活動について、とにかく、淡々と描いていこうと思いつつも、
こうも、続くとは思ってなかった部分もあって、いろいろ思うところがでてきてはいます。
多々ある想いの中の一部ですが、
今年の状況と、トライしてみたことを踏まえ、具体的な行動についてではなく、「どういったマインド、心の持ち方」で、私と同じように(特にアマチュア、個人勢として)活動されていらっしゃるみなさまというのは、一体どのように、自身の活動や、経ては、生き方と、向き合っていらっしゃるのかなぁと個人的に思うところも出て来たりして、不意にですが、つらつら書かせていただきます。
といっても、みなさまお忙しい中、こんなわけのわからない雑談へのお返事を期待しているわけではなく、
私の中に、いまこういった想いがあるというところを吐露するだけの感じです。
まず、大前提として、活動の意味?というのか、私が、なぜこの活動をしたいのか、については、
というのがあります。
それくらい
過去の悔しかった想いがあります。
Xのポストでもわかると思いますが、要約をまとめるのがものすごい苦手で、だらだら冗長的な説明になるのです(今、この文章もで草、な感じですが)
『ここの、これがさ、こうなって、ああなって、こうだから、これが好きなんよ。』
って、説明するよりも、
みたいな。
それが楽しい、おもしろい。
で、内面から浮かんでくるもの、いわゆる
がこの活動の起点としてあって、
それを表現すること、また、相手に伝わることがあるその瞬間が、私にとっての
だったりします。
ですから、外側からの要求にお応えしていくことも、その一部分は重なりますが、特性としては真反対の特性をもっていると、私には感じられます。
・「創造性」を発揮する、作品と(創作活動)
・「技術提供」を発揮する、作品と(請負業務)
後者においては、むしろ、自我や創造性を抑え、クライアント様が要求される要件を満たすことが重要であろうと個人的には考えるわけです。
以前、依頼主様からの期待に応え、前よりもよりよい作品を創作し続けることが苦しくなり、限界があるという悩みに直面しました。
これは、冷静に考えて、叶えることが不可能であると、そこで気持ちの整理をつけ
よりよい作品を創作することに意識を向けるのではなく、
に意識を向ける。
という風に、意識の向け方を変え始めたところです。
そのために、創造性を爆発させるものと、要求にしっかりお応えしていくもの(自我を抑えるもの)に対して、それぞれどのように対応していくのかどうか、自分なりに、思いつく限りのことをトライはしてみましたが。
結果として?というか、その以前から、兆候は感じていましたが、skebでのクライアントさまに
「楽しんでもらう」「喜んでいただく」
という部分に関しては、下降の一途であることを感じています。(私の感じ方です、何か言われたとかではありません)
自身の力不足を痛感して非常に残念なところもありますし、申し訳ないところも多々感じてはいます。
結局は、やっぱりよりよい作品を返さないとだめなんじゃないか?と。
しかし、それだといつかつぶれる。
またもとにもどっていきそうな現況です。
skebについては、私が「skebをしたい」と思う、動機が2種類あります。
ひとつは、
ことと、もうひとつは、
この2つであり、このどちらも、描き続けるという点において、非常に重要です。
ただ、後者の場合は、
という気持ちに負けることがあり、内容に対して、よりよい作品を創出することはおろか、全力を尽くせたのか、、、全力を出しているもの、出したと私が思っているもののみ、【承認】していると、自身は思っていますが、あとから考えて、本当にそうだったのだろうか、と、気持ちが揺らぐことも正直あるときはありました。
ですので、それを避けるためにも、まずは、FANBOXのみでとりあえず、活動についてはまかなえる状態にしたった・・・のですが・・・
そのための試行錯誤として、
例えば、11月に量産してみたり、12月に癖や拘りに振ってみたり、
この他にも、今年一年を通して、己の作品の出し方にも試行錯誤をしてみましたが、
量産しても(内容が薄い?のか)変わらないか微下降
内容に注力しても、これは下降大(更新が少なすぎる?)
(なにを、どこを、上昇・下降の基準としているかっていうのはありますが、この件についてはここ2年間のおおよその平均で見ています)
つまり、”現状での”結論としては、やりかた云々ではどうしようもなく、
という結論にいたり、とにかく描きつづけてみて、状況の変化を見るしかないだろう
という風に感じているのが、いまの率直な私の感じかたです。
つまり、
FANBOXの新作に関しては、自身のやりたいことをさせていただいていて、全力で楽しんでいる状況がありますが、
skebに関しては楽しい部分と苦しい部分が混在している、
といった感じです。
このよう表面上の状況を書き起こしていくと、結局、根底に、
「活動費(環境費)の確保」
がネックで、お金がたくさんあったら解決するのか?
という見方も浮かんでくるかもしれませんが、
私個人は、そうは思っていません。
例えば、その一角として。
先ほど「想像力を爆発させる」と書きましたが、言うほど「爆発」できているのか?
自分が、小学生や中学生のころは、もっと自分に対しても、自分が描いた作品に対しても
「こいつ、ほんまばかだなぁ」
と、見せ合いこしている友人とともに、ケラケラと大笑いして転げまわっていたことを思い出します。
いまは、どうでしょう?
その一面を感じることも、時折ありますが、当時よりかは、全然弱い感じがします。
「この描き方だとだれかを傷つけてないのだろうか」
「誰かを不快に顔を歪ませてしまっているのではないだろうか」
などなど、
いつも言っている、
私の作品が好きなかたにはどんどん見て欲しいが、
苦手なかたには見つかりにくいように考慮したい。
こういった想いに対して、100%の対応が無理なことはわかっていても、どこか、ひっかかりを感じて、無意識ブロックが発動しているような気もしていたりします。
(無意識なので、ネームが出る前にはじかれていて、私本人はわからないですが)
これも、ほんの一角ではありますが、
「生きてるなら描く」
という決意に、いまいちど立ち会って、向きなおすタイミングが来ているような気もしています。
ひとことでいうと
ってことです。
それはそうなんですが、
実際に批判、否定があった場合に、無意識ブロックで
これは過去の経験を通して学習されてきたプログラミングで、これに対する恐怖は年々大きくなっており、
体調が多少悪いとか、2,3日飲まず食わずでも、
「妄想力(イメージング)」が発揮できる状況なら、さして不安はありません。
描く方法だけ考えればいいので。
意識・自我ががんばればなんとかなるレベルです。
しかし、脳内に沸いてこないと、どれだけ体調がよくて、金銭的に恵まれていようが、
のです。
潜在意識、無意識側の話で、意識側から、どうにかしようといろいろと対策は打ってみたりもしますが、結局は、時間経過とともに、急にふっと、戻ってくるような、とくにきっかけや要因もわからず、というのが、いままでの体験上の私の感じかたです。
こちらが(も?)私にとっては、非常に恐怖です。
すいません。
この記事に、オチはおろか、結論も目的もなにもありません。
ただの、なぐり書きです。
「何も考えずに、描きたいものを描く」
年を追うごとに、この難しさがどんどんと体感として強烈に感じるようになってきています。
まとまり全然ないですが、以上です。
読んでくださってありがとうございました。
朝霧ゆう
2025-12-29 10:45:26 +0000 UTC