「なんでですか?!」
とある会議室に、グラビアアイドル宍戸ルイの声が響き渡った。
ルイの目の前で番組ディレクターが呆れたように口を開く。
「だからぁ、被ってんだってプレゼンテーマ。なんでも良いからとにかくテーマ変えてよ。」
そんなディレクターに対してルイは一歩も引かない。
「おかしいですよ。だって最初はプレゼンテーマはレスリングでOKしてくれたじゃないですか。収録明後日なんですよね?なんで今になって私がテーマを変えなきゃいけないんですか?」
「ルイちゃーん。もう二十歳越えた大人なんだから、分かってよ〜。仕事なんだからワガママはだめだよ。」
そんなディレクターの言葉にルイは怒って言い返す。
「ワガママってなんですか!私はただ説明してくださいって言ってるんです!テーマを変えろとだけ言われても納得できません。」
ディレクターは困り果てた様子で頭を掻いた。
彼の名前は福田和人。
今人気のネット番組、『アイキャン!』のメインディレクターだ。
『アイキャン!』は、まだ芽が出ていないグラビアアイドル達が一流のアイドルになるための学園、アイドルキャンパス(略してアイキャン)で成長していくことをコンセプトとした番組である。
グラビアアイドル達のほのぼのとした絡み、人気が出きっていないことによる推しやすさ、そして『アイキャン!』を卒業して芸能業界へ羽ばたいていくその感動が多くの視聴者の人気を獲得している。
そして宍戸ルイはその『アイキャン!』に出演しているグラビアアイドルの一人だ。
ルイは『アイキャン!』の中の企画、『アイキャン・プレゼン』でもともとレスリングについてプレゼンをする予定だったのだが、急遽この福田ディレクターに呼び出され、プレゼンテーマを変えるように言われたのだ。
頭を掻いて喋らない福田ディレクターに対して、ルイは言葉を続ける。
「私は小学3年から高校1年までの8年間、レスリングに打ち込んで来ました。正直、『アイキャン!』に出てる子たちの誰よりもレスリングに詳しいし、誰よりもレスリングに情熱を捧げて来ました。番組としても素人が訳も分からずレスリングのプレゼンをするより、私がやった方が絶対面白くなります。」
それに対して福田ディレクターは「はあ」と溜め息をついてから口を開いた。
「ルイちゃんがレスリング頑張ってたってのは俺も知ってるけどさ〜。…でもこればっかりはどうしても変えられないんだ。」
「なんでですか?!」
全く引く気配のないルイに福田ディレクターは「はぁー」とため息をつくと、重々しく口を開いた。
「……プロデューサーの意向。」
その言葉に先ほどまで言い返していたルイの勢いが無くなる。
「え…?プロデューサーさんが…?」
「ああ。まあ、正直あんまり言いたくなかったんだけど、レスリングでプレゼンしたいって子、プロデューサーも事務所も推してる子なんだ。だから、俺の力じゃどうしようもないのよ。」
福田ディレクターの言葉に、二人きりの会議室に沈黙が流れる。
確かにそういう事情であればルイがどれだけゴネてもどうしようも無いだろうし、最悪、番組運営上『アイキャン・プレゼン』から外されかねない。
ただ、当然そこで気になるのはいったい誰がレスリングのテーマでプレゼンをするのか。
プロデューサーが推しているそのアイドルとは誰なのか…。
「福田さん…。そのレスリングでプレゼンする子って、誰ですか…?」
福田ディレクターは気まずそうに口を開いた。
「密原千波だ。」
☆☆☆☆
福田ディレクターとルイの話し合いの二日後、ルイはカップ麺に関するプレゼンをなんとか行い、企画は滞りなく進んだ。
そして密原千波のプレゼン内容はというと、実際面白く仕上がっていた。
おそらくプロデューサーが推していることもあり、作家や司会のタレントがガッツリサポートしていたためだ。
ここから編集が入って、更に千波のプレゼンが際立つような回になるだろう。
そしてルイはその事がたまらなく悔しかった。
彼女は高校1年生のとき、レスリングを続けるか、小さい頃からの夢だった芸能界を本気で目指すか悩んだ末にレスリングを捨ててグラビアの道に進むことを決めた。
それでもレスリングは大好きで、グラビアアイドルとして活動を行っていく中で、いつかレスリングに携われたら良いなと思っていた。
そんな矢先でのプレゼン企画だった。そんなチャンスを、全くのレスリング素人が他の人の力を借りてルイから奪っていったのが許せなかった。
「でも…仕方ないんだよね……。」
収録終わりの楽屋で、ルイは一人小さく呟いた。
それから数日後、福田ディレクターにルイは再び呼び出された。
「あの……なんですか?新企画って。」
ルイは『アイキャン・プレゼン』の収録からあまり元気がない。
そんなルイに対して福田ディレクターはカバンから資料を取り出し、ルイの前に差し出した。
その資料の一枚目に書いてある文字を読むと、つい先ほどまでは生気のなかったルイの瞳に光が灯った。
「企画案…『アイドルガチレスリング』……?」
ルイの様子に福田ディレクターは安心すると企画の説明を始めた。
「そうなんだよ。ま〜、まだ企画案って段階だから詳しいことは決まりきってないんだけど、これもまた、プロデューサーの意向みたいなんだよね〜。」
実は福田ディレクターはルイと話した後、『アイキャン・プレゼン』のプレゼンテーマの件をプロデューサーに相談していたのだ。
結局プレゼンテーマが変わることは無かったが、その時、ルイがレスリングを8年間もやっていたことを初めて知ったプロデューサーが新企画を思いついたのだ。
「もちろん、第一回はルイちゃんVS千波ちゃんの戦いになる予定だよ。」
それを聞いたルイは資料を両手で握りしめ、顔を上げた。
「やらせてください……!」
ルイにとってこれはまたとないチャンス。
これまで番組内でもあまりパッとしなかったルイが特技を発揮できる企画が舞い降りてきたのだ。
それだけではない。千波をコテンパンにできるチャンスでもあるのだ。
やる気に溢れるルイを見て、福田ディレクターは少し安心した表情を浮かべるが、釘を刺す。
「あ、知ってるかもしれないけど、一応千波ちゃんもああ見えてレスリング経験者らしいから、一筋縄ではいかないかもよ〜?」
番組内でも番組外でも千波とほとんど絡んだことがなかったルイは驚きつつも、特に気にした様子はない。
「そうなんですね。まあ、わざわざレスリングのお題でプレゼンするなんて、何か関わりがあるのかな〜とは思ってましたけど。でも大丈夫ですよ、8年間本気でやってた私が他のグラビアやってるような子に負けるはずないんで!」
そして、アイドルガチレスリングの企画はどんどん進み、その1ヶ月後ついに収録日を迎えた。
☆☆☆☆
『アイドルガチレスリング』は1ラウンド3分で2ラウンド戦うフリースタイルのレスリング。
当然レスリングなので、関節技や絞め技、打撃は無く、ギブアップや失神での決着も無い。
より多くの技を決めてポイントを積み上げるか、力で相手をねじ伏せてフォールを奪うかで勝負が決まる。
いつものスタジオとは違い、この日は広いスタジオにレスリングのマットが用意されていた。
スタジオ全体の証明は暗めに調光されているが、マットを上から照らすライトは程よく明るい。
マットの周りにはカメラが合計6台設置されており、スタジオ全体の雰囲気から今回の収録の本気度が伝わってくる。
「へぇ。流石、プロデューサーのお気に入り様は違うねぇ。レスリングのレの字も知らないような子のためによくもまあ…。」
スタジオの雰囲気に感心しつつ、皮肉たっぷりに呟くルイ。
この収録までの1ヶ月間、ルイと千波は空いた時間でレスリングの練習を別々に行っていたのだが、その間にルイは千波がどのようにレスリング経験を積んだのかを人伝いに聞いた。
千波のレスリング歴は僅か3ヶ月。
そもそも千波はレスリングをやっていた訳ではなく、アイドルとして生き抜くための話題作りとしてレスリングをかじった程度らしい。
そのことを知ったルイは当然良い気持ちはしなかった。そんな奴にレスリングのプレゼンテーマを奪われたとは余計に悔しい。
(絶対に潰す…!)
ルイは静かにそう誓う。
そしていよいよルイと千波がマットの上で向き合った。
「今日はよろしくお願いします。」
千波はそう言って、可愛らしくペコリとお辞儀をすると、気まずそうに続ける。
「…あの……ルイさんってレスリング経験者なんですよね?その、お手柔らかにお願いします…!」
そんな千波に対して、ルイは腕を組んで、千波を見下すような仕草で返す。
「たった3ヶ月しかレスリングやったことのない舐めたアイドルに、本物のレスリング経験者の怖さ、教えてあげるね。」
すると千波はムッとして負けじと言い返す。
「なんですか?ルイさんだってグラビアアイドルじゃないですか。私が舐めたアイドルなら、ルイさんだってそうですよね。」
千波の言葉にルイは眉間にシワを寄せて吐き捨てるように言う。
「レスリングにギブアップはないからね。後悔すんなよ。」
試合の前から完全に険悪なムードな二人。
しかし、正直結果は目に見えている。
レスリングを8年やってきたルイに、たった3ヶ月しかレスリング経験がない千波が勝てるわけがない。
体格も身長164cm、体重56kgの千波に対して、ルイは身長165cm、体重55kg。ほぼ同じだ。
千波にまだ望みがあるとすれば、ルイがアイドルを目指すためにレスリングから離れていた高校2年生から今までの4年間のブランクだ。
油断しているルイの隙をつけば僅かな可能性は見えてくるかも知れないが、相当厳しい。
二人がマット上で向かい合うと、試合開始の合図がなった。
ビーーーーーッ!
グラビアアイドルどうしの本気のレスリング勝負が始まった。
試合開始後、まず仕掛けたのはルイだ。
いきなり両足タックルで仕掛けていく。
ルイは現役時代、予備動作の少ないタックルを得意としていた。このタックルで押し倒し、上手くいけば一気に4ポイント取ることができる。
しかし、千波はルイの想像よりも上手かった。
なんと、タックルに入るルイの顔を左手で押さえ、左腕を右手で掴み、ルイの肩口に大きな胸を押し付ける。
そしてそのままルイのタックルを潰してしまった!
(うそ!?私のタックルが…潰された!?)
レスリング暦では圧倒的に下の千波に、いきなり得意のタックルを潰されてしまい、驚くルイ。
千波は嬉しそうに小さく言う。
「侮りましたね。練習相手が練習相手だったんで、低めのタックルは私には効かないですよ…!」
しかし、そう言ったのも束の間、千波の体が持ち上げられる。
「え!?…え、え、わ!?」
ルイは両足タックルが潰されるとわかった瞬間に、左膝をマットにつけて、すぐに千波をリフト(持ち上げること)できる体勢を作っていたのだ。
「バーカ……!…タックルは…潰しきらないと……持ち上げられちゃうよっ!」
そしてそのまま、千波の体を投げようとする!
が、千波もここで踏ん張り、投げられずになんとか耐える。
(うそ…この女……なんで耐えれんの……)
タックルを潰された上、投げ技まで耐えられてしまい、流石に動揺するルイ。
4年間のブランクとアイドルとしての体型維持のため、千波の体を持ち上げきれないほどに筋力が落ちてしまったこともあるが、想像以上に千波の基礎が出来上がっていた。
しかし、ならばとルイは次の行動に出る。
先ほどはタックルを潰す為に前傾姿勢となっていた千波だが、今は投げられないように上体を起こして踏ん張っている。
この状態ならば次にルイが取る行動は一つ。
ルイは素早く千波の後ろに回り込む。
そもそも両足タックルは相手の背後に回りやすく、千波はそれを防ぐ為にタックルを潰す際にしっかりとルイの左腕を掴んでいた。
しかし、リフトされた際に体勢が崩れ、ルイの左腕を離してしまっていた。
「わ!いやっ!」
千波は焦って対策を打とうとするが、既に遅く、ルイは千波の背後から、千波を押し倒す。
「いやぁぁあ!」
千波は叫び声を上げながら正面から倒されてしまった。
テイクダウンでまずはルイが2ポイント先制。
いくらブランクがあるとはいえ、レスリングを8年やっていたルイ。
タックルからの技の派生をしっかりと駆使してその実力を見せつける。
しかし、内心では焦っていた。
「はぁ……はぁ……(ポイントは取れたけど、思ったより苦戦した……。こんな、ド素人相手に……。)」
なんとしてでも千波相手に圧勝したいルイはこの状態から更に仕掛けていく。
四つん這い状態の千波の胸元と股間を掴む。
「ひゃう!」
普段、人に触られることがほとんどない場所を思い切り掴まれて、思わず声が出てしまう千波。
ルイはそんな千波に構わず、四つん這いの千波をそのまま持ち上げようとする。
この四つん這い状態の千波の体を持ち上げ、90度以上ひっくり返せば更に2ポイントだ。この前半でしっかりとポイントを稼ぎたい。
しかし、千波もひっくり返されまいと全身で耐える。
ルイは僅かに千波の体を持ち上げることはできても、千波の両手と両膝をマットから離れさせるには至らない。
(くそ…!なんなのこの子!?なんで持ち上がんないの!?)
思い通りに試合運びが出来ず苛立ちを募らせるルイ。
ここに来てルイは千波を持ち上げられず、千波はルイに持ち上げられないように耐えていることで、膠着状態となってしまった。
そこでルイは攻め方を変えていく。
千波の腰に抱きつくと、そのまま千波の体を回転させる。
ガッツレンチだ。
しかし、当然千波は体をマットにベッタリとつけて、ひっくり返されないように耐える。
ルイはここで千波をひっくり返すか、もしくはデンジャーポジション(90度近い状態)を5秒以上キープできれば、また2ポイント取ることができる。
少しでもポイントを稼ぐために、なんとかガッツレンチを成功させたいところだが、千波をデンジャーポジションに持っていくことにすら至らない。
そしてその時千波は、攻め続けていたルイのスタミナが徐々に徐々に減り始めていることに気づいていた。
(ルイさん……だんだん、持ち上げる力が落ちてきてる!……狙い通りかも……!)
どうやら試合開始から何かを企んでいた様子の千波。
ルイはそうとも知らず、攻め手を緩めない。
「くそ!それなら!」
ルイはガッツレンチを諦め、一気にポジションを変えると今度は千波の頭を脇に抱えようとした、
その時……!
「今!!」
千波がそう叫んだかと思うと、四つん這いの体勢から自分の頭を抱えるルイの腰に両腕を回し、足のバネを使って全力で押し上げた!
先ほどまでまるで亀のように防戦一方だった千波だが、ルイのスタミナが落ちてきたその絶妙なタイミングで突然の反撃に出た。
完全に不意打ちを食らったルイ。
「な!うそ!?」
千波が押し上げたことで、お互い立ちの状態での組み合いになるが、千波の勢いに負けてしまう。
レスリングでは相手を円形マットの場外に出すことで1ポイント得ることができる。
ルイにとって3ヶ月しかレスリングをやっていない千波は素人同然。そんな相手に1ポイントたりとも渡したくはない。
両足に力を入れてマットに踏ん張るが、先ほどのグラウンドの攻防で無理に攻めすぎてしまったことが仇となり、スタミナ切れで上手く踏ん張りきれない。
千波の押し込みに、ルイの足が少しずつマットの端に近づいていく…。
(くそ!嫌だ。こんな子に、力負けするの!?……だめっ……受け止めきれない……!嫌!!嫌ぁ!!)
ルイの心の叫びも虚しく、相撲の押し出しのような形で千波に追い込まれていく。
「いっ……やぁああああ!!」
そしてルイの足が円形マットの外に出る、その寸前!
ビーーーーーッ!
第1ラウンド目終了の合図が鳴った。
そしてその合図から僅か0.2秒後、ルイの足がマットの外に出た。
この前半、ポイントは2-0、ルイが勝っている状態ではあるが、終了間際にまさかの力負け。
抱き合うような状態で押し合っていた二人。
千波はルイの腰に回していた腕を解くと、ルイを真っ直ぐ見つめ、
「終了の合図に救われましたね、ルイさん。力比べじゃ負けませんから。」
そう言って自分のコーナーに踵を返していった。
ここに来て、素人と侮っていたアイドルに追い込まれてしまったルイ。
下唇を噛んで悔しがる。
「くそ…!絶対、潰してやるから…。」
そう小さく呟くと、ルイも自分のコーナーへと戻っていった。
前半が終了し、90秒間のインターバルを終えて二人は再びリング中央で向かい合う。
前半ではスタミナ切れでまさかの苦戦を強いられてしまったルイだったが、インターバルで体力を回復した。後半は気を引き締め直し、ペース配分も意識しながら戦っていかなければならない。
ビーーーーーッ!
第2ラウンド開始の合図が鳴った。
前半ではタックルを潰されてしまったこともあり、慎重に千波の様子を見るルイ。
するとそんなルイに対して、
「仕掛けて来ないんですか?」
まるで挑発するかのように問いかけてくる千波。
ルイは「チッ」と舌打ちはするが、千波の挑発には乗らない。
「ふぅん。ルイさんが来ないなら、私から行きます!」
そう言って千波はルイに向かって一気に距離を詰める。
高さから狙いはおそらく胴タックル。
悔しいが千波の体幹と筋力は認めざるを得ない。
もしもルイが千波の胴タックルに捕まれば、そのまま持ち上げられ、投げられることも十分有り得る。
ただ、タックルが高く、正面から潰すのは少し難しい。
そこでルイは体を横にずらして、いなすように千波のタックルを躱していく。
そしてそのまま千波の後ろを取った。
(もらった!)
レスリングにおいて、この後ろを取るということはかなり大きなアドバンテージとなる。
相手の攻撃を受けるリスクを最小限に抑え、押し倒しにも投げにも繋げられる。
ルイは千波の腰に抱きついた。
しかし、そこで千波もルイの首を脇に捕らえる。
「ルイさん、今度は私の番ですよ!」
千波はそう言うとルイの首を脇に抱えたまま、巻き込むように袈裟固めのような体制でマットに落とした。
「えっ…きゃあああ!」
完全な不意打ちに思わず悲鳴を上げてしまうルイ。
そしてそのまま背中から落とされてしまった。
千波に投げ倒され倒され、両肩がマットについてしまった。
ここで千波に一気に4ポイントが入り、ポイント数で逆転されてしまう。
(くっ……なんで私が、こんな子に……!)
侮っていたグラビアアイドルに投げられた上、ポイント数でも逆転されてしまい、完全に追い込まれてしまったルイ。
しかし千波はそこから更に仰向けのルイの上に乗ってフォールの体制に入る。
自分の不甲斐なさに泣き出したくなってしまうルイだが、まずは急いでブリッジし、両肩をあげる。
両肩がマットについた状態で1秒以上経過してしまうとフォール負けとなる。
自分を責めることは後でいくらでもできる。とにかく今は千波に上から押さえつけられているこの状態から抜け出さなくてはならない。
しかし、千波はそれを許さない。
なんとここで千波はルイの顔面を胸に抱き込んだ!
「んぶっ…!?!」
顔面に突然胸を押し付けられ、ブリッジが崩れてしまうルイ。
上に乗られた体勢で頭を抱えられてしまえば、首が一直線になってしまい、両肩を上げることが難しくなってしまう。
(くそっ……!やられた!)
ブリッジを崩され、左肩はマットについてしまったがなんとか右肩はつかないように耐えている。とは言え、ここに来てピンチに陥ってしまったルイ。
そしてこの体勢にはブリッジを崩すだけではない、さらなる恐ろしい効果があった。
今の状態を客観的に見ると、千波はフォールを決めようとしているが、ルイが粘って、なかなか決めきれず、膠着している状況。
しかし、実際これは膠着などではなかった。
鼻と口を千波の大きな胸に覆われているルイは、呼吸が上手くできず、ブレストスムーザーを食らっている状態なのだ。
もしもこのままの"膠着"が続けば、酸欠でルイの方が先に倒れてしまう。つまりこの状態はルイにとって敗北へのカウントダウンとも言える。
(うう…っ!息が苦しい…。)
レスリングでは絞め技、関節技、打撃は許されない。あくまでポイントを取るかフォールを目指すスポーツだ。
ただ、このブレストスムーザー状態はあくまでフォールを目指している過程に過ぎないため、審判もこの状態を止めることはできない。
呼吸を奪われ、そのことがルイを焦らせる。
なんとか右肩をマットから上げた状態で千波の胸の下で「むーっ!」と叫び暴れるが、体幹の強い千波の抑え込みを返すには至らない。
そしてそんなルイに対して、
「どうしたんですか?このままフォール決めちゃいますよ?」
と問いかける千波。
(こんな素人に、負けない!)
ルイの心の叫び。
小学3年生からレスリングをやっていたルイ。中学生になってからは公式の大会では数えるほどしか負けたことがない。今でこそグラビアアイドルだが、4年前まではかなりの実力者だったのだ。
ただのグラビアアイドルの抑え込みをひっくり返せないはずがない。
ましてやフォール負けするなんてルイのプライドが絶対に許さない。
ルイは足を踏ん張ると腰を上げてブリッジする。
これによって千波のバランスが崩れれば上を取り返すことも可能だ。
しかし、ルイの腰は思うように上がりきらない。
(うそ…なんで!?)
ブレストスムーザーによってルイの頭が固定されていることが効いているが、千波の抑え込む力もルイの想像を超えていた。
千波はたった3ヶ月とはいえ男子レスリング部の練習メニューをこなし、辞めてからもトレーニングは続けていた。ルイから見れば技術面では素人かも知れないが、そのパワーは並のアイドルのものではない。
この抑え込みを返す算段を崩されたルイに焦りが生じ始める。
(うそ…そんな訳ない!返さないと…返さないと!)
その後も何度もブリッジを試みるが、千波が下腹あたりでしっかりとルイのブリッジを潰してしまうため、まるで体制を変えることができない。
「ルイさん、そんなもんですか?もしかして、ほんとにたった3ヶ月しかレスリングしてない私に負けちゃうんですか?」
更に千波は言葉でもルイにダメージを与えていく。
更に、呼吸も奪われているため抵抗する力は少しずつ弱まっていく。
(苦しい…。嫌…。返せない…!なんで…?なんで、こんなに……!)
番組内ではパッとしないルイ。顔や体も他のグラドルより劣っている。ましてや千波と比べれば尚更だ。
それでもたった一つ、レスリングだけは絶対の自信があった。それなのに、そのレスリングですら千波に負けてしまったら…。
(私は、顔でも体でも、人気でも………レスリングでも……この子に……。…嫌!!!)
そこにあるのは認識したくない事実。
女としても一人のレスラーとしても密原千波に負けているということ。
そう思った途端、ルイの表情に恐怖の色がうつる。
そしてそんなルイの怯えた表情を覗き込んで千波が問いかける。
「ルイさん、もう参ったしますか?……あ、そっか。レスリングにギブアップは無いから無理か。」
試合前、ルイが千波に言った言葉を千波がそのまま返す。
あまりの惨めさに、ルイの目から涙が溢れ出す。
(負けたくない…負けたくないけど……。くるしい…!)
だんだん呼吸が苦しくなる。ルイは顔を真っ赤にして抵抗しているが、酸素不足でパワーが出ない。
そしてそうなってしまったルイを抑え込んでおくことはそう難しくはない。
千波はもはや余裕の笑みでルイの顔面にその大きく柔らかな胸を押し付けている。
ルイはなんとか地面から右肩を上げてはいるが、もうあと1センチほどでマットについてしまうところまで落ちてしまっていた。
「ルイさん、もう諦めてください。」
千波の言葉に、胸で顔面を押さえつけられていながら、涙を流して弱々しく首をふるルイ。
そんなルイに千波は少し呆れ気味な表情で言う。
「もぉ。仕方ない。もうどうなっても知らないから。」
千波はここでルイの右肩を押さえつけるのをやめて、両腕でルイの頭を抱き抱えた。
「……!?…!」
これによってルイの肩は地面から上がりやすくなるが、その代わりに顔面全体に千波の胸が強力に押し付けられる形となった。
完全に呼吸する隙間を奪われたルイ。
ただでさえ酸欠状態だったのに、もう一切の呼吸が許されなくなってしまったルイは両手を振り回して暴れるが、その状態から抜け出すことはできない。
そして数秒間暴れた後にルイの動きがビタっと止まった。
そして、
ぱたり。
ルイの体が脱力し、両肩がマットに落ちた。
このまま1秒以内に肩を上げることができればルイはまだ負けではないが、しかし、当然もうルイの両肩が上がることはない……。
ビーーーーーッ
そして試合終了の合図が鳴った。
☆☆☆☆
千波の胸から開放されたルイにスタッフが駆け寄って介抱する。
「勝ったー!」
一方の千波は両手を上げて圧倒的格上のルイに勝った喜びを爆発させている。
そして収録スタッフもまさかの下剋上に興奮を抑えきれず仕事そっちのけで歓声を上げてしまっている。
「まじかよ…。」
ただ一人、目を見開いてそう呟くのは福田ディレクターだった。
プロデューサーの方針とルイの気持ちの板挟みだったが、少しでもルイに活躍の場を作ってあげたいと思ったからこそプロデューサーにルイのことを伝えた。
その結果形になったレスリングのガチ試合。この企画の人気が出ればルイはこの『アイドルガチレスリング』の顔として活躍することができたはずだった。
しかし待っていたのはルイにとって余りにも残酷な結末。
この勝負、千波がレスリング歴8年のルイに下剋上の勝利を収めてしまったことで、むしろ『アイドルガチレスリング』の顔となり得るのは千波になってしまった…。
収録が終わり、スタッフによってケアを受けた後、自分の控室に戻ったルイは着替えもせずシングレット姿のまま膝を抱えて座り込んだ。
4対2でポイントで負け、その上胸で呼吸を奪われフォール負け。
あまりの自分の不甲斐なさに、涙が溢れた。
後日、この試合が放送され『アイドルガチレスリング』は大きな反響を呼び、シリーズ化。
『アイキャン!』に出演しているグラビアアイドル達は仕事の合間にレスリングをはじめとした、様々な格闘技の練習に励んだ。
そしてそんなグラドル達が目指すのは、「打倒、密原千波」。
彼女達の中に宍戸ルイを目標にする者は誰一人いなかった。
たいがーますく
2023-04-03 08:04:40 +0000 UTCニカ
2023-04-03 05:10:13 +0000 UTCたいがーますく
2023-04-02 14:38:16 +0000 UTC