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短編小説「入れ替わる日」

昼下がりの商店街。
湿ったアスファルトに、陽の光がじわりと反射している。
私はその場で立ち止まり、通りの向こうを歩く一人の女に目を留めた。
名前も知らない。見たこともない。
白いタイトなタートルネックに、色褪せたデニムショートパンツ。
光沢のあるベージュのパンストと、青い二本ラインのソックス。
履き古した厚底スニーカーのソールは、薄く汚れている。

何の理由もない。
ただ――「これだ」と思った。

胸の奥で、見えない鍵を回す。
それだけで、彼女の足が止まった。
表情はそのまま。猫のような切れ長の目が、何も映さないまま宙を見ている。
彼女はしゃがみ込み、膝を開き、ポーチから口紅を取り出す。
丁寧に唇の形をなぞる……はずが、口の周りを乱雑にぐるぐると塗り始める。
その手は、まるで古い映写機のカタカタ音のように一定のリズムを刻む。

道ゆく人が足を止める。
スマホを構え、笑い声をあげ、至近距離で動画を撮る。
だが、彼女は一切反応しない。
その世界に、意味も、羞恥も、選択も存在しない。
外部から与えられた信号だけが、彼女の肉体を動かしている。

私はその光景を見ながら、背筋の奥にぞくりとした快感を感じていた。
まるで自分が世界の仕組みの裏側を握っているような感覚。
しかし――それはほんの数秒だけだった。

次の瞬間、視界が暗転した。
瞬きをした記憶もないのに、私は突然、別の景色を見ていた。
眼前には、さっきまで私が「操っていた」女の姿。
しかし彼女はもう止まっていない。
笑顔を浮かべ、私の目をじっと見下ろしている。

私の体は、勝手にしゃがみ込み、膝を開く。
脳が命じるよりも先に、腕が口紅を取り、口の周りを塗り始めた。
視界の端で、人々がスマホを構えるのが見える。
シャッター音が重なり、笑い声が波のように寄せては返す。

――やめろ。
そう思っても、口元の筋肉は止まらない。
それどころか、微笑む角度まで勝手に作られていく。

ふと気づく。
私の意識は確かにここにあるのに、
思考は肉体に届かない。
ああ、今の私は――さっきの彼女そのものだ。

目の前の彼女――いや、元・私――は、ただ私を見つめていた。
猫のような目が、何も映していないのに、すべてを支配しているようだった。

時間の感覚が崩れる。
夕方になったのか、まだ昼下がりなのか分からない。
カメラのフラッシュと笑い声が、延々と同じ調子で繰り返される。
その繰り返しの中で、私は次第に「やめろ」という言葉すら失っていく。

残るのは――動作だけ。
笑顔、手の動き、足の位置、呼吸。
それらはもう、誰のものでもない。


続く


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