-某県某所 住宅街-
そろそろ日付も変わろうかという、夜半前――
都心から程々に離れたベッドタウンであるこの町の、駅から徒歩10分の住宅街は、厳格なまでの静寂と夜の色に支配されていた。
家屋の窓からこぼれる生活の光すらどこか遠慮がちに見えるほどに。
この道を歩き慣れている者なら、漂う違和感に眉を動かしたかもしれない。
静かすぎる、と。
時間時間とはいえ、まだ電車も動いている。
家屋の多くからは生活の気配も伝わってきているとていうのに。
「にゃー」
まるで、作為的な『何かに』よって強いられているのような静寂を、か弱い猫の鳴き声が微かに乱した。
否、それは猫であって猫ではない。
人に似た姿に獣をルーツとする異能を宿した者。
亜人、あるいは忍者と呼ばれる存在だ。
「にゃー」
寄り添うようにして走る二人の亜人がぴょーんと垂直に跳躍した直後、業火が疾り、アスファルトを溶かす。
「フハハ! 避けたか。相変わらずすばしっこさだけは一級品だな、亜人ども」
周辺の家屋からの反応はない。
この区画の住人の誰もが、窓を開けて様子を見ようなどという気には決してならない。
人払いだ。
「どうした!? 私がお前達に刻まれた屈辱と痛みには、まだまだ全く届かんぞクハハ!」
再び炎が疾る。
逃げる猫達を追い詰めんと歩を進めるのは、雄々しい角と鱗に覆われた巨大な尻尾を持つ究極の生命。
「にゃー、にゃー」
二人の逃亡者……忍び達は持ち前の身体能力で家屋の屋根を強引に飛び越えて、道向こうの児童公園に飛び込んでいく。
そこを決戦の地とするために?
忍び達は他者を巻き込まない場所へ誘導しようというのだろうか。
「ここがお前らの墓場でいいのか? ならば食らえェェェェェェイ!」
ドラゴンの怒号に怯えを発したかのように空が赤く轟く。
ぐっと一度持ち上がってから『面』で降り注ぐ炎は、人が蚊をバンッ! と平手で叩き潰そうとする動きに似ていた。
一切の抵抗を許さず、ただ踏みにじるための攻撃。
ゴーーーーーーーッ!!
ものの2秒で炎は公園を染め上げ、息すら吸えない灼熱地獄に変えた。
「くっひいぃ! のぼせ上がった弱者どもをいたぶるの楽しいィィィィィィ!!」
恍惚にぞくぞくと身体を震わせ、炎の中でアヘ顔を晒したドラゴンが、取り繕って表情を引き締める。
「おい、猫どうした? 今ので死んだか? そんなか弱いタマではなかったはずだが」
この程度であればわざわざ足を運んだ意味がない――
自らがここにいるはずもない。
豪奢なドレスに身を包んだドラゴン、竜珠教教主・グレンテル(以下、ドラ美)は内心でひとりごちる。
これは復讐なのだから。
『忍者参上!』
憎たらしいあの声を何度、夢の中で聞いただろう?
そのたびにベッドで飛び起き、胸を焦がす怒りに身悶えた。
かつては人間達に神と崇められたドラ美にって、それは生涯において初の敗北であり失敗の痛みだった。
亜人ごときを相手にスデゴロで遅れをとった恥。
まんまと策に落ちた恥。
殺されすらしなかった恥。
それが慢心によるツケを払った形なのだとしても、「以後気をつけよう」で済むものではない。
ドラ美はドラゴンなのだから。
「おい、聞いてんのか。オイッ? 何かやって見せろクソ猫が」
轟々と渦巻く炎に向かってオラつくドラ美だが、口調ほどの慢心はない。
首を巡らせて周囲を警戒しながら、公園の中央へ向かって一歩ずつ慎重に歩を進める。
「まさか、炎に乗じて逃げたわけでは……ん?」
ドラ美の視界をかすめたのは紙片。
人形を模した二枚の紙が、波乗りでもするように爆風に煽られてふわふわと舞っていた。
それに気付いたドラ美はワケもわからず首を傾げる。
式神――
日本の飛鳥時代発祥とされる陰陽の技はドラゴンという種族の内で共有される知識の書架『種族の記憶』に蓄積されてはいないが、何かの小細工を弄されたことを直感した。
「また、忍者お得意のコソコソとしたあれか? 忍術か? くだらん真似をするな。
もはや、この私に油断も躊躇もない。
お前達にできることはあの時の私以上の惨めを晒した後、その命が続く限りの忠誠を誓……」
パーッ!
「…………ぬ?」
ドラ美が何気なく進めた一歩、そのつま先を基点に、網膜を灼くほどの強い光が螺旋状に拡がって『陣』を描く。
ちょうど蜘蛛の巣のように。
(なんだ? 足元が粘つく。歩けない程ではないが……)
カキンッ!
「おっと」
声もなく。
気配もなく。
ドラ美の死角から鋭く距離を詰めた人影が、無防備な背中に斬りつける!
だが、傷つき、折れたのは刀の方。
退いたのは攻撃者の方だ。
斬りつけられたドラ美は鬱陶しい蚊でも気にするように、ひっどい顔で振り返っただけ。
「ふん、この前の猫どもとは違うやつか」
白々とした輝きを放ち続ける『陣』が、スポットライトのように忍の姿を闇夜に浮かび上がらせていた。
その頭には垂れたふかふかの獣耳。
手には半ばから折れた日本刀。
里見八忍(にゃん)に属する猫忍・猫塚シノ。
紆余曲折を踏まえて、現在は北条春希に仕える手練の忍びである。
そう、猫忍。
垂れたふかふかの獣耳はどう見ても犬の特徴を示しているが、その辺りを説明すると長くなるので割愛とする。
「知っているぞ。貴様は……あー、あれだ。侍? 侍だろう。
時代錯誤な連中だな。まるでパレードだ」
挑発的なドラ美の声に、猫塚シノはむっと喉の奥から息をもらす。
「……嗤うか」
「む? うむ、鉄を鍛えた刃ごときで私の肌を傷つけようなど甘い夢もいいところだ。
ちゃんちゃらおかしいな。フハハ」
「……そうではない」
意外にも気分を害した様子もなく、猫忍・シノは折れた日本刀を水平に振る。
自らの代名詞というべき妖刀を。
「嗤っているのは我がムラサメだ」
刀身が溶ける?
その変化を目にした直後、ドラ美はそれを聞いた。
ききき、きき、ききききききききき――
軋むような、嗤うような、その音を。
シノが手にしているのは、すでに刀の柄だけ。
刀身は血煙と化したかのように、赤くゆらめきながら空間に溶けていく。
「む?」
ふと思い当たったドラ美が見下ろすも、先ほど折れた刀の切っ先は跡形もなく場から消えていた。
そう。溶けていた。
「……ドラゴンよ。お主の認識には、ふたつの誤りがある」
落ち着き払った声。
「我は忍び。我が主に仕える忍び衆が随一であり……
このムラサメは刀の形をした忍具だ。
自我はない、言葉も持たぬが本能を持つ。執念深い『狩猟者』としての本能をだ。
刀の形が狩りにふさわしければそれでよし、刃の通らぬ相手ならば」
シノの言葉の意味を一割ほども理解できなかったドラ美は、疑問を口にしようとして……。
「グアッ!? な、こ、これは……貴様! な、何を……」
膝を抜き取られたのかと錯覚するほどの途方もない虚脱感に、ドラ美が大きくよろめく。
「今更、警戒したところで無駄だ」
対して、シノは柄だけになったムラサメを悠々と鞘に戻す。
「もう、ムラサメはお主の中に入っている。命を食らい尽くすためにな」
「何を世迷い……ゴハッ!? な、これしきの……ゲハ! ばっ、え? バカか……」
足取りが定まらないほどに。
視界すら眩むほどに。
痛みも何もないまま、瞬間的に、加速的に、自らの活力が刈り取られていることをドラ美は自覚する。
まさに、直接命に食らいつく呪いの刃。
「この術を解、くらあぁああああぁぁ~っ!?」
混乱の中、割と必死の思いで繰り出そうとし拳がへろへろと宙を泳ぐ。
「このバ……おわっ?」
ドラ美の本能が、この難敵から距離を取るよう訴えたのだろうか?
曖昧に動かそうとしたドラ美の足が無情にすくわれる。
そう、ドラ美は肝心なことを忘れている。
自らがすでに、この白く輝く……忍びが張り巡らせた陣に絡め取られていることを。
「上出来だ猫塚! うにゃあああーーーーーーー!!」
瞬間的に湧き上がった気配は真後ろ!
そう、ドラ美は忘れていた。
忍者は策に策を重ね、勝利のための万全を期してから挑んでくるということを。
「秘伝抜刀術・信! にゃーーーっ!!」
忍びの戦いに名乗りはない。
裂帛の気合とともに打ち込まれた氣の刃が、鋭い炸裂音とともにドラ美の無防備な背中を捉える。
「ぐっひぃーーーーーーー!?」
身体の芯までズンと響く未知の衝撃に、さすがのドラ美も突き飛ばされるようにして地面を転げてしまう。
ダメージの量と質で言えば、あくまでその程度。
「にゃー! にゃーーーっ!!」
だが、凛とした輝きを放つ白い斬撃は立て続けにきた。
「新手!? ええい、鬱陶し……ぐえー!」
エネルギー波を立て続けに飛ばしてくる敵に向き直ろうとしたら、躊躇なく首にズバッときた。
今度は鋭い痛みがドラ美の背中に走る。
果敢にドラ美に飛びかかったシノの手には、忍力で輝く懐刀が握られていた。
一閃! さらに、一閃!
ズバズバズバズバズバズバッ!!
「グアーッ!」
全身の水分をギューッと搾り取られてでもいるかのような疲労感に加え、足元まで不確かなのだ。
ドラ美はもう自分がどんな攻撃を受けているか……。
敵がどう動き、どう斬られているのかすらわかっていない。
闇夜に紛れて自在に跳躍し、入れ替わり立ち替わり迫ってくる忍達の動きは完全にドラゴンの感覚を翻弄していた。
呼吸の間すらわかりあう二人の、究極まで磨き上げられた連携。
「くそっ! な、なんだこれは、いちいち足を取られ……ぐおっ!? くそ」
きききききき……。
軋むような、嗤うような音がドラ美の頭蓋の内側に響く。
ズバーーーーッ!!
「いたっ、このクソが殺すぞ!?」
「にゃんでピンピンしてんだよ。手応えはあったのに、おめーどんだけ斬ったら倒れ……」
ボーーーーーーーーーーッ!!
「おっと」
ドラ美が放った渾身の炎が虚しく空を灼く。
意図したほどの火勢ではない。
(この、し、至高の存在である私が! またも亜人ごときに……)
憎悪と苛立ちに顔を歪めて忍びを追撃しようとしたドラ美は、再び足を取られて転倒!
「また足がっ。ええい、煩わしい……なんだこれはァ!」
一般に蜘蛛の巣で粘りを帯びているのは、螺旋状に張り巡らされた横糸だけ。
巣の主である蜘蛛は粘らない縦糸と外周を使って移動する。
そのからくりを知らない哀れな獲物が贄となる。
忍者がこの公園に張り巡らせた結界はおよそそのような性質を持っているが、動揺の最中にあるドラ美がそのからくりに自らたどり着けるはずもない。
ついには尻まで『巣』に絡めとられてしまったドラ美は、ハッと上げた視線の先にそれを見る。
「律」
「おうとも、はああぁぁぁっ!」
空中で『X』を描くように跳躍した二人の忍者の姿を。
「決めるぞ猫塚、あわせろ! 合身・超秘伝抜刀――」
「もういい!」
「…………は?」
戦闘放棄とも見える、むしろそうとしか解釈のしようのない……。
つまりはその場にドカッとあぐらをかくというドラ美の投げやりな態度に、猫忍二人は必殺の術を放たないままシュタッと着地。
「必死だなお前らは! 付き合ってられるかバカめ、終いだ終い。それともなんだ、とことんやるのか。
ならばこっちはドラゴン化して死ぬまで暴れてやるぞ」
「……なんで一方的に襲いかかってきたお前がキレてるのにゃ」
ようやく、忍びから声が飛んだ。
「立てん。バカかこのクソ雑魚どもが、この変な術を早く解け! 死んだらどうしてくれる。
お前らと我らドラゴン、いわば種族間の話になるぞ」
「雑魚ってお前」
無論、ドラゴンという種の中で取り決めた「不殺」の誓いをドラ美のような雑……もとい、末端のドラゴンが破れるはずがない。
今回もちょっと意地悪しに来ただけだ。
無論、目の前の忍び二人には知る術のない情報である。
「…………………………」
忍び達が顔を見合わせて困惑する。
「…………(ひそひそひそひそ)」
頭を寄せあって相談もだ。
「……しゃーなしだにゃ。猫塚、ムラサメを戻せ」
「ぬ」
指示に頷いたシノが、ムラサメの柄を鞘から抜き放って片手で印を切る。
すると座ったままのドラ美の四肢から、ぼわっ! と赤いモヤが吹き上がり、シノが掲げた刀の柄に収束する。
その間、わずか1秒。
妖刀・ムラサメが見る間に刀としての形を取り戻す。
「それで……」
「……それでも何もあるか。ジロジロ見るな! 殺すぞクズどもが」
己の中から重苦しい感覚が抜け落ちた実感を得たドラ美が、憤然と立ち上がる。
むっつりと不機嫌そうな顔のままその腕を水平に振ると、公園を埋め尽くしていた炎が一片も残さず消失。
「素直に平伏して許しを乞うくらいであれば可愛げのあるものを。
ハー、ごちゃごちゃごちゃごちゃと。何が忍者だ、鬱陶しい猫どもが。
付き合ってられるか、ボケ!」
「お、おい、お前」
「興が削がれた。帰る」
吐き捨てたドラ美はそのまま、足取りを速めも緩めもせずスタスタと歩き出す。
以上である。
「……散々キレ倒した挙げ句、本当に行っちまったんだが」
虚しい捨て台詞を残したその背中がすっかり見えなくなってから、忍びの一方――
猫忍・猫飼律が小さくつぶやく。
なんなんだよあいつは、という面食らった顔で。
「ここ最近、ウチの周りをチョロチョロ嗅ぎ回ってた連中とは別件みたいだったにゃ」
「うむ、今宵のあれは怨恨だ」
「ゆらが倒したとかほざいてたやつか」
隣に立ったシノが、「おそらく」と渋い顔で頷く。
何しろ、今日のドラゴンは北条家の前に立つなりいきなり炎を浴びせようとしてきたのだ。
ガハハ、と笑いながら。
人間の法律に当てはめれば紛れもない放火である。
すでにドラ美の巨大な気配を察知して警戒していた律がとっさに忍術で対応しなければ、北条家の平和な夜はどうなっていたか。
「あたしらにばっかり働かせて、今頃、張本人がぐーすか寝てやがるのが一番イラつくにゃ」
律はその脳裏に、憎たらしく勝ち誇った仇敵の顔を思い浮かべる。
風魔ゆら――
ノリと勢いでドラゴンに挑み「征夷大将軍の座を勝ち取った」と謎の成果を手土産に帰ってきた、あの一連の騒動は北条に関わる全ての者の記憶に新しい。
自宅の周辺を『人ならざる気配』がうろちょろするようになったのは、ゆらが帰ってきた直後だ。
相手の出方が読めないので律達が警戒に当たっていたのだが、今日のような殴り込みは初めてのケースだった。
事態が悪い方向に進展しているのか、それとも?
「……助かったんだろうにゃ、あたし達は」
確かめようのない疑問を抱えたまま、律が改めてつぶやく。
「うむ。あのままでは負けていたとは言わぬが……油断のならぬ相手だ」
動きは素人、隙だらけ。
それでいて強いのだから、もはや存在としての無慈悲な格の差を受け入れる他ない。
「あの無尽蔵のタフさが厄介だ。すぐぶっ倒れると思ったのに、ムラサメがあんなに効かないとは思わなかったにゃ」
「効いてはいた。ムラサメはあやつの命を吸い続けていたが」
シノは渋面のまま、愛刀の柄を握る。
「回復していたのだ」
「瞬間で回復する術でも使ってたということにゃ?」
否、とシノは首を振る。
「あやつらはおそらく、大気や大地、己を取り巻く森羅万象全てのものから己が存在するための栄養……?
エネルギーのようなものを得られるのだろう。
あやつに流れ込んでくる無尽蔵な活力を、我がムラサメは感じ取っていた」
寡黙ながら里見衆きっての頭脳派としての側面を持つシノの推察は、全てにおいて正しい。
ドラゴンは本質的に食事を必要とせず、必要に応じて自らを取り巻く森羅万象……世界から生きるためのエネルギーを『強奪』する。
ドラゴンが飢えれば、ドラゴンより先に星が滅ぶだろう。
ゆえにドラゴンは永遠であり、不死なのだ。
「ドラゴンか。ゆらの話でだいたいのイメージは作ってたんだが、だいぶ上をいってる感じにゃ」
忍び達は改めてドラゴンという種の強大さを思い知る。
「まったく、ゆらのやつ余計なとこにちょっかい出しやがって」
本来ならば堪えるべき嘆息が口をつく。
律は北条春希に忠義を捧げる忍衆・里見八忍(にゃん)のまとめ役だ。
職務放棄はおろか、愚痴すら本来ならば許されないのだが。
(貧乏くじだにゃ……)
ドラゴンどもが家の周辺を嗅ぎ回っていることは、当面、彼女達の主には伏せておこうと仲間達と決めた。
何者かが彼を狙うのなら、守ればいいだけだからだ。
(とはいえ、今夜みたいなことが続くにゃら、いずれ春希様のご判断を仰がなきゃいけないかもにゃ……)
心優しくて少しだけ臆病な主が、不安からくるストレスで胃を壊す事態は避けたいのだが。
なお、律と仲間達が事の元凶である風魔姉妹にもこうした事態を伏せている理由は、風魔ゆらが好戦的で名誉欲が強く、いい格好しいだからだ。
先手必勝、やられる前にとか言い出しかねない。
否、必ず言う。
そもそも律にとって風魔はライバルであり、背中を預けるに値する仲間だと思っていない。
少なくとも建前上は。
「おっと、あたしはあのドラゴンがちゃんと町を出るまで見届けてくるにゃ。
猫塚と……おい、お前も戻っていいにゃ。
今日のところは助けられた。一応、感謝してやるにゃ」
空に向かってぶっきらぼうにそう言い残すと、律は地面を蹴る。
その姿は瞬く間に夜の闇に消えた。
「私は式を動かしただけですが。ゆらお嬢様とたまお嬢様の形を模したのは、囮として奏功したようですね」
去った律と入れ替わるようにして公園に降り立ったメイド服の美女が、口元を隠して笑う。
その頭には白黒模様の大きな虎耳。
石川沙奈――
陰陽の術を駆使する腕利きの忍びで、現在は主である雑賀陽葵ともども北条家に身を寄せている。
「里見衆の連携とはあのようなものですか。惚れ惚れと眺めておりました」
「世辞はいい」
「お世辞など言うものですか。妬くほどに……」
「まだだ」
その声が不貞腐れるような響きを帯びる。
「風魔の二人は真実、あやつを倒した。あやつがほとばしらせていた復讐の怒りが証拠だ」
勝利を収めることができなかったのが不甲斐なく、悔しいのだ。
シノが初めて見せた幼い感情に沙奈は苦笑する。
「万一、次があれば我が斬る。我ら里見衆こそ主殿の刀にふさわしいことを証明するために」
「……まったく、旦那様は果報者ですこと」
-北条家居間-
きっかり朝の7時。
いつもの時間に北条家の食卓を囲んでいるのは、これまたいつもの顔ぶれだ。
「ああ、バナナ好き。バナナうまいぴょん~っ」
、口いっぱいに好物のバナナを頬張って蕩けているのは、うさぎ耳の猫忍・猫山マヤ。
「がふがふがふがふがふがふがふがふ」
「美味い! やー、鍛錬の後のごはんはまったく格別でござるな」
競うように山盛りごはんをかき込んでいるのは、姉妹の猫忍・風魔ゆらとたま。
元気なく口元にもそもそと箸を運んでいる猫忍は、昨夜、奮迅の活躍を見せた猫忍・猫飼律だ。
日によってはここに隣人の雑賀陽葵と仲間達が加わることもあるが、この猫忍達におさんどん役の少年を加えた五人が、朝食を共にするいつもの『家族』と言っていい。
「おかわり!」
「はいはい」
なお、おさんどん役の少年が忍び達の主、北条春希その人だが、本人も含めた場の全員が「主従の関係を考えると何かがおかしいのでは」と疑問を抱く段階を終えている。
「あれ? おにいちゃん、今日のおみそしるなんだか変なの入ってるよ。しゃくしゃくしてる」
「ミョウガだけど苦手だった?」
「よくわかんない」
「まったく風味のわからぬ妹め! このしゃくしゃくがよいのであろう。罰として廊下に立っておれ」
「なんでおねえちゃんは朝からそんなテンションなの?」
「平常運転であるが? よい汗をかいておいしいごはんを食べれば、おのずと活気がこの身を満たすというものであろう」
「毎日幸せそうでよかったね」
「無論だ。ハルキ殿も幸せでござるものね~? ね~?」
「まあ、うん」
先日のドラゴン討伐(自称)から戻って数日が経つが、「ハルキ殿ってば。.す・て・き!」というテンションは持続している。
無敵の猫忍も、根っこは好きな人に想われるのが嬉しい乙女な一面も持ち合わせているのだ。
「常在戦場という言葉もござる。いつ何時、ハルキ殿を狙う狼藉者が現れるかもしれませんので?
この身とこの心を刃のごとく研ぎ澄ましておかねば。
ウフッ! ハルキ殿をお守りするのが接者の一番の務めでござるもの~」
特にこのゆらは乙女心による振れ幅が大きい。
ほっぺにつけたごはん粒にも気付かず、パチッ! パチッ! と主の少年にウインクも飛ばしていたりもしている。
「おやぶんの苦労も知らずに、ゆらは間抜けにも程があるぴょん……」
聞こえないようにマヤがつぶやいているが、事情を全て知っている彼女も昨夜の戦いには参加していない。
シンプルに死ぬ可能性を考えた律が留守番を命じたのだ。
「時は乱世。今となってはこの地上に安心な場所などはござらぬ! どこへ行くのにも……むっ」
ポカッ!
「フギャッ!?」
「ハルキ殿の御前であるぞ、この律め! 何を気の抜けた顔であくびなどしている」
「んにゃっ、ち、違……」
「ご覧になったでござるか? ハ・ル・キ殿♪ あの無駄飯食らいにはこの後、拙者が活を入れてやりましょう。
おっとご心配なく、手加減はちゃんと致しますので。
ドラゴンともガチれる拙者がほんのちょっどでも本気を出したら律ごとき……」
「おらおらおらおらおらおらおらおらおらおら!!」
「フギャーーーーーーーーー!?」
忍者の戦いに開始の合図はない。
問答無用のラッシュをまともに食らって吹き飛んだゆらを律は素早く組み伏せ、やり場のない感情を拳に込める!
「な、ぶっ、バカやめ……いたたたたたたた!」
「律!? ちょ、やめ……最近はゆらのそういうのに耐性ついてきてたでしょ!? 怒りすぎ……」
「止めないでください春希様! こいつは殺しますにゃ」
「ふぎぎ……か、顔はやめろこの律め! お主なんでそんなに怒ってるのだ」
「うっせーにゃ!」
どはん! ばたん!
「これまずいテンションだ!? みんな、二人を止めてー」
「あわわわわ、に……にゃんにゃにゃんにゃにゃ~ん♪ 見て、こっち見ておやぶーん」
「うっせー!」
「奥義をうっせーであしらわれるのは、さすがに傷つくぴょん……」
「みんなうるさいー! テレビが聞こえないんだけど」
北条家のテンションにつられたお散歩中の柴犬が、いつものようにワンワン威嚇しているのが外から届く。
律が内面に抱えているものはともかく、概ねいつもの朝だった。
-西金駅前高層マンション 一室-
遠い空の下、そのような喧騒が繰り広げられていた頃とほぼ同刻――
「――という次第、ではなく、噂を耳にしまして?
不遜! 傲慢! 生意気の極みであると考えますが我が王のお考えはいかがでしょうか」
「……うん」
興奮する豪奢なドレス姿の美女(以下、ドラ美)を前に、ソファの少女はぬぼーっと相槌を返すだけ。
往々にしてある、全く預かり知らないところで起きた何らかのテンションを持ち込まれて温度差が埋まらない類のやつである。
ソファから身を起こす気が全くなさそうなパジャマ姿の美少女は、ドラ美が属する『水』属性のドラゴンを統べる王。
現在はなんだかんだあって、さんごと名乗り、ドラ美が手配したこのマンションに相棒と暮らしている。
「聞けば連中、ハル様に取り入って人間どもの王としての座を許されたと吹聴しているとかいないとか?
二重に許せません。その座は私のものなのですが!」
「……うん」
念のためだが、ドラ美の相手をしてあげているだけ、このさんごは極めて優しい方である。
迷惑がってはいるが、追い払おうとすらしないのだから。
もしここに座っているのがベッドルームで寝ているさんごの相棒なら、ドラ美はもうこの世にいないまであり得る。
「どうか、我らドラゴンという種の名誉をそそぐために意義あるわからせを!
小細工など通じぬ、この宇宙にも比肩する御身の巨大なる威をお示しください!」
酌量の余地があるとすれば、ドラ美は徹夜明けということだろうか。
不甲斐ない自らへの怒りとか、錯綜する色んなものに翻弄されて昨夜は一睡もしていないのだ。
「連中がこれより始まるドラゴンの世の障害となるのは明らかです! 中途半端に強いですし小賢しいとこありますし!!」
「どらみは会ってきたの?」
「へっ?」
「亜人」
「……いえ、風の噂で? そうやって調子こいてるって聞いたくらいのものですが」
「それにしては感情移入がすごかった」
しぱしぱと、『水の王』……さんごは眠そうにまぶたを動かす。
「ハルが更新した種族の記憶……亜人の情報は興味深いものだったから。
うちの子達の中にも、ハルが推薦した人間がどんなか様子を見に行った子がいるみたい」
「へー、じゃあそういった連中が噂の出どころですかねー。
実際、喚いてるらしいですよ? ドラゴン目じゃないとか、来るなら来いやー……みたいなノリで?
言わせておいていいんですかねそういうの」
「ハルは『そっとしておいた方がいい』って言ってた」
「……ハル様が」
「手出ししなければ向こうからは仕掛けてこない。和平は成立してる」
「和平!」
じわじわとドラ美のテンションが高波に戻りつつある。
「それは矮小な雑魚どもへの慈悲でございますか? いけません! つけあがる一方です。
あのような雑魚どもと五分の和平など我らになんの益が……」
「種族の記憶は教えてくれる」
「種族の?」
「ドラゴンを脅かすのはいつだって慢心」
先ほどまで眠そうだったさんごが、いつの間にかまっすぐ己を見据えていることに気付いて……ドラ美は押し黙る。
彼女の前にいるのは紛れもなく至高の王なのだ。
「亜人の中には強いのもいる。だから、そっとしておく」
「そ、そのような気弱な」
「揉めても意味ない」
「……そんな、そ、そのような……それはドラゴンではございません!
ドラゴンは最も強く、い、偉大でなければ……」
ドラ美が無意識にもらした絶望の吐息に、ぴくっとさんごが反応を示す。
「泣いてる」
「へあっ? は、はあ、申し訳ありません。少々、感情が昂ぶってしまったようで……」
「感情移入がすごい」
「そ、それはもう、何せこれは種族の名誉に関わることで」
「……もしかして、負けたの?」
ごくりとさんごの喉が鳴る。
「亜人に」
過去、最大級の真剣なトーンだ。
「ま、ままままままま、負けるとは一体どのようなご意味でしょうか。
あり得ませんそのようなことは」
「よかった」
表情を和らげ、さんごはホッと胸を撫で下ろす。
「いくらどらみが弱くても、それはドラゴンという種族の中での優劣。
どんな油断があっても、相手が知恵を用いてきても……
ドラゴンが亜人に不覚を取るなんて考えられない」
「で、ですよー、いやだなー我が王ってばー」
「びっくりした」
「……はははは、い、いえ、この件は一応、我が王のお耳に入れておこうかな? くらいのやつですので。
お耳汚しでした。持ち帰りまーす」
-竜珠教本部ビル-
「うおおおおああああああああーーーーーーーーーーーー!!」
「……いつかの賊どもにわからせてくるって一人で出かけていったと思ったら、帰ってくるなりこれとか」
「そうすね、説明不要のやつですね」
とばっちりの予感に、教徒達が顔を突き合わせてひそひそと愚痴る。
「グレンテル様すいません。自分、今日は歯医者あるんでこれで帰りまーす」
「私も法事! 親父死んだんで失礼しまーす」
「帰るなら構わんが二度と戻ってくるなよ? 私は本気だ」
「…………………………」
頭巾姿の男女が再度、目配せ(?)を交わしあい……結局は全員が離脱を諦めた。
「ええと? 事情はさっぱりわかりませんが、では、憂さ晴らしにパーッとやります? 寿司でも頼みましょうか」
ボーーーーーーーーッ!!
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
「……ひっでぇ」
虐げられ慣れている教徒達も、この暴虐ぶりにはドン引きである。
「この私の名誉は竜珠教の名誉! ひいては貴様ら全員の名誉だ! ここまではわかるな。
策だ、弱者をいたぶり笑うための策を出せ。
念のために言っておくがこれは方針転換ではないぞ。
心にくるやつの方が後々まで引きずるからだ」
「……はーい了解でーす。みなさーん、会議ですよー」
「イエーイ!」
なんだかんだで付き合いのいい教徒達。
この日、「生意気な忍者どもにどうやってわからせるか」会議は4時間半を記録した。