XaiJu
nikuvacuum
nikuvacuum

fanbox


『融国』本編-桐島と、とある男の話-



 夜明け前の瑠璃色。うっすらと、東の空が白みはじめる前。桐島は誰かを待ち受けるように、ひとけのない空き地で佇んでいた。深淵を引き連れているような外套を夜風が揺らめかせ、かつて近衛であった証の意匠が闇の中で輝いていた。やがて、足音が聞こえた。桐島の姿に気づいたのか、その足音は立ちどまったようだった。

 桐島の唇がかすかに動いた。 来たか、と。そう言ったように見えた。 妖艶な印象を与える深紅の眼差しが闇の向こうにいる影を見据える。何が起きるのか——そして、その影の目的が何なのか。それを理解しているように、沈黙が続いた。一瞬にも感じられたし、永遠とも思えるほどの時間であったかもしれない。浄土で対峙するように見つめ合う二人の男の間には、ひりつくような緊張と、穏やかさすら感じさせる凪が満ちていた。


「お呼びつけて申し訳ございません、桐島大尉殿」


 先に口を開いたのは、影の主——岡平だった。それはいつもの部下としての口調。上官に絶対服従をする、軍人としての言葉だ。しかし、桐島は

「岡平。建前は不要だ」

 一言だけ、短く告げた。その眼差しには敵に向けるような冷酷な色が混ざっていた。その言葉の意味を理解しているかのように、岡平も小さく息をつくと肩から力を抜いた。それから、……皮肉げに微笑した。

 まるで、何かを懐かしむかのような笑みだった。

「だったら単刀直入に言わせてもらう。君の命を頂戴しに来た、桐島」

 堂々とした暗殺宣言。そして、凄絶なまでの殺気が辺りに満ちる。未だ闇の中にあるひとけの少ない空間が殺戮のための領域となり、桐島を呑みこもうとする。だが、彼は微動だにしなかった。それどころか、その視線はさらに鋭くなるばかりだ。やがて、桐島は肩をすくめて意外な提案をした。


「では、最期に少し話をしようか。……問答無用で斬り捨てても構わないが、我らの仲だろう?」

 桐島からは騙し討ちの気配はない。本当にただ、かつての友と話がしたいだけのようだった。


 実際、自分の命が惜しくば、岡平が直接殺しに行く理由はない。御楯之会を潰したいのなら、桐島たちを止めたいのなら、GHQや今も働いている憲兵にでも垂れ込めばよい。そうすれば公権力が動き、すぐに国家が動く。抗米にして反日であるこのテロ組織はすぐにそれまでの活動ができなくなり、『救国の風』を呼び起こす——かねてより計画していたこの日本を戦火に包むプランは白紙と消えるだろう。そしてそうなれば次はない。桐島が生きている限りは御楯之会は消えず、未来に禍根の種こそ残れど、蘇ろうとしている日本を殺す者は数十年単位で消え去るだろう。そうして、数十年単位で経過したならば世の中は動く。この数年で始まり、終幕を迎えた大戦の爪跡が語るように——激変した世界情勢が、度重なる転進と核兵器により死に至った大日本帝国が、それを雄弁に物語る。優生論を語る稀代の指導者が築き上げた第三帝国が、夢見た千年帝国とならず国家の主権すら失ったように。真珠湾攻撃の成果によって大艦巨砲主義が消え去り、航空主兵の時代が訪れように。

 未来へ託すこと。それが一番賢い選択なのだ。それが一番。だが、桐島にそんな選択肢はない。彼が今、最も成したいこと——それを見透かすような岡平の行動に、桐島は静かに口を開いた。


「岡平、これまで苦労をかけさせたものだ。貴様の活躍は今でもなお私の心を動かしている。ああ、元来一つの魂であったかのようにな」

「それは重畳だ。次は、そんな男が命を狙ってきている。落胆したか?」

「失望はした。だがな、それ以上に納得もある。貴様が私に敵愾心を抱いていたのは知っていたからな」 

「何かと思えば。……気づいていたのか。だが、そんなこと——この期に及んで無意味だろう。ただ、俺が君をこの手で殺してやらないと気が済まんだけだ」


「……愚かだな。だが、その愚かさは我々のものでもある」

 桐島は岡平を頭から否定はしなかった。現状を引き起こした遠因であるクーデター。現職の政府要人を斬り殺した事件や、近くは近衛師団長を殺害して命令を偽造し、恐れ多くも宮城に上がりこんだ烈士たち。それはいずれも己の信念からくる凶行であったが——何処かに愛国心をまちがえたエゴが混じっていたのかもしれない。

「そうだ。君も、同じだ」

「…………」

 思考に入り込むような岡平の言葉。桐島は静かに彼の方を見つめ、紡がれる言葉を黙って聞いた。

「今までの将校共と何も変わらん。君も口では愛国を謳ってこそいるが、その実は陛下に都合の良い虚像を映し、その虚像に忠誠を誓っている。神も仏も見放したことを認められず、あの御方に『在りかた』を強要して利用しているのだ」

 語られる言葉に、桐島の表情がかすかに険しくなる。自身に愛国という言葉を押しつけがましく持ち出され、否定される、それはいささか不愉快なものだった。

「岡平。貴様、何を言っている?この敗戦は偽りのものに過ぎん。大日本帝国はまだ負けてはいない、我々は本土決戦を諦めてはいない。此度までの戦いは、真なる国難にあらず。現に、陛下はまだ大御稜威を外敵に知らしめてはおらん。そのためには、我々の血で国家諸共を浄める必要があるのだ。天に代わりて不義を——」

「——黙れ」

 桐島の言葉を鋭い悲憤が遮った。

「何が不義だ、何が決戦だ!そんな画餅にいつまで縋りついている、手本であるべき区隊長ともあろう男が!君も分かってるんじゃないのか!?この瓦礫を見ろ、これが俺たちが作ってしまった光景だ!アメリカなど問題ではない、俺たち自身が作り上げたものだ!」

「…………」

 そして、桐島が何かを言い返す前に岡平は呼号を続けた。怒りに満ちた声音で告げられたのは、彼の本心だった。もはや御楯之会とともに死ぬことを是としなくなった彼は、桐島が語る魅力的な言葉も、世俗を超越した観念も、薄っぺらいお題目にしか聞こえなかったのだ。救国の風を自らの手で招来し、今度こそは大元帥陛下の真なる眼を開かせ、帝国の栄光を取り戻す。帝国に本当の危機が迫れば、そのときこそ現人神たる陛下が霊験をあらたかにし、救国を導いてくれるのだという、狂気と妄執にとりつかれた桐島の滅裂な思考。だが、敗戦を認められぬ者にとっては耳心地の良い言葉だ。消せぬ瞋恚の炎を宥めすかすことなくその怒りを振り下ろす先を作ってやるのは、倫理を超えて優しきことといえよう。しかし——岡平が示す先には、未だに痛々しい町並みが見えた。本土決戦など到底できるはずもない死に体の景色。どれほどの美しい言葉を用いようとも、覆すことのできない現実。朝白む前のそれは、本当に遥か昔に死んでしまった文明の古代遺跡のようにすら感じさせた。

「大東亜だの、天を回すだの、そんなおためごかしの果てにこうなった!国の為に死ぬことが仕事の我々はともかく、これからを任せるべき若い連中を死なせ、銃後を死なせ、戦場ですらない内地を焼夷弾に焼き尽くされ……果ては新型爆弾だ。まだ足りんのか!?あの苦しみを、無念を、忘れられないまま、今度は俺たちが、テロ紛いのことをしてまで国民の命を奪うのか!俺たちの手前勝手な理由で——貴様が死にたいというだけの理由でっ……!」

 最後の言葉には激情を押し殺したような震えがあった。岡平の言葉に桐島は反論しなかった。ただ静かに、怒れる男の姿を見ていた。長い睫毛を伏せ、しばらくの後、ゆっくりと口を開いた。どこか疲れた口調で、しかしはっきりと告げた。

「——そうかもしれんな」

 それは、彼自身も自覚していなかった、御楯之会の理念を抜きにした本音だった。陛下は——こんなことを望むはずもない。多かれ少なかれ、この日の本を焼き尽くし、米兵も日本人も巻き込んですべてを戦火に包む。ほんの少し考えれば愚かなことであると分からぬほどに、彼は愚かではなかった。だが、それでも——

「だが、それでも私は止まるわけにはいかないんだよ、岡平」

 沈黙が流れた。夜風が二人を包むように流れ、そして何処へと消えてゆく。

「……君はなんで近衛になった?虚弱体質のお坊ちゃんが、死ぬ思いで鍛練して、カデの時からずっと主席卒業して、陛下のお側を守る立場にまでなったのは何故だ?」

「当然、護国のためだ」

 それは変わらない。戦いの前も、中も、後も——禁衛府に行かずにテロを企ててこそいるが——その理念だけは絶対に変わらない。大切な生徒達、いと尊き天皇陛下様。そのために在ることが彼にとって生きる理由であり、使命であった。理想的な軍人だ。だが、その理想的な軍人の信念を見て岡平は鼻で嗤った。

「ああ、最初はそうだったんだろうな。だがな、君は見落としていることがある」

「私の見落とし——だと?」

「いつだろうと知らない『誰か』の為に自分を焦がそうとしてるのだ。今とて大義名分で目的を覆い隠して、自分の可愛い教え子たちを楽にしてやろうとしているのだ。敬愛される教官殿である自分をも生贄にしてな」

 それは意外な言葉だった。考えたこともなかった言葉だった。さざれ石が苔生すまで——永久に続く万世の礎となるならば本望であると、根っからの軍人である桐島はただ、思っていた。だが、岡平の言葉は、その忠誠にこそ縋っていると。己の意思で選んだその選択こそが。その事実を後押しするように、言葉を続ける。

「……君は強いように見えて、その実はとても弱い人間だ。あの御方に『背信』され、己の根底を揺さぶられて寄る辺を失ったから、今度は自分を憎悪の苗床にして悪鬼羅刹になったのだ。笑わせてくれるなよ。それで、何が——帝国軍人だ」

 明確に桐島の表情が変わる。それまでの怒声を、限界を超えた言葉を。全て浴びせかけられても眉一つ動かさなかった彼の顔が、変わる。

「………………」

 『人間』である彼をそれまでずっと近くで見てきたからこそわかることだ。だが、だからこそ、彼の生の感情を知っている。彼の——不可侵を知っている。


 桐島は静かに軍刀を引き抜いた。父親の忘れ形見。その明確な敵意は、まるで天地容れざる朝敵に向けるかのような心底からの冷たく燃える炎のような殺意だった。その清廉たる白刃は、大元帥陛下に捧げた忠義そのもの。軍刀を振るうことは、即ち「正義を振るう」こと。大義に仇為す敵を、桐島は忠烈の刃で斬り斃す。その殺意を宿したように冷たく輝く興亜一心刀は、触れ得ざる鋭さを強く感じさせた。

 応じるように岡平も軍刀を抜く。拳銃はない。

 ただ男と男の意地をかけた——くだらないセンチメンタリズム。


「——終わりにしよう、桐島。俺たちは、もう何もしてはいけないんだ」


 戦国の世からの直系の流れを汲む桐島の古流剣術と、岡平が使う陸軍戸山学校の両手軍刀術。流派は違えど二人の構えは同じ正眼——遥か昔より連綿と続く人斬りの業が刀を捨てさせる世の流れの先で剣道となったのちも基本として受け継がれた、剣を学ぶ者が初めに習う構え。即座に相手を殺傷できる一足一刀より離れた一間、たったそれほどの距離が無限のように感じられる。模擬刀ではない真剣の輝きは月光を受け、まるで氷を刃としたかのよう。嗚呼、嗚呼、決してどちらかが生きて帰ることのない常闇の決戦場。虫の鳴く声と寂しさをからからと運ぶ風の音の中で永遠の静寂が訪れる。張り詰めた、張り詰めた糸。彫像のように佇んだふたりは未だ動く気配がない。けれど、ほんの少しずつ……その距離が縮まってゆく——

「行くぞ、桐島!」

「吠えたな、岡平」

 同時に駆け出す二人。その一歩ごとに風を切る音が強くなる。そして互いの身体が交差する瞬間、二人は一気に踏み込んだ。甲高い金属音が響き渡ると同時に、二つの影が重なる。


——勝負あった!もし、観衆がいれば誰もがそう思っただろう。しかし、次の瞬間に聞こえたのは再び交錯する刃の音色。

 始まりは大上段に構えた岡平の全力の振り下ろしと、刀を振り上げる動きで振り下ろされる刃を受け流し、そして振り上げた刃を反撃に振り下ろす桐島の面擦り上げ面。互いに当たれば必殺だ。だが、その刃は互いの身に触れることさえなかったのだ。

 一秒より遥かに短い刹那の交錯のやり取りの成果は服と外套を互いに斬られただけだった。常人ならば恐怖で死んでいるだろうその剣気を互いに発するふたりは激しく鍔迫り合いをしながら離れる。だが、今度は二合三合と打ち合う度に二人の動きは明らかに変わっていった。最初は技巧的に打ち合っていたのが次第に力任せに切り結ぶようになり、更に速さを増していく。それはまるで踊っているかのように。


「ッ!!」

 荒々しい岡平の太刀筋が桐島の首を獲らんと横薙に一閃される。だが、桐島はそれを鎬で受け流しながら押しのけ、力ずくで反撃に移る。されど読んでいたとばかりに岡平は剣の間合いの内、懐に飛び込んで体当たりを仕掛けた。

「ぐっ!?」

「甘い——」

 桐島の剣技は古流の剣技、故に今現在は存在しない技法も数多く存在する。体当たりを仕掛けた岡平に向けて、その後頭部に柄を使って殴りつけた。鍔迫り合いとは互いの刀を押し合い、そして鍔もとの巧みな力や重心の操作により主導権を取る手法。その速度は拳闘にも匹敵する。頭を殴りつけられた岡平の目に火花が散る。だが、体当たりの勢いは止まらない。そのまま組み付きながら、左の拳打で相手の顔面を無理やり殴りつけた。

「……!」

 荒々しい喧嘩術!桐島はそのまま組みつかれることを嫌い、合気道の技で岡平を後方に投げ飛ばす。投げられた彼は地面に放り出され、無様に転がるが即座に立ち上がり既に行動する。互いに強烈な一撃を見舞われたふたりはしばらく視覚というものが消えていた。しかし、剣客というのは感覚にのみ頼るものではない。心技体を合一した刃は互いの心を映す鏡。そのまま視界に頼らず『気配』を読みあい刀を振り抜いた。ギィン——と甲高い音が響き、刀が悲鳴を上げる。火花を散らし、砕け、剥離した刃の一部が闇の中に鱗粉のように舞い散った。それが地面につく前にふたりは互いの位置を確認し、また互いに切り結ぶ。


 斬撃と斬撃。煌めいては消える銀の閃光が十重に八十重に闇の中に瞬き、そしてその全ては一心不乱の攻防が繰り広げられるのだ。相手の先をゆき反応を取らせる先の先、相手の技に返し技を重ね致命打を負わせる対の先、相手に先に動かさせ後より出て先に殺る後の先——その全てが織り込まれた剣の舞は互いに互いの出す手を予測して放たれ、まるで台本の上で示し合わせた演舞や演劇のように美しい。

 ——否、これはそんなものではない。殺し合いだ。

 数秒の中で繰り返される読み合いと読み合い、月光の下で猛々しくも踊るように繰り返される慓悍なる戦舞はまさしく鬼神のもの。木の葉が、風が生命——僅かな間隙が命を終わらせる極限の中で、二人の身が少しずつ傷ついてゆく。だが、怯まない。血華が咲く中で太刀筋はなおも猛々しく、まるで妖刀の如く血を吸って研ぎ澄まされていった。一進一退、全てをかけた男と男の『喧嘩』だった。

 ……だが、剣士同士の戦いはあまりにもあっさりと決着がつく。一秒、また一秒と克明に時を刻む中でその終着は唐突に訪れた。

「——天誅!」


 桐島の短い戦叫と共に振りぬかれるのは真っ向からの唐竹割り。豪風を纏い、空気を切り裂いて放たれた最大の一撃は、それを受けようとした軍刀を激しく打ち抜く。迸る衝撃が岡平の握力を奪った!刀を取り落としたその一瞬、瞬きする間ではあるが気を取られ、隙が生じた。

「終わりだ」

 岡平が何か行動を起こす前に既にその戦いは『終わって』いた。日本が古来より誇る刀の切れ味は、扱いに繊細さを要求すれど名刀なれば人間の胴体を七つやすやすと切り裂く七ツ胴の伝説を唄うほどに鋭いものだ。そしてその真価は速さにある。指先動かす前に、その刃は彼の右腕を肩口から切断した。

「ッ……!」

 思わず肩口を左手で押さえて膝をついた。痛みですらない灼熱感。斬られた実感が噴き出す鮮血より遅れて訪れた。幻肢とも言えるだろうか。それまで繋がっていた己の右腕があまりの強さで斬られた為に飛んで地面に転がり、血溜まりに沈んでいる。それを確認した直後、鼻先に血に濡れた刃の切っ先が突きつけられた。激しい打ち合いによってそれは無惨に刃こぼれし、ベッタリとくっついた血液が削られて消え失せた鎬を彩っている。冷たい輝きの先にいる桐島も体の各部を切り裂かれ、全身から止めどなく血を流していた。だが、死んではいない。斃れてはいない。急速に脱力してゆく身体の感覚に耐えきれず、岡平は力なく笑った。


——岡平。裏切り者。

——桐島。許せぬ敵。

——岡平。かつての同胞。

——桐島。憧れの体現者。


 交錯する視線は、様々な感情を押し殺したものであった。放っておいても死ぬ男を見つめ、桐島は刀を下ろすことはなくただ見つめていた。

「言い残すことはあるか」

「……お優しいことだな」

 自らが作った血溜まりの中で、岡平はやはり皮肉げな笑みを浮かべた。ゼイゼイと苦しげに肩で息をする中、咳をしながらもゆっくりと声を紡いでゆく。

「なら……最期に、剥いでやろうか。君のどうしようもない——独り善がりな仮面をな」

 桐島の刀を握る手に力が籠もる。だが、構わず岡平は喋る。

 最期——岡平は狂気に満ちた目を見開いて顔を上げると、吐血しながら残る生命力をすべて吐き出すかのように、あらん限りの力を込めて月の下で咆哮した。

「君の求めるものは何も手に入らん、何ひとつもな!何も成せず、何も掴めず、何も果たせず——無意味に歴史の闇に沈むがいい。叫んだ理想と声は届かぬ、誰にもな!先に九段の下で待っていてやるぞ。ははっ、はははははっ!!」

 そして、最後に見たのは月華を受けて翳る桐島の姿と、青ざめた輝きを放つ紅の刃。『彼』の意識はそこで途切れて落ちる。永遠の闇の中に意識が堕ちた時、全ての感覚が消えてなくなる。……それまでの荒ぶっていた心も、彼我の輪郭も、風一つない凪の中に融けて消えていった。


「......岡平、貴様もか。よりにもよって、君が……私を………………」

 否定するのか。

 静寂の訪れた場に水滴が落ちる音がする。滴り落ちる血が刀の切っ先から落ちてゆく。亡骸を見つめる桐島はただ、無感情に呟いた。——ポツ、ポツ、と雨粒が彼の頭を叩く。程なくして降り始める驟雨が血を洗い流してゆく。


 天照大神の光はここには届かぬ。大元帥陛下の真なる眼は未だに開かず。それでも皇国の亡霊は、何も言わずに雨を受けていた。


                      ————————『融国』本編より
















皇紀二六三〇年、西暦一九七〇年

 答えはない。『彼』が求め続けるその答えはもうこの世のどこにもない。そして、この世以外のどこであっても。底なしの孤絶を超えようとする渇望は満たされぬままに、無為に過ぎるのは刻ばかり。あの時代の気配が遠く離れた平和な日々は、今日も変わらず続いてゆく。風だけがかつてと変わりなく、柔らかく賑わい豊かな東京の摩天楼を吹き抜けてゆく。闇を知らぬ人々の肌を撫ぜ、等しく天津風は何処へと消えてゆく。神の国ではなく、人の国の全てを飲み込み——永らえてゆく歴史の行方を語るように。

『融国』本編-桐島と、とある男の話- 『融国』本編-桐島と、とある男の話-

Comments

存ったら→在ったら 恥ずかしい間違いをしてしまった

肉バキューム

ありがとうございます...!! 昭和のあの雑然とした独特の時代、二度とは訪れぬ時間と空間に、こういう男同士のやり取りが人知れず存ったらいいなとロマンを感じていました...! リスワンさんにそう仰っていただけて感無量です😭!! 完璧に近い強さが欠点のような、致命的な弱さと表裏一体のような、そういう危うい男が...すき......!

肉バキューム

すごかったです! 感想を伝えるには語彙力が足りない……! 軍刀での一騎打ちもかっこよく、何より時代背景、世界観が強く鮮明に表現されていてのめり込みました! 文章による表現、私にとっても参考になります! 弱さと強さを内包した桐島さま、かっこいい✨(*'▽'*)

リスワン


More Creators