時刻は12時を少し過ぎたところ。
9時に朝ごはんを食べた僕にとっては、昼飯を食べるのにうってつけの時間だった。
少し街を歩けば、飯の店などいくらでもある。
しかし、個人経営のラーメン屋とか大衆食堂みたいなのはちょっと行きづらい。
ラーメン屋は頑固オヤジと性格のキツいおばさんがやってそうだからだ。
大衆食堂は、単純に昼飯に白米を食いたくないというだけである。
麺類。
その炭水化物の塊を食いたくなるのは、
それが一番おいしい時間は、決まってお昼時なのだ。
僕はうどん屋さんに入った。
その店も個人経営らしく、奥まったところにあったが、僕はあまり気にせず足を踏み入れた。
同じ個人経営でもうどん屋とラーメン屋には決定的な違いがある。
うどん屋の方が雰囲気がやわらかそう、ということだ。
うどん屋の方がラーメン屋よりもキツくなさそうだと思っている。
それはろくなエビデンス無き思い込みであったが、そう思っておくだけでも一種の安堵感が感じられるのだった。
「いらっしゃいませ」
なんてこった。意外と不愛想だった。
意外と不愛想なおばさんであった。
少し裏切られたような気がしたが、それは勝手というもの。
僕は心を納得させ、席に着いた。
何を頼もうか。僕のお腹も待ちきれない様子であった。
あれ?
ここ、そば屋でした。
なんてこった。ここはそば屋だったのか。
だから不愛想だったのだろうか?
うどん屋だったら、こうは行かなかったかもしれない。
そば屋だから不愛想なおばさんを引き当ててしまったのだとしたら、「うどん屋の店員優しい説」にはまだ希望があるということだ。僕は心に平穏を取り戻し、メニューを眺めた。
普通にうどんも取り扱っていたので、うどんを注文した。
ここはそば屋だが、僕の腹と口はうどんを受け入れるモードに入っていた。
口のモードの強制力というものは、すさまじい。
ほどなくしてうどんがやってきた。
だが、そのうどんは普通じゃなかったのだ。
嬉しいことに、わかめうどんだったのだ。
僕はかけうどんを頼んだはずが、デフォルトでわかめが入っているタイプの店だった。
たまにあるこういう嬉しい誤算は、素直にうれしい。
しかし、もう一つ、僕が激しく落胆するものが混入していたことも事実であった。
ネギ。
お前だ。
しかも、ちっさいのがポツポツ、みたいなのじゃなく「炒め物のニラか何かか?」と言いたくなるくらい大きく切られた青ネギが、器の1/4を占めている。由々しき事態だ。
僕は、子どもの頃からネギが大の苦手である。
僕は、子どもの頃からうどんを食いに行くということは魚介だしと小麦のもちもちした麺を堪能しに行くものなのだと思っている。
僕は、子どもの頃からそこに「菜」が介入する余地などないと思っている。
考えてもみろ、魚介だしの繊細かつ濃厚な味を堪能している最中にネギが混入してしまえば、途端に口の中は魚介から青くっせえ雨上がりの芝生に代わるんだぞ。
それを「彩り」と称して入れる麺屋の文化・風習がまるで理解できない。
彩りなぞいらない。
緑が欲しければ、わかめを入れればいいではないか。海のミネラルたっぷりなんだぞ。
さらにわかめは、濃い緑が美しいだけでなく魚介だしに非常によく合う。
ネギなぞ、個の主張が強すぎるゆえに繊細な味を持つものには合わない。
彩りならわかめでいいし、辛みなら唐辛子がある。
ネギよ。お前の居場所など、俺の口にはありはしないのだ。
金輪際俺の食事に混入しないでくれ。
次回来店時には必ずネギ抜きで注文してやるからな、覚悟しておけよ。
僕は、ニラみたいなネギをかきこんで水で流し込み、その後味がずっと尾を引いてしまったことに泣いた。
うどんは美味しかった。
こんにちは、kaLです。
調和を乱すトッピングってありますよね。
次回はそれについて語っていこうと思います。それでは。