都内某所に在る日本最大の暴力団組織の総本部。 巨大な敷地の邸宅内部に設けられた大広間の一室に冬優子は居た。 室内では黒服を纏った屈強な数人の男たちが静かに何かの道具を用意している。 冬優子が見たことも無い器具類が、白い布が敷かれた床の周りに丁寧に並べられていく。 その傍らに控えた和服を纏った初老の男が器具を手に取り吟味するかのように器具を検分している。 その男の手や腕にはびっしりと刺青が彫りこまれていた。 冬優子はその様子を男の隣で正座したまま凝視していた。 (いまからあれと同じモノがふゆに・・) 冬優子は無意識にごくりと唾液を嚥下した。 いまなにをしているの? そんなの決まっている。 これからどうなるの? それも決まってる。 これからどうするの? そんなことわからない。 冬優子の頭の中で謎の自問自答が繰り返される。 動悸がひどくなる。 視界がゆらいでくる。 時間の感覚がおかしくなる。 本当にこれでよかったのか? 今ならまだ間に合うか? 今更なにをいうのか? もうあと戻りはできない。 決めたことだ。 あいつのためにもふゆのためにも。 「始めましょうか」 冬優子の思考を男の野太い声が遮った。 冬優子ははっとなり我に返った。 混濁していた思考は即座に現実世界へと引き戻される。 その声を合図に、黒服の男たちは恭しく礼をして静かに部屋を後にしていった。 大広間に残されたのは初老の男と冬優子だけになった。 張り詰めた空気が室内を満たす。 冬優子は腹を括った。 心の中で踏ん切りをつけ、そっと立ち上がった。 冬優子は一枚だけ纏っていた和装の帯をそっと解く。 しゅるりと心地よい衣擦れの音と共に全てが冬優子の身体から滑り落ちた。一糸纏わぬ生まれたままの姿。 それを見知らぬ男の前に晒している。 冬優子の様々な感情がぶつかり合い化学反応を起こしそうになった。 それらを必死で抑え込み、ぎゅっと口を結んでそっと初老の男の前に正座し、両手を付きながら深々と頭を垂れた。 「よろしくお願いします」 そう一言だけ告げ、再び立ち上がり目の前に用意された床へそっと俯せになった。 これまでの人生はアイドルと言う日の当たる場所で在り続けた。 だがそれも今日で終わる。 これからは今まで浴びてきた眩しいスポットライトを避け、 人目を避けて暗がりの路を歩むことになる。 だがそれは百も承知。 全ては己が決めた事。 決めた以上は全て覺悟の上。 とはいえもう二度と元には戻れない身体になる事に不安が残らないと言えばうそになる。 本心はとても怖い。 これから冬優子は極道の妻になる。 「急に一人事務所に呼び出して何の用?逢引きならもっとムードのある場所にして欲しいんだけど?」 冬優子は二人のほか事務所に誰も居ない事を確認してプロデューサーに少し意地悪な口をきき、プロデューサーに歩み寄った。そしてそっとプロデューサーの腰に両手を廻した。それを合図に何方からというでもなく、お互いは静かに唇を重ね合った。 いつ・どちらからが告白・という訳でもなく、二人が男女として密かに付き合い始めてからもうかなりの時間が経過していた。 プロデューサーとアイドルという非日常な関係は、時として男女のそれに發展する。プロデューサーと冬優子の関係性はまさにその典型であった。熱心なプロデュースは屡々親密な男女関係との錯覚を産む。 冬優子とプロデューサーがそれに当て嵌まるのかは分からない。 しかし冬優子は間違いなく今、プロデューサーを一人の男として愛していた。 プロデューサーはそっと唇を冬優子から離し、浮かない顔をした。 唇を離された事に相俟って、プロデューサーの表情に冬優子は少し不機嫌な顔をし口を開いた。 「なんなのよ。その顔だと何か悪いニュースでも有るみたいね。」 冬優子はプロデューサーの腰に廻していた手を解き、 腕組みをしながら軽い溜息を吐いた。 「・・そうだ。冬優子・・俺と別れてくれ。」 プロデューサーの重い口が開いた。 短くもその重い言葉に、冬優子は心臓が死神に摑まれたかのような胸苦しさをおぼえた。 「・・ぁ、はあ!?」 プロデューサーからの突然の報せに、 冬優子は詰まりそうな息にのめりながら言葉を搾り出した。 「突然どうしたのよ!ふゆが何かした!?それとも他の子にでも乘り替えるつもり!?説明しなさいよ!!」 冬優子の詰め寄りに少し動搖するも、プロデューサーは再び重い口を開く。 「俺、事務所を辞めて家業を継がなくてはならなくなったんだ。今まで黙っていたが、俺の実家は反社会的組織だ。冬優子も聞いた事有るだろ?あの関東最大の暴力団組織組織だ。」 プロデューサーのあまりに突拍子も無い話に、冬優子は唯々「はあ?」としか答えが出て来なかった。 冬優子が異議を唱えようとするのを遮り、プロデューサーは続けて話を進めた。 「俺はその組織の正式な跡取り息子だ。個人の意思など汲み取られる筈もない。将来組織を継ぐという事を条件に、俺はそれまでは好きな仕事に就いてよいという許可を貰っていたに過ぎないんだ。だがこの度、うちの事情により近いうちに俺が正式に家督を相続する事になった。」 プロデューサーの下手な噓だろうと高を括っていた冬優子だったが、プロデューサーの神妙な面持ちで語られる話を聞くうちにその言葉が嘘偽りの無い真実であると悟った。 「社長にはもう事情を全て話したうえで諒解を取ってある。社長は俺の意思を尊重してくれた。事務所の事はご自身と未決だが引継ぎの人間で何とかしてくれると言ってくれたよ。俺は引継ぎ業務が終わり次第退職するつもりだ。」 プロデューサーの話を聞いているうち、居ても立っても居られず冬優子が口を開いた。 「それじゃあふゆは!」 冬優子の問いかけを再び遮り、プロデューサーは自身の言葉を続けた。 「冬優子の人生に汚点は残せない。このままの関係を続けるという事は、何れ嗅ぎつけられスキャンダルの的になるのが末だ。それの反社会的勢力の人間とこの関係を続けるという事は、将来同じ道を歩むという事でもある。つまりは同じ籍に入る事になる。俺の一族は婚姻の際に夫婦で刺青を入れる掟がある。それは家督を背負い、生涯を共にするという意味合いが有る。それを冬優子に強いる事は出来ない。分かってくれ。」 冬優子は言葉を失った。刺青という言葉だけでも衝撃が大きかったのに、反社会的勢力の刺青とくれば猶更である。即座にテレビや映画でよく見る全身に彫られた刺青を思い浮かべる。 動搖を隠せない冬優子を察し、プロデューサーは冬優子を優しく抱き寄せた。その肩は小さく震えていた。 「俺は冬優子を心から愛している。故に冬優子の人生や肌に瑕は入れたくない。つまりはこれが最良の選択という訳だ。」 プロデューサーの少し寂しげな言葉に、冬優子はぎりと歯噛みした。 「・・よ。ふざけんじゃないわよ!!自分だけが身を引いてめでたしめでたしってわけ!?はじめはどうであれ、ふゆは生半可な気持ちであんたを愛してた訳じゃないの!」 肩を震わせたまま、冬優子は肩をだかれたままプロデューサーに詰め寄った。今度はプロデューサーが動搖していた。 「あんたはふゆを一過性の相手だと思ってた訳?ふざけんじゃないわよ!ふゆはあんたと一緒ならどこまでもついて行ってやるんだから!だから・・だから・・」 冬優子は滾る想いを全て吐き出し、抱かれた肩を震わせたまま俯いた。 プロデューサーは自身に染み入るその言葉を噛みしめながら、本心である言葉を紡ぎ出した。 「・・嬉しいぞ冬優子・・ありがとう・・俺も冬優子を心から愛している。だが一時の激情に身を任せるのは危険だ。もう一度よく考えてから後日もう一度返事をくれ。」 プロデューサーの言葉に即反論したかったが、冬優子は即答が出来なかった。心の奥底で即答出来ない自分が居る現実を理解し、冬優子は渋々その言葉に従った。 自分だけの問題ではない、あさひ・愛依・事務所のみんな・事務所・ファンの子たち・家族・自身の判断で影響を被る存在はとても多い。 冬優子は何度も自問自答を繰り返し迷ったが、根本は変わらなかった。 そしてしばらくして、事務所の全員が事務所に集められた。 その場でプロデューサー退所および後任の紹介と同時に、 冬優子の芸能活動引退が発表された。 それから冬優子とプロデューサーは一層日々を忙しなく動き回った。 プロデューサーは字面にしてみれば後任への引継ぎや関係先への挨拶回りくらいだったが、冬優子は文字通り忙殺された。 関係先への挨拶、誌面やテレビでの報道加熱、同僚達からの質問攻め、とりわけ深い付き合いのあるユニット仲間のあさひと愛依からの応酬は凄かった。故に本当の冬優子を知る二人にだけは本当の事を打ち明けた。愛依は事情を察して殘念そうにしながらも深くは追求してこなかったが、あさひはいつもの調子でかなりの間食い下がった。あさひのしつこい引き留めに、冬優子は何度も心が動きそうになった。あさひの嘘偽りの無い言動を知っているからこそである。冬優子はあさひの言葉に心が痛んだ。だがもう自身が決めた事だ。後戻りするわけにはいかない。 プロデューサーと冬優子が同時退所するという情報を聞きつけて二人の関係性を洗い出し報道しようとする人間も居たようだが、真相が報道される事は終ぞなかった。それらが幸運の成せるモノなのか、関東最大の反社会組織という影響力のモノなのかという理由は分からないままだった。 アイドルとしての活動をやり終えた冬優子は、プロデューサーと共に黒服の男たちが運転する高級車に乗せられ都内のある場所へと向かっていた。画面を通してでしか見たことの無い高い塀に囲まれた巨大な邸宅、それがプロデューサーの実家であると想像など誰がし得たであろうか。邸宅入口に車が到着すると、仰々しい大扉が自然に開いた。 すると中には道の両脇を黒服の男たちが列をつくって待ち構えていた。車が入り口を潜ると門が再び閉じられ車が停車した。そして車の外から扉が開けられる。 非現実的な映画の世界、それが現実にいまここにある。 そしてそれは将来、己が居とする場所。 冬優子はその一連を呆然としたまま眺めていたので、プロデューサーに下りるよう促されて初めて我に返った。 慌ててプロデューサーに続いて冬優子がプロデューサーのエスコートで車を下りると、声をそろえて怒号のような挨拶が響き渡った。 その声に冬優子はびくりと身体を強張らせる。 そんな冬優子を気遣うように、プロデューサーはエスコートした手を離さないままぎゅっと握りしめ、無言のままで邸宅入口へと歩を進めた。あまりに現実とかけ離れた様相に、冬優子の意識は夢現のままだった。力強く握りしめられたプロデューサーの手だけが、冬優子の心を現実へと繋ぎ止めてくれていた。 邸宅内部に入ってからも、冬優子の心は動搖したまま居場所を失っていた。虚ろな夢の世界を歩いているかのように。 巨大な和風邸宅の長い廊下、仰々しく頭を垂れたまま微動だにしない黒服たち、案内された和室広間ので待ち受けていた黒服たちと座卓前に座る一人の厳格そうな和服男性、冬優子にとって全てが受け入れ難かった。 「親父、ただいま。」 プロデューサーが室内に立ち込める重苦しい空気を割って口を開いた。声を掛けられ、些か齢を召した和服の男は閉じていた両目を見開いた。 「戻ったか。」 和服の男は正座したまま静かに声を発していたが、冬優子はその声に圧倒されびくりとすくんでしまった。冬優子はこの男こそ関東最大組織を取り仕切るボス、ほかならぬプロデューサーの実父だと悟った。 「まあ座れ。」 和服の男は二人にそれとなく告げた。 薦めに応じて二人は座卓前に就く。 「お前が心を決めてくれて嬉しく思うぞ。」 和服の男は周囲に威厳を保ちつつも、余程我が子の決心が嬉しかったのか僅かに顔を綻ばせた。 「最初からそういう約束だったからな。親父の配慮は此方も嬉しかったよ。お陰様で楽しくやってこれた。」 プロデューサーの言葉に、和服の男はうむと再び笑みを浮かべた。 「で。」 そしてすぐに元の厳しい顔つきに戻り、その人を射殺し兼ねない視線を冬優子のほうに向けた。 たまらず冬優子はびくりと身体を強張らせ萎縮してしまった。 「愚息から話は聞いた。お嬢さん、此奴と夫婦になりたいんだって?」 和服の男の問いかけは、まるで人を威圧しているかのような重い響きが有った。冬優子は咄嗟に声が出なくなってしまったが、持ち前の気丈さと強い意思でその圧力を跳ね除け、己の意思を搾り出した。 「・・ぁは、はい、その通りです。家の仕来りも理解しております。お願いします!」 たどたどしく発したその言葉は、冬優子自身も恥ずかしくなるようなモノだったが、和服の男は静かに目を閉じ頷いた。 「分かった、許可しよう。」 いともあっさりと期待していた回答を引き出せた事に、冬優子は半ば拍子抜けた。必ず一波乱くらいは有ると覚悟していた心はすっかり行き場を失ってしまった。 そんな冬優子をよそに、和服の男は言葉を続けた。 「お嬢さんの覚悟は理解しているつもりだ。置かれていた立場を捨ててまで愚息に嫁ぐという覚悟、嬉しく思う。だがその仕来りはお嬢さんが思っている以上に過酷だぞ?もう一度言う、本当にそれでいいんだね?」 再び和服の男の鋭い眼光が冬優子を射抜く。 何度味わっても慣れない。冬優子はそう思いながら小刻みに身体を震わせ声を発した。 「はい、ふ・・わたしの想いは変わりありません。覚悟は出来ています。」 少し上擦った声に恥じ入る冬優子に、和服の男は優しく微笑んだ。 しかし冬優子はその笑顔に逆の恐ろしさを感じ取った。 そしてそれは的中する。 「分かった。それまでの覚悟を揺らがせるわけにはいかない。いまから始めよう。」 冬優子は和服の男の言葉が即座に理解出来なかった。 (つまり今から?すぐに仕来りを実行するという事!?) 冬優子のあからさまな動搖を嗅ぎ取り、プロデューサーは声を上げた。 「親父!それは祝言を上げてからでもいいハズだろ!?何故今からなんだ!!」 冬優子を気遣ってプロデューサーは父親に対し弁明した。 しかし声すらも即座にかき消すような怒号が部屋一面に鳴り響いた。 「馬鹿野郎!!そんな生半可な気概で此處に来たのか!?なめてんじゃねえぞ!!その程度で動搖するような人間に跡取りの妻が務まるとで思ってんのか!!」 理論を暴論で捻じ伏せる。和服の男はそれを体現するかのように示してみせた。たちまち二人は言葉を失いすくんでしまった。 関東最大反社会的勢力の頂点たる人間の持つ理解不能なカリスマ。 冬優子はその片鱗を傍らで味わい、成す術も無かった。 「それが無理ならお引き取り願いなさい。彼女は堅気の人間だ。これ以上の無理強いはしない。」 和服の男は声の調子を元に戻し、優しく二人に告げた。 冬優子は静かに黙り俯いた。 そんな樣子を見かねたプロデューサーは、冬優子と共に退出しようと促すために俯いたままの冬優子の肩に手を掛けた。 「・・ます。」 プロデューサーが冬優子の肩に触れたと同時に冬優子が小さく呟いた。そして一呼吸おいて顔を上げ、改めて大きな声で己の意思を叫んだ。 「やります!!ぜひともお願いします!!」 冬優子はそう言葉を放ちながら、きっとした視線を和服の男に向けた。プロデューサーと和服の男はその樣子に唖然とした表情を浮かべたが、和服の男はすぐに高らかな笑い声を上げた。 「見事!見上げた気概だ!それでこそ極道の妻となる者よ!」 すっかり上機嫌父親をよそに、プロデューサーは小さな声で冬優子を気遣った。 「冬優子・・本当にいいのか?」 心配そうな表情のプロデューサーに向かって冬優子は静かに頷いた。 「今か先かの話なんだし。今でも同じでしょ。それにお義父様の言う通りだし。覚悟が揺らがないうちに始めて欲しいわ。」 冬優子の言葉を聞き、すっかり上機嫌の義父は近くに控える黒服の男に「おい」と合図した。すると黒服の男たちが慌ただしく動き始めた。 「お嬢さん、気に入ったよ。その覚悟に此方も最上の待遇を以て応えさせて貰う。実は二人に施術する彫り師はもう手配してある。」 義父はにこやかに冬優子に語り掛けた。 プロデューサーから前もって話を聞いていたから冬優子は知っていたが、プロデューサーの家の仕来りでは一族の男たちは婚姻を以てして初めて身体に墨を入れる。そしてそれは夫婦となる者と同時に行われ、同じ腕を持った彫り師流派の人間が同じ模樣の刺青をそれぞれに同時に彫り進めるという物だった。つまりプロデューサーもこれから身体に墨を入れる事になるという訳だ。 冬優子はそんな仕来りに少し感謝していた。 刺青を入れるのは一人ではないという、 根拠に乏しいとはいえ僅かな安息感を得ることが出来ていたからだ。 周りが慌ただしくしている中、二人はどちらからという訳でも無く座卓の下で手を取り合っていた。これから行われる生涯最大ともいえる転機を二人無事に乗り越えられるように。 刺青の施術は期間が長い。 流行りのワンポイントや機械彫りならいざ知らず、 全身に伝統的な和彫りともなれば猶更である。 その施術は規模にもよるが、半年から長くてニ、三年くらいである。 二人の施術は國内有数の彫り師により、半年ほどで全ての施術を終える事が出来た。しかしその道のりは長く険しいものだった。 冬優子は初めて身体を刺された瞬間、あまりの激痛に後悔と自責の念が身体を満たした程だった。施術の最中、己を呪う心とこれからの人生を受け入れた覚悟の念が常に拮抗したほどだった。 ざくり、ざくりと身体に墨が入る度、いままで歩んできた道が崩れ落ちていく。アイドルとしての黛冬優子がどんどんと過去のものになっていく。立ち止まる事は出来ない。止まったら自分ごと全て崩れ落ちてしまう。冬優子は崩れていく道を只管に走る。早く終わってくれと言わんばかりに、施術の際は床の布団を噛みしめていた。 二人の施術が終わるまで、お互いへの御披露目は禁じられていた。 お互いの施術が終わる度に二人は自宅へと帰っていた。なのでその間に見せ合う事は出来ていたが、冬優子は自身の中途半端に入れられた刺青を浴場で見る度にそんな気は失せてしまっていた。 着実に彫り進められる己の肢体を鏡で見る度、冬優子は己の決断が本当に正しかったのかを自問する日々が続いた。 唯一のこころの支え、それはプロデューサーが同じ境遇を共にしているという事。それを認識する度に冬優子は日々を乗り越えられていた。 刺青が彫りすすめられるうちに、冬優子は着られる物が制限されていくことに気が付いた。よく着ていた服を着てみて気が付いたのだが、脚を露出させるだけで刺青が見えてしまう。 (これからは長めのスカートしか履けないな・・) おしゃれの制限は、冬優子に少なからずのダメージを与えていた。 そして刺青の完成の日が来た。 慣れとは恐ろしいもので、最初あんなに辛かった施術は後半にはトレーニング程度の負荷でしかなくなっていた。 「全て終わりました。長い間お疲れ様でした。」 彫り師である初老の男が額の汗を拭いながら冬優子に語り掛けた。 その言葉に冬優子はそっと立ち上がった。 長かった崩れ落ちる道を走り抜ける苦行も、やっと終わった。 冬優子は室内に据え置かれた姿見の鏡に己を映し出した。 「・・きれい・・。」 完成した自身の刺青を前に、冬優子はぽつりと呟いた。 その言葉を己に向けられたと認識したのか、彫り師は深々と一礼した。そんな彫り師の様子に冬優子は最初と同じように正座をし、深々と頭を下げ礼をのべた。 「どうもありがとうございました。」 元アイドルであり、極道の妻である冬優子の誕生であった。 冬優子は黒服の男たちが用意した浴室へと案内され、そこで改めて身体を整えた。洗い流す身体にはまだ施術の痛みが残っていたが、そんなものはこれまで経験してきている。今更たいしたことではない。 冬優子は淡々と身支度を整え、新しく用意された和装に着替えた。 そして男たちに案内されるままにプロデューサーが待つ部屋へと案内された。 部屋に入ると、既に一人プロデューサーが待ち受けていた。 冬優子と同じような和装を身に纏い、冬優子の到来に顔を綻ばせた。 「冬優子、御疲れ様。」 黒服たちの退出を見届けると、プロデューサーは座卓の前から立ち上がり冬優子に歩み寄った。 近付いたプロデューサーの襟元から垣間見える刺青に、冬優子は不思議な興奮を覚えた。自身と同じ模樣の刺青。それが不思議な一体感を産んでいた。 「・・冬優子、いいかい・」 プロデューサーの優しい声の意図を察し、冬優子は顔を背けながら恥ずかしそうに和装の帯を解いた。 しゅるりと解ける帯と共に、すとんと衣服が冬優子の身体を滑り落ちる。そして下からは一糸纏わぬ全身太ももにまで及ぶ和彫りが現れた。 凝視してくるプロデューサーの視線に気づき、 冬優子はたまらず顔を背けたまま不機嫌そうな顔になった。 「・・ば、ばか・・見てばっかりじゃなくあんたのも見せなさいよ。」 冬優子の言葉に、すっかり夢中になっていたプロデューサーは我に返った。そして慌てて自身の帯を解く。しゅるりと衣擦れの音と共に、分厚い胸板と裸体が現れた。その身体には冬優子と同じ模樣の刺青が施されていた。 その肢体をプロデューサーと同じくまじまじと見つめてしまい、プロデューサーの下半身に目をやった冬優子はたまらず赤面した。プロデューサーのそれは激しく隆起していた。己の身体を見てプロデューサーが反応している。その事実を認識した途端、冬優子は下腹部がきゅっとするのを感じた。 (ああ、ふゆたちは本当に夫婦になったんだ) そう思うと冬優子は身体の中から溢れ出る何かを感じていた。 (幸せがどんどん溢れ出している。これからはずっと一緒なんだ) 冬優子が不思議な感慨に身を浸していると、プロデューサーがそっと冬優子の手首を摑んだ。そして冬優子を抱き寄せ、己の顔を冬優子に近付ける。 冬優子は自身の刺青とプロデューサーの刺青が重なる感覚を感じ取った。分厚いプロデューサーの胸板と自身の乳房が触れ合う。自身の潤いを帯びた下腹部とプロデューサーの隆起したものが触れ合う。 冬優子を脳が爆発してしまいそうな恍惚を帯びた高揚感が襲った。 プロデューサーは、そんな小刻みに震える冬優子を一層に抱き寄せた。それに応えて冬優子もプロデューサーの逞しい身体に手を廻す。 そしてどちらからというでもなく、二人は唇も重ね合った。 ふたりはひとつ。 これからひとつ。 どこへもいかない。 どこへもいけない。 これからずっと。 ずっといっしょ。 頭の中をぐるぐる回る不思議な一体感のまま、 二人はゆっくり床に横たわった。 そしてそのまま、 二人は名目を置き去りに そっと実の夫婦となった。