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モッツァレラチーズは水牛から作られる 前編

「いやいやいや。普通に買ってくればいいでしょ」 目のまえの愛奈は、首をぶんぶん降りながら後ろに下がっていく。 普段は落ち着いていてしっかり者の彼女だが、こういう事態はさすがに想定できていなかったらしい。 怯えたこいつの顔は確かにかわいいが、残念ながら今の俺は知的好奇心と食欲に支配されていて、どうすることもできない。 「大丈夫大丈夫。別に痛くはしないから。ちょっと水牛に変身してもらって、本場のミルクを取りたいだけで……知ってるか? モッツァレラチーズは水牛から作られるのが本場で、やっぱり一番おいしいんだって。お前にちょっと水牛になってもらえれば、あとは俺の手際の良さで……」 「いやに決まってるでしょ!」 俺が変身薬の魔導書を持ち出すと、愛奈はさらに後ろへ後ずさる。 だが悲しいかな、壁際だ。 逃げ場がないことを知った彼女は、へたりとしゃがんで、涙目で俺を見つめる。 絶望した表情ではあるが、ウルウルとこちらを見つめる様には、いろいろ湧き上がってくるところもあるのだ。 「……うん。やっぱりお前は涙目が一番かわいいかもな」 「そ、そう?」 ……こんな状況だというのに、素直にほめると照れたようにそっぽを向いてくれる彼女を見ると、少しだけ優しい気持ちになったりもするけれど。 まあ、そんなこんなで俺の内心を頻繁にかき混ぜる彼女だが、俺の彼女になった以上、俺の面白アイテムの実験体としても、しっかり協力してもらわねばならない。 最近古本屋で購入した海外の魔導書。 それを俺が解読して、一般人にでも使えるようにある程度簡略化したのだ。 体系化したならば、あとは実験あるのみ。 現実世界に生きてきて魔術なんてファンタジーに手が出せるかと思えば、わくわくが止まらない。 もちろん、最初は自分で試したし、その安全は保障済みだ。 「まあ後は、ほかの人でもちゃんと発動するか実験したいってところか……いやまあ、純粋に俺がなんとなくチーズ食べたくなったってのもあるけど」 「そんな勝手な理由に私を巻き込まないでよ!」 正論っぽいことを言われたが、残念ながら正論で止まるほど俺の意志は弱くない。 食べたいと思ったら食べるし、やりたいと思ったらやるのだ。 いやいやと身振り手振りで拒絶をあらわにする愛奈の頭を、俺はよしよしと撫でながら。 「まあ安心しろ。変身時間はせいぜい数時間だし、事が済めば元に戻れるって、ええと、汝の姿を水牛に……」 「ああ……嫌あああ……」 そして、抵抗する間もなく、愛奈の体がむくむくと肥大化して行く……うむ。見ていて面白い光景だ。 「み、見ないでぇっ……」 涙ながらに懇願する愛奈は、しかし、明らかに体のボリュームが増している。まあ、人から牛になろうというんだから、当然といえば当然だ。 それはそれとして、見ないでと言われてみないという選択肢がとれるかといわれれば、それは無理だ。 俺の興味本位も当然あるが、万が一何かあったときのことを考えると、目を離すなんてことはあっちゃいけない。 だから、にこにこ顔で愛奈の変化を見やる。 「どうだ? 体に変化は……」 「あ、熱い……っ……体、火照ってきてる……ううっ……」  はずかしそうに答える愛奈に、俺はふーんと返す。 「人間の体を別のものに作り替えるわけだからな。それはまあ、それなりに体も火照るさ……あ、角生えてきた」 「いやあ……」 身体のむずむずに耐えながらも、そのおでこには少しだけ生え始めた角があって。 「あ、あと言い忘れてたことがあるんだけど」 「な、何よ……」 「いやあ……」 いつもの彼女なら、俺に指摘されるまでもなく、気づいていたことだろう。 だが、こんなイレギュラーで冷静に判断するというのも、なかなか難しい話。 「……いや、まあ、普通に考えればわかることだとは思うんだけどさ。お前、今から水牛になるわけじゃん? 水牛って、牛じゃん? 牛って蹄の、四足歩行の動物じゃん?」 「……っ! もっと早く言いなさいよ……!」 とっさに自分の手を確認する愛奈は、自らの体を見て、愕然とした。 細くきれいなはずの五本指は、しかし明らかに爪の部分だけが大きくなっていて、肝心の指の方はといえば、徐々にほかの指と一つになっていて、だんだんと蹄の手に近づいているように見えた。


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