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孔明の罠
孔明の罠

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"男"のなくなる洋服店

「これなんか似合うんじゃないか?」 「お、裕樹見てみろよ、よさげじゃね?」  友人2人を引き連れて、俺は現在地元の路地裏にある古びた洋服店を物色中だ。  普段は大してファッションというものに関心のない俺だが、今週末には彼女との初デートが待っている。最低限の身嗜みでは心許なく思い、折角の機会でもあるのでここは食費を減らす覚悟で奮発してちゃんとした服を仕立てておこうと入店した。 「ついに裕樹も彼女持ちかー」  感慨深そうに呟くこいつは颯太。運動も勉強もそこそこ出来る、クラスの女子たちにも人気の優男だ。ファッションセンスに自信がなかった俺に今回気前よく手を差し伸べてくれた聖人。 「うちらとも遊んでくれなくなるんだろなぁ、くくっ!」  悪戯っ子みたく笑うこいつは綾乃。華の女子高生という立場をまったく思わせないスポーティな見た目と男勝りな性格をしている。女子の視点からアドバイスをうんたらかんたらとこじつけを言って、頼んでもないのに今回勝手についてきた。本人は多分俺のためとかじゃなくこの状況を楽しもうとしているだけなんだろう。 「無駄口叩いてないでちゃんと選んでくれよ?ここでの服選び次第じゃ俺はあいつに愛想尽かされて、最悪お前らは失恋の慰めにラーメンを奢る羽目になるんだからな?」  そして俺、吉崎裕樹。この2人に比べると実に平々凡々な、ごく普通の男子高校生だ。  とまあ、何の縁かは知らないがそれなりに仲良くやっているいつものメンバーで和気藹々とした時間を過ごしながらも、ようやく俺は今試着しているこの服で行くことに決めた。 「七分袖の黒いサマージャケットにカーキ色のジョガーパンツ。シャツは持ち合わせの白いやつにして……若干背伸びした感もあるけど、まあ細身の裕樹にけっこう合ってるんじゃないかな。十分合格でしょ」 「いいじゃん。馬子にも衣装ってやつだな」 「サンキュー颯太。案の定綾乃がいらなかったな」 「むっ!一言余計だぞ!」 「こっちのセリフだわ!」  まあなんにせよ無事デート服が見つかってよかった。  怒り顔の綾乃をどうどうと宥める颯太を横目に、俺が会計に向かおうとしたその時。 「お会計ですか?」 「うおっ!……あ、すみません」  突然背後からにゅっと顔を覗かせた女性に、俺は驚きのあまり素っ頓狂な声を漏らしてしまった。 「ビックリさせちゃってごめんなさいね」  そんな俺の非礼を気にも留めず、女性は既に手元にある電卓らしきものをいじくりながら頻りにふんふんと頷いていた。どうやら彼女はここの店員らしい。 「……」  そういえばこの店、これまで目の前の女店員を含めて俺たち以外に誰1人見なかったな。これだけ長居していたのに……いくら目立たない立地とはいえ、住宅街のすぐ近くにあってそれは少し不自然じゃないか? 「……」  まさか曰く付きの店というわけじゃあるまいな、などと俺が不安に思っていると、女店員はおもむろに顔を上げた。俺の心情とは対照的にとてもにこやかで、そして酷薄を思わせる怪しげな微笑みを浮かべていた。 「うん。完璧。じゃあ3人とも、これを見て」  そう声を掛けられ、俺たちは特に意識することなく女性が指し示すその画面へと目をやってーー 「……ん?あれ?」 「これなら優希も彼氏に呆れられたりしないね」 「ええ。今の優希さん、とっても素敵ですもの」  一瞬視界が暗転したような気がした。なんとなく周囲が気になって見回してみると、私の背後では颯良(さら)ちゃんと綾乃ちゃんが楽しそうに談笑していた。  ……ていうか、『颯良ちゃん』?『綾乃ちゃん』?……『私』? 「……ああ。貴女、そうなのね。ごくまれにね、貴女みたいに掛かりの悪い子がいるの」  どうしてか今の自分たちに釈然としないでいる私を見て、店員さんはあやすようにそう言った。 「……」  そんな彼女を訝しんでいると、颯良ちゃんがとんと私の肩を控えめに突いた。 「なにしてるの優希。早くお会計済ませてきちゃいなよ」 「う、うん……」 「いえ、お代はもうちゃんと頂きましたよ」 「へ?」 「もう頂きました」  そんなはずはない。私はまだ財布すら出していないというのに。店員さんのよくわからない冗談に愛想笑いを浮かべながら、私は鞄から財布を取り出そうとして、 「……?」  鞄、というかポーチを見て、またも違和感に襲われる。自分が今日持ち歩いていた鞄は、果たしてこんなに小ぢんまりとしたものだっただろうか。さらに内ポケットにある『先日彼女から誕生日プレゼントで貰った財布』……ではなく、『今いるこの3人でお買い物に行ったとき見つけて衝動買いしたお気に入りの可愛い財布』を開きかけて、私の脳裏に突拍子のないヘンテコな疑問が過った。 「……私、女の子だったっけ……?」  我ながらわけのわからないことを思った。高校生にもなって、しかもなんの拍子もなく突然自分の性別に疑問を抱くなんて、今日の私はどうかしている。きっと昨日の夜、遅くまで彼と長電話をして寝不足になったからだろう。  そもそも私には女の子として生まれ育った16年の記憶がある。さすがに嬰児の思い出は定かじゃないけど、それは言葉の綾というものだ。私はちゃんと女の子として生活をして、また、女の子として扱われながら、小学生、中学生、そして今の高校生の私へと成長していった。  例えば私は小学生のころから男の子なら履かないであろうスカートを好んで身につけていたし、意地の悪いクラスの男の子からスカートめくりをされて度々からかわれていた覚えもある。ある日私が泣いてしまって、女子のみんなが彼をしばらく総スカンしたことなんかもあった。  体育の授業や市民プールで遊ぶ際、着替えに用いる更衣室は女子更衣室だった。そして当然、自分が女子の括りにいることに少しの疑念も抱くことなんてなかった。  周囲と比べて少し遅くはなったが生理だって経験したし、それは今も私を時折苦しめに来る。けれどそのことはこの身体が女性としての機能を健全に全うしようとしている何よりの証左だ。  小学生時と打って変わって制服で学校に行くことが強要された中学でも、ブレザーにリボン、スカートにハイソックスという女子用の制服姿に違和感を抱くどころかその可愛らしさに心を打たれて好んで着こなしていたし、男女で分かれるバスケ部にだって、普通に女子バスケ部側で入部した。女子の中で並みの身長しか持たなかった私だけど、仲間のみんなと過ごした3年間は今でもいい思い出になっている。  高校生になって、自分の身体が存外女性らしい成長をしていたことに気づいた。顔つきや髪型こそ以前と大して変わらないままだったけど、例えば大きくなっていく胸は私に頻りにブラを買い換えさせていたし、決定打としては、クラスメイトの男の子たちだった。彼らは声が野太く筋骨も逞しく、自分らとじゃもはや比較にならないくらいの威圧感と膂力があって、中には見上げでもしないと目が合わないような背丈の子だっていた。引き換え私たち女子は、声は黄色く、体格はとにかく小さく華奢なままで、筋肉の代わりに脂肪が多く備わった。腕や脚を摘めばふにふにと柔らかく、肌は白くきめ細やかな子が過半を占めていた。大小の違いこそあるものの胸は膨らみ、骨盤は将来を見据えてか大きく幅を取って、そしてそれらを有効ならしめる始まりになる場所には男の人を受け入れるために設けられた一筋の溝がある。女子はみんな『女性』としての様相を見せ、それは男勝りな綾乃でさえ例外じゃなかった。  そしてそんな私たちだから、誰かしら男女の仲にまで進展するといった機会も珍しいことではなくなって、その中にとうとう私も含まれることになった。先日の放課後、気になっていたクラスの子から告白されて、私はふたつ返事で快諾をした。それからデートの約束を取り付けて、今現在に至る。 「……」  ほら、やっぱり私は、どう考えたって女の子じゃないか。と、自分で自分にそう言い聞かせた。  もちろんそんなことはっきりしている。この記憶と精神と、目下にあるこの身体とを見て、自分を男の人だと思えるほうがどうかしている。  だというのに、私の心の奥底に未だ燻るこの本能のような何がしかは、今この状況になお警鐘を鳴らして止まない。  ーー裕樹。 「ゆう、き……」  ふと私の脳裏を過った名前らしきものを呟く。ゆうき。裕樹。裕樹?それはなんというか、胸にすとんと収まるというか、どこか馴染み深いものであるような感じがした。 「ゆうきゆうきゆうきゆうきゆうきゆうきゆう…………………あ」    まるで壊れたレコーダーのように、思うままにそれを口に出し続けていると、私の脳内に有りうべからざる記憶が止め処なく去来し、やがてそれがもうひとりの私を……本来の俺を取り戻させた。 「そ、そうだ。そうだよ……俺は」  俺は裕樹だ。男だったんだ!さっきまでの記憶も、この身体も、全部偽物だ!本当の俺は、吉崎裕樹なんだ! 「あちゃあ、戻っちゃったかぁ」  残念がる女店員を見て、俺はこの現象の元凶が彼女であることを確信した。  俺と同じで男だったはずなのに女子らしく楚々とした服装と表情を浮かべる颯太に、深窓の佳人を思わせるほどお淑やかに変わった綾乃。 「……夢、じゃないんだな」  俺は思わずそう呟いた。口を出たのは濁りなくよく澄んだ、耳心地のいい綺麗なソプラノボイスだった。 「……」  深呼吸をして無理やり鼓動を落ち着かせてから、俺は自分の身体をまさぐった。  ふにふにとしてきめ細やかな色白の柔い腕。小さな手のひらに細く頼りない指先。 「……」  視線を少し下げるだけで目に映る、洋服を内から持ち上げる大きく膨らんだふたつの胸に手をやると、それらはふるんとわずかに揺れ動きながらも指圧をそのままに形を歪める。間にゴワゴワとした物を感じたが、おそらくそれはブラジャーだろう。 「なんで……」  膝丈ほどのスカートをめくれば健康的な太ももが顔を覗かせ、膝から続くふくらはぎも以前ほどの角張りを消失させたすらっと凹凸のない見た目に変わり、全体として綺麗な美脚という印象を抱かせる。 「ここも、か……?」  これだけでももう十分に奇々怪界の体験者だ。しかしここに至って最悪の想像が俺の脳裏をよぎった。俺はそっとスカートの中に手を入れて、そこにあるはずの、男としての象徴の無事を確認しようとする。より下に顔を向けようとすると、さっきまではなかったはずのよく伸びた横髪がさらりと垂れて視界の脇を黒く塗り潰した。 「……」  いつの間にか身につけられていた女物のパンツなど気にも留めず、俺は嫌にぴっちりとする股間とそれとの間に手を忍ばせ、そして愕然とする他なかった。 「な、ない……」  空を切る指先はそこが平坦であることを意味していて、つまり俺の股間にはもはや性器と呼べるものは存在しなくなっていて……。 「うひゅっ……?」  なにかなだらかなものに指がぶつかり、それから生じた経験したことのない刺激が俺に間の抜けた吐息をこぼさせた。  薄々感づいてはいた。まるで女のような服装に、身体にされて、それでいてここだけが変わらずにいられる道理なんてないのだと。  妙なくすぐったさに襲われながら過敏になった表皮をなぞっていくと、やがてその道はそう大きくはない溝に行き当たる。そして縦に割れたそれは外からの刺激に若干ひくつきながらも、特に間断もなく俺の指先を受け入れた。 「あ……」  それはもう、紛れもなくただの女性器だった。今俺のこの身には、もはや男として意中の女子に秘部を差し込み、種を植え付ける術を持たず、どころか逆に男を歓待する女としての性的役割が顕在化していた。 「あ、あんたが俺を……俺たちをこんなにしたんだな!?は、はやく元に戻せっ!!」 「威勢がいいわね。それじゃあ、そろそろ本題に入りましょうか」 「……は?ほ、本題……?」 「ええ」  そう言って微笑む女店員。俺はどこか不穏なものを感じながらも、今は逸る気持ちを抑えて彼女の話を聞くことにする。  いや、そこに俺の自由意思なんてなかった。足が竦みそうになるのを必死に堪えているだけの、蛇に睨まれた蛙も同然の状態が今の俺だった。 「お察しの通り、貴女たちの身の異変は私が引き起こしたもの。私は……そうね、この世界でいうところのサキュバスという概念に近い存在かしら?ただ、私にとっての食事は、人間の雄が持つ『雄としての性的要素』なの。言ってること、分かる?」 「……」  分かるわけがない。令和のご時世に、いや、時代なんか関係なく、人間以外でこれだけ他種族の言語体系を身につけられる高知能の生命体なんて、存在するはずがない。  けれどそんな現代人の一般常識が、はたして今この場でどれだけ通用するというのだろう。 「……あ」  遣る瀬なく目の前の女店員から目を逸らすと、脇にあった姿見が俺の行く当てのない視線を釘付けにした。鏡の向こうの柔和な顔立ちをした女の子と目が合った。  その子はふんわりとしたセミロングの黒髪をしていた。ややシャープな顎先と丸みのある顔つきに、眉は細く薄く整えられていて、睫毛は女子らしくよく伸びて萌立っていた。二重瞼の大きな両目は爛々と輝き、より女子としての愛らしさを強調させている。鼻すじはすっと品があり、その下にある色づきよくぷっくりとした瑞々しい唇は、しかし平時であれば鮮やかな薄紅を表していただろうに、今は色素が薄まっていて、弱々しい生気しか感じさせてくれない。それでも、学年において一と言って二とないほどその容姿は確実に可憐で、年相応のあどけなさにどこか蠱惑的な魅力を携えた、見る者の目を奪わずにはいられないほどの女の子に違いなかった。  そんな可愛らしい子が、まるで似合わず顔を青ざめさせ、その表情には恐怖の色を浮かべている。それはきっと今俺が抱いている感情をありのままに表現したものに相違なく、ふとした折の身じろぎや、髪を掻き分けるなどの微細な動きひとつ、俺と彼女は一心同体のようでいた。  そんな俺の様子を一頻り見届けてから、女店員は説明を続けた。俺は依然、姿見のほうを見ていた。 「貴女たちの性的要素……男としてのすべてを私は食べ尽くそうとした。実際その大半はちゃんと私のお腹の中にあるし、だから雄の要素を欠いて、もはや雄ではいられなくなった貴女たちは、今こうして人間の雌に変わってその存在を維持しているのよ。そしてこの世界にあった貴女たちのすべては、女であるものとして改変された」  涼しげな白のブラウスに爽やかな水色のフレアスカート。そこから顔を覗かせる柔らかなふくらはぎ、透き通るような肌の白さを強調させるほんのりと赤いパンプス。派手すぎず地味すぎず、そして落ち着きがありながら相応に背伸びをしたデートによく向いたコーデに、改めて、何を着せても可愛らしく、女子として最大級の魅力を発揮してしまいそうな、これでもかとばかりに端正な容姿の女の子。 「ただ、貴女の魂がちょっとだけ食べきれなかったから、今回みたいに歪な事態に陥っちゃったのよね。この状況は、私としても本意ではないの。かといって、既に警戒されている相手から要素を奪い取れるほど、私は上級じゃなくってね」  滔々と説明を続ける女店員は、しかし不足の事態だというわりに存外楽しそうで、常に微笑みを浮かべたままだ。俺のとは、まるで正反対のものだ。 「貴女はお友達と一緒に元の自分に戻りたい。私はあなたを完食したい。だからそう、賭けをしましょう?私の提案する勝負に、もし貴女が勝ったらすべてを元通りにすると約束するわ。その代わり、私が勝ったら貴女の今あるその自意識は今度こそ女の子に染め上がることになるけど……どう?」  俺は未だに状況を飲み込み切れず、悪夢かなにかかと思わずにはいられない。 「……」  友人たちはまるで生まれた時から女だったかのように現状の自分たちに対して平然としている。今もレディースの服を手に取ってきゃいきゃいと試着を楽しんでいる。女店員が言っていた食事による改変の影響が精神にまで及んで、もはや自分たちが女でいることなんて彼らにとっては当たり前のことなのだ。 「……」  性格や顔つきにどことなく面影こそ残ってはいるものの、男勝りな綾乃があんなにも嫋やかに、優男ながら女性とは隔絶した肉体を有していた颯太があんなにも女子らしく産み変えられてしまった。 「……」  恐怖は、当然にあった。人智を超えた化け物かなにかと相対しているのだということも自覚していた。けれどそれ以上に沸々と湧き上がるこの不条理に対する怒りが、友人が懸命に積み上げてきた生涯をただの餌として蔑ろにされているこの状況への憤りが、俺に勝負を承諾させた。 「受けてやるよ。必ず元に戻ってみせる」  この決断に後悔することすら、もはや叶わなくなるとも知らずに。 ××× 「これでもう反故にはできないわよ」  女店員は簡素な儀式を済ませると、嬉しそうにそう言った。儀式によってお互いの魂に約束事が刻みつけられ、撤回の道はなくなったらしい。もう後戻りはできない。ちなみに今の俺たちは周囲から不審がられないよう、女店員が作った空間の壁に覆われているという。実際、颯太と綾乃にどれだけ声を掛けても彼らは無反応だ。 「それで、勝負ってのは何をするんだ?」 「セックス」 「せ……は?」  至って真面目に聞いたつもりなのにとんでもない回答が返ってきて、俺は目をぱちくりとさせた。 「くふふっ……本当に滑稽!勝負の内容も確認せずに約束の儀を黙って見過ごすなんて、相変わらずこの国の人間は平和ボケしてるわねぇ!」  女店員の高笑いは止まらず、俺は苛立ちと少しの羞恥を混じえて改めて尋ねた。 「なんなんだよセックスって……あんた俺を馬鹿にしてるのか?」 「くはっ!馬鹿にしてるかって?ええもちろん。それじゃ、馬鹿にも分かるよう説明してあげるわね……私たちの種族にとっての勝負というのは、勝負を引き受けた者が、その者にとって最も馴染みのある異性を呼び寄せセックスし、どちらが先に果てるかを参加者で言い当てるものなの」 「はあっ!?」  倫理観が人間のそれと違いすぎる! 「ありえないって顔してるわね?けどもう遅い。もし貴女が敵前逃亡でもしようものならこの勝負は私の不戦勝、貴女の女性化は確定する……面白くなってきたわねぇ」  性悪が過ぎるこの女に今すぐ怒鳴り散らしてやろうと一歩前に出ると、突然目の前にぼんやりと人の影が浮かび出した。それは徐々に輪郭をはっきりとさせていき、やがて俺にとって『最も馴染みのある異性』として1人の人間を象った。  俺は唖然とした。 「なるほど、これは私も驚いたわ」  そうこぼす女店員は実際に目を見開いてその存在を見つめていた。 「う、そだ……」  俺と女店員との間に現れた、実体を伴ったこの人物は、まぎれもなく先ほどまでの俺そのもの、吉崎裕樹その人だった。  癖毛の短髪につり上がった目尻が特徴の顔、体育会系の部活にこそ所属していないが親の遺伝によるものか筋肉質で角ばった胴体。やや日に焼けて浅黒な肌。  そんな俺が、無表情で棒立ちをしていた。  女店員は思案げに、しかし面白そうに唸った。 「貴女にとって最も馴染みのある男性というのは、きっとそこのお友達だったのね。けれど彼女はもう女子になってしまったから、その次に該当する元の貴女自身がこうして口寄せされたのかしら」  女店員の話を理解し切るのに、俺は少しの時間を要した。口寄せなどという異能力には、見て見ぬ振りをすることにした。それでもひとつ不可解だった。 「ま、まてまて。男性?え?さっき、あんたはたしかに異性って……」 「そりゃ、今の貴女は女の子ですもの。女性にとっての異性といったら男性で間違いはないでしょう?」 「そ、そんなのっ……ふざけんな!!」  つまり俺はこれから男と、それも自分自身と身体をまぐわわせないといけないのか。顔面が蒼白になっているだろうことが自分でも分かった。 「ま、操作は私が行うから、厳密には少し違うんだけど」  俺の頭は混乱するばかりだった。 「ズルのないよう、貴女は『吉崎裕樹』が先に果てるのに賭けることになるわね。必然、私は貴女が先に果てることに賭ける……では、はじめ!」  すると突然彼女はその場に倒れ込み、その瞬間『俺』が動き出す。 「どこから手を加えようか悩むわね……ごほん、すまない。手を加えると言ったら、まずは俺の喋り方からだったな。まあいい、それじゃあ優希、服を脱ごうか」  すると俺の身体は彼の言う通り着ていた衣服を脱ぎ始めてしまう。 「なっ……!?」 「賭け事をドローにしようって小賢しい人間もいるからな。ある程度勝負が成立するよう、こっちに進行上の裁量権があるんだ」  自分でもよくわからない構造をした服や靴、下着を俺はなぜか手際よく脱いでいき、すべて脱ぎ終えると、何も身に纏わない痴態でその場に棒立ちになった。  『俺』の手が、俺の膨らみきった胸部に及んだ。 「ま、待て!俺は男なんだ!お前も男とこんなことしたくなんてないだろう!?」 「お前が男?こんないやらしいおっぱいを引っ提げといてよく言うよ」  俺の乳房が『俺』の両の手に揉まれる。瑞々しく屹然とするそれらは、俺がブラウス越しで見ていたものよりもずっと大きく、そしてなにより柔らかかった。ふにゅんとした感触をもたらし、揉まれているんだという実感が沸いた頃、俺の脳裏にぴりりと経験したこともない刺激が巡った。 「あっ……」  その得も言われぬ知覚に俺は思わず声を漏らした。それはどこか艶かしく、女性の嬌声を思わせた。 「揉んだことなんてないのに、揉まれる側になるってのは皮肉だよな」 「っ……!ふざけんふぅっ……!」 「ははっ、唆る反応してくれるじゃないか」  下劣な微笑を浮かべた『俺』がひとしきり俺の胸を揉みしだき終えると、彼は俺の身体を横にした。俺はただ、されるがままの状態だった。  再び『俺』は胸をまさぐる。先ほどまでを揉むと表現するのなら、これは弄ぶといった感じの指の動きだ。  『俺』がつっと胸下の影から上に、なぞるように指先を滑らせると、 「んひゃっ!?」  敏感な一帯の神経は途端にそれをありのままけたたましく発信し、それを真に受けた俺の脳内は快楽に湧き踊る。  先端にある桜色の突起を摘んで弾いてされると、 「ぅきゃんっ……!」  それはより一層僕の精神を蝕む麻薬となって、さらに『優希』の身体に女性としての生理現象を促した。 「……あ、あぁ……」  思考がじんわりと桃色に染まる。乳首がピンと張る。股間が湿り気を帯び出す。 「ほら、このままじゃ負けちゃうぞ?お前も打って出ないとなんじゃないのか?」 「っ」  言われて僕は彼が有利なこの状況を打破すべく、彼の男性器に目を向ける。粗暴にも映るその存在に自らの繊細な指先を絡めて、撫でて、優しく扱いてあげると、まるで彼自身とは別の意思でも宿しているかのようにビクンと跳ね上がり、そしてより硬く、より大きく姿形を変容させた。 「うんしょっ」  それから潤沢に実った双丘でそれを挟み込み、さらにその両脇から手を押し当てて、僕は身体を上下に揺すった。僕の柔らかな乳房に包まれて、みだりに擦り合わされまですると彼の肉棒は熱量を増し、堰き止められていた白濁の溶液を噴出させた。 「んっ……」  顔面に飛びかかったそれらを腕で拭いながら、僕はなお彼をもてなし続けた。とにかく彼を、気持ちよくさせないといけなかった。嫌悪感は、いつの間にか薄らいでいた。  しかし彼が肉欲に溺れていくにつれ、僕の『裕樹』としてのアイデンティティもまた、徐々にぐらついていった。 「お返しだ」 「あっ」  そんな火照りを増した女体の、おそらく最たる場所である僕の股間へと彼は突然手を伸ばした。その入り口は触れられただけでぴくりと反応を示し、同時に下腹部がきゅんと疼いた。  秘部は指の侵入を許し、またされるがままにに女体の悦びを教え込まれていく。彼が爪の立たない指の腹で膣内の肉壁を軽く押し込み、弧を描くように左右上下に一周させると、 「あんっ!」  ぞわりと身の毛が一瞬よだち、数瞬遅れてこれまでにない快感が僕を襲った。そこはどうやらクリトリスが存在している場所らしかった。 「や、やめて……!」  そう嘆願するも、却って行為は勢いを増し、僕の思考は快楽の波に呑まれた。 「はしたない口だなぁ、少し落ち着きなよ」 「あっ、ん、やっ、ひぎぃっ……んむっ!?」  不意に唇を塞がれ、彼は両腕を僕の背中へと回した。彼の無骨な唇に発声を奪われ、その無造作な舌にあられもなく暴虐の限りを尽くされる。彼の逞しい男体に抱擁されて、あれだけ大きかった胸は何の障壁にすらならず押し潰され、身体同士の密着を認めた。  自分は押し倒されている。抱き締められている。女体は男体を望んで久しく、所有者の意思など顧みず既に迎合の準備を完了させていた。そんな自分の立場が、身体が、目の前にある男体が、私の抗いようもない女性としての本能を呼び覚まさせた。 「ふっ、ふっ、ふっ……」  気づけば私は、自らその胸を彼に押し付け、擦り当て、そこから生まれる性的刺激と背徳感とを堪能していた。勝負だなんて関係なしに、ただ自らの欲望のためだけに両腕を彼と同じように相手の背中へと回し、抱き締め合っているこの状態を望んだ。両脚は自然体な彼のそれにきゅうっとしがみついて離さないよう固定し、彼の屹立した男根には、これみよがしに私の濡れた秘部をあてがった。 「なんだ、もう馴染んできたのか。早かったな」  彼がなにかを呟いていた気がするけど、今の私にそんなことを気にしている余裕はなかった。女色に染まりつつある感情になど脇目も振らず、ぐちゃぐちゃに掻き乱された思考はただ本能をそのまま言葉にと変えるのみだった。 (なかにっ……!これを、このおっきくてかたいおちんこを、わたしのこのなかにっ……!)  妄想が止まらない。彼のこれを迎え入れ、体内の奥底を蹂躙され尽くし、この身体では生み出すことの叶わない精液をたらふくに搾り取り、代わりに自ら用意の済ませた卵子と交わらせ、この子宮で赤ちゃんを育て産み、女体としての本懐を達するに至れたら、それはどんなに幸福なことだろう!  先ほどまでの姿勢を正し、私はセックスに適した位置取りを自ら望んだ。  ここだ。ここだよ。さあ、あとは貴方のそのそびえ立つ立派な逸物を、私のこの穴に宛てがって……私を、めちゃくちゃにしてっ! 「おねがいっ!わたしを、『オンナ』にしてくださいっ!」  ほとんど無意識に口にした私の言葉に、しかし彼はこれでもかとばかりに口角を上げ、そして腰をこちらに寄せた。 「いいだろう。じゃあ……いただきます!」 「……?あ、あれ……?」  なんだろう。この、繋がり合う部分から何かが吸い取られていくような不思議な感覚。 「……っ!?ふひゅっ!あんっ、んぃいっ!」  けれどそんなもの、今の私を満ち足らせるこの極上の気持ちよさに比べたらきっとどうだっていい。きっといらないに違いない!私、『オンナ』の快楽以外もうなにもいらないっ! 「んゃっ!!あ、ふぅっ!!はっ、はっ!」  口元を伝ったヨダレなんか、拭っている余裕はない!今この両腕は彼を、私を法悦に浸らせてくれる男体を!絶対に離さないようぎゅうっとしがみつかせていないとだから! 「あ、くるっ!くるよぉっ!!す、すごく……あっ、わ、わたしっ、わたしぃっ……!!♡」 「ああ、好きなだけイけ!今日から……いや、お前は昔っから優希だ!女なんだっ!だから俺に、お前の『男』の全部をよこせぇっ!」  会心の一突きが、私にトドメをもたらした。 「ひぁ、あ、うっ……くふっ……♡」  きた。 「……にぃっ!?♡あっ♡くっ♡」  脳内が真っ白に染まり、五感の一切を感じられなくなった。  そんな今の私に残っているのは、 「あ………………はぁっ……♡」  言い知れない多幸感と、快楽の残滓だけだった。 ×××  昨日は散々な1日だった。  たしかにお洋服を見繕ってほしいと頼んだのは私だけど、それにしたって着せ替え人形みたくして遊ばれるのはあまり私の望むところではなかった。でもそのおかげでこんな私でもそこそこ彼に見合えるような女の子になれているんだから、目的を果たせたことにはひとまず感謝しておこうと思う。  それに彼女らのお茶目より、どちらかといえば夢の内容のほうが酷いものだった。デートに着ていく服を探し疲れてしまって、寝不足だったのもあって、外出中だというのに私はしばらくお店の中で微睡に落ちた。そしてそこで私は、どことなく私と趣の似た男の子と出会い、あろうことか、その、 「……っ〜!」  お恥ずかしい限り、その……い、致してしまった……のだ。目が覚めた時の私は茹でダコのように顔を真っ赤に蒸気させ、側にいたふたりに何事かと心配された。  そんなこんなで別れを告げてひとり家に帰ると、欲求不満というわけじゃないと思うんだけど、妙に人肌が恋しくなりだした。  ふと、夢で見た一幕が脳裏をよぎった。 (羨ましい……)  逞しい男の身体に抱かれる自分を、嬌声を発しながら悦楽に顔をだらしなく歪ませる自分を、率直に羨ましいと思った。 (彼のおちんちん、おっきかったなぁ、気持ちよかったなぁ……って、私ってば何考えてるのっ!?)  翌日には付き合い始めた彼との初デートだというのに浮気の妄想だなんて縁起でもない。交際早々、はしたない女とも思われたくはない。慎みを持ちなさい、優希! 「……でもでも」  ーー翌日に劣情を発露させないためにも、むしろ今ここでそれを発散させておいたほうがいいんじゃ……? 「……よしっ」  そう考えてからの行動は早かった。下着1枚身につけただけの状態になって私はベッドに寝転んだ。私は自慰を始めた。 「……うーん?」  けれど、じんわりと心地の良い快感は味わうことができるのに、夢で感じた、あの天にも昇るような絶頂は、いくら待っても、何を試そうともその兆しすら見せない。  悶々としながらも夜は更けていく。もう寝ないと明日のデートに差し支えるだろうに、一度あの味を思い出しちゃうと、身体は疼きを止められない。  そうして2日連続の寝不足のまま、私はデートに臨むことになった。改めて、昨日は本当に散々な1日だった。 「ごめん、待った?」  そわそわしながら待ち合わせ場所でスマホをぽちぽちやっていると、後ろから声が掛けられた。振り返って、私の胸はどきりと高鳴った。 「あ……」 「?」  私がデートにおめかしをしてきたように、彼もまたこの日のために最善を尽くしてきてくれたのだろう。そんな彼は言わずもがな、いつもより数段カッコよく見えた。  再び身体が疼き出す。彼が欲しい。ひたすらに欲しい。理性なんてかなぐり捨てて、本能のままに抱きつき、性欲という名の愛を囁き、今すぐにでもどこかふたりきりになれる場所へと連れ去って、身体をひとつにしてやりたい。 「い、いや、その……す、すっごくカッコいい、よ……?」 「ははっ。ありがとう。優希も、可愛くて綺麗だよ」 「わっ」 「わ?」 「……あ、ええと、そう言ってくれて嬉しいなって!ありがとっ!」  彼の一言一句、一挙手一投足に心が揺さぶられる。  しかし私も高校生。そんな分別のない行為の是非くらい分かっている。茹だる思考を落ち着かせながら、私はあくまで健全に、段階を踏んで、『今日この日のうちに』彼とひとつになれるよう、必死に策を巡らせていくのだった。 「♪」  ああ、女の子って、なんて楽しく幸せな生き物なんだろう!


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