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けもの道☆ガーリッシュスクエア第0話SS「兎月白雪の場合」後編

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 手を取られた――

 ふかふかの短い毛に覆われた小さな手がわたくしの指を握ったのを感じた直後、身体が浮き上がった。

 そう感じた時には、もうわたくしはそこにいなかった。

 12畳ほどの広いお部屋。

 わたくしの閉じた世界はその瞬間、破綻して……。

(ここは……)

 風が……ごうごうと唸って、下からわたくしの夜着をまくりあげようとする。

 お部屋の窓から見た夜の空は怖いほどに静かだったのに。

「……なんて、美しいのかしら」

 見えない手に支えられるように……あるいは、手のひらで転がされるようにして、わたくしはふわふわと夜に漂っていた。

「おや? 間近に迫った月よりも、眼下の景色の方がお好みでしたか」

 わたくしの指先を握ったまま、こともなげにうさぎさんが言う。

「ええ、だってこんなに……まぶしいわ。町が……キラキラと宝石みたいに瞬いてる」

 空の上の冷たい空気で、鼻の奥がツーンとなっている。

 全部、全部、初めてのこと。

「こんな、ことが……」

 信じられないに決まっている。

 けれどわたくしの五感の全てが、この不思議で素敵な出来事が夢ではないことを教えている。

「どんな夢よりも刺激的で現実離れした体験ね。ありがとう、うさぎさん」

 いつも通りでいるなんて、とても無理。

 声がどうしようもなく震えているのは、感動? それとも……。

「ふふふ、心にもないことを」

 うさぎさんはそう笑って、クイッとわたくしの指を揺らす。

「私とあなたはこの通り繋がっている。筒抜け、ということですよ。

 たったこれくらいのことでは、あなたの心は全く満たされてなどいない」

「……そうね。きっとあなたが仰る通り」

 圧倒、されてしまったからなのかしら?

 わたくしは嘘つきなのに。

 今、他の誰の目もないこの場所で、本当のわたくしが喋ってる。

 誰にも、じいやにすら見せなかったわたくし。

 ずっとずっと心の奥底に押し込んできたわたくしが。

「月に連れていって欲しいだなんて……どうして、あんなことを言ってしまったのかしら。

 天使にでもなったみたいだわ。

 目の前の景色はとても美しくて、生まれて初めてうきうきしている」

 涙で声が詰まってしまう。

 これは悔恨の涙。

「けれど、違うの。わたくしの夢はこんなものではなかった。

 これでは分かちあうことができないもの」

 大好きな、お父様やお母様。

 優しいじいや……。

 わたくしもちゃんと持っていた、大切な宝物が心に浮かんでくる。

「わたくしが独り占めする天使の眺めなんて、朝を迎えた途端、一夜の夢に変わってしまう」

 こんなものが欲しかったわけではない。

 わたくしの願い、それは……。

「……わたくしはここにいるの」

 ぴく、とうさぎさんが垂れたお耳を揺らす。

「そのこと、それだけのことを誰かに知って欲しい」

 労るような優しさと、守られているという安堵だけが今日までのわたくしの全てだった。

 わたくしはそれだけ弱かったから。

 でも、もし、何かをきっかけに変わることができるのなら。

「ずっと願ってた。誰にも別け隔てなく運命が与えられているのなら、わたくし……そこに立ちたいの。

 自分のこの足で、わたくしだけのステージに」

 そう、わたくしは認められたい。わたくしがここにいるということを知られたい。

 いつか思い描いた未来……。

 わたくしだけの運命が輝く場所に立ちたいの。

「素晴らしい! 打って響くとはこのことです。やはり、私の『鼻』に狂いはなかった。

 あなたは漆黒の空にあって艶かしく輝くあの月よりも白く、妖艶で、美しい」

 歌うように、笑うように、うさぎさんは言う。

「そして、あなたの心に空いた穴は……奈落の底を窺うほどに深い」

 ナイフを突きつけられたみたいだったの。

 唐突に心が理解した。

「やはり、あなただ。あなたでなければそう……面白くない」

 ぬいぐるみみたいに可愛らしいこのうさぎさんはやっぱり悪魔で、わたくしを攫ってしまうのだ……と。

 たとえ、そうだとしても。

「承りましたお嬢さん。私はちっぽけなうさぎ、翼を差し上げることはできませんが。

 健気に跳ねる程度しかできない足でも、あなたの願いには添えるでしょう」

 繋いでいる指――

 うさぎさんに握られている指に、微かな温もりを感じた。

「きゃっ」

 わたくしがもらした戸惑いは、しゃらしゃらと鈴が転げるような心地いい音にかき消されてしまう。

 目を開けていられない……。

 一瞬の光の爆発は、またしてもこの世界の理を作り変えてしまった。

 ただ、目を開いただけでそのことがわかった。

 夜空に架かった虹の橋。

 指揮棒を振るように橋の行く先を示していたはずのうさぎさんの姿は、すでにそこにはなくて。

 わたくしは……。

「……虹の橋」

 わたくしはそこにいた。

 浮かんでいるのではなく、確かに……その虹の橋に立っていた。

『お気に召されましたか?』

 芝居がかった……得意げなその声は、わたくしの内側で響いたもの。

 わたくしの内側に、確かにあのうさぎさんの息遣いを感じた。

「……温かいわ」

 生まれて初めての違和感。

 とても嬉しい、わたくしがわたくしではなくなったような違和感が生まれていた。

 いつもなら、少し歩いただけでも息が切れて……目が回ってしまう。

 その場にへたり込んでしまう、弱いわたくし。

 外の世界を望むなんてもっての他で、許されないはずのこの足を……こんなにも頼もしく感じている。

『当然のことです。私がこうしてお守りしているのですから』

 守られているという言葉が、すぐ、わたくしの中で実感に変わる。

 分厚い氷塊のようだった不安が溶け出す。

「そう、だったのね」

 わたくしの全て……願いも全てを知り、今、こうして叶えてくれた。

 未来を与えようとしてくれている。

 この方がわたくしの運命。

「うさぎさん。わたくしはあなたに何を捧げればいいのかしら? この命? それとも……」

『何もいただきませんよ? 無論、お察しの通り私は優しくなどありませんが』

 ククッという鼻にかかったような笑い方が、変に愛おしく感じてしまう。

『あなたは物語がお好きなのでしたね? そう……こんな話をご存知でしょうか。

 魔女の企みで高い塔に閉じ込められた哀れな少女……』

「『ラプンツェル』かしら」

 グリム童話ね。

 自分ではとても降りることができない高い塔に閉じ込められた少女の前に、ある日、一人の王子様が現れる。

 王女様は少女の長い髪をロープ代わりに塔に登って――

「そう、あなたはわたくしの王子様なの」

『そんなところです』

 心が繋がっているとご自分で仰っていたのに、大胆だわ。

 嘘をついてるってわたくしにはすぐわかるのに。

「大切なことはただひとつ。あなたが、この私を受け入れるかどうかです」

「いいわ。わたくし、あなたと一緒に参ります」

 わたくしがこのうさぎさんが望む何かを示すことで、この時間は泡沫の夢ではなくなるかもしれない。

 この方はわたくしの運命なんだもの。

『結構。では、そろそろ戻りましょうか? 夜風がお身体に障るといけない。

 なぁに、あなたの足ならひとっ跳びです』

「こうかしら?」

 震えそうになったわたくしの細い足に、そーっと……ぎこちなく意志を込める。

(今のわたくしは、うさぎさんなのね……)

 それなら……。

「ぴょんっ!」

 耳のすぐ横で風が鳴る。

 ぐんと月が遠ざかる。




          4


 わたくしの身に起きたことは、きっと……小さな世界で生きてきたわたくしの許容の限界を越えてしまっていたのかも。

 ドンドンドンッ!

 いつもと違う慌てきったノックに、ようやくわたくしは我に返った。

「お嬢様、今の物音は一体……まさか強盗の類がお嬢様を狙って!?」

 失礼致しますって声と共に踏み込んできたじいやが、目を丸くして……そのまま動かなくなった。

 口を大きく開けすぎて、そのまま顎が落ちてしまいそう。

(こんな時、どう言えばいいのかしら……)

 わたくしの心の内側で、うさぎさんがククッと意地悪に笑う。

「こんばんは、じいや」

 また、うさぎさんに笑われてしまった。

「お嬢様、ですか? その格好は……」

(そうだったわね……)

 わたくしはまっすぐ歩いて、じいやの手を両手で取る。

「わたくし手に入れたかもしれないの。ずっと、じいやが教えてくれていた……

 そう、わたくしを待っていてくれた未来を」

「……左様で、ございますか」

 最初はぽかんとしていたけれど。

「ああ、お嬢様はそうやって笑われるのですね。

 それが、お嬢様の本当の……」

 繋いだ手にじいやの涙が落ちる。

(涙って温かいのね……)

 ぽたぽた、ぽたぽたとこぼれて止まらない。

 とても愛おしい感触。

『おお、素晴らしく純度の高いパルだ。これだけでもひとつやふたつの奇跡は起こせるでしょう。

 その老人の途方もなく大きな幸福感はあなたがもたらしたものです』

 パルって何かしら?

 その疑問を今は口にしないでおく。

『さて、あなたは今まさにひとつの願いを叶えたことになりますが。ご満足ですか?』

(あら、あなたはご存知のはずよ)

 問いかけに心で返事をする。

『ふっふふ、あなたは本当に欲張りなお嬢さんだ。だから私に選ばれた』

 ぽよん、と……ユーモラスな音が耳元で上がった。

「おっとと」

 そうやってうさぎさんが元の姿に戻ったのと同時に、わたくしは支えを失ったようにじいやの胸に倒れ込んでしまう。

 元のわたくし。

 無力な、茨の姫。

「わたくしはあなたの『思うがまま』ということですか?」

 うさぎさんは中空でふよふよと漂って、苦笑交じりのわたくしの声を聞き流す。

 飄々と掴みどころがなくて、意地悪で。どこかでは優しくて。

「可愛らしい方」

「この身の誉れというものですよ、お嬢さん」

「お嬢様……」

 わたくしは笑いかけて、じいやの疑問を封じ込める。

「さあ、参りましょう我が共犯者。あなたの途方も無く大きな欲を満たすために」

「ええ、どこへでも。道案内をお願いします」

 その先にあるものがきっと、わたくしが恋のように焦がれていたもの。

 わたくしだけのステージ。



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