pixiv派生のコンテンツにも関わらず、ついにまともに画像が一枚もない記事となりますw
もとより絵をみたくて加入してくださっている方はいるとしても極めて稀かと思いますのでお許し頂ければ……。
かーーー!絵上手くなったわ!!いやーーー!うまいなーーー俺!!!!!ってなってる時に
入る物言いランキング堂々の一位に「でも個性なくなったよね」
これな!!!ありますよね!!
なんだい気分よくなってるのに……折ってくるなあ……ってしょんぼりしたりしてませんか?
自分もかつてはそうでした!
しかし今では全く効きません!
これは自分のメンタルがゴリラなことを差し引いても、聞き流しているとか我慢しているとかではなく、
理屈付けして考えた末にそんなに傷つくことでも足を止めることでもないと思い至ったからです。
今回はそんな考え方のお話です。
■まず敵ではない
「でも個性なくなったよね」って言葉はついこっちもクッと構えてしまう攻撃性を感じずにはいられませんが、
ちょっとまってください。分解してみましょう。
「でも個性なくなったよね」
・上達そのものを否定せず別の切り口でとがめている
→上達は認めている
・個性なくなったよね
→なくなる前は個性があったということ。自分の過去を認めてくれている人である。
・上達して一般受けはするだろうけど俺はそこじゃないところに惹かれていた
→一般受けしなかった推しが一般受けしてしまうことへの寂しさ
どうですかこれ。
言った本人に自覚が無く、仮に傷つける意図で言っていたとしても、
言っている内容を紐解くと別にこっちが傷つくような内容でもないんですよね。
■そもそも個性を獲得しているということはメリットだけなのか
例えばなんですけど、「個性的な顔だね!」と評される超絶美人ってあんまりいなくないですか?
これを絵に置き換えてみましょう。
やっぱり「個性的な絵だね!」と評される超絶うまい絵ってあんまりないと思うんですよ。
超絶美人、超絶うまい絵の個性は「超絶美人」で「超絶うまい」ことなんです。
俺たちはその個性を獲得したくて邁進してるんじゃないのか!
特別「うまさ」には結びつかないけど生じている良性の「異質さ」がいわゆる「個性」と一般的に言われるやつです。
この「異質さ」ってやつはデッサンのくるい、不安定なバランスなどからも発生します。
それが良いように受け取られることで「個性」と呼ばれたりすることもあるわけですね。
大抵の場合上手くなる過程でデッサンのくるいは減少していき、バランスも安定していきます。
つまりどういうことかわかりますか?
誰しも「個性」のひとつや、ふたつみっつ余裕でなくなるんです。
中にはデッサンの狂いなどからではなく、ペンタッチなど「うまさ」と両立できる部分から生じている「個性」もあるでしょう。
しかし「うまさ」を手に入れていく過程で「個性」が失われたというのであれば、
それはやはりデッサンのくるい、不安定なバランス等から生じている可能性が高く、
「うまさ」を手に入れる道程でいちいち立ち止まり振り返ってまで
気に病む必要はない物であるといえるのではないでしょうか。
「異質さ」を大事にしてしまうあまり「うまさ」を手に入れる道に蓋をしてしまっては元も子もありません。
極端にいってしまうと「異質さ」=「個性」を大事にするということは上手くなることを捨てるということの場合もあるのかもしれません。
デッサンやバランスを犠牲にした上で成り立っているタイプの「異質さ」だけで
何倍も人より魅力的な絵を描く、という場合もあり、それはそれでと思うのですが、
やはり一般的に言う、そして我々が欲している「うまさ」とは相いれないものでしょう。
■上達という「ろ過」をした上で残った異質さが真の個性
というわけで、あまり個性がどうこう気にせずうまくなっていきましょう。
結果的に、という話にはなりますが
上手くなる過程を歩んでいく中でも、意識せず最後まで「うまさ」と両立できている「異質さ」こそが
真の貴方の個性と言えるものなのではないでしょうか。
さふぃー
2019-07-31 14:15:58 +0000 UTCさふぃー
2019-07-31 02:23:58 +0000 UTC