【Bye-Bye】
真白陽介には夢があった。
「上条アベルさん…かあ…」
TVに映るのはプロボクシング、フェザー級の世界王者戦。王者である上条アベルは、今日もそのリングで拳を振るっていた。…鮮やかな銀髪に青い目。すらっとしながらも鍛え上げられた体に映えるような黒いグローブ。アベルはその見た目もさることながら、爽やかで、誠実な性格も相まって、大人気のプロボクサーだった。常に爽やかで、インタビューでも常に戦う相手を尊重し、ナイスファイトと言ってのけるその誠実さ。そして、試合中はその性格を表すかのようにクールな戦い方を基本とするアウトボクサー…に見えるのだが、試合の後半では、まるで魅せつけるかのように荒々しく接近をする魅せ方をしてくるボクサー。
「…カッコいいなあ。僕もあんな風に…って、ガラでもないか…」
幼少期より、実家がボクシングジムと言うことでボクシングと触れあっていた陽介。その陽介が、ボクサーとして最も憧れていたのが上条アベルであった。
「お、すごい……接近戦に変わった…!すご…超近距離でめっちゃ押しまくってる…!あ、今のパンチ!良く踏み込めたよなあ…あーあ。僕にもこれだけのセンスがあればなー…将来、プロボクサーになったとして…アベルさんみたいに戦えるようになるのかなあ…」
普段「ぽややん」だとか「ふんわり」だなんて言われる陽介。だからこそ、アベルの荒々しいインファイト———普段の誠実さからうって変わるあの野性味に憧れる。ないものねだりだ。普段は誠実で真面目で。でも、試合中でスイッチが入ったように、こんなにも果敢に攻め立てるインファイト———。
「…カッコいいよなあ…僕もこんなプロボクサーになれるかなあ…」
そんなアベルに、陽介は心の底から憧れていた。…そして、
バシィィィィィィィィッ!
『決まったぁー!アベルのモードチェンジの一撃!強烈なアッパーが挑戦者を吹き飛ばしましたぁー!』
アベルのフィニッシュブローと共に熱く語るアナウンサー。…その声を聞きながら、陽介はぽつりとつぶやいた。
「…決まったー…か。すごいなあ…。でも…あーあ、アベルさんの最後の試合、終わっちゃったなあ。…一度、生で試合を見て見たかったなあ…」
上条アベルは引退を宣言は突然のことだった。陽介をはじめ、多くのファンが驚いた。当時のアベルの年齢は25。ボクサーとしてもこれから波の乗る、と言う時期にも関わらず、アベルは突如としてベルトを返上、フェザー級では大きな混乱が起きた。陽介も驚くと同時に、先ほどの引退試合も寂しさを覚えながら見ていたことを今でも覚えている。…なぜアベルは突如引退をしたのか。理由は今でもわからない。
…だが、異変が起きたのはそれから数年後、真白陽介が18歳となり、フェザー級新人王を経て、日本ランカー10位となった時のことだった。
その連絡は突然だった。
「え…!?僕が…あのアベルさんと!?」
プロボクシングを引退した上条アベルが4年後、突如としてプロボクシング界へ復帰する、という話が持ち上がり、現在調整中との噂が入った。そして―――そのブランク明けの為の練習試合として指名が入ったのが、日本ランカーとなった真白陽介だったのだ。…かつて憧れていたフェザー級王者との試合。
「…あのアベルさんと試合、かあ…!」
陽介の顔は喜びが湧き上がった・憧れの人と拳を交わし、戦うことができる———ボクサーとしてこれ以上の無い喜びであった。だが、それと同時、陽介はドキドキと胸を跳ね上げさせる。
(あの憧れのアベルさんとの試合…!ぼ、僕なんかで大丈夫かな…!?)
相手は曲がりなりにも元世界王者。対する陽介は日本ランカー10位。自分なんかが場違いじゃなかろうか、という気持ちと憧れの人と戦える気持ち。その両方を持ちながら涼介は練習を重ね———
そして、今日。
(…ついにこの日が来た…!)
陽介は控室で準備を終え、憧れの人への期待とドキドキ感を持ちながら、すうっと息を吸い込んだ。
やれることは全てやった。相手は元世界王者———きっと、今までずっとTVで見てきた試合のように、果敢に攻めてくるだろう。
どこまで自分が持つのだろうか。それとも、果たして…
様々な気分を抱きながらも、陽介は目をカッと開いた。そして、ふっと腹の下に力を入れると———
「よし!やるぞ!」
気合いを一つ入れ。―――陽介はスポットライト輝くリングへと、足を進めるのだった…。
「レディィィィィィィィス!エェェェェェェンド!ジェントルメェェェェェェン!」
わあわあと歓声が上がる花道を陽介は歩いていく。…さすが、元世界王者の試合。公式ということもあって巨大なアリーナは満員御礼。———陽介は胸のドキドキを押さえながらも、ゆっくりとリングへ向かった。
———もうここまで来たんだ、いい試合をすることだけを考えよう。そんなことを思いながらも、リングの上へと昇ると。
「さあ!本日のメインイベント!プロボクサー真白陽介が挑む相手は元世界王者二階級制覇!獣の本能を秘めしボクサー!上条ぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!アベルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
マイクアナウンスが猛々しく辺りに響き、スポットライトがカッと照らす。そこから現れたのは―――
『わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
『アベル-!待ってたぞおおおおおおお!』
綺麗な銀髪にすらっとした体の節々にしっかりとついた筋肉。黒グローブにトランクス。そして、キリッとしたクールな顔立ち。アベルは、チャンプの時と同じ、いつもの爽やかな笑みを浮かべながら片腕を上げ、アピールをすると———ゆっくりと、かつてTVで見たのと同じ佇まいの上条アベルがリングへとあがってくる。…陽介は、その姿を見た瞬間!
(…うわあ、間違いない、上条アベルさん本人だ!やっぱり、本物はすごいな…!カッコよくて…!感激だなあ…!)
———憧れの人に会えたという喜びと興奮に、自分の中でずっと引きずっていた緊張———自分なんかで大丈夫だろうか、という気持ちを一気にふっ飛ばすと。———陽介はリングの中央でアベルと相対した。
「よ、初めまして。今日は試合を引き受けてくれてありがとな。真白陽介?」
「あ———は、はい、こちらこそ!えっと…ご指名ありがとうございます?」
「ははっ、なんだい、それ?まるでホストみたいな」
「あ…えっと…すみません」
陽介は思わず顔を赤くする。———憧れの上条アベルの爽やかさに、少し距離を縮まったような気がした陽介は途端にふっと、その緊張がゆるんだ。
「…今日は、憧れのアベルさんと拳を交えられて光栄です。よろしくお願いします!」
「ははっ、俺が憧れ、か。嬉しいな」
「はい!僕を指名してくれてありがとうございます!全力で、行きますので!」
「ああ、よろしくな?真白陽介———いや、陽介、でいいかい?…ふふっ」
アベルはそう言うとグローブタッチをする。…のだが。
(…ん、なんだ?)
その時だった。陽介はアベルの表情に違和感を感じた。クールで、真面目で。すごく気さくで話しやすそうな口調なのだが———
(…なんだろう…アベルさん…何か、隠してる…?)
陽介はグローブタッチをした時のアベルの笑みに何か、引っかかるものを感じると。
「ふふ…リングの上って極上の狩り場なんだよね。———久しぶりの試合だ。遠慮はできないから、さ。全力で来いよ」
「あ、はい…!」
アベルのその言葉に陽介はふと我に返った。
(…っと、いけないけない———これから試合なんだから。にしても、『リングの上は極上の狩り場』か。言ってることもカッコいいなあ…けど…やっぱり気になる。さっきの笑みは…)
…陽介は長年の経験から、リングの上の相手の癖や特徴、心の中を探ってしまう癖がある。そのセンサーが反応した今、陽介はどこか不自然さを抱きながらも、自分のコーナーへと戻った。…だが。
(…いや、まずは試合だ。リングに上がった以上は僕もアベルさんも同じプロボクサー!まずは試合!集中集中…!)
試合はもうすぐなのだ。そして、相手は憧れの人…!ならば、もっとしっかりしなければ。…陽介はそう言い聞かせながら、スタッフが渡してきたマウスピースを口にはめた。そして、
(…よし、やるぞ…!)
陽介は気合を入れると、アベルをキッと睨みつけた。後はゴングを待つだけ。陽介は集中力を極限まで高めると———
カーンッ!
「Box!」
今まさに。陽介の憧れの人との試合が始まった。
陽介はグローブタッチ。グッとファイティングポーズを構えると相手の出方を伺った。
(…今までの戦い方を見ると、アベルさんは序盤は堅実、終盤に一気に畳みかけてくる…!まずは相手の出方を伺う…!)
陽介はガードを固めながら、パスッとジャブを一発。アベルとの距離を測りながら出過ぎず、しかし離れすぎず。…自分と相手の距離を見定める。そして、それはアベルも同じようで———
「シッ!」
パスパスッ!パスッ!
「ふっ!」
パスッ!パスッ!
アベルと陽介、2人はジャブを繰り出し距離を取りつつも、一歩踏み込んでは下がり、踏み込まれては距離を開け———互いに、攻め込もうとはしなかった。
「オラ、もっと攻めろー!つまんねーぞ!」
「さっさとくたばりやがれ!あぁ!?」
観客達の怒号が飛び交う。———陽介自身、普段のスタイルがテクニックを活かしたアウトボクシングがメインということもあり、アベルの懐へは入りたくないのだが———と思ったその時!
(っ!来た!)
陽介はアベルの眉がぴくり、と跳ね上がるのを見た、そして、ガードを上げたその瞬間!
ダンッ!バスゥゥゥゥゥゥゥッ!
「———ぐっ!?」
アベルの鋭い踏み込みから右ストレートが陽介のグローブに叩きつけられ———重い衝撃が走る。
(…お…もい…!?これは…!)
陽介は思わずバックステップを踏み、その勢いを殺そうとすると———
にいっ
(っ!?また、あの顔…!?)
アベルの顔が再び歪み、陽介はその顔に引っかかりを覚える。その瞬間!
「ッらぁぁぁッ!」
バスゥゥゥゥゥゥッ!
「ぐうっ———!?」
アベルの強烈な右フックが陽介のガードを破壊するかのように叩きつけられ、その衝撃に陽介が表情を歪んだその瞬間!
「ひひっ…ひゃはははははっ…!」
「ッ!?」
アベルの顔が、文字通りに歪んだ。先ほど、試合前まで。そしてジャブで距離を取り合っていたときの誠実な顔から———言うなれば獣のように、アベルの顔は豹変する。
(な…に…?)
陽介がその豹変ぶりに思わず足が、腕が止まる。———まるで、獲物を袋小路へと追いやり、今からなぶり殺しにすることを楽しみにしているかのようなサディズムにまみれたその顔。…と、その瞬間!
ブオッ!
「うわっ!?」
不意に、陽介がスウェーバックをしたところにアベルの強烈な左フックが走る。それと同時、風を切る音が聞こえ———
(まずいっ!)
陽介は思わず、カメのようにガードを固め———
ダンッ!
アベルは力づく良く踏み込むと———!
「オラオラオラオラァッ!」
バンッ!バンバンッ!バァァンッ!
「う…っ!?」
豹変したアベルは単純にぶっ飛ばすかのようなインファイトを陽介に仕掛けた!———超接近戦、とも言えるこの距離、避けるよりもガードと陽介は必死にガードを固めるが———
バスゥッ!バァンッ!バシィィィッ!
(———ぐ…きつ…い…!)
さすがは元世界チャンプ、というべきか。アベルの『大振り』な強打のラッシュは、陽介のガードしている腕をどんどんと痛めつけていく。
(…ダメ…だ!ガードは持たない…ッ!)
陽介はなんとか、ガードだけではなくステップで距離を放そうとするも———
「ひひっ…!逃がさねえ…ッ!」
「っ!?」
アベルの顔は、更にサディズムに歪んでいく。そして、それと同時。
ダンッ!
アベルは鋭いステップを踏むと———
「っしゃあっ!」
バスゥゥゥゥゥッ!
「———があっ!?」
ガードの隙間を縫うかのようにアベルの左ストレートが陽介の顔面を打ち付け———
(ッ!まず…!)
陽介は、不意にその一撃に意識を飛ばしそうになると———タンッ!と後ろ足を踏ん張らせた。だが!
「ひゃあっ!っはっはっはっは!」
アベルはそれを起点に、足が止まった陽介に少し『大振り』ながらもさらに乱打を打ち付け———陽介は、その攻撃に、まるでカメのようにひたすらガードを固めることしかできなかった。
「オラオラ!打って来いよ、あぁ!?」
バスゥッ!バスバスッ!バッスゥッ!
「う———ぐぅ…!」
まさに一瞬。油断をしたつもりはないが———アベルは陽介の一瞬を見つけると、ドンドンと前に出てやたらめったらなラッシュを仕掛ける。
(…つ…よい…!流石…元世界チャンプ…)
追い詰められた陽介はガードしながらも、にじりにじりと後ろへ下がりながら距離を取ろうとする。だが、当然それを許すアベルでもなく———
「逃げられると———思ってんじゃねえぜ、雑魚野郎が!」
ダンッ!
アベルはさらに前へと出ると———
バスバスッ!ボスゥッ!バッシィィッ!
陽介のガードをわざと壊すように、『大振り』のラッシュを仕掛けた。———が、その時だった。
(…あれ…)
陽介の頭に、とある言葉が浮かぶ。そして、その瞬間———!
「オラァァァァァァッ!」
バッシィィィィィィッ!
「———ぐッ!」
アベルの強烈な右ストレートが陽介のガードを叩き、陽介の足が『少しだけ』もつれ、後ろへとふらついたその瞬間!
クンッ!
(しまった…!?)
陽介の背中がロープを背負う。と、その瞬間!
「ひひっ!ビンゴ———死ねや、雑魚野郎がぁッ!」
アベルの拳が大きく振りかぶられ———陽介の顔面へと吸い込まれていく、その瞬間!
「シィィィッ!」
バッシィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!
「———う…ごあ…!?」
陽介の右ストレートがアベルの顎へとカウンターとして突き刺さった。
「…やっぱり…!」
「…て……めぇ…!」
アベルの足がふらふらと揺れる。———顎への一撃だ、どれだけ鍛えていても、そこは———と、陽介が思ったその瞬間!
「なぁんてなあ!」
「なっ!?」
「テメエのような雑魚のパンチがよぉ!効くかよってんだよぉッ!」
フラフラしていたはずのアベルは、突如ダンッ!と力強くステップを踏むと———
「オッラァァァァァァァァァァッ!」
ドッボオオオオオオオオオオォォォォッ!
「———ぐあああああっ!?」
完全に騙され、無防備となっていた陽介の腹へと強烈なボディーアッパーを叩き込まれた。
「———言っただろ?リングの上は極上の狩り場ってな?ひひっ!」
「がはあっ!」
陽介はマウスピースを吐き出しながら、大きく後ろへと吹き飛ばされた!
ドサァァァァァァアッ!
『Down!』
「ひひひひひひひひひっ!あー!やっぱたまんねえ!今までずっと我慢してきた甲斐があったわ!」
「…ッ!?」
「ひひひひっ!たまんねえ!たまんねえ!やっぱいいねえ!雑魚をこうしていじめぬくのはよぉ!さあ、立てよ!もっと殴らせろッ!」
「ぐっ…!」
陽介は、腹を押さえながらリングにうずくまりながら呻いた。
(…このパンチ力『は』…さすが、やばいな…ふふ、そうだよな、僕が憧れて『いた』、ずっと目標『だった』人だもんな…)
陽介は、どこか寂し気にふふっと笑みを浮かべるとゆっくりと体を立ち上げる。———と、その時だった。
「オラオラァッ!さあ、早く立て!お前もあいつらと同じようにサンドバッグにしてやるからよお!」
アベルの笑い声が響き渡り。———陽介はピクッと、その眉が動いた。
「…あいつ…ら?」
「そうだよ、あいつらだよ!ジムの野郎どもだ!ひゃっははははは!」
———トランス状態、なのだろう。アベルはすっかりと顔を歪めると、自己陶酔するかのように話しだす。
「ったくよお!せっかく世界チャンプである俺様のスパー相手をさせてやったんだがよお!どいつもこいつもすぐにぶっ壊れちまいやがるッ!挙句の果てにいい加減にしろって俺を破門しやがってよお!?ったく、やってらんねーよなあ!あっははははははは!」
「…そういう…こと…か…」
その言葉で。陽介は全てを理解した。
———この狂った笑みを浮かべるサディスティックな男こそがアベルの本心なのだ。普段の誠実でクールなのは、まさに言うなれば『仮面』。本当の上条アベルはただの乱暴者でしかなかったのだ。
(…突然の引退も…さっきの話が本当ならジム内でのいじめ。チャンピオンの名を穢さないようにこっそりと追放された、ってのが真実か…!)
陽介の頭はフル回転をし、その考えまで至ると同時。
(…ははっ…!…僕の憧れの…目標にしていた人…が…こんな…ただの乱暴者だったなんて…な…)
陽介は肩を落とした。…今まで、この人のようになりたい、そう思っていた上条アベルの幻想が打ち砕かれたのだ。
(…なんか……虚しい、な…はは…)
陽介は立ち上がり、拳をぎゅっと握ると———少しだけ下を向き。…何かがポタリ、と一粒だけリングを濡らした。そして、
「———もう、いいや」
陽介はそう呟くと———ファイティングポーズをとった。そして、レフェリーが試合再開の合図をしようとした———その時だった!
「オラ、とっとと冥土に送ってやらぁっ!」
「っ!?」
ドッボオォォォォォッ!
「ッ!ご……は……っ…!?」
———アベルは不意打ち、とばかりに陽介の腹にボディーブローを喰らわせる。———陽介の体がくの字に曲がり、その腹筋がみしぃっと悲鳴を上げた。
「ひひひひひっ!…あー…たまんねえ…拳に走るこの感覚…!ああ…やっぱやめられねえなあ…!雑魚をいたぶるのは…!」
———レフェリーの指示すらも従わないアベルの口から、文字通りに最低最悪の言葉が響く。…だが、その時だった。
「…うっせ…」
「…あ?」
陽介は、ただ小さく、一言そう呟き、アベルが首をかしげると———
「………シィッ!」
アベルのボディーブローを受けたはずの陽介は、ダンッ!と足を踏ん張らせ、立ち上がりと同時にアベルの顔面ど真ん中に強烈なストレートを叩きつけた!
バッシィィィィィィィィィィッ!
「ぐへあっ!?」
アベルの顔面に陽介のグローブがめり込んだ!アベルはまさか、という顔をすると同時に吹っ飛び———
ドッサァァァァァァッ!
…アベルはリングマットに、大の字になるように倒れ込んだ。
「て…めぇ…!」
「どうして?とでも言うの?…はあ…はあ…確かに、『少し』効きはしたけどさ」
陽介は腹を押さえながらも、ゆっくりと答える。
「…答えは簡単。『あんた』、『本性出したら』『喧嘩みたいな戦い方』するんだね?…少しだけ、体をずらして———急所は避けたつもり」
「く…ぅ…!」
アベルは歯を食いしばりながらも、カウント8で立ち上がる。———その表情からは鼻血が流れ出ているも。
「まぐれ当たりがぁっ!」
やはり、闘志は尽きないようで。アベルは獣のように牙をむき出ししながら陽介に飛び掛かるように『大振り』な右ストレートを放とうとすると———
「シッ!」
バシィィィィィィィィィィッ!
「———が…っ…!?」
陽介のカウンターがアベルの鼻っ柱を叩き潰した。
「…上条アベル。悪いけど———『あんた』はもう、僕には勝てないよ」
「あぁ!?」
「『あんた』の拳は全部見切った」
「舐めとんのか、あぁ!?」
「…拳を交わして分かった。『あんた』は僕以下。もう、『あんた』の拳は僕には当たらない———」
「ざっけんじゃねえっ!ぶっ殺してやらぁッ!!」
アベルは怒りを露わにしながら拳を振り上げる。———その姿は、もはや誠実、真面目、クールといったものとは程遠いものだった。
ブンッ!ブンッ!
「テメエ!このっ!」
アベルは『大振り』に陽介に拳を振るう。ストレート、フック。だが、陽介はそれをわずかな動きだけで避けていき、それと同時。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁッ!」
アベルはさらに激昂し、その拳はボクシングではなく、喧嘩のそれへと変わっていく。その瞬間!
「ふっ!」
バシィィィィッ!
「うぶっ!?」
アベルの顔面に。陽介はカウンター気味で左ストレートを叩き込むと———陽介は、タンッ、と。アベルと距離を取った。
「…残念だよ、上条アベル。僕は『あんた』を目指していた。『あんた』に抱いていた憧れ。『あんた』みたい強くなりたい、そう思っていた希望。そして———『あんた』みたいになりたい、そう思っていた夢。全部全部、崩れたよ。『あんた』は所詮、ただの不良と同じだ。痛めつけてそれを糧にただただ楽しむただのサディスト」
「っせえ!いい子ちゃんぶってる奴がよお!テメエも同じなんだろ、ああ!?よえ―奴いたぶって!殴って!泣かせて!その瞬間が最高に決まってんだろ、あぁ!?」
「…ねえ、これ以上失望させないでくれない?同じチャンプでもどうしてこうも違うのかな。誠実で爽やかで、それでも強くて豪快な戦い方ができる———そんな『あんた』が好きだったのに」
「るせえ!叩き潰してやる!」
アベルは怒りを露わにしながら陽介へとつっこむ。———だが。
「っらあぁぁぁぁっ!」
ぶおおおっ!
「遅い」
先ほどまで、散々に陽介を捕らえていたアベルの右ストレートによる強打は———陽介が軽く、体を反らすだけでその空を切り。
「ちっ!まぐれ野郎が!」
「無駄だよ———まぐれって何度も起きるものじゃないって、そんなこともわからないの?」
「るせええええっ!10位風情があああッ!」
その後も。アベルのぶんぶんと振り回す拳を全て、陽介は紙一重で避けていく。その目と頭には、もうすでに、アベルの拳の軌道の全てが見えていた。陽介の長年の経験、それに伴う観察力、そして、それを打開するためのクレバーさとテクニック。それこそが成せる業に、アベルの拳はもう当たらない。
「…もう一回、言うね。———上条アベル。『あんた』は僕より弱い」
「るせえっ!」
「もう、充分だ———」
陽介はそう呟くと、ゆらりと拳を動かす。そして、
「うおおおおおおっ!」
バシィィィィィィッ!
「…ぶはっ!?」
突っ込んできたアベルにジャブを一発。アベルの顔が軽く吹っ飛んでいく。…そして、
「———本性を出したあんたは…」
「てっめぇぇぇっ!」
「ここで———さらに突っ込んでくる」
バッキィィィィィィィィッ!
アベルの動きを読み切った陽介のストレートが、カウンターとなってアベルの顔面に突き刺さる。
「ぐぅっ!?く…ざけんな!」
「そのセリフはもう何度も聞いた!———そして、あんたは…」
陽介は少しだけ距離を取る。そして、
「死ねやああああっ!」
突っ込んできたアベルの右ストレートをふっと避けると———
「ふっ!」
ドッボオオオオォォォォォッ!
「———ごはっ!?」
その腹に、強烈なボディーブローを叩き込む。
「ここで間違いなく突っ込んでくる。…わかりきっていれば対処なんて簡単」
「げはっ!げはっ!…くそおおおぉっ!」
———それでもなお、ぶんぶんと拳を振るうアベルからトンっとステップ、距離を置くと。
「……残念だよ、アベル」
陽介はため息をついた。
「もう、わかったでしょ?———『乱暴者でしかない』『あんた』に僕は倒せない。鼻血流して、全身ボロボロにして、痣付けて!…まだ、わからない?」
「うおああああああああああっ!」
「…これが…僕の憧れていた人…だったなんて…な…」
「うるせえッ!うるせえうるせえうるせええええええええっ!」
アベルの顔は、もはや正気の顔ではなかった。格下だと思っていた陽介に、いいように弄ばれ、殴られ———反則を使っても倒せない。その事実がアベルの高すぎるプライドをこれでもかと刺激していた。…が。
「言ったでしょ———『お前』に僕は倒せない、って!」
陽介は、そんなアベルを憐みの目で見つめた。
「…僕の憧れていたボクサー、上条アベルだなんていなかった」
「大人しく…ッ!大人しく潰され…ッ!」
「うっさい」
スパァァァァァンッ!
飛び込んできたアベルの顔面を、陽介のジャブが捉える。———完全なカウンターだ。
「てっめぇぇぇぇぇっ!」
アベルは、ますます鼻血をまき散らしながらも、さらにと言わんばかりに激昂すると———
「死ね!死ね!…死ねええエェェェェェェェッ!」
ぶんぶんと、大振りのパンチで陽介の顔面目掛けて拳を振るう。———これが、あるいは陽介ほどの実力を持った選手でなければ。その気迫とパンチにわずかに宿るボクサーとしての技術で追い詰めることもできただろう。…だが、
「…シィッ!」
バッキイィィィィィッ!
「うぶっ!?」
その瞬間。———陽介の目つきが変わった。憐れみを抱いていた目は、さらに深い色に染まると、その右ストレートは間を縫うようにアベルの鼻っ柱を叩き潰し———
「ふっ!シッ!」
バンバンバンッ!バンッ!バシィィィィッ!
「ごへああああああっ!」
続くジャブからのワンツーのコンビネーションをアベルの顔面を何度も何度も打ち付ける!そして———
「シィッ!」
バッシィィィィィィィィィィィィッ!
「ぐあああああっ!?」
陽介の左フックがアベルの顔面を殴り飛ばし———
ドッサァァァァァァッ!
「ふっ!」
バスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!
右のアッパーがアベルの顎を跳ね上げると———!
「ぐへあぁあっ!」
ごはっ!
アベルはマウスピースを吐き出しながら、大の字になり———
ドタァァァァァァッ!
…アベルは二度目のダウンを喫した。…だが。
「はあっ!はあっ!…くそ!くそ!くそおおおっ!10位風情が…ッ!」
…アベルはそれでもと立ち上がる。
「…もう諦めなよ、元チャンプ」
「るせえええええええっ!」
「…僕の気持ち、わかる?…憧れていた人が、憧れていたチャンピオンがこんな乱暴者だった気持ち———」
「あぁ!?知るかよ!俺はな!この気持ちを埋めるためにずっとボクシングやってきたんだよ!生意気に向かってくる!雑魚をぶっ飛ばして!そして!そのプライドをずたずたにする!テメエも…テメエも…!」
「…ははっ、『お前』はどうしようもないクズだね」
陽介はそれを、怒りでも憎しみでもない、ただ、至極残念だ、そう言わん表情で見つめると———
「るせぇっ!テメエも———テメエもずたずたにしてやらぁっ!」
ブウンッ!
アベルの放つ大振りの、チョッピングのパンチを陽介は紙一重で、でも悠悠と避けると———
「———もう、終わりにするよ。バイバイ、チャンピオン」
ドッスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!
「う…ぼあ…!?」
無防備なそのアベルの腹に、陽介は左ボディーアッパーを叩き込み———その腹を大きく大きくえぐった。そして———
「バイバイ、僕の憧れの人。そして———」
陽介は一言。最後にそう告げると———
バッシィィィィィィィィィィィィィッ!
陽介の赤いグローブが一閃、その右アッパーがアベルの顎を捉え、その頭がガクンッ、と揺れると同時、陽介の右拳に確かな感触が残る。そして———
「あ———が…はっ…!?」
ガクンッ
…アベルの足が、ゆっくりと崩れ落ちた。
「…バイバイ、僕の…ボクシング…」
陽介は、その後。アベルを見届けることなく後ろを振り向くと。
ドサァァァァァッ
倒れる音を聞きながら、コーナーで観客達を見回していた。
「D,Down!」
レフェリーの声が聞こえる。観客達もまた、騒いでいる。———だけど、
「———何も聞こえない、何も響かない———」
陽介の心にはなにも響かなかった。———ずっと憧れていた、追いかけて、自分の目標でもあった。そんな人が実はただの不良だった。———陽介はその事実に耐えられなかった。そして、
「10!KnockOut!」
カンカンカンカーンッ!
ゴングが響き渡り、陽介は勝者として腕を上げられ、祝福の言葉を浴びせられた。だけど…
「…Bye-Bye…」
陽介の表情は戻ることはなかった。陽介は、ただ、虚ろな目をしながらゆっくりと振り返る。そして、リングに転がる何かをじっと見つめながら、陽介はただ。無心で自分が潰したものを見つめるのだった…。
あの日の陽介とアベルの試合は大きな物議を呼んだ。
まず、アベルは復帰を前提としたブランク明けの試合としていたが———結果は御覧の有様。陽介の完全KO+最後の右アッパーはアベルの顎と、そのちんけな乱暴者のプライドを完全に破壊し、アベルは選手生命を絶たれてしまった。その際、チャンプの座からなぜ突然の引退になったのか、というのもマスコミにバレてしまい。…アベルは社会的にも抹殺されることとなった。…ま、陽介に逆上してあれだけ大きなアリーナで、叫ぶような声でカミングアウトしたのだ。今まで大衆が持っていたアベルの心象———誠実で、爽やかで、獣のように荒々しいボクシングもできるクールなボクサー、というのが壊れるのも必然。もう、プロボクサーとしてはやっていけないだろう。
そして、そんなアベルを打ち砕いた陽介にも大きなスポットライトが当たった。元とはいえ、世界王者を倒した真白陽介。しかも、最後はアベルのパンチをほぼ被弾せず、完璧なまでのカウンターを決めた凄腕のテクニックの持ち主として、大きな評価を得た。当然、世間からも陽介は大きな注目を浴び、そのランキングも爆上がり。世界チャンプを倒した陽介を世間は「無冠の王者」と呼び、あの試合も伝説となった。
だが、陽介はそれにも関わらず。…あの試合後、しばらくしてプロを引退し、トレーナーの道を歩むこととした。プロを辞めると言ったとき、多くの人に止められた。そして、それと同時に何故だと問い詰められた。…だけど、陽介は一切口を開かなかった。自分のモチベーションであった上条アベル、その人に追いつきたいという夢が最悪の方向で崩れてしまったこと。そして、いくら絶望したとはいえ、その憧れの人を再起不能までに追い詰め、陽介自身の拳で彼に終止符を打ってしまったこと。…今でも右拳に残る最後のアッパー、アベルの顎を破壊した感触。———これらのことは陽介の心に大きな傷を残した。リングに上がれば拳は震え、体は大きな虚脱感を覚えるようになってしまった。完全にアベルとの一戦にトラウマと後悔を覚えてしまった陽介は、もう、リングに上がることはできない———そう、感じ、引退を決意した。…だけど、陽介は何故かを口に出さなかった。…出したところで、何も変わることはないし、アベルのせいだと言い訳をする気にもならなかったからである。あれだけ憧れていた上条アベル。そのアベルに幻滅したのも自分であれば、そのアベルに憧れていたのもまた自分なのだということを陽介は痛感していた。
それから。陽介はトレーナーへと転身した。最初は「今ならまだ戻れる」、「プロに復帰しろ」、「無冠の王者で良いのか」そう言っていた周りだったが———やがて、甲斐甲斐しく周りを世話しながらも笑顔を振りまく陽介を見て、その声も徐々に、徐々に小さくなっていった。
だが、陽介は時々考える。———あの時、潰した上条アベル。今、あいつはどうしているんだろうか、と。
だけど、その考えは長くは続かない。———自分はもう、プロではないからだ。
「よし、じゃあミット打ち行って見ようかー」
今日もジムで、「ぽややん」「ふんわり」とした口調で選手のミット打ちの相手をする陽介。…もう、あの時ほどの震えはないが、いつもこうして選手たちのパンチを受け止めていると、あの頃を思い出す。———そして。
「ほらほらー、顎ががら空きだよー、もっと構えをしっかり―」
陽介はそう言いながら、ミットで軽く選手の顎を叩いてやりながら。選手たちとたわいのない話をする。
「陽介さん、プロに戻らないんですか!?なんか、昔はすごい選手だったって聞いたんですけど!?」
「…え?選手に戻る?…うーん、考えたことないなあ。」
「えー!?もったいない!陽介さんならまだいけるっしょ!?一緒に頑張りましょうよー!」
「ははは、僕はトレーナーが一番似合ってるよ」
陽介はそんなことを言いながら、ふと、窓から見える空を見つめる。
…これでいい。これが自分に合った道だ。
陽介はそう思いながらも、今日のトレーニングメニューを考えながら、新人ボクサーたちの世話を甲斐甲斐しく焼くのであった…。
【完】
シナリオライター: ミケ空さん
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ご覧いただきましてありがとうございます😊
改めて2人のプロフになります^ ^
今回ミケ空さんに、この設定を元に「陽ちゃんが憧れの人を再起不能にしたトラウマで引退した」事と、「陽ちゃんを無冠の王者にして欲しい(血涙」という事をおねだりした結果、とんでもなく素敵なストーリーに仕上げてくれました⭐️ さすがミケ空さんやでぇ!😆😆
この試合で、陽ちゃんの選手としての本当の実力がお分かりいただけたと思います😊
(これでまだまだ伸び代があるんだから末恐ろしい💦) 元二階級世界王者のアベル君を、再起不能にした事で、陽ちゃんのランキングは日本10位→日本1位に爆上がったんですが、ストーリーの通り、引退してしまいました🥺
その気は無いようですが、もしプロボクサーに復帰したらとんでもない選手になりそうな怖さがある陽ちゃん。その日は来るのかは神のみぞ知る所ですね。
トレーナー陽ちゃんのショートストーリーもいただきましたので、明日またアップしようと思います😊
(追伸)
このストーリーは何回かイラストを追加していきたいと思います😊 ストーリーの中で見たいシーンがあればコメントに入れていただければ、描きますね^ ^