愛のない世界だと、少女は哂った。
その言葉の切っ先は存在の境界線の外側ではなく、自分自身を傷つけるように鋭く、どこまでも冷たかった。
それは一種の自傷行為だったのかもしれない。
心という見えない器官を傷つける道具は、言葉という見えない概念で十分に事足りる。
十分すぎる程に。
雨が降る。
鼠色の空から千切れた鉛玉が冷酷に僕らを打ち付ける。
その透明な弾丸は透明だからこそ見えない僕らの心をいともたやすく打ち抜くのだ。
せめて触れ合えたら、この痛みも、冷たさも、少しは和らぐのだろうか。
・・・なんて感じの妄想をしていたのは別に何か悲しいことがあったわけでもなんでもなく、そういえば最近FANBOX更新してなかったなぁと思ってなんかネタがないかなぁという風に思考を巡らせていた結果なのである。
そもそも愛とはなんぞや、世界とはなんぞやという話をし始めると答えなんか見つからずに散逸した思考のごみ溜めが出来るだけなのでここではしない。
そもそもが人間の思考というものが言語を基準としている以上、その言語について考察する限りはある一定の枠組みの中でしか理解を得られないだろうというのが持論だ。
・・・そんなことはどうでもよくて。
普段えっちなイラストを描いていて実感するのは、セックスっていうのは数ある『愛』という概念のある一種の最上級であるのかもしれないなぁということ。
それを動物的な本能による遺伝子交配のための行為と捉えるか、文化的・言語的な感情を示す行為として捉えるかによって、セックスというものは大きくその意味を変えるのだろう。
一人の絵描きとして、創作を続ける人間として、その表現はより高度な技術の先にある文化的なエロでありたいと思う。
つまり何が言いたかったかというと、抜ける絵を描くことって一つの愛情表現なのかもしれないなぁということなのである。
僕は後世に遺伝子を残すだけの動物的な人間ではなく、百合ふたなりという模倣子を世界中にばら撒ける文化的な人間でありたいのである。
以上!