純白の誓いは奪われて 前編【前編】
Added 2023-04-13 13:00:00 +0000 UTC豊かな緑に囲まれた、とある王国の王宮前庭。 そこではこの国の次期国王である私──イーリア・ジークフリートの、十八歳の成人を祝う宴が行われていた。 私の友人や家庭教師を始めとした多くの人々が、私が成人を迎える今日この日を祝う為に集まり、飲めや歌えやの大騒ぎをしていた。 顔を合わせれば口々に祝福の言葉を投げ掛けてくれる来客達に笑みを返しつつ、私は胸の中を覆うわだかまりを飲み込むように、手に持っていたグラスの中身を煽るように飲み干した。 私が物心ついてすぐの頃に父が亡くなり、それ以降はずっと私の母がこの国を治めてきた。 しかし、その母も加齢に伴って少しずつ体力が落ちており、国王としての責務を果たすのが難しくなってきている。 そんな折に一人娘である私の成人ということもあり、今後は私が母様の後を継ぎ、国王としてこの国を纏めていかなければならない。 これまでも家庭教師から国王となる為に必要な勉学は受けてきたし、母様の仕事を手伝うことも何度もあったが……いざ自分が国の民を治める国王になるということを自覚すると、一気にその責任が重たく圧し掛かってくる。 とは言え、こうして成人を迎えてしまった以上、自分の宿命を受け入れて腹を括るしか無いのだろう。 この宴の前に行われた戴冠式で正式に母から譲り受けた、代々この国の王族に伝わる宝剣の重みを腰部に感じながら、私は何度目かになる溜息をついて近くを通りかかった使用人に空になったグラスを預けた。 「ちょっと、イーリア。飲み過ぎじゃないの?」 すると、背後からそんな窘めるような声が投げかけられ、私は思わず動きを止めた。 慌てて振り向くと、そこでは祝宴用のドレスを身に纏った私の母、マリア・ジークフリートが、眉を顰めながらこちらに近付いて来ていた。 「お母様……そんなことは無いですよ。まだこれで二杯目です」 「貴方はこれが初めての飲酒でしょう? 自分がどれだけ飲めるかも分かってないんだから、もっと慎重に飲みなさい?」 「は、はい……申し訳ございません」 静かな声で言う母の言葉に、私は思わず俯きながら謝罪する。 すると彼女は小さく溜息をつき、両手を組みながら更に続けた。 「今日の主役は貴方だし、多少浮足立つのは目を瞑るけど……羽目を外し過ぎて、明日の舞踏会に支障をきたすようなことが無いようにしなさいよ?」 「はい……」 「折角明日は貴方の婚約者候補が来て下さるんだから、失礼な態度を取るのだけは止してよね」 淡々とした口調で平然と続けられたその言葉に、私は「はっ?」と聞き返しながら顔を上げた。 「あの、お母様……今、何と……?」 「うん? ……あぁ、言ってなかったかしら? 貴方ももう良い年なんだし、そろそろ後継ぎだって必要になる頃でしょう? だから貴方の婚約者候補として、有名な貴族のご令息やご令嬢、近隣国の王族の方々を呼んでいるのよ。明日は、その中からこれから生涯添い遂げるフィアンセを見つけて頂戴」 まるで何でもないことのように平然と告げた母様は、そのまま踵を返してその場を離れていく。 取り残される形となった私は、突然の宣告に言葉を失い、その場に立ち尽くすこととなった。 私は、生まれてこの方、恋というものを経験したことが無い。 魔法の力で同性同士でも子供を作れるようになったこの時代、異性を好きになるのが普通などという考えは古く、私自身もその辺りに拘りがある訳では無い。 貴族や王族の集まりに参加する中で、男女共に容姿を好ましく思う相手や、人柄が良く尊敬に値する相手は何人もいる。 しかし、それらの感情を恋と呼べるのかと言うと、正直よく分からない。 けど、少なくとも……城の書庫にある小説で読んだことのある物と違うことは、何となく分かっている。 私の恋愛経験などその程度のものだと言うのに、突然結婚相手を選べだなんて言われても……。 国王としての重責に加えて突如として告げられた婚約者の話に、私は胸の中に溜まるモヤモヤとした感情を吐き出すように大きく溜息をつき、少しでも気を紛らわせるようにと顔を上げた。 「……おお」 そして、その先に広がっていた光景を見て、私は思わず気の抜けた声を漏らした。 なぜなら、顔を上げると何羽もの白鳥の群れが青空を優雅に羽ばたき、森の方に向かう姿があったからだ。 白く大きな翼をはためかせ、優雅に空を泳ぐその美しい姿に心惹かれたのか。 それとも、自由に空を駆けるその姿を羨ましく思ったのか。 気付けば私は、まるで宴の場から逃げるように、白鳥を追って森の中へと駆け出していくのであった。 --- どれくらいの距離を歩いただろうか。 戴冠式にて授けられる宝剣に合わせてデザインされた白いスーツの、スラックスの裾が草や土で汚れてきた頃。 いつの間にか日は沈み、森の中が淡い月の光で照らされる中、私はようやく白鳥達の元へと追いついた。 森の中でぽっかりと開けた空間にある、満月の光を反射する湖の上。 星空を映して煌々と輝く水面の上を優雅に泳ぐその姿はまるで絵本の一ページを見ているかのように美しく、私はその場に立ち尽くしたまま言葉を失ってしまう。 その中でも一際目を引いたのが、頭にティアラを乗せた一羽の白鳥だった。 この近くに住む貴族の館から盗んだのだろうか。遠目から見ても高価なものだと一目で分かるソレを頭に乗せた白鳥は、湖を泳ぐ白鳥の群れの中でも一際美しく、悠々とした態度で湖を泳いでいた。 今、この場に物語の主役がいるのだとすれば、それはまさしくあの白鳥のことだろう。 森や湖に降り注ぐ青白い月の光は主役を照らすスポットライトとなり、湖の上を共に泳ぐ他の白鳥達は主役の引き立て役へと成り下がる。 そして、あの白鳥に心を奪われて立ち尽くしている今の私は、さながら主人公と恋に落ちるヒロイン枠といったところか。 ……恋……? 私は……恋に、落ちたのか……? あの……白鳥に……? ふと沸き上がった感情に、私は思わず自分の胸に手を当ててその手を握りしめると、甘く高鳴る鼓動の音が返ってくる。 これが……この感情が、恋だと言うのか……? 「……?」 初めての感情に戸惑っていた時、ティアラを被った例の白鳥がゆったりとした動作で、湖から上がってきた。 泳ぐのを止めたのか……? と、疑問に思ったのは一瞬のこと。 突如としてその白鳥の体が光を放ち、眩い光が白鳥の全身を包んでいく。 夜目に慣れてきた中での突然の閃光に、私は思わず自分の目元を腕で庇いながら目を瞑る。 数秒程の時が経ち、光が止んで周囲が暗闇に包まれたのを確認した私は、ゆっくりと腕を下ろして顔を上げた。 そこには──一人の、可憐な少女が立っていた。 綺麗なロイヤルブロンドの長髪を靡かせて、宝石のように綺麗な翡翠色の瞳は、どこか物憂げな色を帯びて周囲を見渡している。 白い薄手のワンピースを身に纏い、頭にティアラを乗せた彼女の姿は儚くも美しく、まるでおとぎ話に出てくる姫君のようだと思った。 「……綺麗だ……」 その言葉は、ほとんど無意識の内に口から零れ落ちていた。 トクンッ……トクンッ……ドクンッ……ドクンッ、ドクンッ、と。 甘い高鳴りは次第に強くなり、まるで自身が抱いている感情の正体を訴えてくるかのようだった。 ……そうか。これが、恋なのか……と。 けたたましい鼓動の音を聴きながら、私は心の中でソッと呟く。 「……?」 すると、先程の呟きの声が聴こえてしまったのか、少女は不思議そうな表情でこちらに振り向いた。 気付かれてしまったか、と驚いていると、少女と私の目が合う。 途端、彼女はその綺麗な目を大きく見開き、ビクリと肩を震わせて怯えたようにその体を強張らせた。 「だ、誰ですか……ッ!? ここに、何をしに来たんですか!?」 「や、すまない。君を怖がらせるつもりは……」 「来ないで下さいッ!」 まるで山の湧水のように清く澄んだ声だと感心しつつ、謝罪の意を述べながら歩み寄ろうとした私の言葉は、拒絶の声によって遮られる。 思わず立ち止まり、一体どうしてそこまで怯えられるのかと不思議に思いつつ腰に手を当てると、腰に提げた宝剣がカチャリと乾いた音を立てる。 ……腰に提げた、宝剣……? 「いやッ……違うんだ、これはッ」 私は慌ててそう弁明しながら腰のベルトから宝剣の鞘を外し、離れた場所にある草むらへと投げ捨てる。 少女がその様子を不思議そうな表情で見つめているのを確認し、私はすぐさまスーツのジャケットも脱いで同じように投げ捨て、すぐさまその場に跪いて見せた。 「怖がらせてしまって申し訳ない。名乗るのが遅くなってしまったが、私はこの国の次期国王である、イーリア・ジークフリートだ」 「えっ……!?」 「あの剣はこの国の王族に代々伝わる宝剣で、国王となる物は携帯を義務付けられている物なんだ。私はこの通り、君に危害を加えるつもりも無ければ、怖がらせるつもりも無い」 「か、顔を上げて下さい……!」 頭上から降ってきたその言葉に顔を上げると、そこでは少女がオロオロと狼狽した様子で立ち尽くしていた。 彼女はすぐにパタパタと駆け出して私の投げ捨てたジャケットと宝剣を拾──おうとしたが、彼女の細い腕では重たい宝剣を持ち上げることは難しかったようで──白いジャケットを持ってこちらに駆け寄りながら「立って下さい!」と続けた。 「国王様を跪かせることなんて出来ません! 折角のお洋服も汚れてしまうじゃないですか!」 「しかし、それでは君を怖がらせてしまったことへの誠意が伝わらないのでは……」 「十分伝わりましたから! むしろ私なんかには勿体ないぐらいです!」 彼女は小柄な体を震わせて懸命にそう訴えながら、私の投げ捨てたジャケットを押し付けてくる。 それに私は、そうやって慌てている姿も愛らしいな、などと考えつつ「そうか。では、お言葉に甘えて」と答えて立ち上がった。 すると、彼女の背丈は私の胸より少し上くらいまでしか無く、その身長差にまたもや胸を高鳴らせてしまう。 頬が熱くなるような感覚に戸惑いつつ受け取ったジャケットを着ていると、少女は自分の両手の指先を合わせながら「あの……」と申し訳なさそうに口を開く。 「すみません、私こそ、初対面なのに怖がってしまって……失礼な態度を取ってしまいましたよね……」 「いや、そんなことは……」 「国王様だって、私みたいな女、気味悪いと思ってるでしょうに……本当に申し訳ございません」 そう言って頭を下げる少女の言葉に、私は思わず首を傾げた。 私が、彼女を気味悪がる? こんなにも可憐な少女を? 「……なぜだい?」 「へっ?」 「一体どうして、私が君を……気味悪がるんだい?」 一瞬、洒落っぽくなってしまうなと思い言葉に詰まりそうになったが、それでも敢えて彼女の言葉を借りてそのまま聞き返す。 それに、彼女は一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、すぐに「だって……!」と続けた。 「国王様だって見ましたよね? 私が、その……姿を、変える所……!」 「姿を……?」 言われて、少女が白鳥の姿から人間の姿へと変貌したことを思い出す。 「……あぁ、そうだな。確かに見たな」 「だから……!」 「しかし、それがどうした?」 首を傾げてそう聞き返してみると、彼女はピクリと肩を震わせて「えっ?」と聞き返す。 それに、私は自分の頬をポリポリと掻きながら続けた。 「私はどちらの姿も美しいと思うが……それではダメか?」 「だ、だって……白鳥が、人間になるなんて……変じゃないですか……!」 「まぁ、確かに不思議ではあるが……姿が変わろうと、君が君であることに変わりは無いだろう?」 だったら、何を気味悪がる必要がある? と。 本心をそのまま口にしてみると、少女はその目を丸くして息を呑んだ後、すぐにその目を伏せた。 数秒程の間を置いた後、彼女はゆっくりと顔を上げて私の目を見つめながら続けた。 「……オデット、ブランシュ……」 「うん?」 「私の、名前……です……」 か細い声で呟く少女──オデットの言葉に、私は小さく息を呑んだ。 一目惚れした人の名前を知ることが出来た喜びも勿論あったが、同時に、驚きの感情もあった。 なぜなら、それは……── 「それは……──一年前に行方不明となった、隣国の姫君の名前ではないか」 「……」 私の言葉に、オデットは何も言わずにそっとその目を伏せる。 この国の隣にある小国にて、今から一年前、姫君が行方不明となる事件が起きた。 当時十四歳だった姫君が複数名の侍女を連れて森の散策へと出かけ、そのまま何の音沙汰も無く行方を眩ませてしまったという事件。 王族が突然失踪したという事件から、小国内は勿論のこと周辺国でも一大事となり、各国から捜索隊を遣わせて大捜索が行われた。 当時の私も当然その騒動については耳にしており、事件に関する事務作業について母の手伝いをしたこともあった。 しかし、結局オデット姫とその侍女達が見つかることは無く、事件は未解決のまま鳴りを潜めていった。 だと言うのに、なぜ、他でも無い事件の当事者がこんな所に……? 内心激しく動揺して困惑していると、オデット姫は湖の方に歩み寄り、口を開いた。 「皆も上がってきて大丈夫よ。この人は信頼できるわ」 オデット姫がそう言うと、湖の上を泳いでいた白鳥達がゆっくりとこちらまで泳いできて、陸に上がる。 そして、皆がそれぞれ眩い光を放ち、次々に女性の姿に変身した。 恐らくだが話の文脈を理解するに、彼女達はオデット姫と一緒に行方不明となった侍女達……といったところか? 「……すみません。度々、驚かせてしまって」 驚きのあまりに言葉を失う私に対し、オデット姫は申し訳なさそうにそう言いながら、ゆっくりとこちらに振り向いた。 目が合うと、彼女は不安げに両手の指を絡めながら、更に続ける。 「これから私が話すことは、突拍子のない話だと思われるかもしれないんですけど……紛れの無い真実なんです」 だから、どうか信じて下さい……と。 か細く弱々しい声で言う彼女の言葉に、私は少しの間硬直してしまったが、すぐに一度大きく頷いて見せた。 「あぁ、信じるよ。だから、どうか……説明してくれないか?」 「ッ……ありがとうございます……」 か弱い声で言ったオデット姫は、それからポツリポツリと、自分の身に起こった突飛な出来事について語り出した。 侍女達の補足もあって理解した話によると、あの、彼女等が行方不明になった日……オデット姫は、侍女達を引きつれて、この湖のほとりへと花を摘みに来ていたと言う。 なぜわざわざ他国の森に……と不思議に思い聞いてみると、オデット姫がいた国は小さく、ここの森のように花々が咲き誇るような綺麗な所は近くに無かったのだとか。 一応オデット姫がいた国と私のいた国の関係性も良好である為、国王間でも王族の出入りを黙認しており、その日もお忍びで花摘みに来ていたのだと言う。 しかし、侍女達と一緒に花を摘んでいた時……彼女等の元に、一羽のフクロウがやってきたのだと言う。 夜でも無いのに珍しいと驚いていると、何とそいつはフクロウの姿に化けた悪魔で、奴が不気味に翼を羽ばたかせるとオデット姫や侍女たちは白鳥の姿に変えられてしまったのだとか。 それ以来、彼女達は夜の間、この湖のほとりであれば任意で人の姿に戻ることが出来るのだと言う。 「なるほど、それで白鳥から人の姿に……」 長い話になるからと、湖の傍にある岩に腰掛ける形で話を聞いた私は、そう呟きながら自分の顎に手を当てた。 すると、隣の岩に腰かけていたオデット姫が恐る恐るといった様子で「信じて、下さるのですか……?」と聞き返してくるので、私はすぐに「当たり前じゃないか」と答えて見せた。 「君が信じて欲しいと言ったんだろう? それなら、私は信じるだけさ」 「で、でも、こんな話……作り話だと思われても仕方ないですし……」 オデット姫は自信無さげにそう言って、その翡翠色の目をソッと伏せる。 彼女の言葉に、私はフッと小さく息を吐くように笑いつつ、「それに」と続けながら彼女の綺麗なロイヤルブロンドの頭にソッと手を乗せた。 「君がこんなにも真剣に話してくれたことを、作り話だなんて思える訳が無いだろう?」 「ッ……」 小さく笑みを浮かべながら返した私の言葉に、オデット姫はその目を大きく見開きながら声を詰まらせる。 彼女はすぐに「あ、ありがとうございます」と答えながらその目を伏せ、長い髪を耳に掛けた。 「しかし、君達が白鳥になった理由は分かったが、その呪いを解く方法は無いのかい? 簡単な方法では無いだろうが……私に出来ることなら、何でも協力するよ」 私がそう聞き返してみると、オデット姫は驚いたような表情でこちらを見つめた後、どこか言いづらそうに口ごもった。 もしかしたら本当に達成困難な方法なのか、それともそもそもに呪いを解く方法は無いのか。 そんな風に考えていると、オデットはその綺麗な目を伏せながら「一つだけ……」と、か細い声で呟いた。 「一つだけ、呪いの方法を解く方法が、あるんですけど……」 「ほ、本当か? それは一体、どんな方法なんだ?」 私が思わずそう問いかけながら詰め寄ると、オデットは視線を泳がせながら両手の指を組み、オズオズと口を開いた。 「……夜、人間の姿の時に……誰にも愛を、誓ったことが無い人から……永遠の愛を、誓って貰うこと、です……」 恐る恐ると言った様子で続けられたその言葉に、私は静かに息を呑む。 すると、彼女は「すみません、変なことを言ってッ!」と声を荒げ、勢いよく岩から立ち上がった。 「分かってるんです。今まで誰のことも好きになったことが無い人が偶然この場所に訪れて、私の呪いのことを受け入れた上で好きになって、永遠の愛を誓ってくれるだなんて……そんな都合のいいこと、起こる訳無いって……ッ!」 「何を言って……」 「実際、私達が呪いを掛けられてからこの場所に来た人自体、国王様も含めて片手で足りる程しかいませんし……この呪いのことを話したのは、貴方が初めてなんです。だから……これから先、生きている間に条件に合う人が現れるかどうか……」 「だったら、私が君の呪いを解けば良い」 私は今にも泣きそうな顔で語るオデット姫の言葉を遮るように言いながら、腰掛けていた岩から立ち上がり、彼女の元に歩み寄った。 驚いたような表情を浮かべるオデット姫の目の前に立つと、私はすぐさまその場に跪き、彼女の手を取って両手で優しく包み込みながら続けた。 「私は今まで誰かを好きになったことは無いし、これからもきっと、君以外を好きになることは無いだろう。出会ったばかりだが、私は……オデット。君のことが好きだ」 「国王様……」 「君が嫌じゃなければ、私は君に永遠の愛を誓いたい。君を呪いから救い出し、これからの人生を共に歩んでいきたい。だから、私と──」 正に、彼女に永遠の愛を誓おうとしたその時だった。 東の空に昇った太陽が木々の隙間から差し込み、湖の水面を輝かせる。 夜目に慣れた中での突然の光に思わず目を細めた時、両手で包んだ小さく柔らかな手の形が崩れ、羽毛の柔らかさへと変わっていくのを感じた。 その感覚に思わず顔を上げると、そこには……頭にティアラを乗せた、一羽の白鳥が佇んでいた。 人間の時と同じ翡翠の瞳で憂うようにこちらを見つめる白鳥に、私はしばし考えた後、両手で握ったままの羽を手で優しく撫でながら続けた。 「……今日の夜、またここに来よう。そこで、君に……永遠の愛を誓うよ」 私はそう言うと、両手の中にある純白の羽に、ソッと一度口付けを落とした。 それからゆっくりと立ち上がると、岩に立て掛けていた宝剣を腰に提げ、改めてオデット姫と向き合った。 「今日、舞踏会で婚約者候補を選ぶことになっているが……勿論、私は他の誰かを選ぶことはしないさ。私が生涯を捧げて添い遂げたいと思うのは、今までも、これからも……オデット。君だけだからね」 私はそう言いつつオデットの頭を軽く撫で、彼女の額に口付けを落とす。 彼女に言ったことは、全て本心だ。 今日行われる舞踏会で、例え母から何と言われようと、私は婚約者を誰一人として選ばない。 そして、今日の夜にこの湖のほとりへと舞い戻り、オデットに永遠の愛を誓うのだ。 彼女の呪いを解き、これからの人生を共に生きる為に。 だから、今は一度城に帰り、舞踏会に参加しなければならない。 名残惜しかったが、私はオデットの元を離れて城への帰路についた。 *** 朝日に照らされた湖のほとりを見下ろす高台の、森林の中の一本の大木にて、それぞれ太い枝に腰掛けるようにしてオデット達の様子を見下ろす二人の女性がいた。 その内の、大木に背中を預けるような形で枝の上に座り、片足を枝から下ろして軽く揺らすようにしていた少女はクスクスとどこか楽しむように笑みを浮かべながら口を開いた。 「なんというか、聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらいの熱烈アプローチだったねぇ。……けど、オデットちゃんも満更でも無さそうだったし……もしかしたら、本当にこのまま呪いを解いちゃいそうな感じがしない? お姉様?」 ウェーブの掛かった肩までの長さの黒髪に桃色のメッシュが入っている少女は、メッシュよりも艶やかな薔薇色の目を細めながらそう言うと、ユラリと視線を動かして別の枝に腰掛ける姉を見る。 その言葉に、同じくウェーブの掛かった長い黒髪に深紅のメッシュが入った女性は、血のように赤い切れ長の目を細めながら「ふざけないで」と低い声で窘めるように言う。 「勿論、そんなことさせないわよ。もうすでに、対策は考えてあるし」 「え~はや~い! さっすがお姉様~」 「……そう言うオディールこそ、本当はすでに、やりたいことが決まっているんじゃないの?」 ケラケラと笑いながら言うオディールと呼ばれた少女の言葉に、姉は呆れたように溜息をつきながら、呟くようにそう聞き返す。 それに、オディールは「あはッ!」と喉から振り絞ったような甲高い笑い声を上げ、すぐに「バレちゃったかぁ」と嗜虐的な笑みを浮かべながらオデットのいる湖の方へと視線を向けた。 「ね。要はさ、国王様がオデット以外の誰かに永遠の愛を誓っちゃえば、あの子の呪いを解くことは出来なくなるんでしょ?」 「まぁ、そうね」 「だったら……その誰かが、私でも良いんでしょう?」 クスクスと悪戯っぽい笑みを浮かべながら言うオディールの言葉に、姉は呆れたように溜息をつき、軽く首を横に振りながら「相変わらずね、貴方は」と呟くように言う。 しかし、すぐにその顔に冷たい微笑を浮かべると、国王であるイーリアが帰って行った方に視線を向けながら口を開いた。 「勿論。……私とオデットの邪魔をしなければ、あの国王様のことは好きにして良いわよ」 「やったぁ! アウルラお姉様大好きっ」 まるで新しい玩具を買ってもらった無邪気な子供のように喜び、わざとらしい明るい声で感謝を述べるオディールの様子に、アウルラと呼ばれた女性は呆れたように嘆息しつつ湖の方へと視線を戻す。 そして、白鳥の姿で湖の上を泳ぐオデットを見つめて、彼女は冷ややかな笑みを浮かべるのであった。 --- 「……疲れた……」 翌日。王城内の舞踏会にて、私は小さくそう呟きながら手近な壁に凭れ掛かって溜息をついた。 オデットの元から城に帰ってきた後は、それはもう怒涛の展開の連続だった。 昨日の夕方頃から今朝まで、ほとんどの時間を森の中で過ごした私のスーツは土や葉で汚れ、戴冠式の為に整えた髪やメイクも完全に乱れていた。 何も言わずに突然宴の場から姿を消し、朝になってそんなみすぼらしい恰好で帰ってきた私を見て、母様は顔面蒼白になりながら今までどこに行っていたのかと問いただしてきた。 オデットのことは話せないので、宴の最中に人に酔ったので少し休憩するつもりで森の中に入ったところ迷子になってしまい、夜の間中ずっと彷徨っていたと嘘をついた。 流石に怪しまれるかと思ったが、実際夜通し森にいたことは事実だった上にボロボロの恰好で帰ってきた為か信憑性もあり、特に疑われることは無かった。 それどころか、母様は私の話を聞いて安堵の涙を流し、無事を喜んでくれた。 とは言え、それでも各国の貴族や王族のご子息ご令嬢が集まる舞踏会を急遽中止するという訳にもいかず、一通り話を終えた後ですぐに舞踏会の準備に取り掛かることとなった。 汚れたスーツからタキシードに着替えて乱れた髪やメイクを直し、そのまますぐに舞踏会に参加して婚約者候補達の相手をし、一通りの参加者に挨拶をしてようやく一息つけるようになって今に至るというわけだ。 「お疲れのようね。イーリア?」 何度目かになる溜息をつき、手に持ったワイングラスの中身を少し口に含んだ時、横からそんな風に声を掛けられた。 慌てて姿勢を正しつつ、口の中にある液体を飲み込んで顔を向けると、そこには静かな微笑を浮かべて佇む母様がいた。 「お、お母様……」 「別に、責めるつもりは無いのよ? 一晩中森の中を彷徨い歩いて、戻って来てからもずっと休む暇も無かったんだもの。仕方がないわ。来て下さったお客様への挨拶も済んだみたいだし、あとは私達の方で対応できるから……もし体調が悪くなったりしたら、遠慮せずにいつでも言って頂戴ね」 微笑を崩さぬまま、落ち着いた声色で淡々と語る母の言葉に、私は内心驚きながらも笑みを返して「ありがとうございます。お母様」と答えた。 朝帰りした時も思ったが、母様は、思っていたよりもずっと……私のことを、愛してくれているようだ。 私が物心ついた時にはすでに父は亡くなっており、母様は王女として一人でこの国を纏め上げ、まともに会話する機会自体がほとんど無かった。 母様の業務を手伝うようになってからも、私達が話すことと言えば仕事の話ばかりで、親子らしい会話など皆無と言っても過言で無かった。 その上、昨日突如として告げられたこの婚約者選びの為の舞踏会のこともあり、母様は私のことなどどうでもいいのだと思っていたのだが……蓋を開けてみれば、これらは全て母なりの愛情表現だったのだろう。 王として一つの国の民を纏め上げることの大変さは、私だって重々理解している。 この中で同時に子供一人を育て上げることなど不可能だし、小さな子供を気遣う余裕も無く、親子での時間も中々取れないだろう。 今回の舞踏会を開催したのも──後継ぎが必要というのも勿論あるだろうが、それ以上に──国王としての重責をパートナーと分かち合い、共に乗り越えて欲しいと思ったからなのではないかと思う。 ただ……今までまともに会話する機会も無かったから、お互いに言葉が足りなかっただけのこと。 これに気付けたのは、きっと……オデットと出会い、人を愛する気持ちを知ったからなのだろう。 「それで……舞踏会に来てくれている人の中に、誰か良い人はいた?」 そんな風に色々と思いを馳せていると、母はオズオズといった様子でそう続けて問い掛けてくる。 彼女の言葉に、私はすぐに首を横に振って口を開いた。 「いえ、母様。私は今日、誰とも結婚しません」 母の思いが分かってしまった手前、若干の罪悪感はあったが、それでも私は迷いなくそう答えた。 すると、母は驚いたように両目を丸くしたが、すぐにその表情を緩めて「そう」と小さく呟くように答えた。 「それなら仕方がないわね。それじゃあ引き続き、舞踏会を楽しんで頂戴?」 母様は静かな微笑を崩さぬままそう言うと、踵を返して人ごみの方に向かって歩いていく。 それに、私は思わず「あっ……」と小さく声を漏らしながら、離れていく背中に向かって軽く手を伸ばした。 なぜなら、彼女が浮かべている笑みの裏にある、“落胆”の感情が見えてしまったから。 オデットのことは、直接の関係が無い人にはあまり言いふらさない方が良いかと思っていたが……母様くらいには、言っても良いのではないだろうか。 いや。むしろ、言っておかなければならないのではないか? まだオデットの返事は聞けてないが、もし彼女が私の告白を受け入れてくれたら、婚約者となるのかもしれないのだし……もしそうなれば、母様もこの件に無関係では無くなる。 呪いのことまでは話さなくとも、婚約者候補が別でいるということくらいは伝えておいても良いのではないだろうか。 「か、母様、待っ──」 何とか母を呼び止めようと発した私の声は、突如として会場内を包み込んだどよめきによって遮られる。 突然のことに私は思わず口を噤み、すぐさま辺りを見渡して騒ぎの原因を探した。 「……ッ?」 周囲の来客達の視線が集中している方を見た私は、彼等がどよめいている理由を知り、思わず声に詰まりその場で立ち尽くした。 そこにいたのは……漆黒のドレスを身に纏った、一人の少女だった。 雪のように白く透き通った柔肌に、まるで人形のように整った綺麗な顔立ち。 肩に掛かるウェーブの掛かった黒髪にはピンク色のメッシュが入っており、髪の隙間から見え隠れする綺麗なうなじは、思わず目線のやり場に困ってしまうような何とも言えない空気を漂わせていた。 ツリ目がちな薔薇色の瞳で辺りを見渡し、まるで自分が主役だと言わんばかりに会場内を闊歩する姿は、さながら獲物を探す捕食者のようだと感じた。 しかし、ふと彼女がこちらの方に視線を向けてきた為に目が合うと、その整った顔立ちの口元が微かに緩んでカツカツとヒールの音を響かせながらこちらに歩いてきた……って、はっ? 「えっ、ちょっ……!?」 「イーリア国王陛下、遅くなってしまい申し訳ございません。私の名前はオディール・ロットバルト。この度は国王陛下の婚約者を選ぶ場にお招き頂き、至極光栄でございます」 私の目の前に立ったオディールと名乗る少女は、淡々とした口調でそう挨拶を述べながら、両手でドレスを軽く摘まんで膝を折る形で礼をする。 突然の接近に思わず驚いてしまったが、私はすぐに何度か咳払いをして気を取り直し、口を開いた。 「オディール様。この度は舞踏会に参加頂き、誠にありがとうございます。どうか楽しんで行って下さい」 「ありがとうございます。国王陛下のご厚意に感謝致します」 恭しく感謝の言葉を述べるオディールに、私は笑みを返しつつ軽く周囲を見渡した。 オディールに見惚れていた来客達は、彼女がこの舞踏会に参加した私の婚約者候補だと知ると感心を無くしたのか、会場内は元の喧騒を取り戻しつつあった。 しかし、彼女とのやり取りの間に母様はどこかに行ってしまったようで、どれだけ見渡してもその姿を見つけることは出来なかった。 出来れば早い内にオデットのことを話しておきたいのだが……どこに行ってしまったのだろうか? 心の中で呟きつつ、母を探して歩き出そうとした時のことだった。 「あの、国王陛下」 突然、背後から呼び止められる。 振り向くと、そこでは未だに私の傍に立ち、こちらに向かって軽く手を伸ばすオディールの姿があった。 目が合うと、彼女は小さく笑みを浮かべて続けた。 「あの……もし良かったら、私と一曲踊って頂けませんか?」 「……何……?」 「今回の舞踏会は婚約者を選ぶ為のものと聞いておりますが、出遅れてしまいましたし、国王陛下が私を選ばないことは分かっております。ですが、せめて一曲だけ……この舞踏会に参加した思い出として、どうか一緒に踊って頂きたいのです」 静かな声で言うオディールの言葉に、私はグッと口を噤む。 今までの私であれば、彼女のことを婚約者としては選ばずとも、その懇願に応えて一曲は共に踊っていたかもしれない。 しかし、オデットと出会い恋に落ちた今、他に想い人がいる中で彼女の願いに応えるのは不誠実ではないかと思ったのだ。 例え彼女にその気が無かったとしても、周りがどう思うのかは分からない。 オデット以外の誰かを選んだなどと勘違いされたくも無いし、もしオディールにそう言った感情があった時、期待させかねないと思ったのだ。 だから私は一歩後ずさり、「すまない」とすぐに謝罪の言葉を述べた。 「私は、君の誘いを受けることは出来ない。それに……今回の舞踏会で、婚約者を選ぶつもりもないんだ」 「……えっ……」 「実は、この舞踏会の参加者以外に、好きな人がいてね。君にそのつもりは無いだろうが、まぁ……私の気持ちの問題さ。君の誘いは嬉しいが、今日のところは見送らせてくれ」 私は出来るだけ丁重に拒絶の意を示すと、彼女に背を向ける形で歩き出す。 ……流石に少し、自惚れ過ぎだったか? いや、しかし、彼女の気持ちよりも周囲からどう思われるかといった部分の方が気になるし……。 罪悪感はあるが、それでも、オデットを悲しませるよりはマシだと……── 「その、好きな人というのは……オデット姫のことですか?」 ──……は……? 背後から投げ掛けられたその声に、私は思わず歩みを止める。 彼女は、今……なんて言った……? オデット姫……だと……? 「どうしてそれを──」 聞き捨てならないその言葉に思わず振り返ると、そこにはかなりの至近距離まで接近してきていたオディールがいた。 あのヒールでいつの間に……!? と驚く暇も無く、オディールは暗く冷たい微笑を浮かべると、薔薇色の瞳に怪しげな光を灯した。 その光を目の当たりにした途端、意識が遠くなるような感覚がするのと同時に視界が大きく揺らぎ、まともに立っていられず前のめりに倒れる──が、それを目の前に立っていたオディールに抱き留められ、ガクンッと動きが止まる。 何だ……これ……? 意識が、朦朧として……頭が、回らない……。 視界が霞み、周囲のざわめきやオディールの声がやけに遠く感じる。 私が倒れて心配したのか、駆け付けてきた母様がオディールと何やら話をしている声が聴こえてくるが、会話の内容が上手く理解出来ない。 それどころか自分の輪郭も曖昧で、今自分が自力で立っているのか支えられているのか、座っているのか横たわっているのかも分からない。 一体何が起こっているんだ? オディールは私に何をしたんだ? ここはどこで、今私はどういう状況なんだ? 次々に沸き上がる疑問がグルグルと頭の中で渦巻く中、徐々に自分の体の輪郭を取り戻し、意識が少しずつ明瞭になっていくのを感じた。 「ッ……? ここは……?」 霞んだ視界がクリアになっていくのを感じて何度か瞬きをすると、目の前には見慣れない天井が広がっていた。 背中に感じる柔らかな感触と全身が沈むような感覚に、どこかの部屋のベッドに横たわっているということが分かる。 ここは一体……? と疑問に思っていた時、誰かが私の顔を覗き込んできた。 「あら、国王陛下。ようやくお目覚めですか?」 「君はッ……! 私に何をしッ──!?」 悠然とした笑みを浮かべながら問い掛けるオディールに、私は思わず声を上げながら手をついて体を起こそうとした。 しかし、彼女に上から肩を押さえつけられる形でその動作はあっさりと遮られ、ぱふっと軽い音を立てて私の体はまたもやベッドの上に倒れ込む。 自分の身に何が起こっているのか理解するよりも先に、オディールは私の肩を掴んだままゆっくりとベッドの上に乗り上げて、私の体に跨った。 「ダメですよ、国王陛下。まだ目が覚めたばかりなのですから、安静にしなければ」 仰向けで横たわる私の体に馬乗りになったオディールは、穏やかな口調でそう言いながら自身の頬に掛かる髪を耳に掛け、冷ややかな微笑を浮かべて舌なめずりをした。 その姿はまるで、無力化した獲物を見下ろす捕食者のようで……──生物としての本能が危機を察知したのか、私は思わず息を詰まらせて体を強張らせる。 彼女の手を払い除けてこの場から逃げ出すべきだ、と頭では分かっているのに、一度起き上がろうとして押し倒された後の姿勢では上手く力を入れることが出来ない。 「君は、一体……何者なんだ……?」