昨日の出来事が、まだ頭から離れない。 蓮太郎は雑木林の中、モヤモヤとした想いを抱えたまま歩いていた。 ここは玄川神社からほど近い森の中だが、こんな場所に来ているのは理由がある。 それは――。 「危ない蓮太郎ッ!」 不意に、歌夜の焦燥に駆られた声が飛んできた。 ハッと気づいた眼の前には、穢れを纏った犬のような、小型の妖魔が迫っていた。 サイズこそ小さいが、素早い。構えて攻撃するには間に合わない。慌てた拍子で、地面に尻餅をついてしまう。 咄嗟に蓮太郎は身体を庇うように腕を前にして、防御の姿勢を取った。 だが、予想していた衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。 恐る恐る目を開くと、そこには見慣れた背中があった。 拳を突き出した歌夜が、蓮太郎の前に立って、敵の攻撃を受け止めているのだ。 「油断しているとやられるぞ? 常に周囲に気を配っておけ」 歌夜は妖魔を捕まえたまま振り返ると、そう言った。 そして、そのまま掴んでいた妖魔を軽く空中に放ってから、切り裂くような足刀でその身体を両断する。 穢れたその身体をサラサラと砂のように浄化され、妖魔は現し世から存在を消滅させた。 「ごめん……少し、気が散ってた」 「ふっ……まぁ頼れる姉が側にいて、油断してしまう気持ちも分かるがな。 しかし、修行ということも忘れるなよ?」 歌夜は優しく笑みを浮かべながら、手を差し伸べてくる。 その手を握り返し、蓮太郎は立ち上がると、バツが悪そうに頭を掻いた。 そう、蓮太郎がここに来た理由は、歌夜と共に実戦での鍛錬を行うためだった。 元より退魔師の治める社は霊力が集まりやすい場所に建てられるが、それ故その周囲には妖魔が発生しやすい。 社自体には結界が張ってあるが、この森のように妖魔の潜む場所は、定期的に浄化を行っておく必要があった。 普段の修行は霊力を高め、スムーズに術を行使出来るようにするための物だが、実戦ともなればそれの持つ意味合いは全く変わってくる。 必要なのは、何よりも結果だ。もちろん華麗に敵を倒すことが出来るならばそれが良いが、未熟な蓮太郎はそんなことも言っていられない。 どんな状況になろうとも、やられずにやる――敵を倒しきることが最も重要となる。 そういう意味で、普段とは桁違いの緊張感を持って実戦に挑まねばならないのだが、先程のように浮ついていては歌夜に叱られるのも当然だった。 蓮太郎は気を取り直すため首を左右に振って、迷いを振り払う。 が、そうしていると、背後からへらへらとした声を掛けられた。 「おいおい、そんなんで大丈夫なのかよ? 守ってもらってばっかで情けねえなぁ~」 声の主は、修行に着いてきた優吾だった。 ニヤついた顔でこちらを見つめ、バカにした口調で話しかけてくる。 あの顔を見ると、昨日のことをまた思い出してしまう。沙夜に悪戯をし、困らせて楽しんでいた少年。この場に沙夜はいないが、やはり思い出すと良い気分ではなかった。 「次、なんか出たら俺にやらせろよ。あんな雑魚そうなの、楽勝でぶっ倒してやるからさ」 優吾はふんぞり返り、偉ぶった態度で言ってくる。 「僕だって、あれくらいなら集中すれば倒せるよ」 ムッとして言い返すと、優吾は鼻で笑ってきた。 「へぇ、やる気はあるんだな。……あぁ、歌夜のご褒美を期待してんのか?」 「え? あ、いや……それは……」 ご褒美という言葉に反応して蓮太郎は顔を赤らめる。 それは、今日実戦訓練に赴く前に歌夜から提案されたことだった。 ――そうだ、蓮太郎のやる気が出るように、ご褒美でも用意しようか。 ――ご、ごほうび!? ――ああ、妖魔を倒せたら、一つだけお願い聞いてやろう。 ――え、えぇ!? ――私の身一つで出来ることなら、なんでも蓮太郎の好きなことを言っていいんだぞ? ん? だから、頑張れ。 蓮太郎は、先程のそんなやり取りを思い出した。 歌夜としては戯れで言っただけなのかもしれないが、昨日見た艶めかしい沙夜の姿を思い浮かべると、いけない気持ちになってくる。 「まぁ、さっきの感じだとお前には無理そうだけどな」 優吾は馬鹿にしたように言う。 確かに、歌夜に助けられたのは事実だ。が、油断さえしていなければ蓮太郎一人でもどうにか出来た自信はある。次こそは、と意気込み、蓮太郎は拳を握った。 「お前たち、喧嘩するな。その力は戦いに向けろ」 歌夜がやれやれと肩をすくめながら仲裁してくる。 その様子に、優吾は舌打ちをしてそっぽを向いてしまった。が、かと思うと、何か思いついたように口を開く。 「そういや、勿論俺が倒しても、ご褒美貰えるんだよな?」 「なに?」 「だ、ダメだよそんなの!」 「あ? なんでだよ、蓮太郎だけご褒美貰えるなんてズルいだろ」 蓮太郎は慌てて叫ぶが、優吾は聞く耳を持たない。 「な、いいだろ? 俺も頑張るからさ!」 蓮太郎の修行に勝手に着いてきただけだと言うのに、図々しくもそんなことを言う。 歌夜は少し考える素振りを見せるたが、やがて仕方ないと言わんばかりに小さく息を吐いた。 「確かに、一人だけ特別扱いは良くない、か……。まぁいいだろう。ただし――ご褒美はより多く妖魔を倒せた方にだけだ」 「えっ!?」 その言葉に驚いたのは蓮太郎だった。 「なんで歌夜姉!?」 「その方が張り合いでるだろう? それに二人分もお願い聞いてあげるのは大変じゃないか」 「それはそうかもしれないけど……」 歌夜の言う事も一理あるが、あまりにも不安すぎる。 勝負して蓮太郎が勝てばいいが、もし優吾が勝ってしまえば、どんなお願いをするか想像も出来ない。 いや、勿論余程嫌なことならば拒絶するだろうが……。 しかし歌夜は蓮太郎が止める間もなく話を進めてしまう。 「ふふ……そう慌てるな蓮太郎。先輩なんだし、勝てばいいだろう。期待してるぞ?」 「うぅ……」 頭を撫でられながら言われるが、正直プレッシャーが凄く、心臓が痛くなってきた。 「俺のほうが多く倒せばいいんだよな? ならさっさと行こうぜ、奥のほうが獲物多そうだ」 優吾はやる気満々といった顔で、先に進んでいこうとする。 「こら、あまり先走るな。奥には手強い妖魔もいるんだぞ」 歌夜は呆れたような声を出しながらも、走り出す優吾を諫める。 「頑張らなきゃ……歌夜姉のご褒美が……」 その一方で、蓮太郎は自分の気持ちを落ち着けるのに精一杯だった。 ◆ それから一時間程、二人は森の中に潜む妖魔と戦い続けた。 蓮太郎は基礎的な霊術を駆使して、小型の妖魔の力をじわじわと削り、未熟ながらもしっかりと敵を仕留めていた。 一方で優吾は先日覚えた式神を使い、妖魔を寄せ付けず圧倒し続けていた。 蓮太郎も歌夜の助けを借りずに一人で頑張って戦ったが、数を競うのは流石に分が悪い。 結果――1時間で蓮太郎は3体、優吾は6体の妖魔を倒したのだった。 「俺の勝ちだな、へへへっ」 「うぅ……負けちゃった……」 得意げな顔で勝ち誇る優吾に対し、蓮太郎は悔しそうに項垂れている。 結局、最後まで優吾には追いつけぬまま、今日の修行は終わってしまった。霊力も使い果たし、身体はくたくただ。 「お前たちよくやった。蓮太郎、着実に成長しているな。妖魔もちゃんと倒せていたし、最後のほうは動きが良くなっていたぞ」 歌夜は優しく微笑みかけてくれる。褒められるのは素直に嬉しいが、今はそれどころではない。 「優吾も、中々式神の扱いが上手いぞ。初めてにしてはよくやっているんじゃないか。まぁ、だからと言って調子に乗ると危ないがな」 続けて、優吾にも労いの言葉をかける。 が、優吾はそんな言葉よりも、もっと欲しい物がある様子だった。 「それよりさー。俺が勝ったんだから早くご褒美くれよ。なんでもお願いしていいんだよな?」 「む……」 歌夜は今思い出したという風に、困り顔をする。 そして、こちらにチラリと目を向けてから、はぁ……と小さくため息を吐いた。 「まぁ、約束だからな。だが、私に出来る範囲のことだけだぞ。あと、金銭的なこともナシだ」 「分かってるって、安心しろよ。さっさと済ませようぜ」 優吾はそう言うと、歌夜に歩み寄っていく。 ( 何をするつもりなんだ……?) 嫌な予感がしてならない。まさか、沙夜にしたようなことを、歌夜にまでする気なのか? と、思っていると――。 「あー……こいつがいる前でやるのは可哀想だよな。先に帰ってろよ蓮太郎」 「え……」 優吾がそんなことを言ってきて、蓮太郎は思わず固まる。 つまり、この場から出て行けと言っているのだ。それは、他人に見せられないようなことをするつもりだと言うことで……。 不安な顔を歌夜に向けるが、歌夜はぽりぽりと頬を掻いて、それほど危機感は覚えていないようだった。 「なんだ、蓮太郎がいると困るのか? 別に私はどこでもいいんだが。まぁいい……すまん蓮太郎、外して貰えるか」 蓮太郎の方を見て、申し訳無さそうに歌夜が言う。悪いのは、勝負に負けたこちらの方だというのに。 だが実際、敗者である自分に口を挟む資格は無かった。 「あの……歌夜姉……き、気をつけてね」 心配だったが、とりあえずそれだけ言い残し、蓮太郎は渋々とその場から立ち去った。 不安なのは、歌夜の約束を大切にする性格に付け入られないだろうかということだ。 (いや、大丈夫……歌夜姉ならアイツに何かされそうになっても、厳しく叱りつけてくれるはず。何も、起こるはずない……) 自分に出来ることは、歌夜を信じて待つこと。そして次こそは負けないように己を鍛えることだけだ。 自分にそう言い聞かせ、蓮太郎は足早に森を抜け出した。 そして、それから更に数十分後……。 蓮太郎は落ち着かない様子で、境内の敷地をうろうろとしていた。 「遅いな、二人共……」 修行が終われば神社に帰ってくるはずだが、一向に歌夜と優吾は帰ってこない。 精神的な焦燥から、時間が長く感じるのもあるが、それでももう帰ってきてもいいはずだ。 そんなにも、ご褒美に時間が掛かるのだろうか。 「……」 もしかして、という想像を振り払うように頭を振る。 歌夜に限って、そんなことはない。きっと、軽くあしらって終わりのはずだ。 蓮太郎は気が気でない様子で、何度も鳥居の方に目をやり、歌夜の帰りを待った。 すると、ようやく鳥居をくぐる二人の姿が見えてきた。 歌夜はいつも通りの様子だったが、優吾は妙に上機嫌で、鼻歌交じりに歩いてきている。一体どんなご褒美を貰ったのだろうと想像してしまう。 「お……おかえり、歌夜姉」 「あぁ、待っててくれたのか? 遅くなって悪いな。」 歌夜は優しく微笑みかけてくる。 その表情からは、特におかしなことをされたという雰囲気は感じ取れなかった。 やはり、自分が心配するようなことはなかったと思っていいのだろうか。 「なんだよ、お姉ちゃんの帰りずっと待ってたのか? そんなに心配だったのかよ。……なら、何してきたか教えてやろうか?」 「えっ……? 何してきたか、って……」 優吾の言葉に、蓮太郎はドキリとする。 だが、その答えを優吾が言う前に、歌夜がそこに割って入った。 「待て優吾! その……蓮太郎に言うような事じゃないだろう。あまり、言いふらすな……」 「歌夜姉……?」 隠すように言う歌夜の顔は、どこか赤くなっているように見えた。 「分かってるって、秘密だよな秘密。まぁ、そういうことだから、お前も気にすんなよ」 二人の会話に疎外感を覚え、モヤっとした気分になる。 だが、それを問い詰めるような勇気も無く、不安な視線を歌夜に送ることしか出来なかった。 そのまま二人は、家へと戻っていく。 が、優吾とすれ違いざま、小さな囁きが耳元に届いた。 「……歌夜のでっけぇ乳、最高だったぜ」 「っ!?」 咄嗟に振り向くと、優吾はふてぶてしく口角を上げて、そのまま去っていった。 蓮太郎は立ち尽くし、今聞いた言葉に困惑し、悶々とするしかなかった。