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【文】一対一のコミュニケーションと関係性のはなし

https://news.yahoo.co.jp/feature/1346 (「胸が痛くなるような恋愛の感情は、10代の頃と今も一緒」――aiko、ラブソングと歩んだ21年) 『「あなたとあたし」の関係を描くラブソングが象徴しているように、aikoの楽曲には基本的に「みんなのうた」はない』 私は小学6年生、思春期にまだ片足突っ込んだばかりの頃からaikoさんの楽曲が大好きなのですが、今朝読んだこの記事のこの部分にとても感銘を受けました。 楽曲に限らず普段自分が行なっているような創作活動においても、私は自分のためあるいは自分の想うたったひとりの誰かのために書いた(描いた)、身勝手な作品に惹かれることが多いです。 不特定多数の人間に対しては放つことのできないような、膨大で重厚な感情のエネルギーを感じるからかもしれません。 そして同時にこの記事を読み、 確かに恋愛は一対一の関係やミクロの世界を表現しやすいテーマで、彼女の表現したいものとぴったり合致していたんだろうなとも感じました。 もちろん性の関与しない恋愛もありますが、恋愛関係には子孫の繁栄、生殖戦略というものが本能レベルでも社会においても絡みがちです。 ゆえに他の関係性よりも、恋愛関係はより排他的になる傾向があります。 そのような認識が世間にあるからこそ、一対一のミクロでディープな関係性を表現するのに、恋愛は取り上げやすいテーマで、そういった作品が広い層にウケるのではと感じたのです。 それは恋愛でしか成し得ないものではない、友人関係やライバルや家族やその他諸々でもじゅうぶんあり得る関係性であるにも関わらずです。 (なんだかんだ嫉妬や独り占めや仲間外れは、友人関係より恋愛関係の方が世間では容易に受け入れられますよね…) ここからは私自身の話なのですが、集団よりもこういった一対一のミクロでディープなコミュニケーションが向いてる自分には、世間一般でいう恋愛という関係性がきっと心地良いんだろうなぁというのは、あります。 私は自身が場の空気を察したり暗黙のルールに合わせたりということが苦手なため、察しろ文化がぶっちゃけ嫌いです。 ゆえに自分も他者とのコミュニケーションにおいて理解して欲しいことは可能な限りきちんと言葉にして伝えたいという思いがあります(昔は好きなものすら人に言えず誰にも理解されなかったという経験もあり)。 しかし理解して欲しいことを逐一言葉にして伝えることは、ものすごく時間やエネルギーを要する作業。 一対一ですらそうなのですから、複数人の集団に対してとなれば尚更です。 そのため集団の中で、一対一のときのような出来る限りを言葉にして伝えるコミュニケーションの取り方はとても困難であるといえるでしょう。 ゆえに集団になると、円滑な関係を築くためにどうしてもある程度の暗黙のルールが必要になってくるのです。 それに集団が複数人になればなるほど傾向というものが生まれ、マジョリティ(多数派)がルールの基準になり、マジョリティとマイノリティのあいだに格差が生じます。 ああだから自分は複数人の集団グループが苦手なんだな、そして一対一の関係が心地良く思えるのだなと改めて感じたのでした。 一対一だとひとりの個人相手なわけですから、マジョリティも傾向もクソもないですからね!(個人の価値観が傾向に引っ張られるということはありますが…) キャパシティの問題で集団では成し得ないようなエネルギーを全力で注ぎ込んだ深い意思疎通のできる関係も、一対一なら築けます。 それゆえに私は、社会生活ではドのつくコミュ障でありながら、夫氏との夫婦生活がある程度円満に成り立っているところもあるのかもしれません。 そしてそういった一対一の関係性を好み重視するからこそ、個人対個人の感情に焦点を当てた創作やエッセイに惹かれやすいのかも…? ※もちろん察せることはわざわざ言葉にしない省エネなコミュニケーションの方が得意という人もたくさん居るでしょう。これは私個人の話です。 ちなみにツイッターランドにおいても私は集団に属すのが苦手で、だいたいハッキリとした集団の枠組みには属さず個人的に興味があるアカウントを個人的にフォローし、絡みたい時だけ絡みたい話題に絡む(しかも空リプ?で)みたいなコミュニケーションの取り方をしています。 (そのフォローとかリプ返しとかの基準もきちんと説明したさはあるけど、多角的すぎて説明しきれないな…という話をツイッターランドでしていた) ツイッターランドで私をフォロー頂いている方々には、理解して頂けるとありがたいです。 ここまでお読みいただきありがとうございました。ノンタンでした。 (noteより引用)


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