処女について(研3
Added 2019-10-18 04:57:10 +0000 UTCかの虚淵監督が
「性的な行為はタブーであり,後暗い物であるのが当然である」と語った4gamerインタビュー記事(*1 を見て
私エロス観と一致するものを感じたのですが、そのタブーの一つとして処女というものについて感じたことを語りたいと思います。
処女というタブーが侵されることがエロスの一場面として描かれる事は多いと思います。
便宜上では処女はいわゆる性交未経験の女性を指し、それが失われる事をロストバージンと言いますので、ロストバージン≒破瓜 というのが一般的な認識だと思います。
しかし今回私が重きを置きたいのは処女そのものよりも「処女性」の方と考えています。
この処女性というのは性交の経験あるなしに関わらずタブーの領域をもつものであって繰り返しセックスを描くような作品にあってもこの処女性が失われなければ、何度でもタブーが侵される興奮を描けるわけです。
例えば、彼女や人妻といったものも認めた一人に対して以外は心も体も許さないと考えると、それ以外に対しては処女性が存在すると考えてよいでしょう。
寝取りや見せつけレイプみたいなものはそのタブーを侵すことであって多くの作品で描かれていると思います。
またこの処女性というものは後発的に発生させることも出来ると言えます。
たとえば友達に進められてセックスに興味しんしんの年頃の娘が、最初はやさしくしてくれれば誰でもいいや的に処女を失うのはむしろ処女性は低いといえるでしょう。
その後だれかれかまわずセックスする尻軽ビッチとなった娘があるとき真面目な男に恋をしてしまったとします。
娘は以後その男以外に心も体も許したくないと考えはじめるとそこには以前よりも高い処女性が生まれたことになります。
そこに昔の男達が絡んできて…
のような話もたびたび描かれているのを見ると思います。
エロ作品においてこの処女性を意識するとよりメリハリの利いたものが出来ると考えています。
逆にこの処女性を忘れてしまうと、より刺激的な描写をしたいと思ったときにただひたすらマニアックなプレイやキワモノじみたシチュエーションに展開してしまいがちで、それが最終的に描きたい事だったりそもそも好きな人だったら良いのですが、見る側が置いてきぼりになっている場合もしばしばあります。
決してキワモノが良くないという訳ではないのですが「ここまでは求めていなかった」みたいな感想を抱かれる作品というのはこの処女性の描き方に失敗があったのではないかと私は捉えています。
*1)参考リンク
https://www.4gamer.net/games/130/G013023/20110617067/index_2.html