大陸の西端に位置するアインバルト王国。
肥沃な大地と竜の加護によって平和を保っている国家である。それは戦火の耐えない世界において全く稀有な存在であった。
竜の加護――はるか昔、邪神によって貶められた主神の盟友、金色の竜の名誉を回復したとして与えられた力である。
その力、現世に顕現した天界の騎士は幾度かの代替わりをしながら、長きに渡りその超常の力を王国の安寧のために振るい続けてきた。
しかしこの国に今、暗雲が立ち込めようとしていた。
「ヒルデ……なぜあなたが発たねばならない!」
「シズカ?」
ヒルデを呼び止めたのは、同じ天騎士である氷のシズカだ。清廉潔白で正義感が強い女傑だが、三人の中で一番苛烈な性分でもある。
足を止めないヒルデについて歩きながら、がなり立てるように続ける。
「あなたを王都の護りから遠ざける真似など、おかしいではないか!」
「シズカ、王国の安寧こそ、主が王と結んだ盟約……そのためなら、私はどこへでも赴くわ」
「しかし、あまりに見え透いている……たかがゴブリンのいち部族殲滅のために、我らの力がいるものかっ」
シズカは端正な顔を忌々しげに歪めた。
「どうせ、あの男の差し金なのだ……!」
(今の王は領土拡大の野望を隠しもしない……だからあのような者を傍に置く!)
シズカが思い浮かべているのは、ブノー教のミード司教だ。法王庁より派遣されてきた人物で、この数ヶ月で王に取り入って権勢を振るっている。
大陸にあまねく信仰を広げているブノー教は、竜を悪魔の手先とみなしている。
必然的に、竜の加護で平穏を得ているこの国では布教は進んでいなかったのだが……。
(いつ頃かあやつが王に取り入り、各地に教会を建てさせ、我が主への信仰を汚している)
それも許せないが、何より危惧するのは彼がやがて天騎士を追放し、盟約を反故にすることだ。
まだ僅かではあるが、竜を祀る古い祠の破壊報告も上がってきている。
このままでは王国の守りは消滅し、自分たちが守ってきたものが崩壊するのは目に見えている。
地上に降りてきてから数年、民のために力をふるい、尊敬を得ていた彼女らにとって、それはあまりに耐え難いものだ。
「だから、あなたが残っているでしょう? 王のお考えは私にはわからないけれど……頼んだわよ」
「ヒルデ……」
シズカは城門をくぐって去っていくヒルデの背中を呆然と見送っていた。そして上半身で振り返り、王城のてっぺんを睨みつけるのだった。
「……行きましたか」
城下を見渡す王城のテラスで、天騎士二人のやり取りを見ていた者がいた。
ぴしっと背筋の立った、身なりの良い壮年の男だ。
彼こそ、ヒルデを出立させた張本人のミード司教だった。
「天騎士の加護は、人々の信仰あってのもの。ブノー教の教えが広がる果てには朽ちる定め……」
口の端を歪め、ミードは不遜に笑う。
「フ、旅先で力尽きるもよし。戻ってきたとしても……」
その時には、あなたの居場所はないでしょう――
そう言い残し、ミードの姿は王城の白い壁の中へ消えていった。
(後編へ続く)