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前回⬇️

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前回⬇️ レナーテの変わり者の主人の話は面白くてつい聞き入ってしまう。彼女の方も語り口こそ愚痴混じりだったが、『先生』の事を話す表情や声色はいきいきしていて、楽しげな色が滲んでいた。 彼女のレモネードのグラスが溶けかけの氷だけになった頃、やにわにバーの階段を駆け下りてくる軽い足音が聞こえた。幼き歌い...



今度こそ風呂敷袋を持って、私はまた海辺の町へ繰り出した。

夏の盛りが近付くこの時期、美しい海のエメラルドグリーンが白い建物の壁に反射して、町中が青っぽく見える。ときおり覗く赤褐色の岩肌や木組みのオレンジが鮮明なコントラストを作る、この国の夏の色合いが目に眩しい。

画商の営む店は白い壁の建物が並ぶ、うねった小道の階段の途中にこぢんまりと建っていた。

1階の金物用品店のレジスターの脇、狭い階段を上がると、そこは思いがけず涼しい空間であった。薄いゴムの靴底越しにぼこぼこ感じる床のタイルは不揃いで、白い漆喰の壁もところどころ剥がれかけた古びた部屋だった。しかし狭い部屋の空気を掻き回す天井のファンだけは異質だ。雑多で古びた家具調度たちとは不釣り合いに立派で、最新式の空調を導入している我がホテルに引けを取らない働きをしていた。


「よく来たね!あれ、なぁんだあの子じゃないのか……それ、豪華なものだろう?絵は高温多湿に弱いからね」


涼やかな声は奥の棚からひょっこり顔を覗かせた店主のものだ。口を半開きにしてファンの回転を眺めていた私に自慢げに言った、その高慢そうな笑顔に見覚えがある。それは彼も同じだったようで、緑色の目を大きく見開いた。


「うわ、よく見たらお前例のジョン・ドゥだな!」

「あの時計屋で新聞屋の……いや今は画商か。貴方がアルフォンスさん?」

「そう。僕こそがエルドラド・タイムズ社いち耳ざとい記者、アルフォンス・ハワードさ!フリーでやってるから社員じゃないけど。だけどお前誰から聞いたんだ?いやまあ良い、アルって呼べよ、長いから。時計屋は飽きたので辞めたよ。次に運良く王宮のトイレ掃除の仕事に潜り込めたんだけど、そこで盗み聞いたブルジョワのゴシップを新聞に書き立てたらクビになった。暫く港で魚と禁制品と法律にぎりぎり抵触しない程度の儲け話を捌く仕事をしてたけど、詐欺で逮捕された元画商の知り合いから大量の絵を引き継いだから、今は画商で新聞屋」


彼は部屋中に乱立する画布を器用に避けつつ、つかつかと部屋の中を歩き回りながら早口で説明した。私よりも地に足が着かない者もいたものだ……と、私の前で歩を止めて、ぐいと目を覗き込んでくる。


「ああそうだ、ジョン・ドゥ、お前が何か騒ぎを起こさないか期待して、つけて回ってる時期もあったな。思っていたよりずっと大人しい奴で拍子抜けしたよ。やる事といえば漫画みたいなドジばかり。新聞屋としてお前にはがっかりだ。ベタなドジすぎて紙面端の四コマ漫画にもならない。外国人らしく、女王に謀反を起こす予定とかないの?」


あっけらかんととんでもないことを言う。らんらんと目を光らせる新聞記者のために、なにか提供できる記事のネタはあっただろうか……と思案するが、一世を風靡する画家の正体くらいしか思いあたらない。もちろん、レナーテの為にもこれは絶対に漏らせない。返答に窮していると、後ろから階段を登ってくる足音が聞こえた。



「すみません、ハワードさんはいらっしゃいますか?」


落ち着いて凛と通った耳触りの良い声。開け放たれたドアの枠を控えめにノックしたのは、なんと森の画家の世話を焼くメイド、レナーテその人だった。今日はあのエプロン姿ではなく、涼しげなリネンのワンピースに身を包んでいる。いつものひっつめ髪も解かれ、さらさらと流れる暗い髪が彼女の傾げた首の動きを追って腰のあたりで揺れている。アルフォンスは喜色満面、私をぽいと投げ出さんばかりに解放して熱いハグでレナーテを出迎えた。


「レナーテ!待ってたよ。相変わらず綺麗な髪だ、このクソ暑いのに切らないんだな」

「あぁ、先生がこの髪を……好きだと言うので」

「ハ!また『先生』だ。それで、何枚持ってきた?」

「油絵が二枚にスケッチが数枚です」

「なるほど、彼もこの暑さに参ってると見える」


と、やや困り眉でアルフォンスに抱きしめられていたレナーテが、アルフォンスの肩越しに私に気が付き驚いた顔をした。


「またこんな所でお会いするなんて」

「先日はどうもお世話になりました、今日はちゃんと風呂敷を持ってきているんだ」


アカンサスの柄の大きな布をひらひらさせて見せると、レナーテはおかしそうに笑って言った。


「私たち、曲がり角でぶつかる以外の出会い方も出来るんですね」

「なんだ、君たち最初に角でぶつかった時から親交を暖めてたのか。知らなかったな」


アルフォンスは唇をとがらせて不満気味だ。この世に自分の耳に入らない出来事など無いと思っているのだろうか。


「今日はメイド服じゃないんだね。ここへは絵を売りに来たの?」

「はい。その……メイド服で出歩くと、先生の絵を見た人に捕まって根掘り葉掘り訊かれるようになっちゃって」


レナーテは少し照れたように目を伏せて言う。主人の成功が嬉しいらしい。


「やっぱり、あの絵は君の先生の筆だったんだ」

「はぁ?お前、知ってたの?」


先に引き続き、我々の親交にアルフォンスはかなり不満げだ。常に私の知識を上回り、見下ろした位置から嘲笑っていないと満足しないのだろう。しかし彼はすぐにまた目をきゅっと細めて、妖怪の類のような笑みを浮かべた。



「まぁ、お前の千里眼だってこればかりは知らないだろうよ。何を隠そう、この子の主人の才能を見出して一世を風靡する画家にのしあげたのは他でもない、この僕なんだ!だろ? レナーテ!」


コメディショーだったらトランペットの軽快な効果音と観客の拍手が挿入されただろう……アルフォンスは一人で喋っていても賑やかなラジオ番組みたいだ。同意を求められたレナーテが補足する。


「私があの絵を売った画商からハワードさんが買い取って、それをそのまま王立美術館の展覧会に推薦して頂いたんです。それも展示の始まるギリギリに」

「品行方正なあのキュレーターのカキタレの話を握ってなかったらまず無理だったろうね。これも僕の情報網の為せる技というわけ」


繊細そうな顔に似合わないあくどい笑みを浮かべて、アルフォンスは胸を張った。


「なんで、面識もない画家の絵をわざわざ推薦したの?」

「なんでって、おかしな事を聞く奴だな。価値ある物は埋もれてないできちんと世に評価されるべきだろ。見る目の無い画商の元に置いて埃を被せておくには勿体ない絵だと思ったんだ。画家の腕もモデルの容姿も素晴らしい」


アルフォンスがこんなに平凡な回答をするとは意外だった。とても情緒というものを解する性格には思えないが……流石に失礼かと思い口を噤んだが、彼は私の言いたい事くらいお見通しのようだ。


「僕が藝術を愛でるのはそんなに不思議かい、外国人。言っておくけど、僕は新聞の文化欄のコラムを書いてた時期だってあるんだぞ。しかも先に安値で絵を買い込んでおいてからそれが有名になってみろ、この通りぼろ儲けだ!全部僕の目論見どおりさ!」


後半が本音だろう。私は余所者、厄介者扱いされるのには慣れているので問題無いが、押しに弱そうなレナーテが心配だ。


「レナーテ、何か困った事があったら言うんだよ」

「あ、いえ……ハワードさんには良くしてもらってます。絵も前の画商の十倍以上の値段で買い取って頂いてますし」

「えっ、アルフォンスが?」

「お前は失礼な奴だな、ジョン・ドゥ。僕は気に入ってる人間には親切なんだ。彼女の先生がこんな有名人になる前から相当高い値をつけてる、無名の画家につく相場の倍以上だ」


彼が芸術を解する事より、誰か他人を気に入る事の方が意外かもしれない。画家がモデルに選ぶだけあってレナーテは綺麗な子だから、彼もそのへんは単純なのだろうか。



店の隅の机に絵を並べるようレナーテに言って、アルフォンスは査定を始めた。私は机に向かって跪いてそれを眺めながら、一枚一枚に引き込まれるような気持ちだった。


「すごい!モデルは全部君なんだね?」


二枚ある油彩は片腕で抱えられるようなサイズのキャンバスに描かれたもので、それぞれ朝日の中で髪を梳かしているレナーテ、夜の窓辺のランタンに頬を照らされているレナーテが描かれていた。数枚束ねられたスケッチ作品には猫や森の景色も描かれているものの、人間のモデルはレナーテだけだ。油彩と同じように彼女のふとした仕草を、そのまま時を止めたかのように克明に描き出している。素人目に見ても素晴らしい出来栄えに、アルフォンスもご満悦だった。

ふと、レナーテの持ってきたスケッチの束に埋もれるようにして薄い緑色のバインダーが開かれて置かれているのが目に入った。


「彼女の主人の作品の大半は彼女を描いたものなんだ。今に君は国で一番有名なメイドになるぞ」

「そうでしょうか……?」


二人の会話をよそに、私はそっとその紙片を取り出した。葉書程度の大きさで、鉛筆だけでラフに描かれたスケッチだ。おそらくカミラさんの筆だろうが、束になっているスケッチとはどこか雰囲気が違う。描かれているのはメイド服に身を包んだ黒い髪の少女の半身だが、レナーテではない。テオドールの見せてくれたスケッチのメイドだ。階段の踊り場からこちらを見下ろしていたあの少女……なぜ彼女の絵がここに?レナーテが持ってきた絵とは明らかに分けて置いてあったこのスケッチは、アルフォンスが個人的に収集したものだろうか?わざわざこの机に置かれていたなんて、偶然にしては出来すぎている。


「これをご覧、お嬢さん」


アルフォンスがレナーテに赤い封蝋を押された白い封筒を手渡すのが視界の隅に見える。私は彼の横顔を盗み見て、彼がどこまで知っているのか探ろうとした。レナーテにこの絵を突きつけて主人の正体に迫るつもりなのだろうか?レナーテの方は私が別のスケッチを眺めているのに気がついてないようで、驚いた顔で封筒を受け取っていた。



「これが私に?」

「そう。君の主人の宛名は誰も知らないからね。城の使用人に尋ねられたけど分からないから君の事を教えたんだ」

「そんな、まさか」

「ほら見ろよ、外国人も。これが女王の印だよ。間違いない」


二人がこちらを振り返った。私は咄嗟に小さなスケッチを肘の下に隠した。何故かは分からないが、このスケッチをレナーテに見せるのは良くない気がする。彼女の反応によってはアルフォンスに余計な情報を与えかねない。私は一拍遅れて答えた。


「女王って……あの女王様?」

「女王様といえばあの女か、他に居たとてせいぜいマゾヒスト向けの店の売女位だろう」


この新聞記者は憎まれ口なしには話せないのだろう。しかし、肘の下に隠した物を見咎められなかったのは幸運だ。私をよそ目にレナーテは封を切って白い厚手のカードを取り出した。


「どうしましょう、今度の夜会の招待状だわ……!舞踏会ですって」

「げぇ、この時代にダンスパーティではなく舞踏会と来た。ま、そんなところだろうとは思ってたけどね。城に国中の画家や彫刻家、物書きに王立音楽学校の生徒まで、文化人を集めるパーティを開くってもっぱら噂だったんだ。君の『先生』がそこに呼ばれない筈ないからな」

「そんな……どうしましょう、私宛のカードもあるんです」

「そりゃそうだ。『先生』の素性が知れないから、代わりに今世間の話題をかっさらってるのはあの絵に描かれた君なのさ」

「でもお城は私みたいなメイドなんかが行く場所じゃありません。女王陛下に御目通りするなんてとても……」

「君はもう普通のメイドじゃないのさ。国一番だと言っただろ?絶対出席しろよ、画家先生も引っ張り出せ。彼の首に縄をかけてでもな。あはは、可愛いレナーテがもっと有名になれば、このスケッチもうちの新聞も飛ぶように売れるぞ!」


アルフォンスは両手を付き上げてくるくると回り、上機嫌で店の端のソファに倒れ込んだ。この男より楽しそうに生きている人間を私は見たことがない。反対に、レナーテは落ち着きなく彼と手許のカードを交互に眺め、所在無さげに封筒を握りしめていた。



「で、ジョン・ドゥ。お前は何しに来たんだっけ?」


ソファにひっくり返っているアルフォンスが前髪の隙間から横目で私に尋ねた。忘れるところだった。昨日の乱闘騒ぎでめちゃくちゃになってしまった絵の代わりを求めに来たのだ。ヴィオラの名前を出して説明したが、アルフォンスは渋い顔をした。


「ヴィオラの紹介なら売ってやりたい所だったけど、悪いね。良い絵はあるぶん全部売り払っちゃったんだ。今ここにあるのは複製画ばかり。このメイドの『先生』の絵にはそれ以上の価値があると思ったから、急いで現金を作ったんだよ」

「そっかぁ……」


暫くあの壁には剥き出しのままで居てもらわねばならないかもしれない。


「あの……代わりになるか分かりませんけど、この絵で良ければさしあげましょうか?先生には私から説明するので、お代は結構です」


レナーテが遠慮がちに差し出したキャンバスにアルフォンスは目を剥き、ソファから飛び起きるとひったくるように遮った。


「ダメに決まってるだろレナーテ!君はこの絵の価値を分かってない。『先生』の描いたメイドが今どれほど持て囃されてることか。タダで譲るなんて言語道断だね!」

「でも、ジョンさんは私のせいであわや『地下』にまで投獄されるところだったんです。そうなれば終身刑ですよ…!」


アルフォンスは呆れ返り、キャンバスを抱き締めたまま再びソファの背に凭れ沈んでしまった。レナーテの好意は嬉しいが、彼の言う事が正論だ。


「あれは君のせいじゃないよ。気が咎めるにしても、この前のバスケットでもう帳消しになったでしょ?」

「でも……」

「分かったよ、その絵を正当な価格で買おう。それ以上は私が申し訳なくなるよ」

「本当は画商の僕に利鞘が無いとおかしいんだけど、まぁ今回は君達との友情に免じて見逃してやるよ。レナーテ、それで手を打て」


レナーテは逡巡していたが、アルフォンスが私の会計を含めて領収書を切ったので諦めて代金を受け取ってくれた。実は予算よりかなり値が張り、足らずはアルフォンスがツケにしたが、この絵の対価としてならクラウスもホテルの出納係も納得する筈だ。推理ごっこを楽しむ客達も新たな手掛かりを得て喜ぶだろう。

もう日が傾き始めていたので、キャンバスを梱包して紙箱に仕舞い、風呂敷に丁寧に包んでレナーテと共に店を出た。結局あのバインダーに挟まれた妙なスケッチの事を話題にしなくて済んだので、私はひっそりと胸を撫で下ろした。隠し事をするのは本当に苦手だ。さあ、シグルーンとの約束を果たす為、百貨店のキャンディショップに寄って帰らなければ!



森の屋敷への道はもうすっかり足が覚えていた筈なのに、うっかり道に迷いそうになるほど上の空のままだった。


今日の先生は毎月の事で朝から寝込んでおり、朝に無理やり生姜入りのホットミルクを飲ませたきりだからそろそろ何か食べさせないといけない。バターリゾットをとろ火にかけながら、この手紙のことをどう切り出すか思案する。人と関わること、着飾ること、堅苦しい場……先生の嫌いなものの詰め合わせのような舞踏会に彼女を連れていくのは至難の業だ。


先生からすればただ煩わしい話であっても、私にしてみればお城のパーティへの招待状だなんて女学校の図書室の絵本の中にしか存在しないものだ。それが今私の手許に転がり込んできた。思わず陶酔感に浸ってしまう。

しかし急に、水槽に一滴のインクを垂らすように、脳裏に女学校の頃の記憶が蘇ってきた。


昔、女王陛下の即位記念日の祭りに合わせて女学校が催物で色々な御伽噺の劇を上演した時のこと。私の学年が選んだ演目はシンデレラだった。誰も口には出さなかったけれど、誰もがシンデレラ役をやりたいと心の裡では思っていた。レースとフリルをあしらった舞踏会のドレスはナイロン製の安い布地を使ったまがい物だったが、髪にあしらうバレッタは慰問の貴婦人が寄付した本物の真珠細工だったからだ。


あの時少女達は、ある日突然現れた誰か素敵な人が、「君は特別だよ」と手を引いて、この草臥れた校舎から連れ出してくれる事を夢見ていたのだ。紺色の地味な制服などではなく、白いタフタのドレスを着せてくれる人。指の皮を厚くする針仕事なんかから私を解放して、ラヴェンダーの香りのハンドクリームを塗ってくれる人。空いた牛乳瓶に校門の脇で摘んだ白詰草を飾っているような私の前に、その人は颯爽と現れて100本の薔薇の花束を贈ってくれるのよ……と夢見がちに話していたのはどの友人だっただろうか。どの友人でも良い。クラスのはみ出し者になる勇気はないのに、私は本当は他の子とは違うのだと、揃いも揃って全員が思っていた。


私は人前でこそ夢物語に憧れる素振りは見せなかったけれど、例に漏れずシンデレラに憧れていた……丁度数年前に母を亡くしたのだから、他の娘よりよほど適性がある、なんて考えていた。あの頃は私も幼かったのだ。14歳だった。


キャスティングは少女達の間で開かれた、意味深な視線や遠回しな皮肉で牽制したり阿ったりする密やかな会議によって決まったが、その中でシンデレラ役を掴み取ったのは私と同室のアガサだった。蜜を溶かしたような美しいブロンドに、丸くて可愛らしいうさぎの目、ほっそりした肢体の彼女が手を挙げてしまうと、誰もそれに表立って対抗しようとは思わなかった。会議の主導権をも得た彼女は、意地悪な継母役に私を指名した。


「だって一緒に練習したかったし、レナーテならあんまり化粧せずともそれっぽくなりそうじゃない?」


けろりと言う彼女に悪気はなかったと思う、アガサはそういう子だったから。でも私はその台詞を聴いて、シンデレラ会議に出席した事自体から恥ずかしくなり、顔から火が出そうだった。


配役は完璧で、私とアガサを見たら百人が百人とも同じように配役したに違いない。釣り上がった猫のような目、愛想の無い暗い髪、無駄に背ばかり高い痩せぎすの体は確かに意地悪な継母にぴったりで、実際私は苦労せず役に入り込めた。舞台の上で床を磨くシンデレラにバケツの水をぶち撒けながら、濡れそぼったアガサの小さい背中を見下ろした時の、あの感覚。それが黒板を引っ掻いた音のように嫌悪感ごと心に貼り付いて、否応なしに脳裏に何度も反響する。これ以上考えたら私自身までシンデレラの継母のようになると思って、今日まで封印してきたのだ。



鍋が噴き出している音で我に返った。慌てて火を止めて焦げかけのリゾットを味見する。火加減以外は完璧だ。焦げていない部分を選り分けて、猫舌の彼女のために平たい皿に盛り少しだけ冷ます。憂鬱な申し出を聴くことになる先生のご機嫌とりの為に、飲み物はクランベリージュースにしよう。



「先生?起きてますか?」

「起きてるさ~……寝るのも飽きた頃だよ」


銀の盆を片手に寝室の扉を開ける。散らかった部屋の中に先生は見当たらないが、ベッドの上、キルティングの布の塊がもぞもぞと身じろぎして返事をした。


「何か食べましたか?……先生が自分で食事を用意出来るはずありませんでしたね」

「そう。私、君がいないとなんにも出来ない」


ベッドサイドテーブルに散らかった本やグラスを脇にどかして、バターリゾットを載せた盆を置いた。いい匂いにつられて先生も出てくる筈。案の定ぼさぼさになった赤毛がひょっこりと顔を出す。


「リゾットだ!でも恨めしいね、あんまり食欲も無くて……もうちょっとマシになったら頂くよ。そのへんに置いといて」

「いい加減お医者に痛み止めを貰いに行きましょう、屋敷に往診に来て頂くのでも構いませんし」

「医者は嫌いだ……」


ブランケットから目だけ出してこちらを伺っていた先生は「医者」という言葉を聞いてまたつむじまですっぽり隠れてしまった。


「もう……起きてください先生、少しお話したい事があるんですけど」

「なに?」

「今日画商さんの所に届いていた、先生宛の手紙です」

「手紙?」


ブランケットからぬっと出てきた手が封筒を掴んで、その蜜蝋が象る印に触れ、すぐに火傷したように放り投げた。手しか見えていないのに先生の表情が目に浮かぶようだ。



「こんなのは捨てちゃってよ。あー嫌だ嫌だ、だから展覧会に出品なんかしたくなかったのに……」

「それはあの画商の勝手でしたけど、先生取りさげろって言わなかったでしょう。読まないんですか?」

「読むまでもなく良い内容じゃない事位は分かるしね。どうせお城へ招聘されて女王陛下にお目通りしろとか、なんかの晩餐会へのご招待とかでしょ」


当たらずとも遠からず。臭いものを見つけた野良猫のように顔をくしゃくしゃに歪めて言った先生は、膝を抱えて胎児のように丸くなってしまった。


「今度の舞踏会への招待状です。女王陛下からじきじきの」

「なるほどね、思っていたよりもずっと悪いな……」

「先生、悪い事は言いませんから是非参加しましょう。先生は一世を風靡する売れっ子画家の座に躍り出たんです。この波に乗ればもっと有名な絵描きになれるんですよ」

「売れっ子画家だとか高名な絵描きだとか、むしろ悪口に等しいな。私は森の奥の女吸血鬼、カーミラ様だ、何を考えてるかも知れない人間たちなんかと交わらず、この屋敷でひっそり一生を終えたいのに、有名になっちゃ困る」


先生はあの女学校の噂話を知っているのか、もごもごそんな事を言って誤魔化すつもりだ。



「きっと招待客は先生が来るのを皆楽しみにしていますよ。客だけじゃないわ、街を歩いていてもよく話しかけられます。お前の絵を描いた画家はどんな方なのかって」

「その人達の何人が、私に本当に興味があると思う?何人が私の絵を本当に『見て』いる?あれは『私が、君を描いた絵』なんだよ。『女王がひとめで購入を決めた絵』じゃないんだ。私の感じるもの、描く物、生きる道全てを国中総出で消費して、きっと流行りが去ったら忘れるだけ。私の絵はそんなつまんない筋書きのためにある訳じゃない。もっと大事な目的があって……」


先生は拗ねたように、こちらに目を向けることすらせずに言う。


「先生は恵まれすぎているんです。貴女が手にした名声が例え一時のものだとしても、それを喉から手が出る程欲している泣かず飛ばずの絵描きだって砂粒の数ほどいる筈ですから」

「人気や評価を得られるかどうかなんて、その時それに触れる集団や社会が偶然それを理解する土台を持ち合わせていたかどうかの違いだけだよ。表現者が自分の描きたいもの、歌いたいもの、創りたいものを形にしたという時点でそれは神聖だ。パーソナルな宇宙だよ。人気や評価は優劣をつける手段にはならない」


私には彼女のような哲学者の脳は無いので、こういう話のスイッチが入ってしまった先生の話は昼下がりのラジオと同じ、適当に聞き流す事にしている。


「私に絵を教えたのは、私よりもずっと優れた画家だったんだよ。彼女が私にこんな宇宙があるって教えてくれたんだ。結局彼女は評価されなかったけど、私にとってはずっと世界一なんだ……」


しかし今回のラジオは不発に終わったらしい、先生はそう呟いたきり静かになってしまった。断片的とはいえ、珍しく先生が過去の事を話した。私はこの話にこそ強く興味を引かれたが、今は脇道に逸れている暇はない。


「それでも女王陛下に選ばれて舞踏会に呼ばれたのは貴方です、先生」

「行かないよ。勿論、レナが行きたいなら行ってくればいいよ。帰ってきたら話を聞かせて。あ、王宮のケーキをひとかけくすねてきてよ。ダークチェリーのタルトがいいな」

「もう!メイドが1人で行けるわけないじゃないですか、ドレスも宝石も持ってないんだから」

「知らない知らない、なんも聞こえな~い」


そう言うと、先生は床から招待状を拾い上げ、クシャクシャに丸めてからぽいと放り捨てた。ベッドの隅で丸くなっていたペンネがそれにじゃれつく。

私はもっと食い下がろうとしたが、先生は「もう疲れたから寝る」の一点張りで暖簾に腕押しなのだった。




夏の話なのに、夏忙しすぎて全然描けなかったね。

6話は年始くらいに出せたらいいな……


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