XaiJu
あいまり
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【先行公開】盲目な愛は染められて(匂い責め・足責めIF) 前編

 窓から差し込む茜色の日差しに照らされた室内に、カリカリとペンを走らせる乾いた音が響き渡る。  あと少し……この術式を書ききって、線を繋げば……──。 「……出来たっ! 完成っ」  私、ルシェは思わずそう声に出してそう呟きつつ、手に持っていたペンを机に置いて伸びをする。  複雑な術式や記号のようなものが描かれた円形状の紋様──通称、魔法陣が描かれた一枚の紙を前に、私はグッと両手に強く拳を作る。  あとは、この魔法陣に魔力を通してみて、成功するかどうかって感じなんだけれど……。 「お願い……」  私は小さくそう呟きながら両手で紙を持ち、魔力を込める。  すると紙に描かれた魔法陣にぼんやりと光が宿り、複雑に描かれた術式や紋様の一つ一つが輝き出して……──ビリッ! 「ぅぁッ……」  指先に痺れるような痛みが走ると同時に、手の中に持っていた紙が勢いよく破れてしまった。  見れば、破れた紙の端が黒く焦げ付いており、力を込め過ぎて破れてしまった訳では無いことが分かる。  これは……。 「また失敗かぁ……」  私は小さくそう呟きながら破れた紙を机の上に放り、大きく溜息をついて椅子の背凭れに背中を預けた。  これで何度目の失敗だろう。今回こそは成功すると思ったんだけどな……。 「はぁぁぁ……」 「エスラ! 今のズルい!」  何度目かになる溜息をついていた時、窓の外からそんな声がした。  その声に私は思わず体を起こし、椅子から立ち上がって近くの窓に歩み寄る。  二階にあるこの部屋の窓を覗くと、丁度家の庭を見下ろす形になって……──。 「何がズルいのさ? アイルが反応出来なかっただけでしょ?」 「なッ……違ッ、見えないからって……! 絶対今私の服掴んだよね!?」  訓練用の木刀で自身の肩をポンポンと軽く叩きながら言うお姉ちゃん──エスラに、先程まで模擬戦をしていた相手であるアイルさんは声を荒げて反論する。  それにお姉ちゃんは「掴んでませ~ん」と茶化すように答えるので、アイルさんは眉間にシワを寄せて不服そうな表情を浮かべた。 「この……! ねぇユイ! どう思う!?」 「アイル。逆」  バッと横に顔を向けて言うアイルさんに、逆の方に立っていたユイちゃんがポンポンとアイルさんの肩を叩いてそう言った。  ……相変わらずだなぁ、皆……。  思わず笑みを零しつつその光景を眺めていると、ふと顔を上げたお姉ちゃんと目が合った。  あっ、見てるの気付かれちゃった……魔法陣の研究も終わったし、下りようかな……?  そんな風に考えていると、お姉ちゃんはアイルさんの肩を叩いて何かを耳打ちした。  何をしているんだろう……? なんて疑問に思っていると、アイルさんは私がいる方に窓に顔を向けてきて笑みを浮かべ、軽く手を振って来た。 「っ……!」  思わぬ反応に思わず硬直しつつも、私は咄嗟に手を振り返した。  それから少ししてアイルさんには見えないことに気付き、何だか気恥ずかしくなってしまってそのまま部屋の奥に引っ込んでしまった。  いや、お姉ちゃんがアイルさんに何か言ってさせたってことは分かってるんだけど、それでも急にあんなことをされたら心臓に悪い……。  ドキドキと鼓動が高鳴る音を聴きながら、私は火照った頬を両手で押さえてその場にしゃがみ込んだ。  嬉しい……! 嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい!  ここ数日掛けてようやく完成した魔法陣が失敗して落ち込んでいた気持ちはすっかり立ち直り、また頑張ろうという気持ちが湧き上がってくる。  彼女の為なら頑張れる。我ながら単純だと思うが、涙が溢れ出しそうな程に嬉しくて、私は自分の口元を両手で覆って喜びを噛み締めた。  私は、アイルさんのことが好きだ。  彼女と出会ったのは、物心ついて間もない頃。お姉ちゃんに連れられて外に出て、一緒に遊んだのがきっかけだった。  お姉ちゃんの友達だと言う彼女は、生まれてから家族以外で初めて出会った人間だった。  銀白色の髪に同色の瞳をしたお姉ちゃんと同い年くらいのその人を前に、私は緊張して思わずお姉ちゃんの背中に隠れていると、彼女は何も言わずにゆっくりと屈んで私と目線を合わせてきた。  目が合うと、彼女はふわりと優しく微笑んでくれて……その姿に安心して、少しずつ緊張が解けていったのを覚えている。  アイルさんは、お姉ちゃんと同い年なのにお姉ちゃんよりもしっかりしていて、大人っぽい人だった。  私の両親からも信頼されているみたいで、やんちゃなお姉ちゃんの監視役のようなものを任されている様子だったけど……アイルさんもなんだかんだで子供っぽい部分があって、お姉ちゃんの活発さに悪ノリして楽しんでいることの方が多かった。  お姉ちゃんより大人っぽいのに、たまに見せるそんな無邪気さが何だか可愛く思えて、彼女と会うのが毎日の楽しみになっていた。  そんなアイルさんのことが好きだと自覚したのは……十年前、森の中でアイルさんがお姉ちゃんを庇って、魔物に襲われた時のことだった。  あの日、魔物の毒を喰らったアイルさんは、今まで一緒にいて聴いたことが無いような声を発して苦しんでいた。  蜘蛛のような姿をした魔物をお姉ちゃんが追い払っている間、私は震えて泣きじゃくることしか出来なくて……小さい頃から両親に教えて貰っていた治癒魔法を使って、必死にアイルさんの治療をすることで精一杯だった。  だけど、まだ基礎的な初級魔法しか知らなかった私では、アイルさんの傷を完全に治すことは出来なくて……もしかしたら、このまま死んでしまうのではないかと思うと、怖くて仕方が無かった。  もしもこの人がこのまま死んでしまったら、きっと私は生きていけない。  お姉ちゃんのことも、お父さんのことも、お母さんのことも大好きで大切だけれど……きっと、この人を失った悲しみは何者にも埋められない程に壮絶なものだろう。  例え、私自身の命を失うことになっても構わないから、どうかこの人のことは救って欲しいと……幼き日の私は、神に願うことしか出来なかった。  そこで、気付いた。  私にとって、この人は……アイルさんは、この世の何よりも大切な人なのだと。  いつしか私は、彼女のことを……どうしようもなく、好きになっていたということに。  そんな私の祈りが届いたのか、何とかアイルさんは一命を取り留めた。  二人で必死になってアイルさんを村に連れ帰り、私達のお父さんとお母さんにお願いして治療を施して貰うことで、どうにか魔物の毒を抜くことに成功したのだ。  しかし、それでもアイルさんはしばらく高熱に見舞われて苦しんでいる様子で、お父さんとお母さんやアイルさんの両親が懸命に看病していた。  幼かった私は、その様子をただ見ていることしか出来なくて……大切な人が辛い時に何も出来ない無力な自分が、情けなくて仕方が無かった。  だけど、アイルさんの体調が落ち着いたという話が届いて、すぐさま私はお姉ちゃんと一緒に彼女の元へと向かった。  アイルさんに会ったら何と言おう。無事で良かった? 守れなくてごめんなさい?  いや、それよりも……あの日、私が自覚した彼女への気持ちを伝えるのが先だろうか。  この世界の何よりも、アイルさんのことが大切だと。  まだ何もできない無力な私だけど、それでも傍にいさせて欲しいと。  アイルさんのことが……貴方のことが、好きだと。  募るこの気持ちを、言葉にして……ただ、いつもみたいに笑い掛けて欲しくて……──。 「ひとまず、熱は大分下がった様子だが……どうやら、目が見えなくなってしまったらしい」 「……えっ……?」  そんな私を待ち構えていたのは、看病に来ていたお父さんが告げたその言葉と、ベッドに腰掛けてどこか不思議そうな表情で虚空を見つめているアイルさんの姿だった。  掠れた声を発して立ち尽くすお姉ちゃんの後ろで、私は声も出ないまま硬直した。  ……何を、言っているの……?  アイルさんの、目が……見えなく……? 「あれ……エスラ? 今の、エスラの声、だよね? ごめん、何も見えなくて……ルシェは?」  左目に痛々しい火傷のような痕を負った彼女は、キョロキョロと辺りを見渡しながらそんな風に呼び掛けてくる。  それに、私は胸が締め付けられるような痛みの中で「アイルさんッ!」と呼びかけながら彼女の元に駆け寄り、虚空に伸ばされた手を両手で握った。 「アイルさん! 聴こえるっ? 私ッ……ルシェだよっ!」 「ルシェ? はは、そんなに大きい声出さなくても聴こえるよ? どうしたの急に」 「アイルさん……ッ!」  ヘラッと小さく笑って聞き返してくるアイルさんの名前を呼びながら、私は彼女の体を強く抱き締めた。  あの時、もっと私に力があったら……ッ!  アイルさんに襲い掛かった魔物をすぐに倒して、もっと凄い治癒魔法でアイルさんのことを治せていたならば……ッ!  こんなことにはならなかったのに……ッ! 「ル……シェ……? く、苦しいよ……?」 「ッ……ぐすッ……アイルさんッ……アイルさんッ……!」  不思議そうに言うアイルさんの言葉に、私は嗚咽を洩らして泣きじゃくりながら彼女の体を抱き締めることしか出来なかった。  あの日……お姉ちゃんに連れられて外に出て、初めてのことばかりで不安だった私に目線を合わせて、優しく笑い掛けてくれた貴方に恋をした。  人と話すことが苦手で、自分の気持ちや考えを上手く言葉に出来ない私の目を見て話を聞いてくれる貴方が好きだった。  私のことを見てくれる、その綺麗な白銀の瞳に心奪われて……もっと私を見て欲しいと思った。  だけど、もう……その目に私の姿を映してくれることは無い。  そう思うと、胸が張り裂けそうな程に痛かった。  幼かった私は、本当にアイルさんの目を治すことは出来ないのかと何度も両親に尋ねた。  しかし、何度聞いても返答は変わらず、「彼女の目を治すことは難しい」だった。  ……難しい。そう。出来ない、無理、不可能だとは……一切言わなかったのだ。  しつこく問い詰める私を諦めさせるのであれば、いっそのこと嘘でも良いから可能性はゼロだと突き離してしまった方が楽だっただろうに……神様に仕える信徒として誠実な心を持った両親は、僅かにでも可能性があるから、全く可能性が無いとは嘘でも言えなかったのだろう。  アイルさんの目を治すことが出来る。  心惹かれた、あの優しい眼差しを取り戻すことが出来るかもしれない。  僅かでも可能性があるのならと、私は必死に縋りつくかのように治癒魔法の勉強にのめり込んでいった。  両親に教わり、家にあった魔導書も手当たり次第に読み漁って治癒魔法の知識を深めた私は、十三歳を迎える頃にはある程度の治癒魔法は扱えるまでになっていた。  アイルさんの目を治すことが出来る魔法についても知ることは出来たが、その魔法は治癒魔法の中でも最上級の魔法とされており、魔法の実施には複雑な術式の構築と多くの魔力が必要であった。  今の私では、その魔法を扱うことは不可能だった。  両親はこれから長い年月を掛けて経験を積み、腕を磨くことでようやく世界で一握りのヒーラーが扱うことの出来る魔法だと言ったが……はいそうですかと納得して引き下がることなんて、出来そうにも無かった。  だから、今の私の魔力でも同じ魔法を再現できないかと、魔法陣の勉強を始めた。  この魔法の複雑な術式を魔法陣に落とし込み、かつ魔法に必要な魔力を可能な限り削減することが出来れば、私の持つ魔力でもこの魔法を再現することが出来るかもしれない。  そうすれば、アイルさんの目を治すことが出来る。  ……勿論、アイルさんがここまでして治して欲しいと望んでいる訳では無いことも、これらが全て私のエゴだということも分かってる。  アイルさんは目が見えない生活に慣れてきて、今では多少の不自由さはあっても私達と同じように日々の生活を送っている。  私の努力を否定こそしないものの、そこまでしなくても良いのに、と……内心では私の気持ちを疎ましく思っているのが伝わってくる。  でも……そうだとしても、私は、もう一度彼女の目に私を映して欲しかった。  なぜなら……──。 「……えっ」 「あれ、ルシェ? 勉強終わったの?」  階段を下りて一階に来た私の姿を見て、外から帰ってきたお姉ちゃんがそう言ってヒラッと軽く手を振った。  確かに、すでに太陽は大分西の方へと傾いてきており、そろそろ今日の訓練が終わらせて帰って来る頃だとは思っていた。  ……けど……。 「あっ、ルシェ下りてきたの? お邪魔してま~す」 「な、なんでアイルさんまで……!?」  お姉ちゃんの背後からひょっこりと顔を出して挨拶するアイルさんに、私は思わずそんな声を上げてしまった。  するとアイルさんはキョトンとした顔を浮かべたが、すぐに「あぁ、そっか」と笑みを浮かべる。 「今日、私の両親がどっちもいないんだよね。近くに出た魔物の討伐とかで」 「そうそう。それが今朝急に決まったらしくてさ。……で、まぁ家に一人っていうのも何だし、今日の夜は泊まっていくことになったってわけ」  お姉ちゃんはアイルさんの言葉に続けるようにそう言うと、ニッと歯を見せて笑みを浮かべた。  と、泊まる……!? アイルさんが、この家に……!? 「って、いうか……そうしたら、ユイちゃんは? 一人だけ仲間外れみたいになっちゃって、拗ねちゃうんじゃ……」 「うん、拗ねてた。……でも、今夜はお母さんの手伝いがあるみたいで、どうしても泊まれないらしくてさ」 「はは……絶対泊まる~って駄々こねてたよね。今度埋め合わせしなくちゃ」  私の疑問にお姉ちゃんが困ったような笑顔を浮かべてそう答えると、アイルさんも申し訳なさそうに笑ってそう続けた。  あぁ……頬を膨らませて不平不満を垂れるユイちゃんの姿が目に浮かぶ……。  でも、ユイちゃんはお母さんのことが大好きだから、皆でお泊まり出来ないことに不満はあってもお母さんに文句は言わないんだろうな。 「で、ルシェはどうしたの? 今日の勉強は終わり?」 「あ、うん……! 最近勉強してる魔法の本を全部見終わっちゃったから、他に無いか、お母さんに聞きに行こうと思って……!」  お姉ちゃんの問いに、私は驚きながらも自分が一階に下りて来た理由を何とか答える。  それに、アイルさんがすぐに「えっ、凄いね……!」と驚きの声を上げた。 「その本って、前に言ってたやつでしょ? 結構量あったのに、もう読み終わったんだ。凄いね」 「や、でも……今日も、失敗しちゃった、し……」 「いやいや、その努力が凄いんだよ。頑張ったね」  アイルさんはそう言うと、私の頭に手を置いて軽く撫でた。  それに思わず顔を上げると、私を見下ろすアイルさんの目は、どこか遠くを見つめるように虚ろで……。 「エスラは勉強が嫌いだからって早々に諦めたしね」  口を噤んで答えられない私に対して特に何も思わなかったのか、アイルさんはそんな風に言いながらパッと私の頭から手を離す。  それに、お姉ちゃんがすぐに「んなッ!?」と声を上げた。 「違ッ、私は元々魔法の才能が無かったの! 決して勉強が面倒だったとかそう言う訳では……」 「本当かなぁ……?」 「も~この話やめやめ! 早く部屋行こ!」  茶化すような口調で言うアイルさんに、お姉ちゃんは気恥ずかしそうに頬を赤らめながらそう言うと彼女の手を取って部屋に向かって歩き出す。  それにアイルさんは「おぉっ」と驚いたように声を上げたが、すぐにパッと顔を上げて続けた。 「じゃ、ルシェまた後でね……! 勉強頑張って!」 「は、はい……」  慌てた様子でそう言って軽く手を振った先には……誰もいない、廊下の壁があるだけで……。  私は咄嗟に軽く手を振り返したが見える筈も無く、アイルさんはそのままお姉ちゃんに連行されていった。  二人を見送った私は小さく溜息をつき、自身の胸に手を当ててキュッと軽く握り締めた。  ……あの日から、アイルさんの目に、私は映っていなかった。  それは、見えなくなったからとかそういう意味では無くて……それに、きっとこれは、目が見えていた時から変わらないことだから。  アイルさんは、小さい頃からずっと……お姉ちゃんのことしか見ていなかったんだ。  あの事件以来、お姉ちゃんは自分のせいでアイルさんの目が見えなくなってしまったと自責の念に駆られ、その罪を償うかのように彼女に尽くすようになった。  もう二度と彼女を危険な目に遭わせない為にと剣の稽古を受け、普段の生活の中でもアイルさんの目の代わりになるかのように傍で支えるようになった。  私は、あの日の出来事がお姉ちゃんのせいだとは思わないし、そのことで責めたりするつもりは一切無い。  ただ、そうやってお姉ちゃんが傍に居続けることで……アイルさんが本当に見ていたのは誰だったのか、気付かされてしまった。  アイルさんは本当にお姉ちゃんのことを信頼して、頼りにしていて……本当は、小さい頃からアイルさんが見ていたのは、お姉ちゃんの背中だったのだと言うことを嫌でも気付かされてしまった。  それが恋愛対象としてなのか……そういう感情だとして、本人が自覚しているのかも、よく分からない。  アイルさんは、皆のことが好きだと言ってくれる。その言葉に嘘は無いと思う。  でも、少なくとも……私やユイちゃんに向ける感情と、お姉ちゃんに向ける感情に、決定的な違いがあることは間違いない。  お姉ちゃんは目が見えなくなったアイルさんに寄り添い、守り続ける道を選んだ。  目の見えないアイルさんしか知らないユイちゃんは、そんなアイルさんに惹かれて恋をして、振り向かせようと努力している。  でも、それじゃあ……私は?  今でも、小さい頃に彼女が向けてくれた優しい瞳を求め続けている私は……間違っているのかな……?  でも、例えこの行為が間違っているとしても……私がアイルさんに出来ることは、これしか無い。  自身の決意を実行できる力を持つお姉ちゃんや、一切の後ろめたさも無く純粋にアイルさんを好きになれたユイちゃんと違って……私には、魔法と知識しか無いから。  幼少期に心惹かれた憧憬に囚われて、そこに向かって突き進むことしか出来ない。 「あら……ルシェ? どうかしたの?」  アイルさん達と別れてから家の書庫に入ると、何冊かの本を抱えた様子のお母さんがそう声を掛けてくる。  私はそれに「お母さん……」と呼びかけ、治癒魔法に関する書物を始めとした魔導書が並ぶ本棚に視線を向けて口を開いた。 「この前借りてた本、読み終わっちゃって……でも、思うようにいかなくて……それで、他に良い本が無いかと思ってさ」 「あら、もう読み終わったの? すごい、流石はルシェね」  私の言葉に、お母さんは朗らかな笑みを浮かべながらそう言って頭を撫でてくれる。  ……違う。凄くなんかない。  結局、今日も魔法を完成させられなかった。成功しなかったものに意味なんて無い。  そんな気持ちから口を噤んでいると、お母さんはその笑みに困惑を滲ませながらソッと手を離し、すぐに「そうねぇ……」と呟きながら書庫の本棚に視線を向けた。 「そうは言っても、多分もうこの家にある魔導書は一通り読み終わったんじゃないかしら……?」 「えっ……でも、魔法陣に関する資料とかは……!」 「教会では村人への治療が主な活動だから、魔法陣に関する書籍自体はほとんど置いてないのよ。多分、ルシェがこの前借りていった本で全てだと思うわ」  お母さんはそう言いながら手に持っていた本をテーブルに置き、魔導書や魔法に関する研究資料等の本棚を丁寧に見てくれる。  私も一緒に見てみるが、確かに、そこに並ぶ本は全て読んだことがあるものばかりとなっていた。  そんな……もう、家にある本を全て読み切ってしまっていたのか……。  どうしよう……魔道具や魔法に関してはユイちゃんの方が詳しいし、家に行ったら、そういう資料とか本が色々置いてあるかな……?  それか、もう一度色々な資料を読み返して研究し直してみるとか……それか……。 「あぁ。でも……もしかしたら、地下倉庫に何かあるかもしれないわね」  一人で悶々と思考を巡らせていた時、お母さんがポンと手を打ってそう言った。  私はそれにパッと顔を上げ、「地下倉庫っ?」と聞き返すと、お母さんはすぐに頷いて続ける。 「えぇ。確か、古くなった本や昔の魔導書が地下倉庫にしまってあったと思うのよ」 「そうなんだ……! じゃあッ」  じゃあ、早速見に行ってくる。  咄嗟にそう続けようとした私の脳裏に、小さい頃に一度だけ地下倉庫に入った時の記憶が過ぎり、思わず口を噤む。  お母さんはそんな私を不思議そうに見つめていたが、すぐに何かを察したような表情を浮かべると、私の肩にソッと優しく手を置いた。 「そうね。それじゃあ、とりあえず何冊か持ってきてみるわ。魔法の形式が今と昔で大きく違うものもあるし、参考になるかどうかも分からないものね」 「あっ……」  優しく笑みを浮かべて言うお母さんの言葉に、私は小さく声を洩らす。  ……確かに、そうして貰う方が賢明かもしれない。  今まで家の地下倉庫に入ったことがあるのは幼少期の一回のみで、どこに何があるのかもよく分かってはいない。  それに、実際に私の勉強の参考になるかも定かでは無いのだし、まずはお母さんが持ってきてくれた本を参考にしてみても良いのかもしれない。  でも……だけど……──。 「……ううん、大丈夫。私が自分で見てみるよ」 「ルシェ……」 「だって、私が勝手にやってることだもん。お母さんに迷惑掛けられないよ」  どこか驚いたように言うお母さんに、私は笑顔でそう答えて見せた。  そう。結局、この行動は全て……私のエゴだ。  押しつけがましい、独り善がりの自己満足。偽善だ。  誰にも望まれずにやっていることなのに、こんなことで誰かに迷惑を掛ける訳にもいかない。  そんな私の言葉に、お母さんは困ったような笑顔で「……そう」と呟くように答えた。 「ルシェがそう言うのなら良いけど……でも、行くなら変な物には触らないようにね? ほとんど物置みたいになってるし、昔の魔道具や薬なんかが置いてあるかもしれないから、妖しい物があったら不用意に触らないように。良い?」 「うん、分かった! 大丈夫だよ、お母さん」  言い聞かせるように語り掛けてくるお母さんの言葉に、私はそう答えながら小さく敬礼をして見せた。  それにお母さんは小さく笑み、もう一度私の頭を優しく撫でてくれるのだった。 ---  一階からさらに階段で下りた先にある、古びた木の扉の前に立ち、私は一度深呼吸をする。  ここに来るのは、今からまだ十年以上前……まだ、アイルさんの目が見えていた頃に三人でやった、かくれんぼ以来だ。  あの日、幼かった私は隠れ場所としてこの地下倉庫を選んだ。  しかし倉庫の中は真っ暗で、出ようとしても扉がどこにあったのか分からなくて、お姉ちゃんが助けに来てくれるまで怖くて一人で泣いていた。  そんなことがあってから地下倉庫に入るのに抵抗があり、今でもこうして扉の前で立ち尽くしてしまっている。 「……やっぱり、お母さんに来て貰えば良かった……」  思わずそんな呟きが零れてしまい、私はすぐさま口を噤んで首を横に振った。  いやいや、今更何を言っているんだ。  極力人に迷惑を掛けず、出来ることは自分でやると決めたじゃないか。今更うじうじするなんてらしくない。  腹を括った私は扉に手を掛け、ギィ……と軋むような音を立てて扉を開けた。 「……ケホッ、ケホッ」  瞬間、扉の風圧で細かな埃が宙を舞い、私は思わず咳き込んでしまう。  どれくらい掃除してないのだろうか。小さい頃に入った時はここまでじゃなかったと思うのだが、無我夢中で気付かなかっただけかもしれない。  石造りの壁に彫られた魔法陣を手探りで見つけて魔力を込めると、天井に彫られた魔法陣が連動して光を放つ。  ……しかし、どうやら壁の魔法陣も劣化しているようで、室内を照らす灯りは淡く薄ぼんやりとしたものだった。  まぁ、無いよりはマシなんだけど……これは、後で両親に伝えなければいけないな。  とりあえず、先に目的を果たしてしまおうと、私は倉庫の中を進んで古書がしまってある棚を目指した。  お母さんから、この倉庫には古い魔道具や魔法薬が仕舞われており、中には触れると危険な物もあるかもしれないので触らないようにと忠告を受けている。  なので、私は出来るだけ他の棚や並んでいる物品に触れないよう注意しながら書棚へと向かい、そこに並んでいる本を確認した。 「……うわ、本当に古いなぁ……」  目についた魔法陣に関する研究書籍をパラパラと捲りながら、私は思わずそう呟いた。  どのページも紙は日焼けして黄ばんでおり、ページの端が破れていたり劣化してガタガタになっているものも少なくない。  しかしその中に書かれている情報には興味深い物も多く、他に治癒魔法や魔道具に関する書籍も何冊かあり、この場で全ての内容に目を通すのは不可能だがこれだけあれば魔法の勉強に役立ちそうだった。  ただ、流石に全ての本を持ち出すことは出来ないし……一度部屋に持ち帰る本を厳選しなければならない。  どの本を持って行こうか……と、自身の顎に手を当てて悩んでいた時のことだった。  パチパチ……と、部屋の灯りが点滅したのは。 「ッ……?」  突然視界が明滅したような感覚に、私は本を選別する手を止めて顔を上げた。  確かに、魔法陣が劣化しているとは思ったけど……まさか、消えたりしないよね……?  どうしよう……本はまたにして、お母さんに魔法陣のことを伝えようかな……?  いや、参考になりそうな本は何冊か選別したのだし、ひとまず二冊ぐらいだけ持ってさっさと出てしまおう。  そう思って近くにあった二冊の本を両手で持ち、床から立ち上がった時だった。  プツンッ……と何かが切れるような音と共に、魔法陣が切れて室内が暗闇に包まれたのは。 「ひゃッ……」  思わず小さく悲鳴を上げてしまい、驚いた拍子に持っていた本を落としてしまう。  しまった。大分劣化しているみたいだし、丁重に扱わなければならないのに。  そう思って床に落ちた本を拾おうとした瞬間、自分の足元すら覚束ない程の暗闇に包まれていることに気付き、私はその場に尻餅をついてしまった。  いや……いやいやいや、何を怯えてるんだ……。  落ち着け、私。確かに灯りが消えて辺りは暗いが、倉庫の扉は開けたままにしていた筈だ。  書棚があるのは地下倉庫の中でも大分奥の方で、外の光も一切届いてないが……少し扉の方に行けば、すぐに出られるはずだ。  私は床に這いつくばった姿勢のまま、床に落ちた本を誤って踏まないよう手探りで注意しながらゆっくりと暗闇の中を突き進む。  大丈夫、大丈夫……扉があった方は、大体分かる。  変な物に触らないよう、気を付けて進めば……何の問題も……── 「──……?」  暗闇の中を進んでいると、不意に……薄ぼんやりとした桃色の光が目に入った。  アレは一体……? あんな物、書棚を見ている際にあったっけ……?  もしかしたら、倉庫にしまってある古い魔道具か何かが、誤作動で動いてしまったのかもしれない。  下手に触ってはいけない。危ないから近付かない方が良い。  そう、頭では理解している……が……。 「……綺麗……」  そんな言葉が、無意識に口から零れる。  どうしてだろう。危険な物だと分かっている筈なのに、暗闇の中で輝く淡い光は酷く綺麗なもので……一目見ると、心惹かれて仕方がない。  こんなに綺麗な光なのだから……心奪われて、近付いてしまうのも仕方のないことだ。  そうだ。これはアクシデントだ。仕方が無かったんだ。  突然地下倉庫内の灯りが消えてしまって、前も後ろも分からない、手元すらも覚束ない暗闇の中で見えた光に縋ってしまうのも……仕方のないことだ。  それに……こんなに綺麗な光が、危険な物な訳が無いじゃないか。  地下倉庫の中にある物だからって、得体の知れない物が全て危険な訳が無い。  この光は大丈夫。大丈夫だから……。 「……本……?」  暗闇の中、淡い桃色の光が灯る場所に歩み寄った私は、光を放つ正体を見て小さくそう呟いた。  そこにあったのは、本棚に収まった分厚い一冊の本だった。  光に惹かれるまま、表紙が皮で出来たその本を棚から抜き取ると、桃色の光が一際強くなったような感覚がした。  いや……恐らくだけど、光の強さ自体は変わってない。  今までは本棚に仕舞われていたぶん光が弱まっていたが、棚から出したことで元の光量に戻ったのだろう。 「……綺麗だ……」  視界を明滅させて眩い程の光を見つめながら、私は溜息混じりにそう呟いた。  棚から出しただけでこれだけの魅力があるのだ。  ページを捲って、この本を開いたら……どれだけの光を浴びることが出来るのだろう。  暗闇の中で差し込む一筋の光に導かれるように、私は緩慢な動きで本の表紙に手を掛けて、ページを……── 『変な物には──にね?』  ──……あれ……?  今のは、一体……?  脳裏に、何かが過ぎって……? 『昔の魔道具──かが置いて──から、妖し──たら不用──いように』  沸々と、頭の奥から何かが聴こえてくる。  その声はまるで、本能が鳴らす警告のように思えて……──。  ──そんなものに構う必要は無い。  ──余計なことは考えないで、早く本のページを捲れば良い。  ……まぁ、良いか。  一瞬、何か気掛かりがあったような感覚がしたが、何を躊躇っていたのかすら思い出せなかった。  私は頭の中に残る微かな違和感を振り払い、桃色に輝く本の表紙を捲った。  するとそこでは古びた羊皮紙に刻まれた文字や魔法陣が煌々と輝いており、その内容は視界を通って直接私の脳へと届いてきた。  本の中に書かれていたのは、幾多もの魔法だった。  その内容はどれも今まで生きてきた中で聞いたことのないような魔法ばかりだったが、不思議とその効果や使用方法はすんなりと理解することが出来た。  頭の中に入ってくる膨大な情報を整理していくと、どうやらこの本に入っている魔法のどれもが……人の心に干渉する、いわゆる精神魔法に類する魔法のようだった。  治癒魔法の中にも、人の心に干渉して不安や恐怖などの負の感情を取り除く精神魔法は幾つか存在するが、この本に載っている魔法はそんなものでは無い……人の心を好きなように作り替え、記憶や人格すらも歪めかねないものだった。  確か、以前ユイちゃんから、世の中にはそう言った人の人生を壊しかねない危険な魔法も存在するという話を聞かせて貰ったことがある。  そう言った魔法は全て禁忌とされており、人族の中では一部の上級魔導士以外には秘匿されていて魔導書なども一切出回っていないという。  一方で、魔族内ではこういった魔法の情報自体は流通しているが同族間での使用は禁じられており、魔族以外の種族に対しては使用しても構わないと定められているらしい。  自分達以外の種族を劣等種として蔑む魔族らしい……と、ユイちゃんが呆れていたっけ。  そんな危険な魔法の書が、どうしてこんな所に……?  確か、ユイちゃんは百年ぐらい前から人族内で取り締まるようになったらしい、と言っていたっけ。  ということは、それより前からここにあったということ……?  靄が掛かった頭の中が少しずつ醒めていくように、思考が加速する。  グズグズしてる場合じゃない。とにかく、今すぐこの本を持って両親の元に向かわなければ。  この本のことを説明すれば、あとは二人が何とかしてくれるはずだか──  バチンッ! 「ぁぇ……?」  ──ら……ぇ……?  突然頭の中で何かが弾けたような衝撃が走ると同時に思考が制止し、私は喉から間の抜けた声を洩らしながらその場にへたり込んだ。  今……何が、起こっ、て……?  頭が、回らない……何か、変だ……。  す、ぐに……ここを、出なく、ちゃ……。  バチッ! バチンッ! バヂッ! 「ぁッ……!? ぁ……?」  必死に紡いでいた思考は電撃音と共に弾け飛び、私はその衝撃から勝手に跳ねる体を抑えることも出来ないまま、頭の中に走るその刺激に身を委ねる。  や、だ……私の、何かが……壊れ、て……。  ──余計なことは考えるな。  ──無意味な抵抗などやめて、欲望に身を委ねろ。  ……頭の中から、声がする。  何、この、声……? 欲望……? 一体何の話……?  私に、欲望なんて……──。  バチッ! 「ひぁッ……!?」  またもや頭の中で電撃音が響き、私は思わず肩を震わせた。  同時に、声が響く。  ──誤魔化すな。想い人を自分のモノにしたいのだろう?  その言葉にハッと目を見開くと共に、脳裏にアイルさんの顔が浮かぶ。  アイルさんを、自分のモノに……? それって……まさか……ッ! 「違ッ……! 私はそんなこと望んでな──ッ!?」  また、頭の中で何かが弾ける。  声が詰まる。体が跳ねる。  その拍子に、何かが頭の中に流れ込んでくる。  ──何も心配はいらない。何も考えないで、込み上げる欲望に身を委ねれば良い。  ──そうすれば……悲願は叶うのだから。  ……何も、考えない。  ただ、この声に……欲望に、身を任せる……。  そうすれば……私の願いは、叶うのか……。  どこからか聴こえるその声に導かれるまま、私は静かに目を閉じた。  そして、脳内の奥深くまで染み込んでいく魔力に身を委ねて……──。 ~~~~~ 「ルシェ~? そろそろ晩ご飯……って、真っ暗じゃん!」  どれだけの時間が経った頃だろうか。  部屋の入り口の方から聴こえたその声に、私はゆっくりと瞼を開く。  同時に、天井の魔法陣が薄ぼんやりとした淡い光を放つので、私は咄嗟に持っていた本を閉じて両手で胸に抱くように持った。  すると本棚の陰からお姉ちゃんがこちらを覗き込んでくるので、顔を上げて「お姉ちゃん……?」と呼び掛けてみると、お姉ちゃんは「ルシェ……!」と名前を呼んで床に座る私の元に駆け寄ってきた。  彼女は私の目の前でしゃがみ込むと、こちらを覗き込むようにして視線を合わせながら続けた。 「大丈夫? 怪我ない? こんな所で何してたのッ?」 「うえッ? だ、大丈夫だよ……! えっと……魔法書を見に来てたんだけど、急に灯りが消えちゃって……ビックリして、腰抜けちゃってさ……」 「良かったぁ……お母さんから地下倉庫にいるって聞いた時は、どうなることかと……」  私の言葉に、お姉ちゃんは心底安心した様子で言いながら立ち上がり、「立てる?」と聞きながら手を差し出してきた。  それに頷き返しつつ手を取って立ち上がった時、扉の方から「エスラ~」と微かな声が聴こえて来た。 「ルシェ無事そう? 何か手伝う?」 「アイル! 大丈夫だって……ちょっ、入ってきたらダメだってば! 危ないから!」  扉の方から聴こえてきた声に、お姉ちゃんはそんな風に答えながら私の手を離して声がした方に小走りで向かう。  私はそれに両手で持った本を抱き締める力を強めつつ、本棚の陰から覗くようにしてその様子を窺った。  見れば、地下倉庫の入り口の方に立っているアイルさんを慌てた様子で制止し、私のこととか色々と説明してくれているお姉ちゃんの姿があった。  ふと、天井の灯りが点滅する。  ……やはり、魔法陣が劣化しているせいで、点いてもすぐに切れてしまいそうだ。  もうこの部屋に用はないし、早く出た方が良さそうだな。  それに……──と、私はお姉ちゃんと話すアイルさんに視線を向け、口元を微かに緩めた。 「分かったから……エスラ、何だかお母さんみたいだよ」 「何を呑気に……全く。ルシェ、早く上がろう? もうご飯出来てるよ」  小さく笑って言うアイルさんに呆れた様子で答えつつ、お姉ちゃんはそう言ってこちらに振り向いた。  私はそれに、胸に抱いた本の革で出来た装丁の感触を確かめるように指を這わせつつ、「うんっ!」と大きく頷いた。 「ごめんね、すぐ行くっ!」  そんな風に答えつつ、私は小走りで二人の元に駆け寄った。  だって……──一刻も早く、あの人を私のモノにしなくちゃいけないから……♡


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