―—ああ、またこの夢だ。
もう何度目になるかわからない悪夢の始まりに、彼女はいい加減うんざりとしていた。目の前に広がる光景には見覚えがある。上質な内装の部屋。朝顔の形に花開くニッポノホン。浪漫の集大成たる艦船模型。真鍮と翠色とが美しいバンカーズ・ランプ。このご時世に、アップライトピアノまで。ゆっくりと白魚の手をあげて白鍵と黒鍵を交互に幾つか軽く叩く。すると、微妙な音のズレと揺らぎを感じた。
「…………もったいない」
いったい何年のあいだ調律されていないのだろう、この打弦楽器は。指でつうとなぞりながら、少女は独りごちた。だが、それはこの部屋のかつての持ち主がピアノを弾くことに別段思い入れのある人物ではなく、単に部屋の装飾品としての用途が主なのだろうことを窺わせた。とにかく、何を差し置いても、この部屋の主は骨董品の収集癖があり、虚構めいた生き方をしていて、どことなく古風な人物像である印象が浮かんできたのだ。そんな見知らぬ“誰か”に想いを馳せながら、少女は鍵盤に白い細い指を沈めるようにして弾く……かのワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲を。烈しくも哀しい愛と死のプレリュードを。
そして、その部屋こそが、かつて進駐軍として彼女が暮らしていた接収した屋敷の一室だった。西暦1945年9月某日―—あの嵐の夜までは。
そこで彼女は青年将校に犯されていた。相手は「御楯乃会」の青年たちと異なった礼服を纏った軍人であった。彼、正確にいえば“彼ら”には生気がなかった。だが、怨念と執着は常に彼と通底していた。常闇を溶かした漆黒の髪に、深い血の滾りを秘匿した真紅の眼光の美丈夫―—名を桐島紘一という。それらが集団となって彼女を襲っていた。......或る者は腕を失っていた。或る者は腹に風穴が開いていた。男の誰もが、死に至るほどの傷を負ってこの場に立っていた。彼は死者だ。あの夜、「御楯乃会」の反攻作戦の途中で命を落とした若者だ。
***
『逓伝する。我が襲撃部隊は通信係を残し全滅。此度の作戦は失敗した。脱出路を爆破、狭小突破の望みなし。諸君らの健闘を祈る。以上。』
彼に掌底され途切れつつある意識のなかで、事務的な台詞を耳にした。否。耳に残ってしまった―—とでも形容した方が相応しいか。誰に聴かせるわけでもない、ただ一介の軍人として呟いたであろう言葉。だが、滲み出る悔恨の声音、己を攫う捥は震えていた。
変電所の破壊工作は?復員兵の説得は?皇居襲撃は?放送局の人員は?どうなった。
特殊工作部隊との連絡は、一向につかない。右派民間人協力義勇軍は?私たち「御楯乃会」は?..................。
このような小規模の戦闘では、真なる神の怒りにさえ触れられぬ。我々は、戦争の再発―—神風、救国の風を、呼び起こせなか ったの か ?
…………。
……。
***
そんな男の誰もが執拗に彼女の身体を貪っている。桐島紘一の姿で。否、桐島紘一という男の存在そのものであろう。彼らはまるで彼女のことを憎んでいるかのように犯す。実際そうであったのだろうと思う。なぜなら彼の瞳には憎悪の色がありありと浮かんでいたし、行為の最中もずっと呪詛の言葉を吐いていたのだから。服を裂かれ、股を裂かれ、あまりの痛みに眦からは涙が伝い落ちる。それでも、暴虐じみた魔の手は一切緩まることを知らない。
『なぜ貴様が生きている』
青年はそう言いながら、彼女の首を絞めつけた。
「か......っ、はっ......!」
屈強な腕に首を圧迫されて息ができず、もがくように手足をばたつかせたが、それは無数の捥の前には何の意味もなさなかった。三本線に刺繍された金色の袖章だけが、涙で滲んだ視界の端々でちらりと光る。何本もの手が彼女に絡みつき、次第に目の前が暗くなっていくなか、男の表情だけがやけに鮮明に見えていた。彼らは泣いていた。眼から真っ赤な血の涙を流しながら、彼女を絞め殺していた。薄れゆく意識の中、彼らの声が微かに聞こえてきたような気がした。『なぜお前が生きている』と。『私たちは生きたかったのに』と。
―—私は、どうすればいいの?
その疑問を最後に、彼女の意識は闇に呑まれていったのだった。
「―—―—―—ッ!?」
アメリアは声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。
「はぁ、はぁっ、はぁ、はっ……」
荒い呼吸を繰り返し、額に浮かんだ汗を拭う。いつの間にやら、汗と体液に塗れた軍服は脱がされ、寝間着代わりに簡易的な衣服を一枚だけ着せられていた。下着を含めて、他に何も身につけていない。肌と布が寝汗で張り付いて気持ち悪かったが、今はそれどころではない。今の彼女には、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「……またあの夢」
ぽつりと呟く。ここ数日の間、犯される合間に毎晩見る同じ夢。あの日を境に繰り返し見るようになった、死んだ者たちの怨嗟の夢である。
―—なぜ我々がこんな目に遭わなければならんのだ
―—私はただ、この国を守りたかっただけなのに
―—許すものか。絶対に貴様を殺してやるぞ
「ごめんなさい」
震える声で呟きながら、己の身体を掻き抱くようにして縮こまる。そんな彼女の姿を嘲笑うように、地下室に灯された洋燈の光が、風もないのに小さく揺れた。
リスワン
2022-11-17 13:35:27 +0000 UTCホウギ
2022-11-17 13:29:49 +0000 UTC