指先まで寒さを感じる十二月。
私のいる地域は、雪が積もることは滅多にないのですが先日はちらほらと雪が降っていました。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
今月の頁をめくるは、私が体験したちょっと不思議な話など。
私自身は霊に行きあったという自覚がほとんどないのですが、
時折教えていただく人様の不思議な体験談を聞いた時へのコメントを書いている時や、
作業通話で話題になった折に、「あれ…実は色々体験しているのでは?」と思い当たり、
ぽつぽつと語れる範囲でお話していこうかなと思います。
と書き出しましたが、今回のお話は全て身近な人から聞いたお話です。
・美容師さんから聞いた話
伏見稲荷の怪談は、ネットでもよく目にする。
私も大学入学したての頃、色々と周囲の人から「あそこは何かあるよね」というのは聞いていたが、実際身近な体験談としてはこれが初めて聞いた話。
当時、私の担当をしてくれた美容師さんが陽気で話好きな方だった。
私が怖い話が好きなのだと何かの折に言うと、その方もそういう話が好きだそうで、実際に起きたという周りからの体験談を語って聞かせてくれた。
その美容室の店長さんは、ジョギングが趣味だったのだが平地よりも勾配のある道を走った方がより足腰が鍛えられるという事で、仕事終わりなどに伏見稲荷の境内をジョギングコースにしていたらしい。
仕事終わりなので当然周囲は暗いのだが、全く明かりがないわけでもないし、慣れたもので走るのに難儀はしなかったそうだ。
頂上まで参拝された方はご存じだろうが、伏見稲荷は「山」だ。
私などは体力が無いので、いつも山頂までヒーヒー言いながら登っている。
とはいえ、健脚の友人はひょいひょいと身軽に歩いているので、もしかしたら少数派の意見かもしれないけれど。
それはさておき、御山とはいえ参道なので道は石畳や木などで整備されている。
だから、夜とはいえ足下はそれほど危なっかしくはない。
そんな、ある日のこと。
店長さんがいつものように夜の山道を走っていると、ふっと辺りが暗くなった。
それまでは所々にある電灯の明かりで周囲の様子くらいは分かる程度だったのが、今の位置が分からなくなるような暗闇へと変わった。
店長さんはこのまま奥に行くと危ない、と感じて道を引き返すことにした。
当時はスマホがまだ広く普及しておらず、ガラケーが主流の時代、足元を照らせる物は持っていない。
暗闇の中、元来た道を感覚を頼りに足早に戻っていると、ふと「危ない」と感じたそうだ。
その警告は、小さな男の子が叫んだように頭の中で聞こえた、という。
思わず足を止め、一歩、二歩、と後ずさりした。
すると、その数拍後に少し離れた場所で電灯が点いたのか、また周囲に薄ぼんやりと光が戻った。
そのとき、店長さんは気付いたのだ。
自分がいつの間にか参道を外れていることに。
そして、足を止めずにあのまま歩いていれば、崖から落ちていたであろうことに。
自分の置かれている状況を理解した店長さんは、慌てて参道に戻り走って帰った。
それ以来、夜中に神社で走ることはやめたという。
普通に歩いていればまず参道を外れるはずもないのに、いつの間に山道に入っていたのかよくよく考えても分からない。
それに、あの時自分に警告するように頭の中で響いた声は、一体誰のものだったのだろうか、と冷静になって疑問に思ったそうだ。
・後輩からきいた話
美容師さんから聞いた話を後輩に話したところ、彼女も伏見稲荷で不思議な体験をしたと話してくれた。
伏見稲荷は、7月に本宮祭(もとみやさい)という大きなお祭りがあるが、
その前日の夜に行われる宵宮祭も大層賑わう。
屋台がずらりと参道に並び、頂上まで提灯が灯るその夜は、
神社一帯が赤い光に包まれて神秘的で少し妖しい雰囲気が漂う。
彼女はそのお祭りに友人と約束をして行くことにしたが、当日友人のバイトがトラブルで長引いてしまい予定よりだいぶ遅くに神社に着いたという。
20時を過ぎており、頂上の方は終わりを告げるように提灯の光が消されつつあった。
せっかく来たのだから、と提灯の明かりがまだ灯っているところまで登ってみようと、後輩とその友人は山道を進み御山の奥へと歩いて行ったそうだ。
写真を撮ったりしながら歩いていると、その先は既に暗くなっていて、立っているその場所がまだ明かりがついている最終地点だと悟った。
思ったより奥まで行けたね、などと話ながら本殿の方まで戻ることにした。
しばらく歩いていると、目の前の道が二手に分かれていたそうだ。
左の道は下り道で明かりがついているが、右の道は上り坂になっていて明かりがついていない。
正直どちらから来たのか覚えていないし、歩く距離は変わるがどちらを通っても元の場所に戻れるだろうと思い、左の下り道を選ぶことにした。
彼女達が鳥居をくぐろうとしたとき、後ろから「お~い」とおじさんの声がした。
振り返ってみると、年配のおじさんが「帰り道はそっちじゃなくて、右の方やで」と言いながら、こちらに向かって慌てたように足早に歩いてきている。
「もうだいぶ明かりも消えていってるし、気ぃ付けて帰りや」
追いついたおじさんにそう言われ、彼女達はお礼を言って右手の道を選んだ。
提灯の灯りは消え、しばらくはポツポツと点在する電灯の明かりのみを頼りに歩いていたが、すぐにその先に提灯の明かりがまだ残っているのを発見した。
あまりにもホッと安堵したので、後ろを歩いているはずのおじさんに、改めてお礼を言おうと振り返ったが、彼女達の後ろには誰もいなかったという。
少しの間立ち止まって待ってみたんですけど、あのおじさんは降りてこなかったんです。
後輩はそう語り、ひょっとしたらお稲荷さんが助けてくれたのかな、と笑っていた。
他にも自分が体験したもの・人から聞いたもの含めて、
そう言えばあれは何だったのか…という不思議な話はあるのだが、
長くなったのでまたの機会にお話したい。
ここからは、ちょっとネガティブな話。
このように夜中の神社、というのは色々とあるものだ。
基本的に「お祭り」のように、開かれていない時以外に夜の神社に行くのは何となく、神様がおやすみしている時にお邪魔をしているようで気が引けてしまう。
もう何年も前の話だが、当時使っていたTwitterのアカウントで、夜の伏見稲荷の写真を載せて「幻想的だから是非行ってみるべし」というようなツイートがTLに流れてきたので、「神社にはこんな不思議な体験もあるので、お勧めはしない」と呟いた。
すると、当時歴史ジャンルで活動していた為か、相互さんが「自分も夜の神社でこんな体験をした」から始まり「神社にも相性があるみたいで、稲荷系はなぜか体調が悪くなるけど蛇神系は縁があって…」など、様々な不思議体験でリプ欄が盛り上がった。
(※史跡巡りをしていると、心霊スポットと重なったり、不思議な人影を見たという体験をしたり、そんな話を聞いたりする機会がある)
あくまで身内で盛り上がっていただけなのだが、私が最初に呟いた「神社であった不思議体験」がRTされ、当時はまだ無かった言葉だが、いわゆる予期せずにバズってしまったのだ。
フォロワー以外の人が大勢「自分の不思議体験」をリプし始め、フォロワーが急激に増え、そして「そんな相談されても…」というようなスピリチュアルな相談まで見知らぬ人からリプされるようになった。
通知は鳴り止まず、電池はどんどん消費されてバッテリーが消耗した。
挙句に私のツイートとフォロワーさんのリプが無断でまとめ記事にされ、更に拡散された。
まとめ記事のことをフォロワーさんから聞いて読みに行くと、
コメント欄では全体の流れを知らない人達からの、
こんなの嘘に決まっている・痛いヤツ等と心無い決めつけのコメントも見受けられた。
大勢の人の目に触れるSNSに書いたのだから仕方がないが、当時はTwitterはSNSというよりオタクが壁に向かって独り言を呟いて仲間だけで楽しむ場、という認識が主流だった。
「おかあり」「ほかいま」「なう」「わず」などの言葉がよく使われたあの頃の時代である。
それらの一連の事柄とスマホのバッテリーの寿命が危うくなったことで、私は関連ツイートを全部削除し、アカウント名も変更した。
それ以来、オカルト的な呟きは鍵付きで言うか閲覧者を限定するか…といったふうに自制してきた。
思えば、あの頃はまだ「オカルトの話をする人間は嘘つきの構ってちゃん」「目立ちたがり屋」といって叩く人が多かったように思う。
今では大分その風潮は消えてきたように思うので、少し言いやすい環境になったなぁと勝手にだが感じている。
Twitterが2ちゃんねるのような空気からSNS化していったことに対して、あれこれ言う人もいるけれど、
自分が体験したことのない話=事実ではない、と決めつけて、狭い了見で大っぴらに物を言う人がネット上で以前より減ったように思うのは、ネットリテラシーが広まった為かなと感じている。
「信じるか信じないかはあなた次第です」といったMr.都市伝説のあの方の言葉に倣って言うなら、
オカルト染みた話というものは、信じても良いし話半分で聞いても良いし、信じなくたって良いと思う。
本当に信じて怖がったり、畏敬の念を抱いたりする場合もあれば、
嘘だと思いつつもそれはそれとして楽しむことだってあるだろう。
あほらしいと信じない人は、そういった個々で反応を示している人のことを馬鹿にせず否定せず、ただ黙ってスルーすればいいのだ。
苦い記憶になったこのことが、伏見稲荷の怪について語る時に同時に蘇ってしまう。
これまでは触れずにいたが、クローズドなこの場所でなら…と言葉にさせてもらいました。
対馬には「オソロシドコロ」と呼ばれ、禁足地とされていた土地がある。
「裏八丁郭(天道法師祠)」という天道信仰の聖地とされ、立入や樹木の伐採が禁じられていた龍良山の北麓にあり、この地は古来より強いタブーの地とされてきた。
赤い鳥居の奥に石積みの祭壇があり、対馬固有の「天道信仰」の伝説上の聖人である『天道法師の母の墓』と伝えられているそうだが、地元の方も「正確には何を祀っているのか分からない」と言われている。
当時、立入りができるのは僧や山伏に限られており、俗人が間違って入った時には、裸足になって頭に草履を乗せ「インノコ(犬の子)」と赦しを乞う呪文を唱えながら後退りしなければならないという。
犬の子=人間ではないので許してください、という意味らしい。
後退りはお尻を向けてはいけないということからだという。
もしも後退りの途中で転んだときは片袖を千切って、身代わりとして置いていかなければいけないなど、厳格な「畏れ」の地だ。
いかにも禍々しいものか或いは古の神を祀っているのだろうかと思うだろうが、
実際の所は山の自然を守る為に、一般の人が立ち入らないようにする為に広まった伝説だそうだ。
しかしながら、実際に行った人は「厳かな何かを感じた」という。
語り継がれるうちに本当に何かが宿ったのか、あるいは幾重ものタブーによる心理効果なのかは分からない。
だが、「不思議」が語られる背景には何か理由があるのだろう。
それが説明のつくものかつかないものかは別として。
そのような不確かな「間(あわい)の世界」を、ただ語られるままに聞いていたいと思う。
今年最後の頁をめくるは、私らしく怪異の話で締めさせて頂きました。
これまで当たり前だったものが当たり前でなくなり、色々と大変なことが多かった一年でしたが、こうして来年の始まりを迎える準備ができているのは幸せなことに思います。
年の瀬は何かと慌ただしく事故も起こりやすいので、皆様も重々にお気をつけて良き新年をお迎えください。
在宅時間が増えたことで、色々な挑戦もできました。FANBOXもその一つです。
今年は、大変お世話になりました。皆様のご支援、日々の創作活動の励みになっております。
また、お互いに元気な姿で来年もこの場所でお逢いできると幸いです。