ミサキはどこともしれぬ暗闇の空間を、ゆっくりと押し流されていた。
乳白色の光点が自分とともに流れていく様は、さながら天の川の一部に自分がなったようだった。
(あぁ……きれい……)
エリミネーターの侵略にあってからこっち、夜空を見上げることなどなかった。そこからはいつ何時敵が飛び出してきてもおかしくはないからだ。
ただ、周囲に舞う光点は星ではない。瞬き、鼓動を刻み続けるそれは、ミサキの根源に訴えかけてくる。
(……いのち……?)
そして気づく、自身も光の塊であり、実体を持たないことに。
ミサキを含むそれらの光はやがて距離を縮め、空間のある一点に向けて収束し――消えた。
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そして、ミサキはひとり立っていた。
喧騒の中。いつも騒々しい、建川市の人いきれの中に。
「……」
左右を行き交う人々をよそに、しばし自分の掌を見つめ、やがて握りしめる。この手でなにか、大事なことを成したような、そんなおぼろげな感触がある。
パッパー、とクラクションが聞こえ、ミサキはハッとする。立ち尽くしていた場所は横断歩道のさなかであり、とうに信号が赤に変わっていた。慌ててわたり切ると、再び人混みに飲み込まれた。
(なにか忘れちゃってる……そんな気がする)
歩き慣れた町並みなのに、久しぶりな感じもする。つい先程授業を終え、帰宅の途についたばかりだと言うのにだ。
拭いきれない違和感。わずかな間隙に、すべてが変わってしまったかのような、そんな感覚。
そしてそれは、いつもなら見えなかったふりをして通り過ぎるものに対してもそうだった。
建物の隙間に、ガラの悪い学生がたむろしている。それだけなら珍しいものではないが、その向こうに、唇から血を滲ませた小柄な学生が見えたのだ。
ミサキは一瞬立ち止まりかけた。普段なら、それで通り過ぎるところだ。駅前にある警察に一言告げて、終わりだ。ここの駅前は治安が良くなく、いつ対応してくれるかは定かではないが、できることといえばそれくらいだろう。
しかし、今日は違っていた。ミサキは彼らの方へ向かって歩を進める。
(……っ)
心臓が急激に鼓動を早め、手汗がじんわりと滲む。
「あ、あのっ……!」
「あん?」
「誰だ? 知り合いか?」
「いや……」
明らかに場違いなミサキの登場に、不良たちも顔を見合わせて困惑している。
「だ、だめですっ! その人を離してくださいっ!!」
「はぁ?」
一瞬の静寂の後、不良どもは一斉に笑いだした。
「やだなぁ、友達同士でじゃれ合ってるだけだぜぇ? なぁ?」
小柄な学生の肩を抱き、不良はニヤついている。学生の怯えようから、嘘なのは明らかだ。
「離してください、さもないと……」
「どうするってのよ? そんな細腕でさあ」
確かに、そうだ。今のミサキには力付くで学生を救うような力はない。
(でも、下がれないっ……!)
ミサキはグッと不良たちを睨みつける。その剣幕に、不良たちも若干気圧される。
「な、なんだってんだよ……」
「うううう……!」
「きみ、立派な心がけだな」
ミサキの後ろから、凛とした声が響いた。振り向くと黒髪をたなびかせ、仁王立ちになっている制服姿の女性がいた。
彼女はつかつかとミサキの前に出て、不良たちと対峙する。
「何だてめえ!」
「お、おい。こいつ北高の大河原カイだぜ」
不良たちに動揺が走った。どうやらカイと呼ばれた彼女は、不良たちに恐れられているらしい。
「そーだよ、だからとっとと失せな」
ぶっきらぼうに言い放ったのは、カイの後ろから現れた少女だ。
金髪にダボダボのジャージをだらしなく着崩していて、きちっとしたカイとは実に対照的だ。
「げ、ケイ……!」
そのケイに対しては、不良たちは若干の馴染みのある感じではある。
「つまんねーことしてんじゃねえよ、カスども」
彼女もまた、不良たちにとっては厄介な存在なのだろう。不良たちは明らかに萎えた様子で、踵を返した。
「クソっ、行こうぜ」
ぞろぞろと路地の向こうに去っていく不良たち。その様子を呆然と見つめてから、学生はミサキたちに頭を下げ、逆方向へ逃げるように走り去っていった。
残されたのは、ミサキと、カイら三人だ。
「君、立派だったぞぉ」
そう呼びかけてきたカイは、おもむろに”ん~?”と首を傾げ、ミサキの鼻先に顔を突きつけて、ジロジロと観察してきた。
「はて、どこかで会ったかなあ……? 君の顔には見覚えがあるような」
「私も、そんな気はするんですが……」
それも、すれ違っただとか、そういうレベルではない。しかしそんな記憶はないのだから不思議な話だった。
「せんぱーい、さっさと行きましょうよぉ」
ケイがつまらなさそうにカイに呼びかけた。
「ああ、今行くよ」
「おい、先輩に色目使ってんじゃねーゾ!」
近づいてきたケイは、ミサキをきっと睨みつけてきたのだが、それはすぐに緩んでしまった。
「ん……くっ、変だな。こいつにゃ強く出れない……」
「それは珍しいな。ケイは私以外には猛犬みたいなもんなのに」
「そんなんいいっスから! もう時間ないスよ」
「あぁ……そうか、かおりは遅刻に厳しいからな」
そしてカイはミサキの方を見やる。
「また会おう、名前は?」
「ミサキ……花井ミサキです」
「私は大河原カイ、よろしくな、ミサキ」
「あ、あたしはケイだ。……チっ!」
そして二人は去っていった。嵐のような出来事にミサキは立ち尽くしていた。
(でも……多分、また会える気がする)
ほとんど確信に近いものがある。そして、その確信はもう一つあった。
ミサキは駅前の喧騒から逃れ、踵を返す。
向かったのは、とある公園だ。周囲には古い廃校舎が立ち並んでいるくらいが特徴の普通の公園である。
その廃校舎は数年前には市内の公立校の統廃合計画次第では使われる予定だったらしいが、今や立ち消えになり放置されている。
(もしかしたらそこに通うことになるかもって、子供の頃聞かされてたなぁ……)
そこに、自分が抱く違和感の答えがある気がしていた。
公園につくと、周囲の廃校舎がやけに馴染み深いような気がする。まるで通っていたことがあるようだ。
(ここだ――)
公園にいくつか設置されたベンチの一つ、木陰になっているところに、少女がひとり座って本を読んでいる。青髪でおさげが二つの物静かそうな少女だ。
制服はミサキと同じ学校のものだ。膝には猫をのせ、片手でさすってやっている。
(……あの子、見たことがある)
学校で見た、という類のものではない。いつか、しかも心がかき乱されるほどの経験を、彼女とした気がするのだ。思い出せないもどかしさがミサキを苛むが、それはおそらく、昨日には抱かなかったであろう感情だろう。
その少女はこちらに気づくと、パタンと読んでいた本を閉じて、膝の上に乗っていた猫を優しくおろし、立ち上がる。
「……誰かがここに来る、そんな予感があった」
「なんでだろう、私も……ここで誰かが待っていると思ったんだ」
二人の間に沈黙が流れる。ミサキはなにかに導かれるようにここを訪れたが、それが何を意味しているのかわからない。
「……ミサキ」
彼女がこちらの名前を読んだ。どくん、と胸がつまり、涙が溢れてくる。心のうちから彼女の名前が浮かび上がる。
「キョウちゃん……」
知らないはずの名前がこぼれ出た。ふっとどこか固かったキョウの表情が崩れる。
そして二人は歩み寄り、お互いの体を抱きしめ合う。擦れ合う布越しに、互いの温もりを感じ合う。
なぜ、こんなにも胸が張り裂けそうなのか――結局、答えは見つからないのだろう。あの間隙に何が起こったのか、知ることもできないのだろう。
ミサキは体を離すと、ニッコリと微笑んで、自然と手を差し出した。そして、キョウはその手を取る。
「せっかくだから、ちょっと歩こうよ」
「……ん」
そして二人は公園の奥へと消えていく。はるか向こうの空では、失われた刻――彼女らがそこに捉えていたピラーの姿はなく、ただそびえ立つ積乱雲が夏の訪れを告げていた。