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山田牛午
山田牛午

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名前の話 からの FF XIVとわたし

自分の名前に関わる話でもあるけれどゲームの話が大半だと思うので興味がない方は回れ右(・ω・`)


あと一応


この記事にはファイナルファンタジーXIVパッチ6.5までのネタバレが含まれます




一度これ言ってみたかったんだ(・∀・`)




さて。


新しい名前の「ウノレノレ」とはなんぞや。の話になります。




古きネット文化を嗜む方なら見ればすぐわかるとは思いますが「ウルル」です。

じゃあそのウルルはなんなのよ、ってことですがこれは、MMORPG「ファイナルファンタジーXIV」(以下、FFXIV)における自分のキャラクターのネームです。



↓このとおり

めっっっっっちゃくちゃざっくりFFXIVとはなんなのよ、を言っておくと長年続くファイナルファンタジーシリーズの14作目で、同じく11作目とならんでオンラインゲーム、いわゆるMMORPGとして設計されているものです。




んで、このゲームを約10年前?パッチで言うと2.1がリリースされた直後くらいだったと思うんですが、そのあたりからプレイしています。


と言っても漫画の連載が終わってさあ次どうしよう、ってあたりで休止して、一昨年の2月に復帰するまでのおおよそ7年くらいは触れていなかったので、実プレイ時間自体は数年といったところでしょうか。



ちょうど懇意にしている作家さんが同じタイミングでペンネームを変更されたのですが由来を聞いたら「今まで使ってたのが学生時代に遊んでたネトゲのキャラの名前そのままだったのでそろそろ…」といいうことで、おじさんと逆方向じゃん^q^ tなったのは余談です。



オンラインゲームである以上色んな人が色んなプレイスタイルで世界に関わっていくので感じ方も過ごし方も人それぞれ。


なのですが、FFXIVはストーリーを追っていく部分が特に濃密に設計されていて、どちらかと言うと「従来のナンバリングタイトルと同じようなファイナルファンタジーをところどころ人と協力して進めていく」ような印象もあります。




そんなわけでストーリーやキャラクターの捉え方も千差万別、なのですが、ぼく個人は


刺さりすぎてつらい、けど好き(;ω;`)


の側の生き物です。

休止したのはパッチ3.4あたりで、竜詩戦争のつらい出来事を乗り越えて乗り越えて、それでも苦難はやってきて…と正直ストーリーを進めるのがしんどすぎてボケ~っと釣りして過ごしたり、という感じでした。


復帰後は操作のリハビリも兼ねてアライアンスレイドなどのコンテンツをちびちびやりつつ、ストーリーな~進めなきゃな~ても重たいしな~……とイマイチストーリーに足が向かなかったのですが。


まあ、ちょっとずつ進めるか……


って進めたあたりから完全にストーリー沼の住人ですよ。




その中でも特に、紅蓮後半から漆黒へと進んでいく道のりは、現実の自分にすら影響を与えるレベルで響きました。



そこまでの自キャラ、主人公、或いは英雄───は、文字通り「英雄」然としていてある種の最終兵器、ともすれば、「最後には自分が出て言って片付けなきゃ終わらないんでしょ?」くらいの便利な道具感を感じる面もありました。


が、漆黒の旅路はそれまでほぼ考えたことがなかったこと、

英雄たる自分ですら死にうるのだ


という現実を突きつけられました。



と同時に、それまでは頼られる面が多かった、または厄介事を持ち込んでくる場面もしばしば、という感じの暁の面々や世界の人々が、自分をかように愛し、支えてくれる存在であるということにも気づくのでした。


もうね。


漆黒~暁月はほぼ毎日泣きながら進めてましたよ(・ω・`)


涙腺ガバガバおじさん。





とりわけ最後の最後、暁月に至って新生からのお使いまでもが、すべてやってきて良かったこと、歩んできて良かったこととして報われた気がして。



ちょっと落ち着こう(・ω・`)



それが名前となんの関係があるんじゃい、という話なんですが。



ここ一年近くすっかり浸りに浸ってFFXIVを遊んでみて、自分のキャラとはなんぞや?というのをちょいちょい考えました。


いや、ゲームのキャラなんだから自分が操作するキャラでしょうよ。ってのはごもっともなんですが、少なくともぼくにとってはFFXIVの自分のキャラクターって単純な「PC(プレイヤーキャラクター)」だけではないような捉え方をしてて。


所謂「自機」、実際こう呼ぶ方もおられるので、そういう捉え方もできます。要は、自分が世界を移動したり見聞するときの目印たる、いわば盤上のコマとでも言いましょうか。


と同時に、「自分の分身」という見方もできます。ぼくの場合はこれが結構割合としては大きくて、「まさにあちらの世界での自分」として捉えてるので、そりゃ感情も乗りますぁな(・∀・`)


そしてもう一つ、言うなれば「うちの子」的な捉え方です。「自機」に近いけどもうちょっと深く入り込んでる見方、ですかね。この「うちの子」的な視点と「分身」的な視点が場面によって入れ替わる感じでプレイしていると感じます。実際の画面上の処理ではなく、キャラクターの捉え方として主観(=分身視点)とクォータービュー(=うちの子視点)を使い分けてる感じですね。


例えば、苦難に陥ってる登場人物に救援を求められたとき。

駆けつける場面では「よし、自分が今行くぞ!」(分身=主観視点)でストーリーを追ってるわけですが、救難に駆けつけた先でもう大丈夫だ、と微笑みかけるような視点では「ああ、こいつはこういうときにこんな良い顔するんだよ、いつも(;ω;`)」と、「うちの子」として見ている、なんてことがよくあり…。




やや脱線しました^q^



それを踏まえていざ自分の名を捨て、されどなにか名乗らねばならない…となったとき思い浮かんだのが、キャラクターネームだった、というわけです。いわば長年の付き合いである相棒の名を借りる、という感じでしょうかね。


ネトゲのキャラを安易につけただけじゃねえか^q^



と言われればそうなんですが一応ちゃんとめんどくさく、そして見る人によってはやや気持ち悪い理由があるんですよ(・ω・`)というお話でした。




とまあ立て続けに絵の一枚もないような記事が続いて申し訳ないのですが。


今年も早速自分で食べる用のスケベな絵をこさえてるのでまたおすそ分けのまかないコーナーを近々アップします。お楽しみに~~~(◔౪◔ )ノシ

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