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レザー・アスラン『人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?』

レザー・アスラン『人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?』 原題『God: A Human History(God:人間の歴史)』 抜群に面白いミステリとして読んだ。 宗教数十万年の歴史において、一神教の歴史はわずか3千年。その導入の困難さがくり返し語られる。この試みが成功する下りは劇的で、まさに本書のハイライトと言える。 ●なぜ一神教の試みは失敗続きだったのか? ①排他性 他の神々、及びこれらに付随する真理を否定。 ②矛盾 一つの神が高位になると、他の神々の特性を取り込むことになる。結果、整合性を失う。例えば、同じ神が禁欲の神であり、同時に快楽の神であることは矛盾する。 ③非人間性 矛盾を解決するため神を非人間化すると親しみが失われ、人々は馴染まない。一神教が持つ抽象性は人々に理解されにくい。 ●ユダヤ教における一神教の導入 「ユダヤ人の間に一神教を導入したのは、バビロニア人の手によるイスラエルの悲惨な敗北を合理化するためだった」 「バビロニアの神マルドゥクは、イスラエルの神ヤハウェより強い……敗れた民がこれを認めることを拒否する中で、唯一神が生まれた」というのが、この本の主張。 つまり「私(ヤハウェ)の他に神はいない」からマルドゥクはそもそも存在しなかったことになるし、敗北は敵の優越を示すものではなく、主の与え給うた試練ということになる。一神教を受け入れることによって。 まさにコロンブスの卵。 民族的危機が統一を促す(白村江で敗れるという緊急事態に、日本各地に残っていた神話を繋ぎ合わせ、一つにまとめたのが古事記という話を思い出した)。 ●キリスト教の発展と普遍性 ・ユダヤ教の普遍化 「ユダヤ教はユダヤ民族の宗教ではあるが、その民族はもはや国家的存在を失い、一個の宗教団体として、教団として、他の強国の政治的・文化的勢力の下にあって、それと折衝しつつ已れを維持して行かねばならなかったのである」(山谷省吾『基督教の起源』) 戦う宗教。 国を失い「大地」と切り離されたことにより、ユダヤ教は地域と人との結びつきが希薄化、普遍性を持つようになり、さらには国家による庇護を失ったことで、よりタフになっていったと思われる イスラエルの民はある種の宗教団体となり、これが国土なくして2千年の時を生き延びることを可能にした。 ・パウロの役割 「パウロの描く『キリスト』は彼自身の創作の可能性が高い」 「(パウロの想定する『キリスト』としての)イエス――万物が生まれ出た永遠の『ロゴス』、神の独り子[アルケー(根源的原理)はロゴス(キリスト)なり]」(レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか? 』) 「パウロは歴史上の存在としてのイエスにはなんの興味も示していない」 「(マルキオンやグノーシス派は)キリスト教をそのユダヤ教的ルーツから解放し、自分たちの宗教は新たな啓示、新たな神(God)を持つ、まったく新しいものだと宣言しようとした」 パウロは稀代の作家でプロデューサー。自分のイエスと生前のイエスを切り離し、「キリスト」としてのイエスを創造、究極の人気キャラに。 広範な支持を得るため「親しみやすいキャラ」を必要とするのは、宗教もエンタメも変わらない(むしろエンタメが宗教に倣っているとも言える)。 イエスは「大地」のみならず、「民族(イスラエルの民)」からも切り離され、キリスト教は世界宗教への道を歩み始めた。 ・ローマ帝国の影響 「エルサレムが破壊(70年)されてから半世紀くらいで、キリスト教はすでに完全にローマ化された宗教になっていた」(『イエス・キリストは実在したのか? 』) 領土獲得をくり返すローマ帝国は膨張を続け、際限なく異民族を飲み込んでいった。 結果、生粋のローマ人は(出生率低下も相まって)希薄化、アントニヌス勅令が発布されると異民族と混ざり合い、溶けて消えた(これと同じ道を辿りつつあるのが米国)。すると彼らの神々も消え、ついにキリスト教はローマ帝国の国教となった(392年)。 「キリスト教は、唯一不可分の神(God)というバビロン捕囚後のユダヤ人の神観を事実上、無効にした」 451年にはカルケドン公会議において、教会は「三位一体説」を正統として確立させた。 結局、唯一神は分割されたということらしい。 「三位一体説」や聖人の存在は、多神教及び人間の神格化から離れることの難しさを教えてくれる。 ・カトリック教会と欧州 ローマ帝国が崩壊するとカトリック教会が欧州を束ね、そのアイデンティティとなった。1054年には東西教会の分裂という危機が起こったが、これを乗り越え、キリスト教はなお力強く欧州を支えた。 しかし宗教改革や、続く啓蒙思想の影響で、カトリック教会の力は次第に衰えていった(北方ゲルマン系キリスト教徒との対立は、アリウス派が彼の地に逃げ込んだことが遠因)。ところが欧州に土着の神々はすでになく、人々は故郷を見失い彷徨っているように見える。 ・欧州のキリスト 「キリストは白人だ」(映画『マルコムX』) もちろん歴史上の存在としてのイエスは、ナザレ(現在のイスラエル北部)出身のヘブライ人だ。しかしこのセリフには、欧州人のキリスト観が現れている(未だ論争が絶えず、一筋縄ではいかない問題らしい)。 「私たちは神々をも人格化させたがる」 人は自分たちに似せて神々をつくる。イスラムの聖典すら、「アッラーを擬人化した描写で満ち満ちている」。 ●日本の宗教観 ・土着の神々と科学の共存 「神道の神話によれば、天皇は太陽の女神の直系の末裔であり、したがって神聖な存在とされていたが、そのような考えかたはこの国の発達した生物学研究とは相矛盾するものだ」(ウィリアム・H・マクニール『世界史』) なるほど、と思うこともあるかもしれない。 日本人はしばしば無宗教と言われる。「科学の子たれ」と学校で教育される。 「科学」は新時代の唯一神。他の神々を否定する。 「しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです」(芥川龍之介『神神の微笑』) それでも年が明けるや、日本人はいそいそと初詣に出かけていく。 神社仏閣の数はコンビニ以上。朝日に手を合わせ、御神木に悠久を思い、霊峰に畏怖の念を抱く。 日本にあっては「科学」も神々の一つなんだと思う。困ったときの神頼み、必要に応じて科学をとったり神仏をとったりするだけのこと。 気質に合うのか、日本人は科学が大好きだ。しかし伝統をないがしろにすることはない。変えるべきものと残すべきもの、これを峻別し、変化発展してきた。 ・神話の重要性 「神話の重要性は、それが真実を物語っているかどうかではなく、この世界についてのある特定の認識を伝える力にある。神話の機能は、状況がどうなっているかではなく、なぜ状況がそうなったかを説明することである」 「『エデンの園』の神話に埋め込まれているのは、人類が骨の折れる仕事や争いとは無縁で、夜も昼も大地を重い足取りで歩き回る必要のない大昔の時代の集合記憶である」 世代を超え、伝えられてきた集合記憶。これをご先祖は大事にしてきた。 例えば「キリストの復活」は事実かどうかは問題ではなく、それが世の中の大きな部分を形作り、支え、動かしてきたということが重要。 著者の言うように、「イエスの復活は歴史上の出来事ではないという事実は残る」としても。 「イエスの初期の信奉者が彼の復活を信じた真剣さそのものが、小さなユダヤ教一派を世界最大の宗教に変貌させたことは確かである」(『イエス・キリストは実在したのか? 』) ・優れた人物の神格化 日本人が、優れた人や恩恵をもたらす人を気軽に「神(非God)」と呼ぶのも、古代人メンタルという気がする。 「ローマ人はいつも、皇帝の死後、彼らを神格化した。(中略)アレクサンドロス大王はその統治期間中に神と考えられていたし、(中略)ギリシア人自身はおそらく、ファラオを神的存在と存在と見たエジプト人の慣習を取り入れたのであろう。(中略)エジプト人がメソポタミアの支配者たちの影響を受けていた可能性は非常に高い」 天満宮の御祭神は菅原道真公、神田明神三ノ宮の御祭神は平将門公、明治神宮の御祭神は明治天皇と昭憲皇太后。 神格化は、個々の人間の功績や徳を認め、その精神を後世に伝えるための方法と言える。 ・となりのトトロ 「宗教的な祭儀や公的な儀式などの活動に参加することによって、ファラオの人間的な属性は神的なものに満ち溢れるようになり、やがて彼が死ぬと、その人間らしさはそぎ落とされて、崇拝に値する神として星星の間に位置づけられるようになる」 日本では、天照大御神をお迎えする祭祀が毎年行われる(新嘗祭)。皇位継承に際し、初めて大規模に行う「新嘗祭」を「大嘗祭」という。 権威の安定的継承と(これが絶たれるとき、恐るべき破壊と殺戮が起こるのは、歴史の教えるところ)伝統的祭儀の継続は、国家に安定をもたらす。 日本人は無宗教と言われる。しかしそれは一神教に馴染まないというだけのこと。 エジプトやギリシア、ローマの神々はすでにないが、日本人は(奇跡的に民族及び、国土の消滅を免れたため)未だ土着の神々と共にある。 今も『となりのトトロ』の世界を生きている。 ●王蟲の怒りは大地の怒り 「God」と「(日本語でいう)神」は異なる存在であると、改めて。 「当番代わってくれるの? マジ神!」は、「当番代わってくれるの? マジ唯一無二の人間ではない永遠で不可分の姿形の見えない存在!」ではあり得ないのだから。 一方、次のような考え方もある。 「表面的には別個のもののように見えるものが、事実上は、一つの現実となる。その現実を私たちはGodと呼ぶのである。 これは本来、有史以前の私たちの祖先が信じていたものである」 日本に様々な神の名があるように、ヤハウェもアッラーもたくさんの名を持つ(人々のニーズに応じて)。しかし本質において神は一つとする考え方だ。 キリスト教の三位一体、仏教においても森羅万象は仏陀の様々な姿とされる。 これはこれでいいなと思う。 「アダムとイヴはきっと、Godに背いたからではなく、Godになろうとしたから罰せられたのではないかと思われる」 個々の信仰の形はどうあれ、人知を超えた根源的な力、森羅万象に対する畏怖の念を忘れてはならないと思う(そして宗教を異にする者同士であっても互いに互いの信仰を尊重し、力を合わせること。神聖な場所が穢されるのは悲しい。世界のどこであろうと)。 思い上がったなら、王蟲の群れがやってくる。

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