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2、「止まらない」

前回からの続きです。

https://www.fanbox.cc/@jpg/posts/10367584


――あれ?

気づいたら私はしゃがんでいた。
膝が勝手に外へ開いていて、太ももの内側にパンスト越しの空気の冷たさを感じる。
足の裏に重心が落ち着く感覚も、自分で決めた覚えがない。

指先が、ポーチの中を探っている。
薄く固い円筒――口紅。
持ち上げ、キャップを外す。
カチ、と小さな音が耳に届く。
それだけで、世界がゆっくりと沈み込むような感覚になる。

唇の輪郭をなぞる……と思った瞬間、手首が大きくぶれ、
口の周囲に円を描き始める。
肌の上を滑る油分のざらつきと甘ったるい香りが、鼻の奥に張りつく。
一周、二周、三周……。
ペースは一定。
古い時計の振り子のように、左右へ、左右へ。

やめろ、と思う。
だが、やめる動作は脳から出てこない。
「やめろ」という言葉だけが、頭蓋骨の中で反響しては薄くなっていく。

視界の端で、何人かが近づいてくる。
スマホを構える腕。
金属フレームの冷たさが反射して、一瞬目が焼ける。
フラッシュ。
白い光が視界を真っ平らにし、光の余韻がまぶたの裏に残る。
その間も、手は止まらない。

……一分経っただろうか。
いや、十秒かもしれない。
時間の輪郭がぼやけて、光と音だけが反復する。

笑い声が耳に入る。
しかし、それが誰の声なのか、何を意味しているのかは分からない。
ただの波形として鼓膜を揺らすだけ。
その波は、やがて私の思考の縁を削り、丸めていく。

膝の位置が微妙にずれる。
白いソックスの青いラインが、足首の動きに合わせてわずかに歪む。
スニーカーの底に貼りついた砂粒が、アスファルトをこすってシャリ…と鳴る。
この音すらも、私の意思ではない。

……いつの間にか、時間は何十倍にも膨らんでいる。
同じ動作を繰り返すだけで、一時間くらい経ったような疲労感がある。
けれど、筋肉は疲れを訴えない。
息も乱れない。
まるで動作だけが切り離され、私の体は「疲労」という概念を忘れてしまったようだ。

頭の中は、真っ暗だ。
黒い水面のような闇が広がり、そこには何も浮かばない。
記憶も、目的も、名前も、過去も、未来も、ない。

ただ、反復。
口紅を動かす手。
膝の開き具合。
足の位置。
息の出入り。

それらは、私ではない「何か」のものだ。

やがて、光と音すら遠のいていく。
気づけば、残っているのは動作の感触だけ――
皮膚の下で筋肉が動き、関節が回転するその感覚だけが、
永遠のように続いていく。


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