人間の目がターゲットにピントを合わせて瞬きするまでの時間は約0.4秒。私は一瞬でも動きを止める事が許されない。運がなかった。いつも友達と下校する私が今日に限って1人きりだ。私の人生、後にも先にもこの男より強い奴と遭遇する事はないだろう。
「ウインク・キラー?」
「目が合ったらお終い、気がついた時には縄でギチギチに縛られてたらしいよ」
最近この街を騒がす奴がいる。噂は所詮噂だが、現に私の知り合いもやられている。目が合ったら動けない状態にされてしまう。まるでギリシア神話のメデューサではないか。
「私は大丈夫だよ」
「なんで?」
「陸上部だから」
「意味が分からないよ」
学校で1番なんて優しいもんじゃない。私はこの国で1番足が速い。全国大会優勝の実績は学校の誇りとされていた。
本当に恐ろしい奴と遭遇したら逃げればいい。それだけの話だ。私より速い奴はいないのだから。
「相手が世界一の男かもよ?」
「それは負けるわ」
放課後の冗談話は嫌いじゃない。この砕けた格好でダラダラ会話できるのは学生の特権なのだ。
「じゃあ私は先に帰るよ」
「ごめんね〜」
友達の補習の邪魔をしては悪い。
"目にも留まらぬ速さ"とはただの比喩表現であり、実際に目が追えないほどの速さで動ける人はいない。
「...どうすればいい」
「んぐぅうう!」
現代のメデューサは実在していた。いや、噂の名前を借りるならウインク・キラーか。
「んむぅうう!!」
縛られて地面に転がる女性を見捨てて逃げるか。私が捕まれば何の意味もない。助けるためにはこの女性を縛った張本人を倒すしかない。
私は走りながら考える。
相手の力は未知数だ。目を合わせてはいけない。しかしそれだと敵の動きが読めず反撃できない。
「どうする」
無理だ、身体は知っている。私がこの男に勝つ事はない。何かを得るための決断は容易いが捨てる決断は難しい。陸上に必要無い物を手放す決断を何回もしてきた。時間をかけて培った立派な力だ。
「ごめんなさい」
男から離れる方向へ全脚力で走り出した。背後から聞こえる女性の呻き声を無視して走る。1番近くの交番まで最短70秒。それまで堪えて.....
その時曲がり角から出てきた幼い少女。
あぁ忘れていた。
今日は運が悪い日だった。
「ふぅうううーー!!」
男と目を合わせてしまった少女は雁字搦めに縛られてしまった。女性と同じように猿轡も施されている。一瞬の事だった。
私がこの男と遭遇した時、すでに女性は縛られた後だった。つまり縛られる過程は見ていない。だがこの少女に関しては始めから終わりまで見ていたはずだ。私が"目で追えた"のは最後だけだった。泣き喚く少女の口にガムテープを貼る所。
「...くっ!」
歯を食いしばって一度止めた足を再度動かして交番まで走り出そうとした時。
「んんんんんんんん!!」
少女の大きな呻き声が聞こえた。私には少女を見捨てる事はできなかった。これは人の本能に刻み込まれているのだろう。小さい子が発するピンチの信号は私を強制的に振り返らせた。振り返った私の前にあったのは...
赤く光る"目"だった。
「くそぉ!来るな.....んむぅうう!!」
覚えているのは相手の目を見てしまった事。その直後、視界が暗くなり気がついたら今の姿だった。もしかしたら一瞬意識を手放したかもしれない。
「んぐぅ....ふぅうううう!!」
強引に口に詰め物を押し込まれ、ガムテープを貼られてしまった。
「ふがぁああああ!」
詰め物が邪魔で舌が動かせない。私は意味のある言葉の抵抗はできなかった。
「じゃあな」
「んっ....うぐぅ!」
「ふっ!ふっ!ふぅ!」
「んむぅうう!!」
夕方の暗い裏路地、そこでは縛られた3人の女の子が必死に縄から抜け出そうと奮闘していた。