ー夕暮れ時、ある廃ビルの一室。誰も立ち入らなくなって長い年月が経ったのか、タイルは剥がれ、壁もあちこち崩れていた。
学校帰りに攫われた紫村佳純(しむら・かすみ)、は制服の上から厳重な拘束を施され、そこに座らされている。
そして眼前には男が立ち、腕組みをしながら佳純を見下ろしている。
黒い靴、黒いズボン、黒のブルゾン、そして黒の目出し帽。出で立ちはまさに"不審者"そのものである。
・・・後ろ手に縛られた手は、指ごとテープで束ねられている。気が弱い佳純にできることは、犯人を睨むことだけ。ーただしどう見てもそれは・・ただの上目遣いであった。
「(・・なんでコイツは俺にモーションかけてんだ?)」
覆面の下でその男は怪訝な顔をした。【ある界隈】では名の知れた男である彼は、HNを仕事の度に変えている。そして今回は、【ツヨシ】という名前で、ある仕事を受注していた。
その仕事に関係するのが、目の前に座る紫村佳純である。そして依頼の中身は・・【佳純を自分に惚れさせること】であった。意味不明な依頼。だが依頼主には、ある算段があるとのことだった。
【あなたが佳純を攫い、どこかに監禁する。その後しばらく経ってから颯爽と僕が現れて彼女を救出すれば、きっと惚れてくれる。どうして場所がわかったのかと聞かれたら、『キミが行方不明になったと聞いて、どうにかこうにか頑張って、スマホの位置情報をなんとか拾った』とでも答えるよ】。それが単純明快な、依頼主の作戦である。そして提示された報酬は、100万円を超えていた。
深堀こそしないが、同級生か誰かに違いない。となれば、なぜその若さで、こんな大金を持っているのか?
気になったツヨシは仕事用のチャットを通じ、どうやって金を作ったのか尋ねたところ、依頼主は「オンラインゲームのアカウントを売って作った」そうだ。こういうギークな人間は、たまにいる。
だからこそ、現実世界のマドンナに、並大抵じゃない憧れを抱いたんだろう。そして俺に辿り着いた、か。
歪んだヒーロー。ツヨシは過去のある男女の例を思い出していた。
体育倉庫に監禁された女のもがく姿をライブ配信し、そして最後には【救出する権利】を売ったところ・・。それを買ったのはなんと幼馴染の男だった。今、あの二人はどうしていることやら。
「・・さて。」
少し上の空で過去の出来事に思いを馳せていたツヨシは、目の前の佳純に視線を落とし、その後自分の横にある机に目をやった。ボールギャグ、ダクトテープの束、そして白い布。色々なアイテムが置かれている。
"ヒーロー"が来るまで、大体2時間ある。せっかくなら、もう一稼ぎさせてもらおう。男は手早くビデオカメラをスタンドにセットし、それをおびえた様子の佳純に向けた。
「乙女がピンチの中頑張る姿ってのは、いつだって売れる。王子様が到着なさるまで、少し遊ぼうじゃないか」
これから自分の身に起こることを察した刹那、佳純の頬に一筋の汗が流れるのだった。
ーおわり