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Loser dog~深夜の負け犬ファイト~1-1


『連勝記録、続々更新中! 長期休暇の余韻を全く見せない六車選手の素顔に迫る!』


 ……自宅マンションにて。


 そんなテロップを垂れ流すテレビを、豪太は昼食のコンビニ弁当に箸を付けつつ、どこか不満そうな仏頂面で眺めていた。


テレビの向こうで、派手過ぎず、されど今風のこじゃれた服装で笑顔を浮かべる、眩い金髪の青年、 。

これまた綺麗なスタジオでソファに腰を下ろし、アナウンサーと一問一答に興じている。


なるほど、お茶の間の前では大した演技だ。他所の目にはただの才能豊かに格闘技に励む好青年だろう。……一見爽やかに見えるその笑みは、強かにその本性を隠しぬいている。


変わらずむくれた顔つきで、豪太は白飯をほうばった。



今顧みても、蓮との壮絶な戦いの末、自分の中でも、色々なことが変わった。


まずは、自分を毎日のようにあざ笑い続け、憎んでさえいた蓮への感情。そして、老け込んだような諦め癖もすこしは治った気がする。


また、自分も過去のように、一心不乱にチャンピオンベルトを手にする夢を追いかけられたら。

その思いで、自分も蓮とほぼ同じ時期に元いたジムへ頭を下げて戻り、格闘技を再開したが、やはりブランクもあり、正規社員としての仕事の掛け持ちも相まって、まだ試合には至ってはいない。


だが、蓮は再開早々に華々しく三連勝を飾り、既にチャンピオン戦をも目されている。

その才覚もさることながら、ヤツがただの人ではない、「吸血鬼」であることも、それを助けているのだろうが。


何にしても、過去にはその圧倒的な実力で、チャンピオンベルトを一度、難なく手にしている男だ。見目だって悪くない。それが舞い戻って早々の快進撃。世間がにぎわうのも必然だった。



「では! 色々聞いてまいりましたが……、ずばり、強さの秘訣ってなんですか?」


 テレビの向こう。女性のアナウンサーが問いかける。蓮はにこりと笑って口を開いた。


「やっぱり、人の話をしっかり聞いて、感謝することっすかね~。ここまで強くしてくれた周りの方々には、本当に感謝しきれないです」


 どの口が言うのだろう、どの口が。


 少しでも蓮に毒づかれたことがあるものなら、のうのうと晒すその爽やかな笑顔には誰もが歯噛みするだろう。

画面の向こう、尖った牙を覗かせて控えめに笑う大嘘つきに、豪太は舌打ちした。


 それでも、衆目的には優等生の理想的な回答らしく、ちゃらけた恰好の蓮へのギャップ効果とやらもあるのだろう。

蓮への好意を隠さず目を輝かせたアナウンサーは、再びマイクを向ける。


「やっぱり、ファンの方も気になることだと思うんですが……、ズバリ、恋人はいらっしゃらないんですか? ぶっちゃけてモテますよね?」


 ……ふと、豪太は肩でびくりと反応する。


なんでもない、ただのファンの受けを狙っただけの質問だ。

テレビの向こうで、蓮は少し押し黙った後、髪をかいて笑っていた。


「……はは、残念ながら。今はペットが第一っすね」


「ペットを飼ってらっしゃるんですか?」


「はい、なんか気難しくて、つれないときもあるんすけど、相手してるとよくなついてくるんで、やっぱ面白いです」


「ひょっとして猫ちゃんですか? 気難しい子もいますよね~」




「…………」


 いつしか豪太は箸を止め、テレビ画面を訝しそうに睨んでいた。


 いや、アイツは懐かれないから動物が好きじゃないといっていたし、アイツの住む贅沢な一軒家にも一度行ったことがある。ペットなど飼っていないはずだ。


 ……これも嘘? ……いや、アイツの言う「ペット」とは、もしかしたら…………。


「じゃあ、今はペットが、ハードな試合や練習で疲れた六車選手の癒しになっているということですね?」


「そうっすね。練習もアルバイトも忙しいし、今のところオフはペットと遊ぶのだけで忙しいですかね?」


「なるほど! つまりペットとのスキンシップこそが、六車選手のパワーの源となっているということですね?

 結果のみに捕らわれない。それでこそ、六車選手らしいとファンの方々も考えていると思われますが……」


 時間の区切りもあって、間もなくして番組が終わる。アナウンサーが蓮のこれまでの発言をまとめに入っても、豪太はぎこちない表情で黙々とそれを見つめていた。


 ……別に、アイツが世間からどれだけ注目されようとも、一格闘家として成功しようとも。自分には関係のない話だ。

その格闘技の才覚で絶対的に負けている、とまで考えたくなどなかったが。


「そろそろ時間ですね。本日は貴重なお時間どうもありがとうごじあました!

NKスタジオ一同、六車選手の今後のご健闘をお祈りし、次の試合にも期待しております!」


そうして、アナウンサーの挨拶にて番組は終わった。蓮もアナウンサーに合わせて、カメラ目線でにこやかに軽く頭を下げる。




「………………」


 豪太としては、蓮は、かつては理不尽に自分を蔑む敵、されど職場の後輩としての側面も同等に強かった。


だからこそ、同じ格闘技の選手として、その躍進には複雑な思いを抱かざるを得なかった。



蓮は、生意気だが、強い。


その傲慢な性格さえ除けば、格闘家としては才能の塊のような奴だ。

テレビに出て、試合に連勝して、最近はアルバイトに入ってくる日も少なくなった。


蓮は現場ではアルバイトだったが、それ故に最近では入る日数をフルタイムから週一程度までに減らしていた。そもそも蓮ほどの実力があれば、いっそバイトをやめて集中したほうがよさそうなものだが。


だから、死に物狂いで殴り合った末、……ほんの少し互いの理解を深め、例え口先でどんな約束をしたところで、自然と繋がりも途切れていくかとぼんやり考えていた。



……何故だろう。本音を言えば、少し切ないが。人間関係なんて、そんなものだろう。

……されど、実際には、それほど距離が離れることはなく。



蓮が格闘技に本格的に復帰して以降、職場では、蓮とは週に一度会うかどうか。


 その代わり、ではないが。最近は自宅のインターホンが鳴ると、たちどころに緊張と警戒度が上がる自分がいる……。


「おはよっす、豪太さん♪」


「………………」


 扉を開けて早々。手をひらつかせ、牙を覗かせた満面の笑み。


……蓮だ。その顔が飛び込んでくるものの、豪太はもはや驚きすらせずに訝しい目を向け続ける。


 少しの視線の交錯の後、そのまま、誰もいなかったかのように扉から顔を引き、そして閉める。


まるで、誰もいなかったかのように。不自然を与えず、しかし素早く……。


 スッ………………ガッ!


「!!」


 だが、コイツ相手に、目が合った後の無視など許されるハズもなく。蓮はすかさず扉の隙間にブーツをつきだし、それを遮った。


 ドアの隙間に足を挟んだ短い悲鳴の後……、そのまま扉を指で掴むと、ゆっくりと開いていく。


 蓮は開けようとして、豪太は閉じようとする。扉を挟んで力比べの格好になる最中で、その隙間の向こう、額に筋を浮かべた蓮の笑みが光っていた……。


「…………いってぇなぁ~……。お客さんが来たのに、豪太さん礼儀知らずっすねぇ~……。

 …………閉めんな!! ぶっ殺すぞっ!!」


「……客じゃねぇよ、テメェはよ」


 扉の隙間、その向こうでは、まるで折に閉じ込められた獣のように鋭利な牙を覗かせている。

口元だけで笑って、そして、怒りをにじませて吠え掛かる。


 ……来るなら百歩譲って、連絡ぐらい寄越せ。もう何度も言ったその言葉を呑み込んで、豪太は嘆息をはいた。



まさか、子供の頃の思い出としてすっかり風化していた存在が、今になって、しかもこんな風にひねくれきって現れるなんて思いもしなかったが。


 蓮と出会い……いや、再会して、自分の夢と挫折を嘲笑い、自分の過去に無遠慮に踏み込んでくる蓮を許せず、三度にも渡って本気で殴り合った。

そしてどういう因果か、自分はその末に、過去に捨てた夢をもう一度拾い直した。そして蓮も思う所があったのか、格闘技を再開した。


 もう、迷わない。だがそう決めたとしても、工事現場の仕事をかねつつ、試合に向けた練習を行う現実はやはりハードだ。自分もそれを両立させるので精一杯だが、こればかりは仕方がない。


 同じく復帰した蓮は、テレビでも取り上げられたように早々に試合を行っている。だから、このまま遠くに行ってしまうのかとぼんやり思っていた。


子供のころ、自分に黙って遠くに引っ越していったように。


だが、テレビで見た顔が突拍子もなく目の前に現れるのに、豪太は寧ろ嘆息を吐いていた。


「はぁ……」


 子供のころは、ひょんなことから仲良くなった、一週間程度の幼馴染。

では、今は? 先輩と後輩、それで片付けてよいものなのか。この関係性は……。


 腐れ縁というものなのか。三度に続いた廃墟のリングでの殴り合いの末。今はどういうわけか、離別どころか食事などに連れて行く機会なども増え、そうしている内に蓮に自宅の場所を知られる事となった。


 それからだ。蓮がヒマを見つけてはこうして家にやってくるようになったのは。そして、あれほど敵視したはずの蓮に対し、それをまんざら悪く思っていない自分もいる。


 ……どんなに面倒な後輩でも、いや、人を困らせるような厄介な後輩であるからこそ、世話を焼きたくなる自分が疎ましくなる。

豪太は一人、玄関先で目を覆った。


「……で、今日は何しに来たんだよ。昼寝なら自分の家でやれや」


(……先輩の家だろうが、コラ……!)


 自分が鍵を閉めるのを待たぬまま、蓮は遠慮なくブーツを脱ぎ散らかして部屋に踏み入っていく。


 だが、世話を焼きたくなるとしたって、礼儀知らずはまた別問題だ。その横柄な態度にまた苛立ちつつも、そのブーツを玄関で並べて、豪太はその気ままな背中を睨みつけた。


「いや、様子ぐらい見にくるっしょ」


「テメェに面倒みられる言われはねぇぞ」


「だって豪太さん、俺の「ペット兼非常食」っすから」


 舌を出し、さも当たり前のように言い放つ蓮に、豪太は顔を引きつらせつつも、もはや何も言い返さなかった。


 悪意は感じない……、のか? 嘲る気配も感じない……でもないが、それ以上に、こちらとの関係で「優位に立ちたい」という本性がひしひしと感じられて、うまく咎めることが出来ずにいた。


 咎めたとしても、こいつは一切譲らない。こちらも譲らないから口喧嘩になり、しまいに掴み合いの殴り合いになり、そして万が一、それに負ければ……。


もう何度目だろうか。だが、どれだけ争ったとしてもまた平然とここにやってくる。もうこちらが気疲れしてしまった。


 おそらくは、自分がコイツの正体……「吸血鬼」であると知っているからこそ、コイツはこちらとの関係でここまで上に立とうとしているのだろう。


(別に、弱み握ってるつもりなんざねぇ、つーのに)


「……テメェ、先輩の部屋だろ。なに勝手に入ってくつろいで……」


 言い掛けて、しかし蓮が意にも介さないことを思い知っているから、豪太は本日既に何度めかの嘆息を吐く。


 学生時代の部活から格闘技にいそしんで……、良くも悪くも体育会系が染み付いた性格だと自覚している。故に、先輩に対する礼節に欠けた行為はしてもされても落ち着かなかった。思えば蓮との衝突もそれがきっかけと言える。


 ……だが、無礼の権化のような蓮には何を言っても改善が見込めなかった。先輩として諭すように言えば図に乗るし、声を荒げれば殴り合いになる。


 ……俺のころは、こんな真似したらぶん殴られてたぞ……。いや、昔話をするほど世代は離れていない筈だが。


豪太の気に入っている座椅子に勝手に座って携帯タブレットを弄っている蓮を見て……豪太は髪をかき、その前にあぐらをかいた。


「蓮」


「んー?」


「お前、俺とどうなりてぇんだよ……。お前とのつきあい方がわかんねぇよ、俺はよ」


 説教なんて何度も試みて失敗した。今更何も出やしない豪太が、諦め半分にそう言った途端、蓮は携帯タブレットをいじる指を止める。


それをポケットにしまい、しかし豪太と目を合わせずに口を尖らせた。


「……だって、豪太さんが俺のこと好きなんだから、仕方ねぇじゃん」


 いきなり、蓮が少しむくれたように言う。途端に、豪太は肩を跳ねさせて反応した。


「はぁ……!? なんでそうなんだ、バカが!」


「俺に咬まれたら、だらしなく俺に発情するくせに」


「そっ、それは……っ! テメェが咬むからだろうが!」


 そう、俺はコイツとの殴り合いの末に、その流れのままに体すら交えてしまった。


 自分でも目を伏せたくなると思う。一人の夜になると特に我に返る……。だが、なぁなぁの流れのままに、何時の間にか二人で朝だった、なんてこともありふれていた。


 性別云々はともかく……俺も性事情に悩む独り身の男だ。そして蓮を抱く感触は、正直、悪くはない。……と思う。


 問題は、コイツもその関係に置いて優位を確保しようとせっついてくること。

そういった言葉はもう何度も聞いた。コイツはどうしても、「自分に惚れている俺」を求めてくる。


「だから、そう言ってんじゃん」


「っ、…………」


 そういって、蓮が舌を出す。馬鹿にされた気配に、豪太はやや悔し気に奥歯を噛んだ。


 こいつはただの人間ではなく、吸血鬼だ。そしてこいつに咬まれると、どういうわけか体が火照り、落ち着かなくなってしまう。


 果てには、どんな微かな刺激にも……リングの上で敵であった筈の蓮の指先でさえも、触れられる刺激に敏感に反応してしまう。その状態でなんども蓮を肉体的に受け入れてしまった。


 ……散々にボコボコに殴られて、リングの上で犯されるなんて、格闘家として屈辱の極みだ。あれほど熾烈にやりあった関係だというのに……こいつの中では、こちらの思考さえも自分勝手に書き換えられている。


……、俺が、コイツを……? 豪太は首を振り、これ以上話しても無駄だろうと、そそくさと立ち上がった。


「……で、メシは? 食ってきたのか?」


「まだ~」


 そこでふと、蓮も立ち上がった。こちらの指示も何もなく、冷蔵庫まで歩き、その扉を空ける。


 人様の家の冷蔵庫をごく自然に物色する蓮に、豪太は諦めたように後ろ髪をかく。何を探したところで、ビールくらいしか入ってはいない。


「何もねぇよ、……弁当の出前でいいな?」


「んー」


 ……、なんで俺がコイツのメシを……。この状況に慣れてきてしまった自分にも危機感を覚え始め、豪太はじっと蓮を睨む。


 蓮は空返事もそこそこに、冷蔵庫の物色を止め、今度はソファに寝転がる。


まるで、我が物顔で家を闊歩する猫だ。それも、手を出せば手痛い反撃が飛んでくる怪物。


豪太がじとりと睨んでも、その怪物はなんとも呑気な顔で、シャツの隙間からちらと出した腹を指でかきつつ、大口の欠伸をしていた。




 だが、いつまでもコイツに付き合ってなどいては心身ともに持たない。


 えらく無邪気で凶暴な怪物を受け入れてしまったとは思うが、こいつとは色々あれど……元を正せば職場の先輩と後輩だ。であれば、この辺で一度シめなければならないだろう。


 出会った当初もそうだったが、しおらしくなったかと思ってもこの有様だ。無礼を通り過ぎて諦めてしまうほど。自分の想定する先輩後輩の関係には天と地ほどの差があった。


 学生でも社会人でも、後輩なら後輩らしく。少しでも先輩の顔を立てるとか、その背中についていく、とか……。どのような形にしたって、このままでは放ってはおけない。



 蓮とは、色んなことがあった。他人になれないのならせめて……、面倒見がいのある「後輩」に躾なければならない。




 ………………。



…………。



「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ボクシンググローブを装着し、リングの上。豪太は蓮とスパーリングを続ける。


 蓮の動きは、まだ体が慣れないのか、ステップもどこかぎこちない。そしてそれもまた覚えのある光景だ。部活でも、プロになっても、後輩の指導の経験は山ほどある。


 蓮の繰り出す拳を避け、豪太は手加減した拳で蓮の頬や体を叩いていく。


 それが、しばらく続く。ふと……、疲弊に耐え兼ねたのか蓮が拳を下ろした。実地での練習の末の、体力の限界だろう。


それを見て、豪太も熱い吐息を吐きつつ、動きを止める。


「お……、俺、もう……」


「……少し、休むか」


 豪太は身構えていた拳をおろすと、今にも崩れそうになっている蓮の肩に腕を回す。


 すれば、ふと蓮の表情に安堵が灯った。そのまま、汗だくの蓮を介抱するようにベンチに座らせると、今度は悔しそうな目で豪太の顔を見上げた。


「……俺、やったことねぇのに、豪太さんに勝てるわけないじゃないっすか……」


 口をすぼめて、ぶつくさと弱音を吐く蓮に、豪太は低い声色で答える。


「強く、なりてぇんだろ?」


「……っ!」


 自信を添えた言葉とともに、力強く背をさすってやる。すれば、絶え絶えの息だが、確かに目の色を変えた蓮はこくりと頷く。


 練習はしばらく続いた。基本の練習、それからスパーリングまで。

 その後に、豪太はキャンバスを下り、飲み水のペットボトルを蓮へと手渡す。蓮はすぐにキャップを外すと、かぶりつくように一口に飲み干していった。


「……豪太さん。ボクシング、すげぇ強いんすね……」


 ふと、蓮が言うのに、豪太はどこかそっけなく答えた。


「……んなことねぇよ。お前もこれくらいやれるようになれば、総合でももっと強くなれるだろ」


 総合格闘技でのリングでは蓮の実力は言わずもがな、元々の才能が秀でていれば、扱える武器は多いに越したことはないだろう。

もしかしたら、世界すら狙えるかもしれない。蓮さえ、その気になれば。軽く咳払いをして豪太が言う。すると、蓮の目が青春じみたように輝く。


 すべてを見下したような今までのそれとは、まるで大違いに。


「豪太さん、俺……、今まで失礼な態度とってすいませんっした!」


「……おう」


「俺、豪太さんのこと尊敬します。こんな俺のこと、面倒みてくれて」


 宝石のようにキラキラ輝く、理想の後輩からの尊敬の眼差し。豪太は照れくさそうに頬を指でかく。


「あの、俺……、豪太さんの事、兄貴って呼んでもいいっすか?」


「……好きにしろよ」


 練習が終わり、上着を羽織る。そそくさと自分の後をついてくる。豪太はふと思いついたように口を開く。


「……今日は焼肉でもおごってやるよ。明日からも頑張れよ」


「ホントっすか!? 頑張るっす! 俺、兄貴と飯いくの大好きなんで!」


「……そうか」


「その前に、銭湯いきましょう! 面倒見てもらったんで、背中流させてください」


「おう」


………………。






 よし、これだ。



 すこし偏見が入っているように思えるし、何よりあの蓮だ。現実離れの気配も否めないが、なによりも理想はしっかりと形になった。


 自分の態度を猛省し、先輩として自分をひたすらに慕う蓮の姿を、頭の中でしっかりと想像して……、これがあるべき現実だと、豪太は誰にともなくこくこくと頷いた。




とある、休日。


 いつものように部屋に上がり込んで、今は豪太の隣でテレビを見ている蓮に……、豪太はふと、軽い咳払いをした後に声をかける。


「あー……。コホン。おい、最近調子はいいのかよ」


 ふとした豪太の問いかけに、蓮は気怠そうに肩を回しながら答える。


「テレビ見てないんすか? 今のとこ無敗っすよ? 俺強いし。豪太さんは?」


「俺のことはどうでもいいだろ。……それより」


 相変わらず、ふてぶてしいほどに強気な蓮の声色だったが、それはともかくと、豪太はそっと、今まで自分の背後に隠していたものを前へと回す。


 黒いビニールのラッピングに包まれた箱。同時に豪太はリモコンをとり、テレビを消す。


「あっ、見てんのに…………、……っ!?」


 テレビが消えて、不機嫌そうに眉を傾ける蓮だったが、豪太から差し出されているその箱を見た瞬間、目を見開いた。


「ほら」


「…………。これ、俺にくれるんすか?」


「あぁ、開けて見ろよ」


 前触れなしだったとはいえ、それほどに意外だったのか。差し出されたプレゼントに蓮は口を丸めて釘付けになった。

やがて蓮ははっとしたように手を伸ばすと、そのリボンをとき、包みをとり始める。


 はがし終えた包みを丸めてそこらに放り、箱を開けてみて……、蓮は言葉を失った。


「お前。ボクシングやったことないだろ、もし、よかったら……」


「……これ、マジで俺に……」


 プレゼントは、サイドに白のラインが入った、黒のボクシンググローブ。


 安物ではなく、相応の痛手ではあったが。その甲斐あってか、蓮は瞳を震わせつつ、その箱の表面を指で撫でる。

それをまじまじと見つめた後、そのままの目を豪太へと向けた。


「……な、なんで……? 俺にくれるんすか?」


「使える格闘技が増えれば、それだけ試合の中でも選択肢が増えんだろ」


「…………」


 蓮の才能はずば抜けている。一人の選手として見るならすこし複雑な思いだが、後輩と思えば話は別だ。


 豪太が見守る中で、蓮はさっそくグローブを箱から取り出し、持ち上げたりしてじっと見つめている。

 ……どうやら、興味は持ったらしい。豪太は内心でぐっと拳を引く。


「俺は元々ボクシング出身だ。基本だけでも俺が教えてやるから、やってみねぇか?」 


「え、それはいいっす。豪太さんみたく弱くなりたくないんで」


 かと思えば。……豪太は必死に奥歯を食いしばり、殴りかかりそうになる腕をこらえる。


 まぁ、そううまくいくはずもなかったか。豪太はひきつりきった笑顔を何とか取り繕うと、ふぅと息を吐いた。


「……そうか、じゃあこれは必要ねぇな」


「っ」


 そういって、言葉とは裏腹に固く両手に抱えていた蓮の手から、グローブを取り上げる。


 ……すると、どういうわけか蓮は途端に眉をはねさせ、反射的に取り返そうと手を伸ばしつつ、鋭く豪太を睨んだ。


「な……、何すんだよ、返せやっ!!」


「なんだよ! テメェの為に奮発して買ってやったんだよ。いらねぇなら返せ、返品すっから」


「…………い、いや、……もう、俺のもんだし……」


 グローブを取り返そうと掴みかかってくる蓮ともみ合いになる中、豪太が言い放つと、蓮は言葉の勢いを失うものの、口をすぼめて食い下がる。


 プレゼント自体は気に入っている様子だが……、相変わらずのひねくれようで訳が分からない。

だが、せっかくのプレゼントを手放したくないらしいのは伝わって来た。口をもごつかせている蓮に対し、豪太は深く嘆息を吐く。


「あぁ? じゃあやんのか?」


「……いいっすよ、ボクシングくらい……」




 豪太の与えたグローブを手に、蓮の所有している、元ボクシングジムの廃墟へと向かう。


 蓮とはここで何度も衝突した。残されている器具はほとんど使い物にならない様子だが、まだリングがある分、本格的な練習はできるだろう。


二人ともが上半身裸となり、リングに上がる。コーナーの前で、ジーンズの下に自前の赤のグローブをつけた豪太が拳を持ち上げて手本を見せている最中だった。




「いいか。基本のジャブ、ワン、ツー……」


 ボクシング初心者であろう蓮への手本にと、豪太が拳を繰り出す。格闘家として洗礼された筋肉質な肉体がその線を際立たせ、そしてその拳の速度はだてではなく。


 基本の姿勢で放ち終えると、どこか引き締まった声色で、傍らで見ていた蓮へと拳を突き出して見せる。


 少しの間の後、どこか観念したような目をした蓮は、豪太が買い与えたグローブをつけ、同じように拳を突き出す……。豪太に負けない速度で拳を繰り出す。それを二度、三度。


 豪太に同じく、蓮の肉体も実力相応に鍛え抜かれており、拳を繰り出す度、割れた腹筋が呼吸に呼応して動き、滲んだ汗の滴が腕や髪の先から宙へと弾け飛んだ。


豪太の指示のもとに、反復練習。……暫くは大人しくしてたものの……、ついに蓮は大袈裟に嘆息を吐いて見せた。


「…………、あのさぁ。なめてんすか、豪太さん。それぐらい知ってるし」


「う……、うるせぇな、黙ってやれよ」


 豪太が喝を入れて唸ろうとも、蓮の動きもどこか気怠そうで覇気が一切感じられない。


 自分の感覚として、先輩後輩の関係についてはびしっと整理をつけたいし、そうでなくたって、基礎練習ほど重要なものはない。

そして、どんな裏事情があろうとも、ボクシング経験者であり先輩として、一度決めたならばそれなりにきちんと蓮を指導するべきだ。


 ……とは思ってはいても、流石に蓮の不満の声も分かる気がした。確かに、ずぶの素人に教えるようなことではコイツは満足も尊敬もしないだろう。何より指導経験はあっても、自分はプロのトレーナーではない。蓮に合わせたカリキュラムを本格的に考えていたわけではなかった。


 だが、ではどこから教えればいいのか……、総合格闘技では凄まじいほどの実力をもっている蓮だからこそ、いまいちそれを掴めずにいた。いざ取り組んでみれば、格闘技の素人に教えるよりもよほど難しい。


(こいつ、前身なくいきなり総合格闘技に入ったんだったな……。ボクシングについて、どこまで分かってんだ……?)


 総合では、それこそチャンピオンクラスの実力者である蓮の指導など、一筋縄ではいかないとは思っていたが、蓮の目は明らかに尊敬の眼差しではない。

……「さっきから一人で何張り切ってんだ、コイツ」の目だ。


 豪太は一呼吸した後、このままではまずいと踏んで、蓮がこれ以上飽きる前に、更に教授のステップを先へ進めようと決め込んだ。


「よ、よし。次は……」


「豪太さん、なんか悪いもんでも食ったんすかぁ?」


「……どういう意味だ、コラ!」


 だがその矢先に、小ばかにする声が飛んできて、豪太は不愉快そうに眉をひそめる。

 と、蓮は唐突にロープを掴んで潜り抜け、リングを降りてしまった。


「おいっ! どこ行くんだよ。まだ始めたばっかだろうが……」


「んなことより……、せっかくグローブあるんで、試合しましょうよ。ボクシングで、俺と」


「……あぁ?」


悪戯な笑みを浮かべた蓮が、挑戦的な目を向けて豪太を誘う。


 練習に飽きただけならまだしも……、蓮が無邪気な笑みでそう言うのに、豪太は訝しそうに首を傾げつつ答えた。


「テメェにはまだ早ぇよ、俺が……」


「早いんなら、俺なんてすぐ倒せますよね?

いいからやりましょうよ、万が一俺が負けたら、豪太さんの言うこと聞くんで」


「!」


 思えば出会って早々から、コイツの挑発には踊らされてばかりだ。


 頭ではそうだと理解しているものの、万が一、というのにかちんと来た。豪太は形ばかりの笑みを何とか浮かべつつ、押さえきれない苛立ちでぴくりと眉をひくつかせる。


「……テメェ、総合で強いからって、ボクシングで俺に勝てると思ってんのか? 俺は元々ボクサー出身だ、つってんだろ」


「じゃ。俺を倒して、俺に教えてくださいよ、ボクシングってやつを」


 蓮が小生意気にグローブを振って挑発を送る。その瞬間に、今日はコーチに徹しようとしていた豪太の顔から冷静さが消え失せ、その額に筋が立った。


 明らかに想定していた流れと異なっていた。ボクシングを教えて、一人の先輩として威厳を示して、蓮の態度を改善させるのが当初の目的だったのに……。


「……ホントに、口が減らねぇな。わかった。お前が負けたら、ちゃんと基礎からやるんだな?」


「負けたら、ね。俺が豪太さんに負けるなんてあり得ねぇけど」


「……んだと!」


 すると、蓮は自分のリュックサックから何かを取り出し、リングの上の豪太へと放り投げた。


 どこか見覚えのある布の影。豪太はそれをグローブで絡めるようにして受け取り、目を落とす。


「……コレ、いつの間に……!」


「試合着なら俺も持ってるんで。どうせなら着替えて、本格的にやりましょうよ?」


放られたそれは、ボクサーとして活動していた時の豪太のボクシングトランクスだった。タンスの奥にしまっていた筈が、いつの間にか蓮に漁られていたようだ。


……確かに、最近では蓮が家に泊まりに来ることもあった。寝間着がないといった時に、部屋のタンスを示して好きなものを着ろと言ったこともある。その時から目をつけていたのだろうか。


見れば、蓮は既にジーンズを脱ぎ、自前のボクシングトランクスへと着替え始めている。

引き締まった下半身を晒しながら、さぞ余裕そうににやついていた。


「俺にボクシング、教えてくれるんでしょ?

そんな豪太さんが、まさかそのボクシング「でも」俺に負けるなんて、ありえないっすよねぇ?」


安い挑発だ、重ねて自覚する。だが、男としても、先輩としても、これ以上の威厳の喪失は捨て置けなかった。


「……上等だ……! ほえ面かくなよ……?」


 蓮に投げられたその視線に、豪太は歯を噛みしめ、自前のトランクスをぎゅっと握りしめた。





「よし、ルールは知ってるな。タイマーがなったらインターバル、もう一度なったら再開」


「わーってるって。いちいちうるさいっすよ」


「……いい度胸だ。いいか、負けたら俺の言うことを素直に聞くんだぞ」


「はいはい。負けたら、ね?」


五分と一分を繰り返す様に、専用のタイマーを携帯タブレットで設定。


ボクシングトランクスに、ボクシンググローブ。ジムのスパーリングでさえここまで本格的にはならないだろう。


着替え終わった後には、もう互いに先輩後輩の雰囲気はかけらも残ってはいなかった。リングの上、対角線上にて向かい合えば、それはもはやボクサー同士の対峙の図に他ならない。


改めて引き締まった肉体を晒し、余裕をひけらかすようにロープに腕をひっかけて見下す蓮を、豪太はまっすぐに睨み返す。


(ったく。どうして、こんなことに……)


ここまでくれば引き返せないものの、豪太は装着したグローブをこすり合わせつつ、嘆息を吐く。


 元々、蓮にボクシングを教え、それを通じて、少しでも蓮の態度が改善されればと全て考えたというのに、やはり甘かったか。あの蓮が、すんなりと自分のいうことを聞くはずはなかった。


ともあれこうなれば、一度蓮を倒してその鼻っ柱をへし折ってやるしかないだろう。時間も設定し、ルールの上でのボクシングならば、こちらに分があるのは間違いない。


(くそ。俺が何年ボクシングやってたと思ってんだ……、舐めやがって……)


準備が整った後、蓮は意気揚々と鼻を鳴らすと、リングの中央へと歩み出て、顔をしかめている豪太にグローブを振って挑発を送る。


「ホラ、さっさと始めましょうよ? 俺が負けたら、豪太さんの気が済むまで、何でも言うこと聞きますから」


「ぐ……っ!」


一々、癪に障る物言いをする蓮に、豪太は奥歯を噛みしめる。


……決めた。素人だろうがなんだろうが、遠慮なしに叩き潰す。体は出来ているし総合では強いのだから、本気でパンチを当てても致命的な怪我をするようなこともないだろう。


そうでもしなければ、蓮は更に図に乗るばかり。決め込んだ豪太は、鋭利な視線で蓮を睨み付け、静かに戦意を纏った。


「……じゃ、始めるぞ」


「いつでもいいっすよ、早くやりましょうよ」


 蓮がにやつきながらグローブを振ってくるのに、豪太は舌打ちしつつ、タブレットを操作する。


 始まれば、容赦はない。現実を思い知らせてやるのも、先輩の役割だろうと言い訳しておくか。


間もなくして、ゴングが鳴った。





響くゴングの電子音。


(まずは、様子見……、っ!?)


グローブを構えつつ、行くりと中央ににじりよろうとした豪太だったが……、開始早々、先んじて速攻を仕掛けたのは蓮だった。


……ドボォオオッ!!


「っ!!?」


コーナーから一気にキャンバスを蹴り、勢いづいた拳が、豪太の腹筋を叩く。


深く、重い。蓮の拳を味わったことはこれまでに何度もあるが、ボクシンググローブでもそれはたいして変わらない様子だった。


(早い、コイツ……っ!!)


「……うらぁっ!」


「はっ、遅い、つーのっ!!」


調子づかせないためにと、反射的に豪太は反撃の拳をふるうが、蓮は頬に課するギリギリのタイミングで身を引き、それらを躱す。


回避の後、蓮はすぐに足を使って豪太に迫る。始まって早々、熾烈なインファイトの気配に、豪太は目を見開いた。


ドゴッ! ドガッ!


「がぁ! ぐふ!」


直後に、左右のコンビネーションが豪太を見舞った。ガードを固めても衝撃を防ぎきれず、次々に殴られるにつれ、後ずさることを強いられる。


ボクシングのステップも、自分が想像しているより遥かに形になっている。経験のないことが不思議なほどだった。


「確かに、俺はボクシングやったことはないんすけど」


「はぁ……、はぁ……、……あぁ!?」


ドゴッ! ゴッ! ドガッ!


蓮の拳に翻弄されながらも、豪太もその経験則から負けじと反撃を繰り出していく。それらをガードでいなしつつ、蓮は余裕な声色で口を開く。


「豪太さんと殴り合ってるから、なんとなくわかるんすよ、ボクシングがどういうもんかって。

 俺、天才なんで♪」


「はぁ、はぁ、テメェ、調子乗ってんじゃねぇぞっ!」


「っ」


ドゴッ!


やられっぱなしではいられない。言葉を交わすほどに余裕を見せつけていた蓮の頬を、豪太の拳が打ち抜いた。


「勝ったつもりか、コラ……、ボクシングで、テメェに負けるなんざ、俺は……!」


「…………」


 ここまで綺麗に殴られたことが意外だったか、蓮は押し黙ると、静かに一歩分後退する。


 反撃がようやく命中したとはいえ、豪太は油断することなく、真剣に身構え続けた。


 自分が総合格闘技の選手となるにあたり、その根底にあったのがボクシングだ。それは今も尚自分の力の基礎となり、そして精神的な基盤となっている。


 それこそ、物心ついていた頃から、実直に向き合ってきたボクシングで、教えるとまで豪語した相手に敗北するなんてこと、考えたくもない。


……一方で、豪太の反撃を受けた蓮は、グローブの甲で殴られた頬を軽くこすった。

冷ややかな目の中に、静かに憤りを灯す。


「っー……、痛いっすねぇ……、オラァッ!!」


「っ!!」


ドボオォォッ!!


「が……ぁっ!!」


吐き捨てたと同時に、蓮の姿が消え、そして目の前に現れる。


気付いた時には、腹部の蓮の拳がめり込んでいた。今の一撃で火が付いたのか、苛立ちで血走った蓮の瞳を覗き見つつ、腹筋を砕かれていく感触に豪太は嗚咽を漏らす。


ドゴッ、ドガッ!


ゴッ、ドボォッ!


「うらぁ! どうしたんすか!? こんなもんかよ、あぁ!?」


「がぁ……ぐはっ! ご……ぐぁっ!!」


怒気を含んだ言葉とは裏腹に、正確無比な蓮のコンビネーションが豪太に襲い掛かる。振り切るような拳を受け、防御しきれず、ガードごと後ろへ押しやられていく。


「はぁ……、はぁ……。 !!」


「……ふはっ、もう逃がさないっすよ? アンタは俺の……」


そして、いよいよコーナーが背に密着する。

後ずさることを強いられ続けた豪太が、これ以上の逃げ場を無くしたと自覚した時、蓮は颯爽とその前に立ち、同時に弓のように腕を引いていた。


「……サンドバックにしてやるよ、豪太さんっ!!」


「…………!!」



「オラァッ!」


グボオオオォォッ!!


「ご、はぁっ!!」


蓮が笑みを浮かべた、その直後。


繰り出された蓮の拳が鳩尾へと突き刺さった。衝撃はすさまじく、蓮の拳を起点に豪太の体が九の字に曲がる。


「が、はぁ……っ! はぁ……、はぁ……!」


「オラッ! 一発で終わるなんてありえないっしょ。さぁ、俺にボクシング教えてくださいよ、ねぇ?」


ドゴッ! グボッ!


ドボオオオォォッ!!


「ごぉ……がはぁぁぁっっ!!!」


コーナーを背に、苛立ちと嗜虐を乗せた蓮の過激なラッシュ、そして強烈なボディアッパーを受け、豪太は詰まった息を吐き散らす。


蓮の拳が頬に埋まり、腹筋を潰される。殴られる最中でも、この現状に対し、豪太は驚きを隠せなかった。


コイツの余裕は、決してただの傲慢さではない。確固たる実力を持っている自負の表れだ。だが、まさか、ボクシングでさえもここまでとは……。


このままコーナーにいては殴られ、そのまま終わってしまう。ルールの通りなら、ラウンド終了まであと1分半ほどか……?


「っと。考え事っすか? 豪太さん」


グボオオオォォッ!!


「ごはっ! はぁ……、はぁ……!!」


 一瞬でも自分から意識を離したことを視線で悟り、蓮はその頬を躊躇いなく振りぬいた。


いけない、開始早々に殴られすぎている。無理やり足を使って逃れるには無謀が過ぎるか。

辛うじて、震える腕でガードを固めようとする豪太に対し、器用にその隙間を縫うように、レバーブローが捻じ込まれた。


 ……ガードもダメだ。ならばとにかく、早くコーナー際より逃げなくては……。


「はぁ……、はぁ……、うらっ!」


 豪太の反撃を容易く避ける。だが、命中はさして狙っておらず、身を翻した蓮を尻目に、豪太はコーナー際から脱出を試みた。


「は……、逃がすか、よっ!!」


だが、豪太が必死になってキャンバスを蹴るその寸前に、蓮の目が一際ぎらついた。





ドボオオオォォッ!!


「ぐはああぁ……!!」


それを見越したようにステップを踏み、蓮がその方向よりボディブローを繰り出した。


強烈な拳が豪太の腹筋を砕き、そのまま捻じ込まれる。再び、豪太はコーナーに背を押し付ける羽目になった。


「せっかくの一ラウンド目。せいぜい楽しませてくださいよ、ねぇ、豪太さん?」


「く、そ……テメェ……」


「はは、……オラ、オラ、オラァッ!!」


ドッ! ドガッ、ドゴッ!


ドゴッ! グボォッ!


コーナー際であることをいいことに、蓮はひたすら一方的なラッシュを繰り出していく。

そしてそれらはただの乱打ではなく、また的確に豪太の身動きを封じるようにパンチを当てていた。そうなれば逃れることすら叶わず、豪太は蓮の拳を全て全身に浴びるほかなかった。


「ぐあああぁぁ……っ!! がぁ……っ! んがぁっ!」


「耐えるっすねぇ!? これで、どうっすかぁ? ……うらあぁっ!!」


ドゴオオオォォッ!!


「が、はぁ…………っ!」





蓮の嗜虐の笑みが強まり、太く隆起した腕が折れ曲がると、ままにそれを振り上げる。


拳は見事に豪太の顎先に命中し、殴られ尽くしたその肉体は儚く上へ突きあがった。

火花の散るようなアッパーのその直後……、豪太にとって長かった三分間が終わり、電子音が響いた。


「ちょうどゴングっすねぇ~。ようやく休めるっすね、豪太さん?」


「はぁ……、はぁ……、…………」


ラッシュの後のアッパーを好き放題に喰らい、豪太は荒れ果てた息を吐きつつ、ロープに背をもたげてキャンバスに座りこむ。


「ルールだし。次のラウンドもせいぜい可愛がってあげますよ」


ずる、とロープに肩を滑らせる豪太を尻目に、蓮はその耳元で囁くと、肩を回しつつ自分のコーナーに戻っていった。


全身が重く、立ち上がることすら辛かったが、貴重なインターバルを無駄にはできない……。少しした後、豪太もロープを掴みながら、足を震わせつつコーナーへと戻っていった。


一ラウンド。わずか三分の間に、ここまでやられるとは。……いや、そもそもにして、ここまで一方的にやられてしまうなんて完全に想定外だった。


(落ち着け……、蓮は、ボクサーとして完璧な動きなんかじゃねぇ……、冷静に、対処して……)


脇腹を抑えつつも、心はまだ折れてはいない。ひたすら真っ直ぐに睨む豪太に対し、蓮はぎらつく歯を見せつけてにやついていた。



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