XaiJu
Whirlpool公式
Whirlpool公式

fanbox


pieces/揺り籠のカナリア SS「ありすのアイドル奮闘記」第二章 後編

          5


 デビューを控えて、ここ最近のありすは連日レッスン漬けです。

 もう本当にデビューですから。

 ありすの大切なデビュー曲を、どこでもちゃんと歌えるようにしておかなきゃいけません。

『おおおおおォい、気ィ抜けちまってんのかありすベイベー!』

『お前のロックンロールは死んだのか!』

 ……そんな調子で毎日のように怒鳴られて、昨日なんかは竹刀を振り回してるししょーが夢にも出てきました。

 追い詰められた野うさぎのような心地で、否が応にも実感が高まっていきます。

 もう、後には引けないって。


「あばっ!? はばばばばばば! はーわーーーーーーー」

 覚悟は決まってるはずなのに、やっぱりその都度こうなります。

 超有名なアイドル関係のニュースサイトに、ありすの記事が載ってるのを見つけた……こんな時とかは。

「ジーザス・クライスト?」

「ライドオン!」

「なんでもないですから」

 仕事を放り出してありすの様子を見に来た事務所のスタッフさん達に、シッシッします。

 いや、なんでもありますけど。

「1日100万人が見るサイトに、あ、ありすが取り上げ……うっ!」

 ちょっとマウスで記事をめくっただけで、高揚とか嬉しさとかが萎んじゃいました。

 それはもう、あっさりと。

 真っ先に目に入ったのは『ジジイと寝て掴んだデビューだな』ってコメントです。

 ネットニュースで一度取り上げられたら、色々書かれるのは当然だってわかってはいるんですけど。

 他にも『こいつ超歌ヘタだった』とか『編集大変だな』とか。

「レボリューショーーーーーーン!!」

「わっ」

 大ボスが現れました。

「革命を起こす準備はできたか? ありすベイベー。新曲の録りは来週だ。

 そっから先は足踏みできねぇからな。

 今、曲に対して抱えてるもんがあるなら吐き出し……」

 あん? って感じに、ししょーがありすの手元のスマホを覗き込んできます。

「ありすベイベーのデビューが記事になってたのか? どれ……」

「駄目です、ししょー」

 制止したって無駄なのは知ってましたが。

「はん、愛人ねぇ? つまんねー下世話な話が好きな野郎はいつの時代にもいるもんだ」

 ありすから取り上げたスマホでサッと記事と書き込みを見たししょーが、ひょいっと肩をすくめます。

「安心しろありすベイベー。俺は女が15人いて、その全員と分け隔てのない愛で繋がってる」

「……そうですか」

「ぺったんこは趣味じゃねーしな!」

 安心とは?

 ぶん殴っていいんでしょうか。

「何をやろうとつまんねぇ茶々を入れてくるヤツはいる。何故か? 簡単だ。

 頑張ってないやつに挑戦者は眩しく見えるし、そいつが失敗すれば『やらなかった自分』が報われる気がするからだ。

 ここにおけるポイントは『気がする』だぜ。

 挑戦して前のめりに転んだヤツを笑ったことで、笑ったそいつは誰からも肯定されない。

 根拠のない誹謗中傷なんざ、ただのノイズだ。聞き流しちまえ。

 目の前で面と向かってごちゃごちゃ言ってくるヤツがいたら、俺がロックンロールしてやるけどよ」

 この人、ちょいちょいロックンロールしようとしますね。危険人物です。

「ありすベイベーはなんのために歌うんだ? それだけは見失うなよ。

 逆に言や、それだけ見失わなきゃどうとでもなる」

「そういうものですか」

「ここにいる俺が証人よ。誰から何をごちゃごちゃ言われても耳なんか貸さずに走ってきた。

 その結果が今さ! 共感しあえる仲間だけが俺の側にいる。

 この世界に生きる全ての者が優しさと愛で結びつける……なんざ思っちゃいねぇだろ?

 だが、それでも、ありすベイベーの声を待ってるヤツはいるのさ。

 燻ってるヤツ、愛されたいやつ、肯定されたいやつ。

 ――俺はここにいるんだって、叫びたいやつ。

 そういう意味じゃ、こういうごちゃごちゃ言ってるやつの肩を掴んで無理やり振り向かせるのもありすベイベーらしさかもな。

 つべこべうるせー、あたしの歌を聞け、一緒に歌え! ってなもんよ」

「それはありすじゃないです」

 HAHAHA! って、ししょーはアメリカンに笑います。

 いつもこうです。

 怖くて、そのくせ軽薄で、時々は駄目なおじさんなのに、ちゃんと大人で……ありすには見えないものが見えています。

 本当にへこたれた時は励ましてくれるんです。

「見失うなよ、ありすベイベー」

「了解です、ししょー」

 取り上げられてたスマホが、ぽいっと膝に戻ってきました。

 よろしいって感じに。

「さて、それじゃあ……」

 話を遮るみたいに、ししょーのスーツのポケットでぴこーんと鳴りました。

「フフッ……まったく、寂しがり屋なレイディどもだぜ」

「ししょー、REIN使うんですね」

「女を綺麗に咲かせたかったら、いつだって愛という水を注いでやらなきゃいけないからな。

 おかげさんで、俺のスマホは『アイラブユー』を覚えちまった」

 ちょっと待ってなって指をパチンと鳴らして、ししょーは窓の方に行ってしまいます。

 多分、『アイラブユー』案件でしょう。

 それか、もしかしたらありすに時間をくれたのかも。

「応援、してくれてるんだもんね……」

 お父さんも、お母さんも。

 ありすの活動を支えてくれた長年のファンさんも、すごく盛り上がってくれてる。

 こんな立派な形でデビューできるのだって、ししょーや、ありすの活動を支援してくれるたくさんの人のおかげ。

「頑張らないと」

 歌うことが、ありすにできる一番の恩返しなんだから。




          6


 何もかもがあっという間。

 ありすが過ごした時間は流れ出した川で、止めようがなく下流に向かって突き進むだけ。

 必死に頑張ってたつもりなのに、何かに取り組んだ手応えはありません。

 翻弄されるように。

 たくさん歌って、PVも撮って。

 隙間の時間では胃が痛くなってうーってうめいたりもしたのに……。

 まだ、夢の中の気分です。

 醒めない夢に囚われているような。

 そのふわふわとした気持ちは、無事にCDが発売されても……家族や友達からの祝福のメッセージをもらっても。

 オルコンの順位をこの目で見てすら変わらないままで。


『たとえ繋いだ手が離れても 幸せな夢が醒めても

 怖くないよここにいる

 あなたがくれた笑顔は まだ胸(ここ)にあるから――』

 ほらもう、ありすの声です。

 なんだかもう最近は、どこにいてもありすじゃないありすが、ありすの声で歌ってるのを聞きます。

 もう一人の架空のありすが生まれた気分です。

 落ち着かないし、なんだか怖い。

 こうして町を歩いてても、視線が気になって帽子を深くかぶり直しちゃうくらい。

 だって! 流れているんです。

 魔界都市シブヤの!

 駅を出てすぐのでっかい液晶大型ディスプレイに!

 ありすの顔と歌が!

「ハッハー、気分はおとぎの国のお姫様か? ありすベイベー」

 ありすのデビューにあわせて専属マネージャーになったボブさんが、ぐっとサムズアップします。

「グッドミュージック! 自信を持ちな、輝いてるぜ……レイディ」

「サンキューボブ!」

「ヤーハー!」

 挨拶代わりのハイタッチです。

 ありすも事務所のノリに染まってきたようです。

「なあ、あそこで身長2メートルくらいありそうな黒服のマッチョとアンバランスなハイタッチしてるの……」

「ありすちゃんだ!」

「んが!?」

「ハッハー、人気者は辛いな! バイオレンスガール」

「誰がバイオレンスガールですか! 逃げましょう」

「オイオイ、これも立派なファンサービスさ。澄ました態度で通り過ぎたらボスにどやされちまうぜ」

 ファン……。

 こ、この人達が、本当に?

「あの子、芸能人なの? 写真撮っていいのかな」

「み、道の真ん中で騒ぎを起こすと怒られちゃ……ヘイボブ! なんとかして」

「おー、芸能人っぽい」

 なんだか、パンダな気分なのですが?

 これがアイドル。

 ありすが夢見た場所……。


「ハッハー! 昼は大騒ぎだったみたいじゃねぇか。お騒がせガールだな」

 なんとか事務所に戻ってきたと思ったら、いきなりこれです。

「トゥイッターでも、ありすベイベー渋谷に現るって話題になってたみたいだぜ。

 おっと、いいのさ! 目立ちたがり屋はヒロインの資質だからな」

「渋谷で取材だったんです! サッと行ってすぐ戻ってくる予定だったのに、ボブが悪目立ちするから……」

「オーノゥ」

「オーノゥじゃないですよ」

「他人のせいにすんなよ。ありすベイベーは人を引き寄せる存在になったってことだ」

「引き寄せ……」

「これ以上ないってくらい完璧なデビューを決めといて、そんなしょぼくれた顔してやがる理由は……

 嫌味や謙遜じゃなければ『アレ』か?」

 アレって匂わされただけで身体が強張っちゃいます。

 そう、ありすのデビューはすごくいい感じで、曲も大好きです。

 たくさんの人が褒めてくれました。

 でも、ネットでは『口パク』って声が多くて……その声は日増しに大きくなってます。

 呪われたテレビデビューの時の映像とか引っ張り出されたりして。

「ケチつけてくる野郎どもを黙らせるには? どうすればいいか教えたはずだぜ」

「……地道に頑張る?」

「バカ野郎! 論より証拠を突きつけて……や・る・ん・だ・よ」

「むががが」

「歌番組だ! 生放送だ!」

 ありすの鼻を指でグリグリしながら、ししょーは高らかにそう宣言しました。

「金曜の夜は空けとけよ」

「金曜の……!」

 そ、それは、あれです。全ての歌を志す者にとって間違えようがないやつです……!

「ばっちりグラサン決めてこいよな」

「グラサン決めるのはありすではないですよ」

 じわじわーっと胸の奥の方から上がってくるものがあります。

 だって、夢見たステージです。

(ありす、こんなところまで来たんだ……)

 もう、世界中のどこにだって声は届く。

 ありすはアイドルなんだ。




          7


「なんだか、さ……」

(私……?)

 私の胸をよぎった感情を、私自身の心が否定した。

(なぁに?)

 聞いたつもり。

 でも、声は出なかった。

(なんで、そんな顔してるの……?)

 そんな悲しそうな顔……。


 ピピピッ! ピピピピピピピピッ!!

「お姉ひゃん……」

 がさごそって耳元で衣擦れの音。

 寝返りを打った私……ありすの顔に、スポットライトみたいな朝の光が降り注ぐ。

「うえっ? うー……」

 頭が重い。

 ベッドで悶えているうちに、昨日は遅くまで寝付けなかったことを思い出していた。

 霧がかかったみたいな頭の中の隅の方で。

(今日、テレビ出演なのに……)

 アイドルだったら誰でも出たがる、これぞ、ザ・って感じの歌番組だ。

 埼玉でアイドルの夢を追ってた頃のありすは毎週欠かさず見てたし、あの番組のステージで歌ってる自分を妄想してた。

 全部、本当のこと。

 もっとすごくわくわくして、楽しみで眠れないくらいがありすだって勝手に思い込んでた。

 夢のステージなんだから。

 もしかしたら、ありすは自分のことを買いかぶってたのかも。

 そうじゃなきゃ駄目、ありすはそういう女の子なんだって言い聞かせるみたいに。

「だから、あんな夢……」

 ……どんな夢だっけ?

「いいよ、見た夢のことなんか。どうだって……」

 これから支度して事務所に行って、打ち合わせして、取材受けて、また打ち合わせして。

 そしたらテレビ局に行ってリハーサルだ。

 業界の大御所さんもたくさん集まるから、挨拶回りもある。

「シャワー浴びなきゃ……」

 なんとなく熱っぽい。

 そんな気がした。

 でも、万が一のことがあったらと思って体温を測ったら35.7度だった。

 緊張、してるんだと思う。

 だって、夢のステージだもん……。


「ヘエエェェェイ! スタンダップガール! 伝説の幕開けだぜ」

 場所がテレビ局でも、壁ひとつ挟んだお隣の楽屋に他のアーティストさんがいるってわかってても、ししょーは平常運転です。

「遅くなったな。まあ、大目に見ろよ! 俺は顔見せて回らなきゃいけない相手がいるからよ」

 ししょーの顔を見たらちょっとは切り替わるかな? って期待してたんですけど。

「おいおい、顔が強張ってんぞ?」

「……ですかねー」

 言うでまでもない。

 テレビ局に連れられてきてから今に至るまで、自分が何をしてたのか、ほとんど覚えてないくらいだ。

 こんな緊張感がこの世にあるんだ、って感じ。

「緊張すんなとは言わねぇさ。初めての歌番組でしれっとしてやがったら、そっちの方が可愛くねぇしな」

「ザッツライ!」

 笑ったのはマネージャーのボブだけです。

「なぁに、モリさんにもそこんとこ軽く話しといてやるからよ。胸借りてきな」

 さすが、ししょー。モリさんと知り合いとは。

「で、ステージに上がっちまえばいつも通りだ。気楽なもんだろ」

(いつも……?)

 ししょーはいつもみたいに励まして、ぽんっと頭を叩いてくれましたけど、えへへって感じには返せませんでした。

 むしろ、表情を隠してしまったくらい。

 多分、ししょーは秋葉原でやってたライブの意味で言ってくれたんだろうけど。

 ――いつものありすってどんなありすだろう?

 なんでだろう? 上手く思い出せない。

「ししょーに恥をかかせないように頑張ります! っと……す、すいません、ちょっとありすはお花を摘みに」

「お? おお」

パタンッ!


「ハッハー! こっちまで緊張しちまいますね、ボス」

「緊張っつーか、あれは……」

「ボス?」

「ちーっと用事思い出した。ボブ、ありすベイベーのことは一旦おめーに任せるわ」

「オーケィ」

「…………………………」




          8


 このイントロを知ってます。

 番組のテーマ曲に乗って、出演者の皆さんがステージ中央の階段みたいなところから現れるんです。

 毎週見てた『テレビの向こう側』がここ。

「デビュー曲の『ボクらが笑いあえる場所』が初登場3位! 期待のニューカマー、美城ありすさんです」

 ありす?

 あっ、ありすだ! 手を振るんでしたっけ。

(ここ、すごい眩しい……)

 ほんのちょっと先にいる人の顔もはっきり見えないくらい。


 ワハハハハハッ! て……どこかわざとらしい大爆笑に、ハッとなってしまいます。

(やばっ、聞いてなかった……)

 そうだよね、すぐオープニングトークに入るんだった。

 何回も見てきた番組なのに、気を抜いてるとかバカみたい。

 カメラ、こっち向いてる?

 バレたかな。

「それではさっそく本日の一曲目は、美城ありすさんで『ボクらが笑いあえる場所』……よろしくお願いします」

 そうでした。

 ありすは新米ですし、個別の曲紹介みたいなトークはないんでしたっけ。

 いきなり曲です。

 スタッフさんにカンペで促されて、ありすは一人で歌用のステージに移動します。

 ああ、ちゃんと知ってるバンドさん達がいます。

 待ち構えてます。

 番組観覧のお客さんも、ステージの袖すぐ近くまで来ていました。

「ありすちゃーん!」

 知ってる声……だったかも?

(大丈夫……)

 チャッチャッチャッ。

 ドラムさんの合図で、大好きな優しいイントロが流れ始めます。

 何度も聞いて、歌ってきた曲。

 できないはずありません。

「道に迷ってた? 違う、私は歩き出しただけ」

 最初の声を出したら気が楽になった。

「道標に添って歩きたくないだけ」

 だんだん、景色がちゃんと見えるようになってきた。

 お花畑みたいなステージの真ん中に、ちゃんとありすは立っている。

 歌えてる。

 真夏の昼下がりよりも明るい……ギラギラとしたスポットライトも、もう気にならない。

 大丈夫。

「道案内なんていらない だって、知っていたから」

(ししょーさんだって見てくれてる……)

「そこにいる みんながいる 私たちは繋がれる」

 きっと、お父さんもお母さんもハラハラしながらテレビの中のありすを見てる。

 裏切れない。

(あとほんのちょっと、何事もなく乗り切れたら……)

『せっかくのステージで思ってるのが、何事もなく無難に……か』

「――――!!」

『それが、大切な人達に見つけて欲しかった……キラキラのありす?

 そんなはずないよ。

 失敗しないようにしなきゃ、恥はかかせられない、迷惑かけられない。

 聞こえてくる声はそんなのばっかり。

 ありすは何も見てない。本当は誰のことも想ってない』

 今のは……何?

『寂しくて泣きべそかいてるのに誰にも見つけてもらえない、かわいそうな迷子の女の子……』

 誰の声?

 駄目、集中しなきゃって焦れば焦るほど、頭の中がパズルみたいになっていく。

 ひび割れて、解けて。

 自分の喉が自分のものじゃなくなるみたいに――

(途中で歌を止めるのだけは絶対に駄目……)

 それは、ししょーが何度も何度もありすに念押ししていたこと。

『人間なんだ、失敗はする。だが……途中で歌を放棄することだけは絶対ににやっちゃなんねー。

 お前がプロの歌い手として人の前に立つならな。

 だって、考えてみろよ? プロ野球選手がバッターボックスで『なんだこのふざけた球は! 打てねーよ、帰る』って言うか?

 見られてるんだぜ? 頑張れ、かっとばせって、背中に想いが飛んできてんだ。

 その声、その想いを受け止めないならそりゃプロとはいわねーよ。

 惨めに空振りして尻もちついてもよ、食らいついていく姿だって立派な売り物なんだ』

 ししょーは間違いなく、誰からも認められているプロで。

 ありすは、何……?

「たとえ繋いだ手が離れても 幸せな夢が醒めても」

 あっ、て声が出ちゃいました。

 それは強い違和感。

「怖くないよここにいる」

 流れているはずのない歌が、優しいギターに乗って流れていました。

「あなたがくれた笑顔は まだ胸(ここ)にあるから――」

 ありすは竦んで、頭の中から歌詞すら飛んじゃってるのに。

 どうしてなのかは、すぐにわかりました。

(マイク、切られちゃってるんだ……)

 せめて、表情だけは笑顔のまま。

 パニックになりそうな気持ちを立て直して、「流れている曲にあわせて」口をぱくぱく動かします。

 誰かにコントローラーで操られてるような気持ちで。


 その後のスタジオトークは自分でも不思議になるくらい、無難に乗り切れました。

 ちょっとした笑いも取れましたし。

 多分、よくも悪くも肩から力が抜けてしまったのでしょう。

 作り笑いも上手にできたはず。

 満点ではないかもしれないけど――


「俺の判断だ」

 ありすにしてはよくやれた、って思いたかったのに。

「ありすベイベーが限界に見えたからよ」

 楽屋でししょーの顔を見たら無理でした。

「……すいませんでした」

 ぽろぽろと涙が溢れて止まらなくなってしまいます。

 悪いのも、不甲斐ないのもありすなのに。

「謝ることはないさ。誰でもやってる」

 でも、ししょーはそういうのが嫌いなんです。

 ありすは知ってるんです。

 今日までたくさん言葉を交わしてきたから、知ってるんですよ。

「まあ、一部の視聴者にはバレたろうがな。ありすベイベーが一瞬……歌うのやめちまったからよ」

「そう、ですね……」

 作り物のありすの声と、弱いありすがズレた瞬間。

「残念だが、これでありすベイベーは口バクアーティストだ。

 少なくとも当面はな」

「……すいませんでした」

「すいません、か。俺はビンタのひとつでももらう覚悟をしてたんだが」

 ししょーのつぶやきは意外な気がして……。

「なぁ、ありすベイベー? 今日、お前は何を考えながらステージに……」

 え? って顔を上げたけど、ししょーはありすに顔を見せてはくれませんでした。

「いいさ、お疲れさん。帰ってゆっくり休みな」

 すれ違いざまに、ぽんと肩を叩かれます。

「ネットは見んなよ」

 バタンッ! と楽屋のドアが閉まります。

 その夜、ししょーと交わした言葉はそれだけでした。

 他の誰とも。

 いいえ、もしかしたら、マネージャーのボブさんはありすに何か労りの声をかけてくれていたのかも。

 拒絶していたのは、ありすの心。



          9


「逃げたくて仕方なかったんだもんね?」

 知ってる声。

 知ってる顔。

「なんでそんなこと言うの!」

 今まで胸に溜め込んでいたモヤモヤが、声になって一気にほとばしったように感じた。

 頭がくらくらするくらいの怒りが、ありすの中にはあった。

「邪魔しておいて! 変なこと言われなかったらちゃんとありす、歌いきれてたよ。

 前のライブみたいな恥をかかないで済んだ……

 ほんのちょっとくらいは、自信を持てるありすになれたかもしれないのに」

 だって、目の前のこの子……。

 鏡の中のありすにだけはどんな自分も見せられるから。

 醜い自分も、ひどい自分も。

「ししょーも、お父さんもお母さんも……会長さんも、今まで応援してくれたファンのみんなもだよ!

 みんなの期待に応えたくて頑張ってきたの、お姉ちゃんだって知ってるくせに」

 お姉ちゃん?

 もう、何がなんだかわからない。

 頭の中がぐちゃぐちゃで。

「うええええっ……」

 抱き締められても、頭を撫でられても。

 ちっとも嬉しくない。

「もう、やだよ。一生懸命歌っても……頑張っても、ちっとも楽しくない。

 頑張れば頑張っただけ、変わっていく」

「うん、笑うことができないありすになっていく」

 恨みたくない。

 誰のことも責めたくないのに。

「ねぇ、お姉ちゃん。ありす……間違えたのかな」

「迷ってるの?」

「わかんないよ、わかんないから……こんなに」

 くしゃって髪の毛をかき混ぜられる。

「はぐらかさないでよ。ありすは教えて欲しいの……」

 だって、こんなに辛くて、苦しくて……。

 誰も認めてくれなくて。

「ねぇ、どうしたらいい? お姉ちゃん……」


 チュンチュン……。

 高層マンションなのに、頑張って部屋の窓まで来てさえずっているスズメさんには感心します。

 優しいさえずりを聞いていると、実家の部屋にいるような気分になりました。

「……ふわぁ」

 最近なかった健やかな朝です。

 たくさん泣いた後みたいにすっきりしています。

(事務所、行かなきゃ駄目だよね……)

 昨日は昨日、今日は今日。

 具体的なスケジュールとかも含めて、これからのことを話さなきゃだし。

 くよくよしてられないもん。

「あ……ッ、ぐ、カハッ?」

 失った信頼を回復するためにも――

 そんなことを口にしようとしたありすは、喉の違和感に咳き込んでしまいました。

 ……あれ?

 そんな疑問……つぶやきも声になってくれません。

 窓に映ったありすが、腹話術のお人形みたいに口をぱくぱく動かしています。

(声が出ない……?)

 声が出ないんですけど!

 痛みは全然ない。

 それこそ悪い魔女の呪いで声だけを奪われたみたいな感覚。

 あまりのことに声を失っている(そもそも出ませんが)ありすを、窓に映ったありすがびっくりした顔でいつまでも眺めている。

 それがありすには、全部承知でとぼけているような顔に見えました。

pieces/揺り籠のカナリア SS「ありすのアイドル奮闘記」第二章 後編

More Creators