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俺達が巨人にもてあそばれる話(前編)





 巨人がやってきた。


「にいちゃん……!」

「トウタ、急いで……!!」


 弟の手を引いて、街の外へと向かって走る。郊外へ続く大通りは道路を埋め尽くすように車が乗り捨てられ、ところどころ炎が上がっている。周囲に人はいない。最初のパニックではぐれた弟を探していたら、逃げ遅れてしまった。でもそれも仕方ないと思う。ズゥン、と音がして地面が揺れる。ガシャガシャとビルの窓ガラスが割れて落ちる音がする。不安そうにトウタが俺を見上げる。


「行こう……!!」




 巨人がいるのは知っていたけれど、まさか自分が生きている間に、自分が住んでいる街を襲いに来るとは思わなかった。突然現れたのは、たった一時間前。俺のいた場所からは離れていたが、すぐわかった。その巨人は街のどのビルよりも遥かにでかかったからだ。水着だけを身に着けた、筋肉の盛り上がった身体。街の人々があっけにとられる暇もなく、すぐに街を蹂躙し始めた。崩れていくビル、車のクラクション、人の悲鳴。たった一時間で街は半分以上壊滅してしまった。幸運だったのは俺とトウタがその残り半分にいたこと。不運なのはその残り半分からまだ逃げ出せていないことだ。


「っ……通れない……!!!」


 車の間を縫いながら走っていたが、横転したバスが先をふさいでしまっている。左は積み重なった車が燃えていて近づけすらしない。なら右に、と走ればこっちも車が玉突きになって迷路のようだ。ズゥン、ズゥンという音……巨人の足音は、ずっと響き続けている。なんなら、音が少しずつ大きくなっている気もする。このままじゃ間に合わない。


「……トウタ、あれ登るよ!」


 見つけたのは道路にかかっている歩道橋の階段だ。上から見れば逃げ道が見えるかもしれない。車の上に乗ってトウタを引っ張り上げ、トウタを背負って車の上を伝いながら歩道橋の階段までたどり着く。ズゥン、また揺れが大きくなる。車どころかビルまで揺れている気がする。もう、怖くて後ろは振り向けない。


「兄ちゃん……」

「い、行くよ……!」


 早く逃げないと。トウタを引っ張りながら階段を駆け上がる。転びそうになりながら、なんとか上まで登って……一番大きな揺れが来た。


「うわっ!!!!」


 それは本能的に座り込んでしまうほどの大きな揺れだった。歩道橋が倒れそうなほどにぐわんぐわんと揺れている。階段に転げ落ちないよう、トウタと這って真ん中あたりまで行ってトウタを抱き寄せながら手すりにしがみつく。座り込んだ状態だと、歩道橋の壁に遮られ周りの様子が見えない。爆音と歩道橋そのものが飛び跳ねるような揺れがどんどんどんどん大きくなる。必死でトウタと手すりを掴んで目をつぶる。このまま歩道橋ごと吹っ飛んでしまいそうなほどの大きな揺れ。爆弾でも落ちたかのような轟音と爆風。ぎゅっと目をつぶったまま耐えていたが、次が来ない。


「……行った……?」


 歩道橋に揺れの余韻が残る中、ゆっくりと目を開く。なぜか、周りが薄暗い。土煙がすごいのもあるがそれだけじゃない。


「兄ちゃん、臭い……」

「うん、なんか変だ……」


 周りの空気は生暖かくて、汗臭いようなそんな臭いが漂っている。いや、そもそもなんでこんなに暗いんだ?













「お、どうしたそんなところで」


 空気がビリビリするほどの爆音。歩道橋の床の砂粒が振動で飛び跳ねた。――そして俺は、上から聞こえるそれが音ではなく、声であることに気付いてしまった。


(……)


 恐る恐る、顔を上げる……そして、顔を上げたことを一瞬で後悔した。


「は、はは……」


 乾いた笑いしか出なかった。デカすぎる。歩道橋の壁が剥がれて、その向こうに見えたのは褐色の柱。それが脚、踝に近い脛の部分であることに気づくのにずいぶん時間がかかった。この歩道橋の高さは、それの足元にしか届いていないのだ。


「……」


 トウタを抱き寄せる手が震えている。ゆっくり顔をあげていくと、脛の大部分と膝が見え、その上に筋肉がみっしりとついた、ビルのように太い太もも。まっ黄色な水着は前の方が大きく膨らんでいて、まるでバスでも詰め込んでいるかのようだ。さらに上を見上げるとこぶ一つ一つが車よりでかい腹筋、両側にはぼこぼこに膨れ上がった太い腕が下がっている。腹筋に影を作るようにして丘のような広さの胸板が盛り上がっている。その上には……


「    っ」


 声が喉でつっかえた。わかっていた。わかっていた。歩道橋よりビルより遥かに高いそこには、真下、つまり俺達を見下ろしている巨人の顔があった。逆光で表情まではわからないが、こちらを見ていることだけはわかる。デカすぎる巨人が作るその影が、俺達どころか歩道橋すらすっぽりと覆ってしまっている。薄暗い中、莫大なプレッシャーに身体がカタカタと震えだす。


「……っと」


 巨人が軽く脚をあげる、それだけで地面が揺れて地鳴りがする。巨人がゆっくり脚を開くと足に当たった車が十台以上吹っ飛び横のビルに突っ込んでいく。とんでもない被害のはずなのに、巨人は脚を開いただけなのだ。揺れは止まらない。ゴゴゴゴゴ、という凄まじい地鳴りの中、俺達を覆う影が濃くなっていく。巨人の顔が、身体が、落ちてくる。


「にいちゃ……」

「トウ、タ」


 もうそれはビルが落ちてくる、いや、山が降ってくるような間隔だった。上の視界が全て巨人の身体で覆われる。巨人の身体に圧縮された空気が上から風となって吹き寄せて、いたるところで土埃が舞っている。何よりこの潰されるような圧迫感。逃げなきゃ、と思いながらも、立ち上がることすらできなかった。


「逃げ遅れか?」


 ようやく地鳴りが収まり、上から爆音が降ってくる。結局この揺れも地鳴りも、ただ巨人がしゃがんだだけで起きたものだった。揺れの余韻で歩道橋がギィギィとなる。立っていた時より巨人が近くなって、そのでかさに気を失いそうになる。

 真上を向くとまるで巨大な飛行機のような太ももが視界の左右をふさいでいる。太ももは歩道橋の上を越えて、膝は俺達のずっと後ろに、斜めに突き出ている。太ももの根元を辿っていくと、しゃがんだことでよりふくらみが強調されたまっ黄色な水着にたどり着く。その上は、太ももの間から覗くようにして見える巨人の筋肉隆々な上半身。一番上にはこの近さでようやく表情まで見えるようになった巨人の顔。その目が、じっと歩道橋の上にいる俺達を見下ろしている。


(…………に、逃げ……)


 これだけ巨人に近ければもう逃げられないことなんてわかっていた。どんなに全力で走っても、巨人がちょっと手を伸ばせば人間なんて捕まって潰される。それでも、このままここにいるのは気が狂いそうだった。


「と、トウタ、こっち」


 ガクガク震える膝に鞭打って立ち上がり、弟の腕を引っ張る。少なくとも、この巨人の目からは早く離れたい。突き出た膝の下を通るなんて怖いなんてものじゃないけれど、それでも逃げないと……何か音がする。


「……なん、だ?」


 空気の流れが変わる。そのすぐあと、俺達が逃げようとしていた先に巨人の巨大な指が現われる。電柱を何本も束ねたような太さの指が歩道橋の床を突き破って通路を完全にふさぐ。振動で立っていられず尻もちをつく。もう通れない。巨人のたった一本の指で道がふさがれてしまった。「どこ行くんだよ?」という巨人の声が上から降ってくる。


「は、反対に……」


 逆側を通り抜けようとすれば、今度は巨人の親指と人差し指が、鉄でできているはずの歩道橋の壁をやすやすと挟み潰す。グギャメギと凄まじい音を立てて、通路が無くなってしまう。かろうじて床は残っているが、今にも千切れてしまいそうだ。


(もう、無理だ)


 立ち上がろうと頑張ったが、もう膝がいうことを聞かない。勝手にボロボロ涙が出てきて嗚咽が止まらない。つられたようにトウタも泣き出した。


「ごめん、ごめんな……トウタ……」


 歩道橋なんか通らず、どこかのビルにでも隠れていればよかった。でももう遅い。俺達は巨人に殺される。巨人が歩くたびに破壊してきた車やビルより簡単にプチっと潰されてしまうのだ。ボロボロ泣きながら巨人を見上げていると、巨人の太い腕が空気をかき分けながら動く。ついにか、と思いながら力いっぱいトウタを抱き寄せる。だがその腕は、その手は俺達の上ではなく、歩道橋の下の方に移動していく。電車よりも太そうな前腕が目の前に見えた。次の瞬間、突き上げるような揺れが俺達を襲う。


「うあああああ!!!」


 押し付けられるような急上昇に転がりながら振り回される。上昇が止まり、心臓がバクバク言い続ける中ゆっくりと顔を上げて、すぐに後悔する。


「ひぃっ……」


 巨人の顔があった。というか、巨人の顔しか見えなかった。視界一杯に広がる巨人の顔。近いけど近すぎるわけではない。少なくとも10mぐらいは離れているはずなのに、巨人の顔しか見えないのだ。俺がすっぽりと収まりそうな大きな目が俺達を見下ろしている。近すぎて鼻息すら強風のようで、吹き飛ばされないようにもうボロボロの歩道橋の手すりを掴んだ。そして俺達なんか一息でぺろっと食ってしまいそうな大きな口。ちらりと見えた白い歯はポストよりもでかそうだった。あの大きな口に放り込まれて、巨大な白い歯ですり潰されてしまうのだろうか。


「そうだ」


 巨人のつぶやきがごうごうとうなり、生臭い暴風に耐える暇もなくまた急上昇する感覚がやってくる。巨人が立ち上がったのだ。そこから見える景色に、俺は寒気がした。ビルの屋上よりずっとずっと高い。街の端まで見渡せそうな高さ。巨人からしたら俺達の街はこんなにも小さいのだ。腕に抱えるトウタは俺の胸に顔をうずめている。確かに、こんな光景は見ない方がいい。巨人の手のひらに歩道橋の通路ごと乗せられて、巨人が足元のビルや車を蹴り壊していく様子など見ない方がいい。


(……何をしているんだろう)


 俺達を手に乗せながら建物を壊していく巨人が何をしたいのかわからない。巨人の手のひらは思ったより揺れて、必死に歩道橋にしがみついていないと振り落とされそうだ。そのうち巨人が何かを見つけたのか、方向を変えて立ち止まる。巨人が反対の手を伸ばし、バキバキと鉄が曲がる音が下から聞こえる。そして、巨人がググっと屈みこんだ。今度は身体が落ちていくような浮遊感。そして巨人は歩道橋ごと俺達をつかみ上げる。


「うわあああ!!」


 トウタをぎゅっと抱きしめる。巨人は掴み上げた歩道橋をビルの屋上に置いた。その勢いが強すぎて、俺達は歩道橋の通路から放り出されてしまった。歩道橋が横倒しになって、何メートルも上からでなく、壁に沿って転がるように落ちたのがせめてもの救いだった。


「いたた……トウタ、大丈夫か?」

「う、うん……」


 久しぶりのコンクリート床の安心感。だがそれも脆いものだ。なにせ、ビルの屋上よりはるか高いところから、あの巨人が俺達を見下ろしていたのだから。




続く

俺達が巨人にもてあそばれる話(前編)

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