丑三つ時を回ったころ、廃倉庫の中に一組の男女が居た。
正確に言えば他にも男が一人いるのだが、半壊したガスマスクを装着したまま意識を失っている。
「はぁ・・良かった、何とかヤベーことになる前に来れて」
麻紀の身体に巻きつくテープを引きちぎりながら、スーツ姿の男が安堵の声を上げた。
彼の名は『秀城暁良(しゅうき・あきら)』。麻紀と同い年だが、間柄は上司と部下に当たる。見た目は垢ぬけない黒縁眼鏡に絵に描いたような七三分けの、面白くも無い優男という印象で、麻紀はただの同期という以外の感想を一切抱いていなかった。
・・・しかし。
全身のテープが剥がれ、自由になった麻紀は、痛みに顔を歪めながら顔のテープを剥がす。その様子を心配したのか、彼はさらに語りかけた。
「警察にはすぐ通報する・・しますから。こいつらはすぐパクられますよ。早く出ましょう。立てますか、湊本・・さん。」
部下として、同期として。両方の彼がセリフから垣間見える。やはり、真面目な男である。
猿轡を剥がし終えると、麻紀は「ありがとう・・」と弱弱しく述べた。
「でも・・・どうしてここが・・・?」
「いや、麻紀さんが携帯を忘れて帰ってるのに、会が終わってから気が付きまして。最寄り駅が一緒だから、追いかければ間に合うかもって追いかけたんですよ。すると、路上で男が二人倒れてて何事かと思って・・。近付いたら、あなたの身に付けてたブレスレットが落ちてたから、嫌な予感がしたんです。」
麻紀は黙って聞いている。
「だからそいつらを叩き起こして、締めあげて、あなたが攫われたこと、そしてここにいることを聞き出したんです。急がないとマズいと思って、警察に言う前にまずは駆けつけて・・正解だった・・ですよ」
・・節々に出る粗野な言葉。そして、単身乗り込む度胸と、確かな腕力。
疑問に思ったことを、麻紀は率直に聞いた。
「あなたは何者なの・・?どうしてここまで強いのよ・・」
問われた彼は、後ろ髪を掻きつつ、照れくさそうに答える。
「同じっすよ。俺も昔は相当やんちゃしてたんです。そんころは俺の名前からもじって【修羅】って呼ばれてて・・・。だから、シロート5・6人相手はわきゃないんです。あなたもそうでしょ?似たもんどーしだなって気にはなってたけど、あなたはべらぼうに仕事ができて、一方俺は、ギリギリまぐれで会社に入れただけ。だから色々かなわねぇなって、それ以上なんも思わないようにしてて。」
そこまで言うと、さ、とにかく出ましょう。と彼は麻紀を急かした。その身体を支えとしながら、麻紀はふらふらと立ち上がる。
ーそして不意にその腕を掴んだとき、見た目からは想像もできない程、それが頑強であることに麻紀は気付いた。
「ー!!!」
ー突然、抱いたことの無い感情が稲妻のように胸の中を走り、膝立ちのところで動きが止まった。図らずも、顔が暁良の胸の辺りに当たっている。
・・・誰が相手だろうと、ケンカも仕事も自分が勝ってナンボ。自分はリーダーで、頼られる側。そんな価値観で麻紀は生きてきた。
だが、何なの、この気持ちは・・!
縛られていたことが原因じゃない、鼓動の早さと顔の熱さに麻紀は戸惑った。
「・・まだ流石に動けないっすか。しゃーない。セクハラとか言わないでくださいよ!」
そういうと、彼は軽々と麻紀を抱え上げた。そしてそのまま、極力麻紀を揺らさないよう気を配りつつ、倉庫の出口に向かって歩き始めた。
・・・誰が見てもそれは、”お姫様抱っこ”である。それに気付くと、思わず麻紀は赤面した。
顔が今までになく凛々しく見える。自分を支える手も、力強い。なんでだろう、すごく・・・・安心できる。
そんなことを思いながら、腕の中で麻紀は静かに目を閉じた。
ー2週間後、オフィスにて。
時刻は16:00を回り、窓から見える空も少し赤みがかった色になってきている。
「頼んだ仕事、定時に終わりそう?終わるよね?終わると言え」
暴漢に攫われた事件など無かったかのようにすっかり元気になった麻紀は、仕事机で作業をする暁良に詰め寄った。ただしその恰好は、今までの麻紀からは想像もできないくらいフェミニンである。
「いや~。ギリギリ・・・無理・・かもっす」暁良は頭を掻いた。
「・・・間に合わなかったら半殺しにするからね?せっかく今日はお互い時間が取れて、いいとこに晩御飯食べに行けるってのに。仕事が終わらなくてキャンセルとか論外だから」そういうと麻紀は、微笑みながらボキボキと指の骨を鳴らした。その笑顔の恐怖たるや、頬の傷が怪しい光を放っているようにさえ見える。
「・・・・死ぬ気でガンバリマス!!!!」そう言って暁良は猛然とキーボードを叩き、同時にどこかへ電話をかけ始めた。
その様子を見た麻紀は、満足げな様子で自分のデスクに帰っていった。
ー同じフロアの社員はざわついた。
『魔鬼』とさえ形容されるお方に、最近彼氏ができたらしい。しかもそれは、同じ部署のパッとしない部下。ーそれが今社内で一番話題のゴシップであった。
何故そんな噂が立つのか?
何者かに襲われたためとかで麻紀が数日休み、そこから復帰したと思ったら、明らかにあの冴えない男へのアプローチが増えたからだった。
にしても、一体なぜにあの男が・・?暁良を見ては、全員が首を傾げた。
その理由を知るものは、麻紀以外にいない。
ー完