今度のえっちな漫画は70ページぐらいになりそう
というかなります
いつできるのかはわからない!
今回は『ラフ』に関するおはなしです!
絵を描くひとでもラフに関して実は認識が違っていることが多いのではないかというおはなし。
よく「ラフなのにイイ!」「ラフなのに評価されてる!」というような言葉を聞くのですが、逆です。
「ラフだからイイ!」のです。
前提として、人間は”脳を使うことで気持ちよくなる”という機能があります。
人間の脳は消費カロリーが激しいですが、一心に集中して考えることは苦しみではなく快感なのです。
いわゆるゾーン体験というあれです。
抽象画などのぼや~っとしたほわほわ~な感じの絵が素敵に見えるのは、この脳を使うことで気持ちよくなるという機能も関係していると、わたしははおもっています。
写真のようにバシっと実像を鮮明に切り取った絵ももちろん良いしグッとくるのですが、その時の脳は、絵の情報と自信の記憶から具体的にいろいろな情報を意識的に組み立てて感動しているのだとおもいます。
抽象画などの作品の場合は、さらに無意識に近いレベルの深い層で脳がパターン認識のために膨大な情報を処理して働き、感動とともに気持ち良くなっているのではないかと思うのです。
身近なものでいうと、アニメのセル画一枚ずつを連続で観ることでキャラクターが動いているように見えるという、あのレベルの脳の認識機能によるものだとおもいます。
これはラフについても同じことが言えると思っていて、ぼやけた線により、ラフを見ている人の脳がその重なった線からモノの形をパターン認識しようとするとき、無意識に近いレベルの膨大な情報処理を行っているために、生き生きとした躍動感を感じたりするのではないかと思っています。
たぶんこれは、特撮などの独特な楽しさ気持ち良さみたいなものとも繋がっている脳の働きだとおもうのです。
デフォルメされた絵に関しても、脳がそのデフォルメされたキャラクターの絵を、普段の実在する人やモノとの形の近さなんかとすり合わせながら瞬時にパターン認識をするときに、同様の深いレベルの処理が行われて、見る人が楽しく、気持ちよくなるようにできているのだとおもいます。
ラフはそれを描いた絵描きさんが「このあたりのラフい線がきもちイイんだ!」と思って描いているものなので、みる人がこのラフは良いな!と感じるのは、当然だったりします。
ラフの良さが再現できないという絵描きさんがいるのは、たぶんこのあたりに気が付いていないからなんじゃないかとおもうのです。
現代社会においては、ラフなんだから軽く扱ってもいいでしょうというような感じになっちゃってるのですが、実は、ラフというのは意外と価値が高いものなのです。
完成していないから価値がないという刷り込みは、おそらく商業的なものの考え方を強制されることで発生しているんじゃないかとおもいまする。
ふだんネットで絵を見るときは、特に現在のようにいくらでもツイッター等で推しの絵が流れてくるようになってからは、ものすごい完成されたイラストでさえも2,3秒パっと絵をみるだけというスタイルになってしまっているとおもいます。
わたしもそういうことはよくあるのです。
でも、あまり急がずにほえほえ~っと絵を眺めていると、ちょっと気持ちよくなることもあるかもねとおもった。
とはいえラフにもいろいろあって、わたしの描くラフはけっこう線がぐしょぐしょだったりするので、見るほうも訓練がひつようかもしれないのであった。