前回⬇️

趣味で描いている絵本原稿の2冊目です。 大方描き終わった1冊目は印刷•公開するのが嫌になってしまったので、2冊目はちまちま公開しながら描こうかという試み。 1冊目は世界観の説明に使ったようなものなのであらすじさえ分かってればここからでも読める!筈。こっちも勇気が出てきたら加筆してちまちま公開しますね…… 1...
王宮から城下の街へ続く橋の方まで足を伸ばしたのは久しぶりだった。決められた規則通りに生活していると、おのずと女学院の外に出る事も少なくなる。ブラックウッド領から王都まではそう離れてはいなかったけれど、学院の生徒に路面電車の運賃に充てる余分な金を持っている者などほとんど居なかった。家政専門学校に入れられるような娘に財産など無く、週に一度の休日にも、せいぜい近場の日曜市を冷やかしに行く程度の自由しか与えられなかった。そうして狭い世界で年頃まで育てられ出来上がるのが私たち、ブラックウッド女学院の判で押したような生徒だ。母が死に、国の援助で王都のはずれに建つこの学院に入学した日から三年間、私は数える程しか学院をとりまく黒い鉄柵の外へ出ていない。
足取り軽く、はやる気持ちを隠しきれない様子で前を行く娘達はジャネット、ローズ、ウィルヘルミナ。その後ろを歩くのがアガサと私。胃のあたりをどんよりと鈍く沈める憂鬱が、自然と女学院に戻る足をも重くさせる。
「メイド長のお眼鏡にかなって良かった……私これで3軒目だもの、もう駄目かと思ったわ」
「よく言うわよ、ミナ。帰る前、旦那様に声をかけられていたの見たわよ」
「羨ましいな~、エプロンの胸に詰め物でもしといたら?いい暮らしが出来るかもしれないよ」
含みのある言い方をして、彼女たちはくすくす笑った。メイドとご主人様のロマンスだなんて、図書室の隅の擦り切れたチャップブックでしか見ないようなくだらないものを信じてしまうほど、彼女達は浮かれていた。
今日訪問したのは王宮のすぐ側に建つ立派なお屋敷で、先日その若い当主が女王陛下の勅撰で枢密院議員に選ばれたらしい。雇用主としては申し分ない家格だ。客を呼ぶことが増えて手が回らなくなった分、数人新しいメイドを雇う事を考えていた所だそう。お屋敷のメイド長に選ばれた三人は、来週にも荷物をまとめて女学院から巣立っていくことが決まった。真面目なしっかり者で、所作ひとつから気立ての良さが伺えるジャネット。コックの娘でお料理をさせたら右に出るものはないローズに、派手な顔立ちと妖艶な肢体が自慢のウィルヘルミナ。
私は利発な頭脳や得意な芸事も無ければ、美しい容姿でも無かったけれど、学院で教えられる事は一通り難なくこなせる、どちらかというと優等生だと自負している。針仕事もお料理も子供のお世話も出来るから、パーラーメイドにハウスメイド、ナーサリーメイドにもキッチンメイドにもなれた。知性と品格を兼ね備えた尊敬すべき主人に仕えられるならば、例えランドリーメイドでも文句を言うつもりはなかった。
場所を選ばなければ働き口は無いことはないのだ。でも「メイドを雇っている」という体面を保ちたい金持ち気取りのアクセサリーになるには私の無駄な自尊心は邪魔すぎる。
人は私の顔を見ればこの性根を見抜くらしい、1度面と向かって言われたことがある。「貴方、使用人の面接に来るまえにまず鏡とお話ししてみたら?そんな目つきじゃ誰も雇いたいなんて思わないわ」。女主人に同意を求められたフットマンも、私のつり上がった目と暗く地味な髪を「黒猫が化けているんです」と言って笑った。「それなら野良に違いないわね、こんな痩せっぽちだもの」。
どんなに恥ずかしく思ったところで寮の粗末な鏡台に映る姿は変わらない。母譲りの猫のような目。でも母のはサファイアの様に美しく輝く青い瞳だった。私は部屋の鏡にショールをかけて隠した。
「貴方は要らない」と言外に告げられたお屋敷は、私はこれで9軒目だった。何度体験したところで口を結んでメイド長の部屋を後にするのは辛い事だけど、こうも重なるともうはなから諦めている。それより隣のアガサが心配だ。彼女は必修科目の履修遅れから最近になって就職活動を始めた為、これが初めての不採用通知だった。初めて受ける明確な社会からの拒絶がどれほどショックなのものか、私も身を持って知っている。
「最初なんだから上手く出来なくて当たり前。気にしないことよ、アガサ。あなたならすぐに働き口が見つかるわ」
「そうだと思いたいわよ。でも私、成績も実技もあんま良くなかったし…」
アガサは石畳の目を数えるように俯いている。
私よりも頭一つは小さい、可愛らしい小柄な体躯。蜜が糸を引いたような細く美しいブロンド。子うさぎのように丸く可愛いピンクがかった褐色の瞳。彼女は私の望んだものを全て持っていた。アガサのような少女が放っておかれるはずは無いのだ、彼女であればメイドと主人のロマンスも夢ではないのかもしれない。焦る必要も無い。
私は同時期に入学したアガサよりも3ヶ月以上早く全ての卒業試験に合格したけれど、それは結局肩身の狭い思いでこの学院に留まるしかない長い求職期間に繋がっただけだった。
そもそもブラックウッド女学院を出たメイドは、その卒業生という肩書きだけで適当な田舎娘を雇うよりも技能や素養、素行を保証されていたのだ。故に面接においては真に誠実か、真に勤勉かではなく、その面接の数分間の間に気立てが良さそうに見えるか、健康そうに見えるか、華があるかに重きを於かれると分かって、私は三年間何を真面目に学んで来たのだろうと虚しくなった。
母が死んだ日からずっと、この国に私の居場所は無い。努力を重ねたところで、頑張ったねと両手を広げて向かい入れてくれるような愛想はこの世界には無い。なにか特別な物を持って生まれた子供なら話は違うのかもしれない、でも少なくとも私に行き渡る分は無い。
王宮と城下町を繋ぐ大きな石橋から遥か海までまっすぐ伸びた大通りには高級店やレストランのショーウィンドウがずらりと軒をかまえ、人々は艶やかで美しいハイヒールやきらりと輝く真鍮のネクタイピン、馨しいパスタソースの匂いに袖を引かれて皆浮き足立って歩く。人通りも多いので、下を向いて歩いているとすぐに誰かにぶつかりそうになる。
もじゃもじゃの赤い髪を北風に荒らされ放題にした妙な女に肩がぶつかってしまったのは、顔を上げて歩く気になれなかった私の憂鬱と、夢遊病者のようにふらふら歩く彼女の不注意のせいだった。
「あら、ごめんなさい……」
謝る私を面倒そうに振り返った彼女の赤い前髪の隙間から気だるげな目が覗いて……そして燃えるような色が見開かれた。私は人の目を見るのが苦手だったのに、その瞬間に見た赤い目だけははっきりと覚えている。彼女はずんずんと数歩の間合いを詰め、驚いてポーチを取り落とした私の手をがっしり掴んだ。
「私、君を探していたんだ!」
はっきり言い放った彼女に勿論見覚えは無く、急にこうして絡まれる謂れも無い。でも、どうしてかただその赤い瞳を凝視することしか出来なかった。それはらんらんと奇妙な光を放っていておよそ凡人の目ではない、吸血鬼か魔女を連想させた。
「だ、誰……?何?離してください!」
数秒の沈黙の末なんとか絞り出した台詞は思いがけず大きな声になってしまった。前を行くジャネット達だけでは無く、近くのレストランのテラス席に座る客、大通りの向かいの通行人、信号待ちの路面電車の乗客までもがいっせいに私達を見た。他人の注目は苦手。かっと顔に血が昇るのを感じる。しかし赤毛の女はそんな視線の数々など意にも介さないようで、手こそ離してくれたものの解放してくれる気配は無い。
「ごめん。驚かせてしまったよね、でもちょっと話がしたいんだ。私が出すからさ、どこかでお茶でも付き合ってくれないかい?」
「そんな、急に困ります」
「頼むよ~、私を助けると思って!」
「でも私たち、今から学校に戻るところで」
「あぁ、そんなこと……君、寮母に伝えといてくれるかい?」
言われたアガサはびくりと肩を揺らした。女は柔らかい口調なのに妙に居丈高な、ともすれば高圧的な雰囲気があって、ジャネット達も傍観している野次馬も誰もが足を止めていたのに、その誰もが仲裁に入ろうとはせず口を半開きにして眺めている事しか出来ないようだった。今になって思えば、あの時私だって走って逃げ出す事はできた筈なのに、何故かそうしようとは思い付きもしなかったのだ。
「行こう。君の名前はなんていうんだい?」
さっと手を引いて連れていかれる。私は逆らわなかった。
「レナーテ・ベルナール。いい名前だね。どこかの学生なんだっけ?」
半ば無理やり連れられたカフェのテラス席で、もじゃもじゃの髪を筆で刺して留めながら赤毛の女は問うた。手元には芯の折れた鉛筆とカッターナイフ。私は早くこの席を去りたくて、落ち着きなくつま先で地面を探りつつ答えた。簡潔に答えてさっさと解放されたい。
「はい、あの……ブラックウッド女学院でお世話になっております」
女は慣れた手つきで鉛筆をとがらせていたが、私の答えに少しだけ手を止めた。一瞬前髪の隙間から私を覗いた視線はすぐにまた手元に落とされる。
「ふうん。何を学んでいるの?」
「ご存知ありませんか?良家にお仕えするメイドの養成や花嫁修業を専門にした王家公認の学校です」
「知らない……けどそうか、君はメイドか花嫁になりたいんだ」
私は少し答えに困った。何になりたいかなんて、わざわざ考えない事だった。より良い家へ奉公に行く事、もっと良いのは身分の高い男性に見初められて結婚すること……それが目下ブラックウッド女学院生の目標だったので、私もそうなのかもしれない。
私が是とも否とも言わないうちに女は鉛筆を尖らせ終えたようで、どこからか黄ばんだ洋紙を取り出して、さらさらと描き始める。
「私はモデル役ですか?」
「そう。でも楽にしてていいよ」
「何故、私なんかを?一緒にいたミナやアガサの方がよっぽど絵になると思うわ」
「そうかな?君しか目に入らなかったから他の子は分かんないよ」
丁度目許を描いている所なのか、鳥の巣のような赤毛の間から、楽しそうな目が覗いてじっとこちらを観察する。私はすぐに目を逸らした。褒められた時に喜んでみせたり、はにかんでみせたりするのが若い女の道理なのかもしれないが、私は黙り込んでしまう。
女は気にした様子もなく鉛筆を動かす。少しもしないうちに、満足したようで筆をとめた。
「ほら。久しぶりに描けたけど、モデルが良いと楽しいね」
差し出された洋紙に描かれていたのは、通りを歩いている私だった。短い暗い髪が北風に攫われて、耳が少し見えている。薄く開いた唇から零れたため息が、まだ冬の残滓を残す張り詰めた空気に白く憂いげに浮かんでいる。伏せたまつ毛の間から、金色の瞳がー鉛筆一本のスケッチなのに何故か金色だと分かったー覗いている……大雑把な描写なのに、鏡で見る私よりずっと美しく繊細だった。思わず息を止めて眺めてしまう。
「すごい……魔法みたい」
「それは君にあげるよ。付き合ってくれてありがとう」
女は太い眉尻を下げてにっこり笑った。その相貌と独特な雰囲気にずっと肩を強ばらせていたけれど、こうしているとただの同年代の少女にしか見えないと気が付いた。
赤毛の女はでがけにぼろの巾着袋からひとつかみ金貨を取り出して、そのままお釣も受け取らずに通りへ出ていく。困惑した顔のレジ係を後ろに、私も追いかけた。
「あの……」
さようなら、もありがとうございました、も違う気がして、言葉が出ない。女は振り返り、追いかけて来たきり黙ってしまった私を不思議そうな顔で眺めていたが、閃いたように唐突に口を開いた。
「君はメイドになりたいんだったよね。働き口を探しているなら私に雇われてくれない?花嫁にするのは無理だけどさ、お金は腐るほどあるんだ」
その森はすぐ裏手にあり、女学院の窓からでもその梢が風に揺れるのを眺められたのだったが、そこにわざわざ分けいるものは殆ど無かった。町はもちろん森や小川も含めこの一帯は女王陛下から統治を任された貴族のブラックウッド家が統べていらっしゃり、その土地の樹々、そよ風、せせらぎ全て現当主グレゴリー・ブラックウッド氏と後継者たるその娘コーデリア嬢の物、ひいては女王陛下の所有物であった。立ち入りが禁止されている訳ではなかったが、町以外の場所に安易に踏み込むのは気が引けるのだった。若くて無鉄砲な学生がこっそり紅葉狩りに出向き、梟の声に怯えて帰ってくるくらいだ。
あの女の話には半信半疑だったが、実際にお金に困っていないのは確かそうだった。明らかに使用人の人手が足りていないのも。私は彼女に会いに行く事を同室のアガサにだけ伝えて、ごく少ない持ち物をまとめて学園を出た。本当は学院長に話を通してから行くのが筋なのだけど、もし彼女の道化で騙されていた時に赤っ恥をかくのは嫌だった。
「森の屋敷って、まさかそれ吸血鬼が住んでるって噂のじゃないでしょうね?」
学校を抜け出す前日の夜、アガサは大きな目をさらに丸くして心配そうに言った。
「吸血鬼なんて……居るわけないじゃない、小説の読みすぎよ」
「でもこの学校では昔から噂じゃない。赤い目をした森の吸血鬼が若い女学生を喰い殺してしまうんだって」
「『ドラキュラ伯爵』みたいに?あの人は女だったわ」
「『吸血鬼カーミラ』を読んだ事無い?」
「ふざけるのはやめて。画家の先生だそうよ。吸血鬼が絵を描く?」
最後に残った私服のワンピースを畳み、私はそれを迷う気持ちごとトランクに押し込んで鍵をかけた。
「分かんないわよ?描くかもしれないじゃない」
アガサはベットの上で足をぶらぶらさせながらあの女から渡されたスケッチを胡散臭そうに眺めて、結論付けた。
「悪い事は言わないから、辞めておく事ね。時間がかかっても、大きくてまともなお家に雇われる日を待つのが幸せだわ。それにほら、明後日はライヘンバッハ邸でハウスメイドの面接だそうよ」
アガサのように恵まれた可愛らしい娘には何も分からないだろう。なんにせよあの女は大通りの人混みの中から私を選んだのだ。アガサはどうだか分からないけれど、誰かに選ばれるなんて私には初めてだった。その手を取るのがいかに馬鹿げているとしても、私を真っ直ぐ見つめて完璧に紙面に捉えたあの目を、あの手を信じないのは難しかった。
私は返事をせずにスタンドライトのスイッチを消した。
私をスケッチした黄ばんだ洋紙の裏には、森の中にばつ印を付けた地図が記されていた。
柔らかい腐葉土が沼のように足を沈める、道とも言えぬ道を往く。私を捕まえようとしているみたいに地下から腕を伸ばす木々の根に足を取られて躓き、冷たい土の上に放り出された。ほとんど中身のないトランクが乾いた音を立てて地面に叩きつけられた。低いオカリナのような梟の声につられて見上げると、黒々とした樹が夕闇の空を殆ど隠していた。森全体が侵入者を拒もうとしているようだ。右を向いても左を向いても同じような景色。道のない場所で地図が何の意味を持つのだろう。
このまま暗く寒い森で野垂れ死ぬならそれはそれで構わない気もしたが、ものを知らない女学生を愚弄しこんな森に連れ込んだあの魔女への憤りだけは晴らさで死ねるかと、悔しさが冷え込む体を紛らわせていた。いや、たとえ一晩であっても自身が誰かに選ばれた存在かもしれないなんて信じた自分が恥ずかしくて頬が火照ったのかもしれない。なんにせよ、惨めで久しぶりに泣き出したい程酷い気分だった。
「これはこれは、迷子のメイドさん。こんな所に居たのかい?」
しかし、いざカンテラを片手にした真っ赤なもじゃもじゃ頭が颯爽と現れてみると、どっと押し寄せた安堵で私は文句のひとつも言えなかった。手にした灯りが凹凸のくっきりとした顔の半分を覆い、愉快そうに輝く赤い目がよく見えた。最初に出会った瞬間にも思ったが、彼女の顔立ちは美形と呼ぶような造りでは無いのに、不思議と人を圧倒する力がある。黙ってまじまじと彼女の顔を眺める私を怒っていると解釈したのか、彼女は急にたじたじとなり、超然とした雰囲気は一瞬で消え去ってしまった。
「ちょっと、そんな怨みがましい顔しないでくれよ!ずっと探していたんだよ。でもまさか川の反対側で迷子になってるなんて思わないだろ!地図を渡してなかったっけ?」
「いえ、頂きましたが森の中じゃ役に立たなくて」
「そうかなぁ……ヤマガラの巣箱があるもみの木とか、根元に鈴蘭が生えた切り株とか、分かりやすいものをちゃんと目印に描いたんだけど」
分かってはいたけど、やっぱり変わった人だ。でも、すまなそうに肩を落としてしょんぼりしている姿を見るに、悪人や狂人、ましてや吸血鬼といった感じはしない。
立てる?と差し伸べられた手を取る。柔らかい手だったが、痩せた指の関節が目立っている。彼女はにっこり笑って私の手を引いて立たせてくれた。
「さ、暗くなる前に帰ろう。今夜は歓迎会だ!……やっぱり怒ってる?」
「いえあの、私まだ貴方のお名前も伺っていなくて……」
「あれ、言ってなかったっけ?私は……そう、カミラって言うんだ」
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