「AIに自分の絵を学習されるっていっても、出力物から自分の絵の要素を見つけることはまずないし、別に学習されても構わなくない? というか仕方なくない?」
というのが絵描きのはしくれである自分のスタンスなんですが、それでもAI絵とAI絵生成者に対するモヤモヤがあるので、その正体の追求と言語化を試みる記事。
真面目な内容で長いです。
画像生成AIが凄まじい速度で発展していますが、同時に絵描きたちの反発も凄まじいものになっていると感じます。Twitterでのスタンス表明はもちろん、5/7現在、pixivに投稿済みのイラストを全て非公開にする人々も現れました。
しかし私も絵描きですが、何万人ものフォロワーを誇るトップ絵描きたちの反発にいまいち共感できないんですよね。しかしAI絵に対してモヤモヤと思うところがあるのもまた事実。
これは単純に、ずば抜けた技術を持つ絵描きたちは、その腕で飯を食っているからでしょう。つまりAIが人間を凌ぐクオリティで絵を出力することで、自身の仕事のパイを奪われることを危惧している。
これは、腕の良い新人が現れてパイの取り合いになるのとはワケが違います。画像生成AIは既存の絵を取り込んで学習していることが問題。
「人間も他人の絵から学習するではないか」というAI擁護派の反論も耳にしますが、それは見当違いな反論です。
人間は自分だけのフィルターを通して世界を見る生き物です。だからとある絵から影響を受け、それを「学習」と呼ぶとしても、その学習はフィルターを通ったその人独自のものであって、絵そのものをコピーペーストしたわけではありません。これがAIとは決定的に違う。AIは個体ごとに異なる「個性」というフィルターを持ちません……今は。
それに感情的には、技術的な人間とAIの違いはさておいても、結局は絵描きにとって「人間は後進になり得るが、AIはなり得ない」ということではないでしょうか。最前線で戦う現役の人間にとって、AIは後進ではない。機械はどこまで行っても道具の域を出ないでしょう。これは絵描き以外の人間でもしっくりくる肌感覚ではないでしょうか。
もっとも、相手が人間だとしても、自分そっくりの絵柄を描かれると良い顔をしない絵描きは多いかもしれません。見る人が作者を勘違いするくらいそっくりだと、それは完全な商売敵になるかもしれない。十人十色のフィルターを持つ人間が、そこまでそっくりの創作をする例は聞いたことがありませんが……一卵性双生児のクリエイターとかいるんですかね? どうなるんでしょう。
しかし、AIはそれをいとも簡単にやります。画像生成AIは特定の絵柄に特化して学習させることで絵柄の指向的な模倣も可能で、これは単純明快なコピーです。絵描きにとって、膨大な量の他人の絵も混じっているAI絵とは異なり、対自分に特化してパイを奪いにくる侵略者そのものです。
冒頭に書いた通り、個人的に私は、膨大な量の学習された絵の中に自分の絵が混じっていたとしても、出力物からそれを読み取ることはほぼ不可能だと思っています。だから自分の絵を学習されてもまあ別に気にならないし、事実、某画像生成AIが学習元に使ったとされる無断転載サイトには私の絵も転載されています。でも出力物から私の絵のコピーを感じられないなら、別にいいじゃん、と。
しかし自分の絵柄に特化してコピーされたのでは話が変わってきます。絵柄に著作権はありませんが、自分の絵には著作権があります。
こんなこと言うと「二次創作しといて偉そうに権利を語るのか」という声が必ず飛んできますが、二次創作自体は違法でもなんでもありません。特に私はコンテンツのガイドラインで認められた範囲で二次創作をしているので、これはもう明確に合法です……という話は長くなるのでこのへんで。
自分の絵を無断で利用するのは違法だ、という指摘は決して感情的なものではないでしょう。今後、実際にどのような判例が出るのかは分かりませんが。
ここまでの内容をざっくり統合してみると、画像生成AIに対する反発の理由は、以下にまとめられると思います。
「無断で自身の創作物を利用された挙句、そのうえ飯の種まで奪われては敵わない」
相手がAIに限らないシンプルな結論です。要は無断で自分の絵を利用されることが問題で、こんなに長々と考える必要もない、当たり前の結論か。
一方で、世の経済は需要と供給があるから成り立っています。
画像生成AIを使って絵を出力する人間を「AI絵師」などとおぞましい呼称で呼ぶ人がいるし、あろうことかそれを自称する「AI絵生成者」もいるようですが……
そういった人々は、なぜ複雑怪奇なプロンプトをわざわざ研究して絵を生成するのか? そしてそれをSNSにアップロードするのか?
まず思いつくのは、自己顕示欲。一見それっぽい絵でチヤホヤされたいから。
次にカネ。パトロンサイトで活動するAI絵生成者はこれで金を得る。
倫理観バグってるんじゃねーのか?と思う前に、それらをチヤホヤして金を出す人間がいてこそ成り立っているということに気付きます。
絵描きの身としては驚くことですが、あのもはや量産型のハンコ絵に成り果てたAIの絵柄に金を出す人間がいる。
これを考えた時、ふと学生時代の記憶を思い出しました。オタクの友人がいたんですが(オタクの友人しかいない? うるせえ)、そんな彼からすごく気に入っているんだと見せられた誰かの絵があります。
それを見た私は、一瞬でデッサンの狂いに目が行って、良い絵だとはとても思えませんでした。塗りは上手いんですが、人体が明らかに破綻している。この構図でこの角度からこう見えるってことは、このキャラは右の乳房だけ異常発達しているのか?というような……。しかし友人はそれに全く気付いていないようでした。
ここで触れておくと、私は当時すでに趣味で絵を描いていましが、その友人は絵を描きませんでした。
それで思ったのが、こんな明らかな破綻に気付けないのは絵を描かないからなのか?ということ。もしかして世の人々の大半が絵を描かないとすれば、世の人々の大半と絵を描く私では見えている世界が全く違うのではないか?と。
私は絵を描くことに特別のステータスを感じたことなど一度もありません。紙とペンがあれば誰でもできることにステータスもくそもありません。描くのが楽しいから描いているだけの単なる趣味です。
だからこの考え方は非常におこがましい、上から目線のそれに思えてしまうんですが、描く側としては無視できない問題です。一歩間違えば、「自分の絵がウケない・伸びないのは見る人が悪いのだ」というダークサイドに転落しかねないからです。
そしてAI絵に話を戻すと、AI絵に金を出す人間がいるということも、この考え方に通じるところがあると思うんです。
要は、「絵を見る人たちの多くは、絵に何を求めているか」ということ。
「可愛い」を求めている人は、デッサンやパースの狂いなど気にも留めません。キャラが可愛ければそれでいい。それがAI製と一目で分かるあの絵柄であっても、その人が可愛いと感じれば別にどうでもいいに違いない。
「エロ」を求めている人は、エロければなんでもいい。例えそれがAI製で、膨大な数の被害者が存在する無断利用された絵の上に成り立つものだとしても、エロければ問題にならない。権利を侵害して生まれたものだとしても、見る側が権利を侵害しているわけではない。
これを嘆かわしいと思う絵描きは多いかもしれませんが、絵描き側から見る側へ「もっとちゃんと観ろ」「ちゃんと評価しろ」と強制する権利などありません。見方や評価は先述の通り十人十色のものですし、クリエイターにとって創作物は大切な大切な我が子そのものですが、見る側にとって情報過多の現代においては単なる消費物に過ぎません。
それが悪いとは思いません。1800年代、デザインの世界でアーツ・アンド・クラフツ運動というものが起こりました。産業革命で可能になった大量生産による安価な粗悪品の氾濫に対し、手仕事に戻って高品質の製品を世に出そうとした運動です。これだけ読むと、まさに今のAIを取り巻く絵描きの情勢と似ていると言えないでしょうか。
運動の主導者モリスは安価な粗悪品を嘆いたのでしょうが、消費者は安くてたくさん手に入るなら多少の粗悪品でも別に構わなかった。AI絵もまさにそれです。大量生産は別に手仕事の職人の権利を侵害したものではないので、絶賛侵害中のAI絵と単純に比較はできませんが……
「可愛ければ別になんでもいい」「エロければなんでもいい」という需要は無くならないでしょうから、供給する人間もいなくならないでしょう。
ただ、大量生産が跳梁跋扈したところで、職人の手仕事が完全に消え去ったわけではありませんでした。むしろ「この時代に職人の手仕事」という付加価値が生まれています。
願わくば人間の絵もそのように生き残ってゆければ、といったところでしょうか。
権利関係ガン無視のカス生成者どもを一掃する規制か何かができればいいんでしょうが、そういう連中とはどうせイタチごっこでしょうからね。
アホ◯ね。
おわり