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【小説】筋肉男は全員マンキニ着用が義務付けられた世界でただ一人だけ正気の男が満員電車で痴◯される話



また、朝が来てしまった。


けたたましく鳴り響くアラームを、大和田基(おおわだはじめ)は呻きながら止めた。


朝に目覚めることなど、昨日も、一年前も、十年前も変わらないものだ。だがだからこそ、シーツを跳ね除けた瞬間に襲いかかる違和感は慣れるものではなかった。


布団の温もりが残る肌に、ひやりと纏わりつく四月の朝の空気。かつてはパジャマの綿が隔ててくれたはずのその冷気が、今は全身を無遠慮に撫でていく。ぞわりと、鍛え上げた自慢の腕や脚に鳥肌が立った。


「朝だ……、ああ朝だ」

大和田は自分に言い聞かせるように呟いた。扉の向こうでは長男が食事を用意してくれている音がする。じきに次男も目を覚ますだろう。家長である俺が、いつまでもまごまごしている訳にはいかない。

大和田は意を決して立ち上がった。

彼の愛する家族にとって今日もなにひとつ変わらぬ普通の朝なのだ。その事実が、自宅だというのに大和田の孤独を一層際立たせる。深呼吸を一つ。覚悟を決めなければ、この先の一歩が踏み出せなかった。


「………………」

寝室のクローゼットへ向かう。磨き上げられたウォールナットの扉。その中には企業戦士たる彼の鎧であり、誇りであったはずのものが眠っていた。大和田のガッシリとした体格に合わせたオーダースーツ、アイロンがけの行き届いたワイシャツ、季節に合わせたネクタイの数々。しかし、扉に手をかけた今、その記憶は遠い幻だ。


目に飛び込んできたのは、ハンガーにずらりと吊るされた、色とりどりの紐、紐、紐。

そう、クローゼットの中はマンキニしかなかった。


細い布地の心許ないストラップ。違和感のある配色。それらが、まるで一流の紳士服であるかのように、等間隔に、丁寧に並べられている。

光沢のあるサテン生地の、目が覚めるようなエメラルドグリーン。ラメがちりばめられ、照明を浴びていやらしく輝く挑発的な赤。爽やかな春の空のような水色。なぜかビジネスシーンを意識したらしいピンストライプ柄まである。よりどりみどりだ。マンキニだけが。


今の世界ではこれだけが彼に許された衣服だった。

ある日を境にそうなった。

大和田のように日々の鍛錬を欠かさない筋肉質な男は、マンキニだけが唯一にして絶対の正装。仕事着、部屋着、寝間着、すべてにおいてマンキニだけの着用が義務付けられ、そして皆それを喜び、誉とし、守り続ける。

――何故、どうして、なんの為に。

理由はなにひとつわからない。

ただ従わなければならず、誰一人疑問に思っていない。大和田を除いて。


「……せめて、黒を」

誰に聞かせるでもなく呟き、数ある選択肢の中から最も装飾の少ない、シンプルな黒の一着を手に取る。指先で摘まんだそれは、あまりに軽く頼りない。冷たく滑らかな合成繊維の感触が、これから始まる屈辱を予感させる。

着替えは、もはや一種の儀式だった。まず片足を、次に逆の足を通す。タイトな布が、鍛え上げた大腿四頭筋の上を滑り、食い込む。そして、V字になった布を股間から腹部へと引き上げ、両肩にストラップを掛ける。

「ン――っ」

会陰部にかかるテンション。はっきりいって性的な刺激に声が上がる。調整しなければすぐにはみ出てしまいそうな頼りない前袋に玉と竿をねじ込む。

そして幅わずか一センチほどの紐が、分厚い僧帽筋と大胸筋に、くっきりと二本の線を刻む。


最後にして最大の難関。大和田は躊躇いながらも姿見の前に立った。

マンキニのズレは即、心の乱れとして評価される。ネクタイが曲がっているなどとは話が違う。靴を除けばこれ一つしか着ていないのだから、片方の紐がずれていればそれだけで、すべての衣服をぐちゃぐちゃに着ているのと同義になるのだ。


「ひどい、変態ではないか……」

そこに映るのは、二人の息子を育て、部下を束ね、会社の重要ポストを担う40代の男の顔だ。だがしかし、その下にあるのは逞しい筋肉を無闇矢鱈と晒し、かろうじて局部だけを隠した変態そのものの姿だった。


日々のトレーニングで得た厚い胸板も、男らしく迫り出しつつも割れた腹筋も、この格好の前ではただ悪目立ちするパーツでしかない。

かつて、この姿を「異常だ」と叫んだ日があった。長男は驚き、次男は泣き、同期は本気で精神科医を勧めてきた。社会から「おかしい」と断定されたのは、大和田の方だった。

それ以来、大和田はこの屈辱をただ一人で耐え忍んでいた。


「黒……いや……ううむ……」

黒というのがまた、妙に真剣ぶっていていやらしく見えるような気がしてくる。一瞬別のものにしようとも思ったが、どうせ何を選んでも変わらないのだと諦めた。

無駄なことだ。それに部屋で恥ずかしがっている場合ではない。

俺はこれからこの格好で家族の前に出て、屋外を歩き、満員電車に乗って、一日働かなければならないのだから。




リビングへ向かう足取りは重かった。素足に触れるフローリングの冷たさが、直接脳に響くようだった。

「おはよう、父さん」

キッチンに立つ息子が手元に向けていた視線をこちらに向けた。

「あ、今日は黒なんだ。いいね、父さんの肌の色に合ってるよ」

悪意のない、純粋な賛辞。それが、鋭利な刃物となって大和田の心を深く抉る。彼は「ああ」と短く返し、ダイニングチェアに腰を下ろした。

びくりと体が震えた。冷たく硬い木製の座面が、剥き出しの尻と太ももの裏に直接触れる。ぺたりと肌の湿気が吸い付くようだ。毎朝繰り返されるこの刺激。スーツのスラックスという緩衝材がいかに偉大だったかを、骨身に染みて感じる。


「父ちゃん、おはよう! その黒いの、なんか忍者みたいでかっこいいね!」

起きてきた次男の無邪気な声にも、大和田は引きつった笑みを返すしかない。

彼らは父を尊敬してこそいるが、こうなる前は父の服装をいちいち褒めることなどなかった。それだけこの姿、マンキニを身に着けた親父が「かっこいい理想的父親像」ということなのだ。

そんな彼らに、父さんはこんなもの着たくないんだ、とはもう言えなかった。


「はい、トースト四枚切りがなくってさ、今日はこれしかなかったんだけど」

「いや、いいんだ。美味いよ、ありがとう」

トーストを齧り、温められた牛乳をすする。熱いマグカップを持つ指先と、冷気に晒された胸板との温度差が奇妙な感覚を生む。万が一、熱いミルクを胸にこぼしたらどうなる? スープを飛ばしたら? かつてはワイシャツが盾になってくれた些細なアクシデントも、今や火傷や染みに直結する大問題だ。食事ですら、気の抜けない時間だ。一体この格好のどこに合理性があるのか。なぜそれに誰も気が付かないんだ。

大和田は文句を飲み込むように六枚切りのトーストを食いちぎり、牛乳でタンパク質を補給した。


「じゃあ、行ってくるぞ」

大和田は朝食を終え、足早に玄関へ向かった。靴べらを使い、磨き上げられたダークブラウンの革靴に足を入れる。鏡面のように輝く革靴は、手入れを欠かしたことのない高級品だ。これは彼のせめてもの抵抗だったが、しかしそこから上は、逞しいすね毛の生えた裸の脚が伸びているだけ。靴が立派であればあるほどよりシュールで変態的になっている。


「いってらっしゃーい」

少しだけ寝坊した次男はリビングで食事中のようだ。今日の見送りは長男だけだった。


「父さん」

「う……うむ」

大和田は玄関に立ちながら、扉に背を向けて息子に向き直った。


「うん、紐も……食い込みも……完璧だよ」

「あ……ぬぁ……ハァ……っ」

最後のチェック。

愛する父がしっかり外に出しても恥ずかしくない格好であるかを、息子じきじきが引っ張って、触って、揉んで確かめる。

黒いマンキニでなければ染みができそうなほど、入念で愛ある手つきが大和田を襲う。

やめてくれ、そんなところ触らないでくれ。そんな……俺を気持ちよくさせないでくれ。どうにかなっちまう。

大和田は口を引き結びながら、息子のチェックを股間から首までしっかりと受けるしかなかった。


「――あ、ありがとう、じゃあ行ってくるからな」

結局今日も半分ほど勃起してしまった。そんな自分の肉棒を隠すように、大和田は息子に尻を向けた扉を開いた。

だが、逃げ出したその先は4月の朝の屋外。空気と風が敏感になった竿を撫で、結局黒マンキニの先端に染みができた。

「いってらっしゃい父さん」

その言葉だけを慰めにして、大和田はマンションの廊下を歩き出した。




エレベーターのボタンを押すと金属のボタンの冷たさが指先に残った。乗り込むと鏡張りの壁面が全身を映し出す。勃起はまだ収まっておらず、竿の先端の形が黒いマンキニに引っかかって見えかけていた。

それを必死に収めている最中、エレベーターに体格の良い男が乗り込んできた。


彼は今日、鮮やかな蛍光イエローのマンキニ姿だった。ストラップが肩に食い込み、恰幅のいい腹が布地を押し上げている。

「どうもおはようございます、黒ってのも威圧感があっていいですね」

彼とは時折こうして出くわすだけの関係だが、その際は必ずマンキニについて言及してくる。

彼が特別変態なのではない。


「……おはようございます。そ、そのイエローも……なんというか……目立っていて、なんとも……いいチョイスですね」

大和田はなんとも歯切れ悪く返した。

本心であれば、そんな変態衣装で出歩くなどどうかしていると言いたい。だがそんなものは、この世界においては最悪のマナー違反だ。

マンキニ同士は監視し合うかのように褒め合い、挨拶しなければならない。毎朝、毎晩、毎日こうだ。この不条理なファッション談義にも、ある程度順応してしまった。


大和田は彼とは敢えて歩調を合わせず駅への道を歩いた。道の最中、大半の人間が普通のままというのがまた嫌だった。春とはいえまだ寒い。みんな春物のコートやジャケットを羽織っているというのに、自分はほぼ裸に近い格好でこの冷気に身を晒している。


10人いれば10人が服を着ている中、自分だけがマンキニ姿で往来を歩いている。

ケツをむき出しにして、チンポの膨らみを強調して、筋肉を見せつけるように早朝から闊歩だ。恥ずかしくないわけがない。

だが、駅までの道というのは通勤の中ではもっともマシなほうなのだ。



「やあやあイイマンキニ具合ですなあ」

「よう、今日も食い込ンでるなぁ」

「どうだい、この時期はやっぱりラメ入りだぜ」

駅につくとマンキニ男の比率はかなりあがっていた。あちこちからマンキニ同士の倒錯した挨拶が聞こえてきた。

こうなったらこうなったでいたたまれない。

大和田は彼らを避けながら目的のホームへ向かった。


(しかし、日増しに増えている気がするな……何を考えているんだ)

大和田の不安はその通りで、歩いている最中に「ようやくマンキニ許可がおりたんだ!」と誇るようにして股間を誇示する男とすれ違った。

働く男ほど、体格や立場が強い。そして新たにマンキニに憧れ、そしてそう「成る」ものが多い――ということだろう。

マンキニ男は仕事においてもエリートばかりだ。皆スマートフォンで株価をチェックし、何かをしきりにメモしたり、空き時間にスクワットやトレーニングで汗を流しているものもいる。彼らは何事もない顔で経済を回している。この光景が「日常」であるこの世界で、自分だけが悲鳴を上げていた。


「お、大和田さん! おはようございます!」

電車を待っていると、背後から快活な声を掛けられた。

なぜここに? 大和田は嫌な気分を抑えながらゆっくりと振り返った。そこに立っていたのは、営業部の斉藤と、経理部の小林だった。

普段は違う時間の出社だったはずだが、今日に限ってどういうことか何本か早めたらしい。


斉藤は大和田と同じく逞しい肉体を持ち、今日は光沢の強い紫色のマンキニを身につけていた。その両肩には、彼の自慢の大胸筋によって、ストラップがくっきりと食い込んでいる。一方、小林は痩せ型で、ごく普通のグレーのスーツに身を包んでいた。


「おはよう、斉藤君、小林君」

大和田がどうにか笑顔を作った、その瞬間だった。

斉藤がにやりと笑いながら近づいてくると、その太い指で、大和田のマンキニの右肩のストラップを親しみを込めて「ピンッ!」と弾いた。

「んぐッ!」

「相変わらずキレてますね、大和田さん! 黒ってみんなあんまり好まないけど、ダンディな大和田さんの魅力と筋肉のカットを際立たせる、実にストイックなチョイスっすね!」


ビクンッ、と体が震える。肌に走るゆるい痛みと、それ以上に股間に来る刺激と屈辱。これが、今のこの世界での親しい者同士の挨拶だ。

マンキニを褒めるのはマナー。親しみや敬意を感じている者同士であれば、マンキニに触れるがマナー。

「さ、斉藤君こそ、その紫の……だ、大胆な細さが……わ、若いものならではだなあ……」


触られたならば触り返さなければいけない。ましてや大和田は彼らより目上の人間。手本となるべきマンキニ男なのだ。大和田は震える指を伸ばし、斉藤のマンキニの前面、腹筋を覆うV字の布を軽くつまんで引っ張った。指先に伝わる、硬く盛り上がった腹直筋の感触。

「あぁ~気持ちいいっす、いやあ、分かります? さすが大和田さん、この細さがもうクセになっちゃって!」


斉藤は恥ずかしがるどころか、肉体の刺激に喘ぎながら得意げに胸を張った。

勿論この世界にもセクハラはある。だが、マンキニ男が挨拶された際に生じる快感は、素直に口にしても問題はない――とされているのだ。

大和田の経験上、若者ほど大胆に気持ち良がる傾向にある。この斎藤のように。


その横で、スーツ姿の小林が二人の肉体とマンキニを交互に見ながら、羨望とも揶揄ともつかない口調で言った。

「いやはや、お二人とも朝から眼福ですよ。僕みたいな貧相な体じゃ、逆立ちしたってそんな着こなしはできませんからね。スーツで全部隠せるってのは、ある意味、気楽なもんです」

「な、何を言ってるんだ、小林君。君のその……羨ましいよ」

大和田の口から出たのは本心だった。しかしそれを聞いた小林の反応は冷ややかで、「またまた…」と過剰な自虐に当てられて困っているような雰囲気でさえあった。


「小林、お前も上背はあるんだしさ、少しはジムに通って、こっち側の世界の空気を吸ってみろよ。この開放感、一度知ったらスーツなんて窮屈で着てられないぜ? なあ、大和田さん!」

「……そ、そうだな」

結局大和田は今日も嘘をついた。開放感など微塵も感じたことはない。ああ、そうだ、そんなものはない。あるのはただ、羞恥と寒さだけだ。

「俺は見ているだけで満足ですよ。しかし斉藤、今日のはホント、特に大胆だなあ。背中のデザインなんか結構きわどいけど、座ったときなんか結構食い込むんじゃないか」

「そこがいいんじゃないか! 常に筋肉に緊張感を持たせられるからな! 仕事中の集中力もアップするってわけだ!」


斉藤は豪快に笑い飛ばす。大和田は、彼らがごく当たり前の世間話として、尻に食い込む布の感触について語り合っているこの状況に、眩暈すら覚えた。


そうしているうちにホームに電車が滑り込んできた。人々の流れが、一斉にドアへと向かって動き出す。大和田も、この不毛な会話から逃れるように、一歩踏み出した。


「じゃあ、また後で」

大和田はそれだけ言い残してドアへと向かっていった。


大和田は、これから始まる満員電車での肌と肌のぶつかり合いを想像し、奥歯を強く噛みしめた。そして、屈辱と諦念を胸に、その筋肉質な体を、混沌の鉄の箱へと押し込んだ。




乗り込んだ瞬間、むわりとした人の熱気と湿気が全身に絡みついた。

柔軟剤の匂い、整髪剤の香り。そしてマンキニ男から発せられる汗の臭い。すべてが混じり合った、生命感の塊のような空気が肺を満たす。


マンキニ姿の人間にとって満員電車は最悪の環境だ。

背中にはごわごわとした布の感触。振り返らずともわかる。ウール混の、安物のスーツの生地。右にはシャツとズボンのラフな格好の男のコットンの感触。

左もやはりスーツ。

正面はカバンで接触を避けているが、合成繊維の硬い感触が時折触れた。

四方八方すべてが人間に囲まれ、否が応でも自分がマンキニだけの変態露出姿であることを自覚させられる。


いや、今日に限っては一人ではない。

もう一人……、斎藤の姿が少し遠くに見えた。だが、彼は平然とした顔で乗っている。

自分だけがこの素肌にふれる感触の違和感に苦しんでいる。何故他人の体温をこれほどダイレクトに感じなければならないのだ。そのうえスーツの男が時折漏らす吐息が、首筋にかかって、ぞわりと鳥肌が立った。


(考えるな……余計なことを……)

大和田は目をつぶり、ただただ電車の揺れと音だけを感じた。

会社まではこれ一本。

時間はかかるが乗り換えはない。ただ耐えればそれで終わるのだ。


そうして何駅か過ぎた頃だった。


電車が二つある大幅に乗り換えが起きる駅に差し掛かった。人が降り、また乗り、最初の顔ぶれ、最初の感触から変わった。

そのたびに大和田の尻や太もも、胸板や背中は別の感触に晒されなければならなかった。

問題はその後だった。


(な…………なんだ…………?)

最初に感じたのは、右の臀部への、ほんの微かな感触だった。

(…荷物が当たったか?)


この混雑だ、誰かのカバンか、あるいは手が触れたのだろう。仕方がないことだ。よくあることだ。彼は瞬時に合理的な結論を下そうとした。だが電車の揺れに合わせて、その感触は断続的に繰り返される。

ガタン、ガタン。

揺れに合わせて、それは段々と大胆に……そして深く大和田の肌に吸い付いてきた。

それは生暖かい肌の感触だった。

肌と肌とは触れ合うもの。マンキニでの通勤において、それは特別なことではない。だが、肌といっても部位によって違いがある。


(………………)


大和田の全身の血が凍りついた。


痴漢。

そんな単語がはっきりと頭に浮かんだ。


それは、手のひらの感触だった。


通常それは有りえない。

手のひらは普通、体の内向きを向いているのだ。指先をわざわざ外に向けて立つものはいない。手の甲と手のひらは違う。

だが今、大和田の尻に、太ももに触れているのは……間違いなく指――それも男の指先の感触だ。そしてその動きには、明らかに「意思」が宿っていたのだ。

彼の尻の肉を、ゆっくりと、探るように撫でている。


「な……っ」

声にならない声が、喉の奥で詰まる。頭が真っ白になった。

痴漢? 俺が? この、40過ぎの、鍛え上げた身体を持つ俺が?

冗談じゃない。ありえない。悪夢だ。これは、満員電車の圧迫感が見せる、ただの幻覚に違いない。


しかし、その指は幻覚などではなかった。布の縁を弄ぶようにして触り、鍛え上げた大殿筋を下から持ち上げるように揉んでいる。

マンキニ一本が食い込む尻の谷間を遊ぶように渡り、今度は内ももへ。

ツゥ……と指一本が上下にスライドした。


(あ……あぁぁっ……)


その優しい刺激に大和田は腰を揺らしてしまった。

そして次の瞬間、怒りや情けなさで歯を食いしばった。男に、無遠慮に、しかもこんな屈辱的な格好で体をまさぐられているという、筆舌に尽くしがたい羞恥。腹の底から、マグマのような怒りが込み上げてくる。ふざけるな。誰だ。どこのどいつだ。

だが、その純粋な怒りが頂点に達する寸前、彼の身体は、最悪の裏切り行為に及んだ。

「…あ……っ」

ぞく、と背筋を駆け上がったのは、紛れもない「快感」だった。

内ももを再び撫でられたのだ。

それだけで大和田の心を快楽が埋め尽くす。どうやら俺はココがとても弱いらしい。知らなかった、知りたくもなかった事実に大和田は混乱していた。


(やめろ、やめてくれ!)


大和田は背後の痴漢男と、なにより自分に叫んだ。

これは不快なのだ。屈辱なのだ。そう頭の中で必死に叫ぶが身体は正直に、そして残酷に反応していく。股間がじわりと熱を持ち、硬度を増していくのが、自分でもはっきりと分かった。


(こんな場所で勃起!? こんなマンキニだけの姿で、そ、そんな変態な姿を……俺は、俺は……!)

だがその身体の変化が、さらなる地獄の引き金を引く。

マンキニというのは残酷なのだ。硬くなった自身に引っぱられ、忌まわしいV字の布地がより容赦なく締め付けを強めた。まるで意思を持っているかのように、布が敏感な部分にぐっと食い込み、圧迫する。その締め付けが興奮に新たな火種を、油を注ぐ。身体が反応するから、マンキニが食い込む。マンキニが食い込むから、さらに身体が反応してしまう。完璧な悪循環だ。


大和田は正義感の強い男だった。

以前痴漢を目撃し、それを糾弾したこともあった。

だがこうして自分がその毒牙に掛かったとき、彼は無力だった。禁断の刺激に対して、抗う術を持たなかった。


「貴様、いったいなんのつもりだ!」

そう一言叫び、手を捻り上げればすべてから開放される。

だが、それができない。


怒りの炎や使命感は、別の感情によってすぐに掻き消されてしまう。

恥ずかしさだ。

ここで、声を上げたらどうなる?

この満員電車の中で、全ての視線が自分に突き刺さる。「痴漢男め!」と叫んだ瞬間、人々は何を見る? まず間違いなくマンキニを着たゴツくて男臭い自分のほうだ。そして、次の瞬間、彼らは気づいてしまう。大和田の股間が、この状況に不釣り合いなほど、雄々しく盛り上がっていることに。被害者であるはずの自分が、最も恥ずかしい姿を晒すことになるのだ。

「なんだあいつ、痴漢されて喜んでるのか?」

そんな囁きが聞こえてくる幻聴に、全身が粟立った。それは、痴漢行為そのものよりも、はるかに耐え難い辱めだった。正義を貫こうとすれば、社会的に抹殺される。沈黙を守れば、尊厳が蝕まれていく。

彼は、声も出せず、身動きも取れず、金縛りにあったように立ち尽くすしかなかった。



見知らぬ誰かの指が、敏感な内腿を撫で上げる。そのたびに、ビクン、と腰が微かに震える。嫌悪感で叫び出したいのに、身体の芯は、その背徳的な刺激に、歓喜の悲鳴を上げていた。

マンキニの締め付けが、その感覚を何倍にも増幅させる。指の動きと布の圧迫がシンクロし、脳を直接揺さぶるような、倒錯した快楽を生み出していく。

「やめろ…やめてくれ…!」

心はそう絶叫している。しかし、彼の身体は、その言葉とは裏腹に、さらに熱を増し、硬度を高めていた。もはや隠しようのないほどに盛り上がった黒いマンキニ、それはまるで使い込んだ助平な陰水焼けした肉棒のようになっていた。


大和田はひたすらに耐えた。

それに気を良くしたのか、痴漢男の指はどんどん大胆になっていった。

彼の沈黙を肯定と受け取ったのか、その動きをさらに大胆なものへと変えていた。臀部を執拗に撫で回していた指は、今や最も反応の良い太ももの内側をゆっくりと往復するようになっていた。


「うっ……あぁ……」

時折口から声が漏れると、指が嬉しそうにその場所を執拗に攻める。

もはや「そこをもっと」と言外に口にしているようなものだった。これでは共同のプレイだ。

(違う、俺は息子もいるような親父だぞ……こんな、こんな……ッ)


だが勃起は止まらず、ケツは疼いた。

マンキニによって調教された肌とケツは、痴漢男にとって絶好の玩具といえるまでに敏感になっていたのだ。


感じてしまっている。

どうしようもなく、それは事実だった。

黒いマンキニの紐を引っぱられるだけで……。

「ぅ……ッ!」

思わず漏れそうになる声を、彼は唇を噛み締めて必死に殺した。もう、涙が出そうだった。40年間生きてきて、これほどの屈辱と絶望を味わったことはない。男としてのプライドも、社会人としての尊厳も、何もかもが粉々に砕け散っていく。

犯人の顔も見えない。どんな男が、こんなことをしているのか。想像することさえ恐ろしかった。

彼はもはや、なすがままだった。抵抗する気力も、術も失い、ただこの鉄の箱が目的地に着くまでの時間を、人形のように耐え忍ぶしかない。


(そ、そこは!?)

そうした忍耐を許すまいとするように、痴漢男は突如大和田の股間を掴んだ。


マンキニの前。袋をビンビンにさせているナマの部位を握られる。先走りまみれのそこは、男に触れられてクチュと微かな音を立てた。


そのまま男の指先は、大和田の肉棒をピンと弾いた。


「何だこんなビンビンになるまで感じてたのかよ、変態」


言葉なかったが、大和田の脳にははっきりそんな声が聞こえた。


(ち、違う……俺は……そんな変態じゃない)

(じゃあなんだよこの先走りは)


亀頭の上で滑らかに円を描く。大和田が感じていることを責め立ててくる。


(ほら、こんなだぜ? もう)


指先が鈴口に触れて、糸を伸ばす。


(だ、黙れ。こ、こんなものはただの反射だ。体が勝手に反応しているだけだ)

(そんなこといって、もっとしてほしいんだろ?)


二人は一言も交わさぬまま、無言の攻防を続けた。

勿論結果は一方的だ。

大和田はいくら言い訳しても、避けようとしても、勃起した竿を掴まれればそれでなにもかも反論は破綻する。


お前は感じている変態親父だ。


はい、私は感じている変態親父です。


勃起した肉棒が、なにもかもを肯定してしまう。


(あぁ……駄目だ感じちまう……マンキニのまま……射精、射精してしまうッ……!)

大和田は絶望しながら必死に腰をよじっていた。

気持ちよさと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。頭がマトモに働かない。気持ち良すぎて勃起が止まらない。

射精したい。

いやしたくない。

今大和田を隠してくれるものはなにもないのだ。スーツ姿のサラリーマンとは違う。スラックスの中やパンツの中ならまだしも、マンキニでは射精で生じた雄汁がどこにも隠せないのだ。


(やめろ、やめてくれ、みんなに晒してしまう、チンポ汁が出てしまう、痴漢でイッたことを晒してしまう……!)

(いいだろ、どうでもいいだろそんなこと、チンポはなんて言ってる?)

(射精したい……! ああ、やめろ、俺のチンポに語りかけるな、俺のケツを揉むな、俺の内ももを刺激するな、そこは駄目だ、そこを触られながらだと……俺は……俺は)

(なるほどこうがいいんだな、これだな、これだな)

(ああ……♥ ぬぁぁああッ♥)


男は右手でチンポを左手で大和田の内ももを撫で始めた。

両手の甲がマンキニの紐を押し広げるものだから、ケツの部分がさらに刺激された。引っ張られたマンキニの紐が乳首にまで擦れた。

完全に四点責めの状態だった。


「やめ……ン…………ッグ♥」

おもわず声が漏れた自分を大和田は必死に抑え込んだ。

もう駄目だ。気持ち良すぎる。マンキニ痴漢気持ち良すぎる。

竿を触られているだけなのに完全に全身愛撫さているようなものだ。


(イけ、イけよ、イっちまえ)

(やめろ、やめろぉおぉおお♥)


トドメとばかりに痴漢男は大和田のマンキニを弾いた。

まるで弦楽器でも弾くようにしたふざけたその刺激。

馬鹿にされる屈辱感が、大和田の最後の一押しとなった。


「ン――――――ッ♥♥♥」


大和田は瞬間、両手で自分の竿を握りしめた。

竿を扱いたのではない。亀頭を隠すように覆ったのだ。


(あぁ……出る、でちまッ! あぁぁあ……俺の汁が、俺の精液が……あぁぁ……電車内で……で、でるぅぅうッ…………♥♥♥)


握りしめられた大和田の肉棒がドクン……ドクン……と脈動した。太く立派な魔羅が快楽と共に収縮するのが手のひらで感じる。

その一呼吸ごとに濃厚な白い雄汁が溢れてくる。

(あ……ああッ♥ クソッ、とまれッ、ああ出すなもうッ♥ 俺の手に中出しを……あああッ♥♥)

まるで自分のチンポに犯されているような気分になりながら大和田は天を仰いだ。


分厚く大きな男らしい手だったが、それでも精液を防ぎいるのはギリギリだった。ゴツゴツとした指の間の一本一本に白濁した濃い臭いの汁が潜り込む。


気持ち良すぎて腰が揺れる。痴漢の手にケツをこすりつけてしまう。

射精はまだ続く。

雄汁達はなんとかしてより遠く、深くに種付けしようと、着床しようと、玉から出続けた。


(ああ、やめろ、とまれ、もう止まれ……止まれぇ……きもちいいの止まってくれえええ♥♥)


大和田はビクビクと何発も精液を拭き上げる自分の愚息の力強さに震えながら、自分のソレを力強く握りしめていた。





「お、降ります、降ります……!」


会社の最寄り駅ではなかったが、停車と同時に大和田は叫んだ。

振り返ることはできなかった。

それどころではなかった。


大和田はマンキニ姿のまま脇にカバンを挟み、そして両手で股間を押さえながら駆け出した。


黒マンキニ姿の大和田が衆目を集めたものだから、一斉に人々が口を開く。


「見事な肉体美だなああの人」

「黒ってのもいいもんだな、今度買ってみようかな」


射精したてのチンポを両手で隠しながら歩く、無様極まる大和田を人々が次々に称賛する。

それがまたたまらなかった。


見られていることを耳で感じながら、視線を肌で感じながら、大和田はなんとか電車から一歩逃れた。

痴漢から逃れた。その安堵から気が緩んだ。


「しまっ……!」


脇に挟んだカバンがずれ落ちた。

ちょうど電車とホームの間。隙間に落ちるのではないかという場所だった。

大和田はとっさに手を伸ばした。幸いカバンを掴むことはできた。


「あ…………」


右手からこぼれた精液まみれのチンポが、マンキニのゴムを弾みにして外に飛び出した。





「クソ……なんで俺がこんな……こんなッ……」

大和田は便所の個室に収まりながら、ドロドロの精液をティッシュで拭った。


「あんな痴漢野郎……今度あったら、必ず警察に……突き出してやる……ッ!」

大和田は闘志と怒りをぶつけるように、自分の雄竿を擦り上げていた。


「ぬぁ……あぁぁ……♥」

もはや声を抑えることもできず、隣に人がいることも忘れて大和田は喘ぎそしてまた射精した。


……俺はどうなっちまうんだ。

こんな……こんな快感を知っちまって……俺は、俺は…………。


大和田は絶望していた。

あの痴漢男の手つきに。

己の快楽への弱さに。


そして、射精したてのチンポを晒しても通報されるどころか称賛されたという事実に。


マンキニ男にとってどこまでの卑猥が許されているかわからない。だが少なくても、往来で射精しても、肉棒を丸出しにしても、ガニ股で喘いでいても、彼らにとってそれは男らしく見事な姿と評価されるものだった。

それはつまり……。

「駄目だ、考えるな、考えるな……!」

自分の考えをそうするかのように、ティッシュくずを便器に投げ込み洗い流した。


まだ出社の最中。これから一日働き、大勢の人間と会い、指示を出し、そして帰らなければならない。


「考えるな、考えるな……」

勃起したチンポを適当にマンキニに収め、半分竿を出したまま大和田は個室から飛び出した。


まだ大和田の……マンキニ男の人生は始まったばかりなのだ。







終わり






【小説】筋肉男は全員マンキニ着用が義務付けられた世界でただ一人だけ正気の男が満員電車で痴◯される話

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後半の文章が重複してます

tsubasa_sanngo


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