繰り返して、お休みの日は泥のように眠ります。

 専門学校を卒業する再来年の春までずっと。

 それが、わたし。

 わたしの東京での日々。




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 今日も疲れてるばっかりで、充実感や手応えとは無縁でした。

 いつ、そんなものが手に入ったかも思い出せません。

 専門学校にいても。

 バイト先でも。

 電車に揺られてる時ですら、ずーっと東京っていう形のない大きな化け物に殴られ続けてた感じです。

 継続ダメージです。

(いや、別に悲劇のヒロインを気取るわけではないけどね?)

 ようやくアパートがある駅に着いたことで少し気持ちがほぐれたのか、やっと自分に弁解するくらいの元気が出ました。

 遅すぎかもしれませんが。

(帰ったらごはん食べて、お風呂入って……)

 その前にお母さんに電話しましょう。

 また、「あんたそんなに暇なんかいね」って言われるかもですが。

 お母さんからしてみれば、「あれだけ啖呵を切って家を出ていったくせに」というところなのでしょうし。

 グゥの音も出ないくらい、その通りです。

(もし、高3の春くらいに戻れたとして……)

 そしたら、わたしはどうするのかな?

 そんな弱音含みの考えが脳裏をよぎりました。

 わたしは同じ選択をするのかな? って。

 地元の短大でも適当に行って適当に就職しろっていう、お父さんやお母さんの勧めに反発して。

(夢、かぁ……)

 あの時の感情のまま、あの時みたいに叫べるでしょうか。

 当時は夢を訴え続けて、最後にはお父さんにもお母さんにも応援してもらえました。

 その夢なら今もこの胸にちゃんとある。

 なかったら、それこそやってられません。

 しっかり料理の勉強をして、専門学校を出た後はホテルとかのちゃんとしたとこに就職して。

 経験を積んだら地元に戻って、地元食材をふんだんに使ったレストランを経営するのです。

 知る人ぞ知る、みたいなやつですね。地元の名店ってわけですよ。

 もちろん、その時には苦楽を共にしたパートナーさんが隣にいて。小さな可愛らしいお店を二人できりもりして……。

 当然、話題になっちゃって!

「テレビの取材で芸能人さんとかが取材に来ちゃってね!?

 いつかは地元に戻って育ててくれた町に貢献したいという気持ちがありました(キリッ)みたいな!

 そういうのが一番格好いい~っ!

 もちろん、1日五組限定の予約は半年先まで埋まっちゃってて~~っ!!」

 …………うん。

 まあ、そういうのですよ。わたしの夢は。

「…………はあ」

 ああ、反動が押し寄せてきます。

(こんな独り言を知らない人に聞かれたりしなくてよかった……)

 生きていけなくなるやつです。

(やっぱり疲れてるんだなぁ、わたし……)

 でも、仕送りとかに甘えるわけにもいかないからバイトはしなきゃですし。

 今みたいないい環境で働いた方が、将来を考えれば絶対にいい。

(最初は仕方ないんだよね……)

 毎日のお皿洗いの先に見えてくるものがきっとある。

 不慣れな環境で寂しくても、辛くても。

 未来が不安で堪らなくても。

「せめて、ぬくもりが欲しい……ここは冷たくて辛いから……」

 あ、いえ、ウソです支配人。わたしが憎くて叱ってるわけじゃないですよねわかります。

 わかるけど、辛い。

「ジロー元気かな。だっこしたいなぁ~」

 我が家のみんなに愛されていた、もっふもふの愛犬を思い出されてしまいました。

 お味噌汁よりも懐かしい、愛犬の湿った匂い。

 ぎゅーって抱き締めると、ふっかふかで、もっふもふで……。

『みつけた』

 そう。

 わたしのことを見つけると、遠くからでもばびゅーん! って飛んできて。

(……うん?)

 見つけたって、今……。

 誰が、何を?

 周りを見回しても、いつもの帰り道があるだけです。

 夜の10時を回っているので、人の気配は全くありません。

「でも、さっき……」

 ひゅるひゅるひゅるひゅる……。

「ひゅるひゅる?」

 ひゅるひゅるひゅるひゅる……!

 何かが風を切って……落ちてくる? 音? でしょうか。

(ちょ、待、落ちてくるって何が……!?)

 ようやく防衛本能が刺激されて、わたしはハッと顔を上げます。

「ごっふ!」

 上げましたが、全ては手遅れでした。

 もっちもちの謎の感触に鼻と口を塞がれたわたしは、その場に尻もちを……。

 ああ、ふかふかのもっふもふ~っ♪

「…………(コフコフコフコフッ)」

「あははははは! やめてやめて、ぐりぐりしないで……」

 って、本当に何!?

「ぷはっ」

 両手で掴んでから顔を引くと、割と素直にもちもちふかふかさんは離れてくれました。

 それで、ええと?

 この子は一体、どこのどなたなんでしょうか。

 クマのぬいぐるみ? にしては、さっきコフコフって息遣いみたいなのが……。

「おなか、すいた」

 クマ。

(しゃべるクマあああぁーーーーーーーー!?)

 驚きのあまり声も出ないわたしを、クマさんがつぶらな瞳で見返してきます。

「……(クンクン)」

 すりすりしてきます。

 ああ、目が綺麗。

「ど、どうしたの? コフコフして」

「すきなにおい」

「……ど、どうもありがとうございます? じゃなくて……えっと?」

「ガウー♪(すりすり)」

 ああ、これはいけません。逃げ場のない可愛さってやつです。

「え? な……えええ? なんかの撮影とか……

 すいません勝手がわからなくて、そ、そういうの気付かないふりした方がいいんですか!?」

 わたしの動揺をうっちゃるみたいに、クマさんからぐーって聞こえました。

「……今のはおなかの音?」

「ごはん」

「…………はあ」

けもの道☆ガーリッシュスクエア第0話SS「森野球美の場合」前編

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