第7話「糸を放したあと」
Added 2025-08-15 01:24:34 +0000 UTC私は背を向けた。 靴底がアスファルトを叩く音が、夜の広場に小さく響く。 振り返らない。 距離を取れば、この感覚――背後で続いているあの音――は遠ざかるはずだと思った。
だが、十歩、二十歩と進んでも、あの規則正しい「開き、閉じ、開き、閉じ」の音が耳から離れない。 むしろ、周囲の雑踏が薄れていくにつれて、音がより鮮明になっていく。 夜の空気に包まれた、その乾いた靴底のリズム。
振り返る。 広場の真ん中、街灯の光の輪の中で、彼女はまだ動いている。 膝を開き、閉じ、笑顔を保ったまま。 遠目でもわかる。口元の形は一ミリも変わっていない。
私は歩き出す。背後で、同じ音。 二百メートル離れても、五百メートル離れても、耳の奥に残響がこびりついて離れない。 それが現実の音なのか、脳が勝手に再生しているのか、判別できなくなる。
やがて、角を曲がり、彼女の姿が完全に見えなくなった。 それでも、あのリズムは鳴り続ける。 ――開き、閉じ、開き、閉じ。 一定の間隔、狂いのないテンポ。
私は気づく。 あの動きは、私が糸を放すよりずっと前から、私の指示など受けずに続いていたのではないか。 私の操りは、ただそのリズムに「添っていただけ」にすぎなかったのではないか。
夜風が背中を押す。 その風の中に、遠くから運ばれてくる微かな音が混ざっている。 もうはっきりとは聞こえないはずなのに、私は確信する。
――彼女は、今も同じ動作を続けている。 あの広場で。 誰もいない輪の真ん中で。 夜が終わっても、朝が来ても、ただ笑顔で膝を開き、閉じ、開き、閉じ……。
そして、いつかまた私がそこへ戻ったとき、彼女はきっと同じ場所に立っているだろう。 何も変わらずに。
「ねえ知ってる?踊り女の怖い噂」
了