ズュンデ王国――。
三〇〇年前の『聖戦』に人間が打ち勝ったのち、この国は神の加護の元に平和を維持していた。魔なる存在――いわゆる魔族や悪魔、魔物といったものは、もう滅多に姿を現さなくなっていた。しかし、あまりにも苛烈だったその聖戦の経験から、いつ魔族が復活しても対抗できるよう、人々は常にその備えをしていた。魔族はそう簡単に滅びることはないと、人間は理解していたのだ。そのための存在が、聖騎士と呼ばれる人々である。
彼らは神の聖なる力を受け、人間離れした能力を持った存在として、人々を守護していた。ズュンデ王国聖騎士隊は、国王直属の部隊であり、七つの師団より編成されている。一つの師団はそれぞれ五〜十名程度で構成されており、独立して任務に当たることが多い。普段は肉体と技術の鍛錬に励み、魔物の存在が察知されると、彼らは任務に当たることになる。
ズュンデ王国聖騎士隊第七師団のメンバー七名は、隊長室へと呼び出されていた。
「ここ最近、良からぬ噂がある」
隊長は厳格な表情で言う。
「噂――ですか?」
問いかけたのは、団長のヴォルストだ。綺麗な青い目の上の眉を顰ませる。
「ああ、東の村で、何人も人が失踪しているらしい」
「失踪! そりゃあ大事だ」
体の大きなガイツが、逞しい肩を大袈裟にすくめる。隊長はガイツを一瞥すると続けた。
「それも、一人二人ではないそうだ。もう、片手では足りない数の人々が消えているという」
隊長のその言葉に、副団長のナイトが問いかけた。
「ずっと、話が不確定のようですね――」
「そうだ、何よりも妙なのは、それだけの失踪にもかかわらず、今のところ確定的な情報が何もこちらに寄せられていないということだ。ぼんやりと噂は聞こえてくるものの、それが正しい情報だという確証が得られない――誰も、そのことについて語らないのだ」
「だから、噂と」
隊長は頷く。
「だが、人が消えたなどという噂がぽっと湧くはずもない。おそらく……いや間違いなくこの件には、魔族が関与している」
「なんらかの精神操作の可能性もありますね」
「ああ、既に村人たちの精神が干渉を受けている可能性もある」
「そりゃ、油断できねえな」
ガイツが真剣に話す隊長とナイトに割って入る。
「そうだ、油断できない。だからお前たちの出番というわけだ」
隊長が言う。
「よっし! 最近訓練ばっかで退屈してたんだ。思いっきり暴れてやるぜ」
ガイツはバシンと拳と手のひらを体の正面でぶつけ、不敵に笑った。隊長はそんなガイツの放言に、むしろ安心したように口元に笑みを浮かべると、七人に命令を与えた。
「――では、ズュンデ王国聖騎士隊第七師団の諸君」
ふっと空気が冷える。隊員は真剣な表情で一列に並び、胸元に手を当てる敬礼の姿勢をとった。
「「「ハッ!」」」
バチリと揃った声で一斉に返事をする七人。
「諸君に任務を与える――東の村へ赴き、住人の失踪事件について調査すること。魔族が関わっていた場合は、その魔族を殲滅すること――」
「はい! 我々は命令を完遂いたします!」
団長のヴォルストが腹から出した声で答える。
「全ては我らが神のために!」
「「「全ては我らが神のために!」」」
残りの六人も続けて言った。
「――よろしい。出発は明日だ。今日は備えてゆっくりと眠りなさい」
室内の緊張が解かれた。団員たちは各々頭を下げて、隊長室を後にする。
一人残ったのは、ホッファート。第七師団の中で最も若く、経験の浅い団員だった。居心地悪そうに、しかし自分の意志で部屋に残ったホッファートに、隊長は話しかけた。
「不安か」
無言で頷くホッファート。黙っている彼をじっと隊長は見つめている。やがて、ホッファートは口を開いた。
「……私はまだ隊員になって日も浅いです。まだまだ訓練中の身だと思っていますから……実戦は、不安です」
「誰だって初めては不安なものだ」
隊長は普段の厳格さではなく、優しさを感じさせる声音で語りかける。
「だが、不安に支配されて何もできなければ、一生そこに留まったままだ。経験を積めば、いろいろなものがその向こうに見えてくる――それが、お前を強くしてくれるだろう。お前の尊敬するヴォルストやナイトだって、最初は不安そうな顔をしていたよ」
「本当ですか?」
「ああ、本当さ。今の自信満々な二人からは想像もできないだろうがな。まあ、あの二人はお互いの存在を常に意識して高め合っていたが、お前にはそういう存在はいないのか?」
「高め合える存在、ですか……?」
「いや、そうでなくてもいい。一方的な目標だって構わんのだ。自分自身を高めてくれる存在だよ」
「それは……」
「わかっているぞ、お前はガイツに憧れているだろう」
「えッ」
驚きに裏返った声を漏らすホッファート。
「あいつは確かにお前にないものをたくさん持っている――慎重すぎるお前からすれば、あいつの豪快さは羨ましくも見えるだろう。それにあいつはああ見えて意外と気配りもできる男だ。第一印象であいつのことを悪く言うやつは多いが、深く知るとあいつの懐の大きさが分かる。まあ、見習うところは意外とあるかもしれないな」
「――隊長は、本当によく隊員のことを見ておられるのですね」
「ハハ、褒めてもなにも出んぞ」
「いえ、そんなつもりでは……本当に、隊長は素晴らしいお方です。隊長の期待を裏切らないように、今回の任務をやり遂げてみせます」
「うむ、頼んだぞ」
ホッファートと隊長がそんな会話をしているとは露知らず、当のガイツ本人は鼻歌を歌いながら王国の公衆浴場へと向かっていた。
ばさりと隊服を脱ぎ捨て、浴場へ向かう。のしのしと、大きな体で太い腕を振って歩く姿は、まるで猪のようだ。その浅黒い肌には無数の傷跡が白く浮き上がっている。
まさしく、歴戦の戦士の体だった。
「おお……、聖騎士さま」
「お疲れ様です!」
民衆から声がかかる。
「おうっ」
ガイツは快活に笑ってその声に応じる。
歩く彼の逞しい両の脚の間で、動きに合わせて彼のものがぶらぶらと揺れていた。堂々と、隠すこともしないその股間のものは、他の民衆たちとは明らかに異なっていた。それは、大きさの話ではない。もちろん彼のそこは、その逞しい体に似合ったヴォリュームを持っていたが、違いとはそのことではなかった。
その陰茎、そして睾丸には、刺青のような紋章が刻み込まれていた――。ツタのように、睾丸から陰茎へと絡みつくように伸びる紋章。それは、彼が『聖騎士』であることの何よりの証だった。
「ふう」
浴槽から桶で湯を汲み、体に流す。石鹸でごしごしと体を洗う。
ガイツは、民衆の視線に気づいていた。彼らがこっそりと自分の股間に視線を寄せていることを。それは性的な視線でも、羨望の視線でもない。
彼らの視線は雄弁に語っていた。聖騎士の背負った運命、それらを彼らは畏れ、憐れんでいる。
ガイツは思う。
――全く、勝手なもんだ。
そんな民衆の視線を疎んで、公衆浴場を避ける聖騎士は多い。だがガイツは、敢えて見せつけるように公衆浴場にたびたび出没し、自分の股間を見せつけた。
――お前たちは、これに救われているんだ、それを忘れるな。
それがそういうメッセージだと言うことに、ガイツ自身さえ気づいてなかった。
ガイツは、自分の隣に座った貧相な体の男の陰茎を横目に見る。それはもやしみたいなペニスだった。
だが、それは恐らく誰かの性器に挿入され、精液を放ったことがあるに違いなかった。
ガイツは自分の陰茎を見た。大きく太く逞しい陰茎。
それは、誰かの性器に挿入されるどころか、一度の射精もしたことがない。
だが、そんなことはどうでも良かった。
ガイツは強くなること、己を鍛錬することにしか興味がなかった。その為なら、勃起も射精も、どうでも良かった。
浴槽に浸かったガイツは、手のひらにお湯を掬うと、顔にぱしゃりと浴びせた。
ナイトはヴォルストとの打ち合わせを終えると、キッチンへと向かった。もうすぐ、夕食の時間だった。
キッチンに近づくにつれ、油の香ばしいにおいがし、肉が焼ける音が響いた。そして、予想通り彼はそこに立っていた。
「フェレライ」
後ろ姿に呼びかけると、彼は振り返ってナイトを見た。そして視線をフライパンに戻した。フェレライは寡黙な男だった。普段、滅多に言葉を発しない。表情も基本的に一定で、感情を表に出すことがほとんどない。だが、彼は団員との間にしっかりと信頼関係を築いていた。
それは彼の作る料理が、何よりも雄弁だったからだ。
彼は敏感に団員の空気を感じ取り、団員が求めているものを作った。団員のリクエストにいつも期待以上の料理で応えるだけでなく、時に、団員が自分でも気づいていないような、潜在的な欲望さえ感じ取ったものを提供してきた。団員の肉体の疲労、精神的な不調、それらを鋭敏に感じ取っていることが、彼の料理から伝わってくる。
だから団員は皆、彼のことを信頼していた。
「明日の予定が決まったよ」
ナイトの言葉にフェレライは反応せず、肉を裏返したり、野菜を手早く切り分けたりしていた。
「久しぶりの遠征だ。私は、なんだか――嫌な予感がしているんだ」
フェレライは調理を続ける。ナイトは語り続ける。知っていた、フェレライはちゃんと聞いてくれていると。
「久しぶりに、弱気になっているのかもしれない。なんでだろうな」
「――」
「え?」
フェレライが、口を開いて何かを言った気がする。しかしそれは油の爆ぜる音に掻き消されて、ナイトの耳には届かなかった。
ナイトはふうとため息をつくと、フェレライに近づき、手元を覗き込んだ。
そこには、野菜を巻いた肉料理が、湯気を立てながら準備されているところだった。
「美味そうだ」
ナイトが言うと、フェレライは嬉しそうに少しだけ笑った。
団員が食堂に揃う。夕食の時間だった。
向き合うようにテーブルに座ったのは六人。
ツォーンの姿が無かった。
「あいつは今日もいねぇのか」
ガイツが言う。
「明日は出発だってのに。まったく」
言いながら、肉料理に乱暴にフォークを立てて噛み付いた。
「スケジュールの伝達は、あとで俺の方からしておく。あいつも、一人で集中したいんだろう」
ヴォルストが言った。
「まあ、あいつの個人行動は今に始まったことじゃないからな」
ガイツは大きな肩をすくめる。「好きにすればいい」
それから団員たちは、談笑し、フェレライの料理を楽しんだ。
それはまるきりいつものような夕食の風景で――それは、今までのいくつもの出発前の夜と、何一つ変わらなかった。
「ご馳走様でした」
空になった皿を、フェレライが回収する。
「あ、手伝います」
ホッファートが立ち上がり、皿を集める。
「悪いな、じゃあ、また明日」
ガイツはそう言って、食堂を後にした。残りの隊員たちも、彼に続く。
ヴォルストは自室に戻った。
蝋燭をつけた薄暗い部屋の中、胸元にぶら下げた聖なる形のペンダントを右手で握りしめると、彼は膝をつき目を瞑って祈りを捧げた。
それは、明日からの任務が無事に終わるようにという祈りだった。
長い祈祷を終えると、彼は隊服を寝巻きに着替えて、ベッドに身を横たえた。彼の意識はすぐに闇に飲まれ、眠りの中へと落ちていった。
朝。ファールハイトは出発前の最後の訓練に励んでいた。
普段は木刀を使っての訓練だが、今日は実剣――聖剣を使用しての訓練だった。
「ハッッ!!」
彼が勢いよく剣を振ると、ぶぉん、と空気を斬る音が響く。そのままその勢いで身を翻し、剣を今度は横に振った。鮮やかな、まるで舞うような軽やかな動き。滲み出るように溢れ出た汗が、彼の首筋を伝った。
「お疲れ様」
声がかかる。ファールハイトが振り向くと、そこにはヴォルストが立っていた。
「相変わらず、熱心だな」
そう言いながら、綺麗に洗濯されたタオルをファールハイトに手渡した。
「ありがとうございます」
礼儀正しくファールハイトは言い、タオルを受け取ると顔を拭った。ヴォルストが言う。
「昼には出発だ。体力を使いすぎないようにな」
聖剣は、使うものに強い力を与える代わりに、体力をひどく浪費してしまう。
「もちろんです」
ファールハイトは聖剣を鞘に収めると、タオルで、汗が垂れた首筋を拭った。
「団長」
「ん?」
ファールハイトは、真剣な目でヴォルストを見つめていた。
「俺は、力になれていますか」
そんなことを言うので、思わずヴォルストは笑ってしまう。しかし、ファールハイトが至って真剣に言っているのだと理解すると、ヴォルストもしっかりと彼を見返した。そして言う。
「もちろん。ファールハイトなしではこの第七師団はなりたたない。どうして今更、そんなことを言うんだ」
「……この前の任務では、俺は何度も団員の皆さんに助けられました。不安なんです――俺は、足手まといじゃないかって」
「いいかファールハイト、大事なことを忘れないでほしい。僕たちはチームだってこと。僕たちは、一人で戦っているんじゃない。確かに、自分のミスを反省するのは大事なことだ。だが、反省のしすぎで自分の価値を見失わないでくれ。先の任務でミスをしたのは、当たり前だが君だけじゃない。僕だってミスはあった。それをカバーしあうのが、チームだろう? 君は素晴らしい努力家で、僕たちのチームの大事なメンバーだ。君が君の価値を見失うことは、僕たちのチームの損失にもつながるんだ」
ファールハイトは、しばらくヴォルストを見つめていた。そして俯き、
「そう、ですね。すみませんでした」
ヴォルストはファールハイトの肩をぽんと優しく叩き、
「任務、頑張ろう」
そう言った。
「――はいッ!」
ファールハイトは、吹っ切れたような表情で、嬉しそうに答える。
そして、出発の時刻が来た。旅の荷物を背負った六人の元に、ツォーンが合流する。
ツォーンもまた、恵まれた体格をしている男だった。ゴツゴツとした岩のような体で、頬に大きな傷跡が一つある。
「おせぇぞ」
がイツが言う。
「――すまない」
ツォーンはそれだけ言い、腕に提げていた荷物を肩にかけた。全く、という表情をガイツは隠さなかった。
「揃ったようだな」
見送りに来ていた隊長が言う。
「――では」
ヴォルストの声に続いて、
「「「行って参ります!」」」
びしりと揃った声で、七人は宣言し――王国を出立した。
* * *
以下準備中
【ズュンデン王国聖騎士第七師団】
・ヴォルスト
――快活で人望溢れる団長。
・ナイト
――副隊長。眼鏡をかけた知性派。
・フェレライ
――料理を作るのが得意。寡黙。
・ファールハイト
――努力家。生まれは貧しい家だったが実力・努力で聖騎士団に加入。
・ガイツ
――お調子者のムードメーカー。豪放磊落。
・ツォーン
――一匹狼。群れるのが嫌い。
・ホッファート
――新入り。謙虚。
*
【村人】
・村長
・宿の主人
・神父
・謎の青年