いつもご支援ありがとうございます!
先日、松葉杖が取れまして、骨も順調にくっつきつつあるということで、通院も無事卒業ということになりました。
これもひとえに、支援者様のお力添えあってのことなので、改めてお礼を申し上げます。誠にありがとうございました! おかげさまで、ひとまずは危機を乗り切った感じです。
いや~、さる5月の頭に足をすべらせて骨折したわけですから、丸4ヶ月くらいかかったわけで、結構かかったな~ってのが率直な感想なんですけども、まあ室内はもう杖なしで不自由なりに歩けるわけですから、とりあえずはまた歩けるようになってよかったなあと。まだ完全に本調子というわけではないけどね。
足をケガしたときはもう痛くて、軽く体重をかけただけで冷や汗が出るくらいには痛みましたから。病院の先生に痛み止めをブチ込んでもらって、「助かった~」と思うくらい急激に痛みが引いていったのを鮮明に記憶してます。病院の先生方にもありがとうございましたと言いたい。
話は変わりますが、博士は微弱な霊感持ちなので、入院中にはそれなりに恐い思いもし、平均の睡眠時間が多分2・3時間もいったかどうかの不適応ぶりで、これならば家に帰ってちゃんと寝たほうが早く治ると思って退院を願い出たわけです。
今でも入院中にできたアザがスネに残ったままで、一体なんのアザなんだと。20年前くらいに折った脛骨沿いのアザは100歩譲ってワカるとしても、その裏側のふくらはぎ部分により大きいアザが残ってるのは解せませんな。手で握られた痕が残っているというわけではありませんけども、なんとも度し難いと。
入院中にただひとり仲良くなった、こちらはおそらくガチのサーダカ(霊感体質)のおばあちゃんにも率直にグチったのですが、僕は正直この病院が怖いと。おそらく土地・建物の因縁的な意味でね。
京都は、歴史的・文化的に見ても、本邦では他の追随を許さない奥深さがあり、他に比肩するものがないほど深淵を湛えている場所であることには議論の余地がない。
ただ、それだけに、応仁の乱、蛤御門の変、鳥羽・伏見の戦いなどの大いくさの戦場にもなり、平安の昔から多くの刑場・死体置き場があり、数々の陰謀の舞台にもなり、権力争いからの暗殺など、水面下の暗闘なども含めれば、おそらく数え切れない程たくさんありました。事実、幕末においては攘夷派が暗殺剣を振るい、新選組もまた苛烈な殺人剣を振るったといいます。
つまり、何が言いたいかというと、京都は優れた文化・芸術・産業の中心地であり、華々しい政治権力の中心であったと同時に、土地の全体が歴史の業に血塗られた忌み地である、とまでは言いませんが、少なくとも因縁の地であると。これはもちろん反論もあるかもしれませんが、僕の個人的な体感では、そのような感覚を抱いています。
まあ、今回の僕の受難とは何も関係はないですが。病院に行っても変な感じは全くしないですし。入院病棟はちょっと怖い感じはしましたが。僕の場合、ヤバい感じの場所に行くと、妙にシラけた感じがするんですよね。空気が乾いてるというか。白みがかった感じ。
京都では、平安神宮とか晴明神社、鳳凰堂、東寺、三十三間堂、八坂神社なんかも見て回ったりもしましたが、清水寺も修学旅行で行ったはずなんだけど、特に怖いと感じたことは全く無かったですね。
ただ一つ、某伏見のお山に登ったときは、途中から暗くて山深くなってるところで、怖くて登れなくなりました。「これ以上は来てくれるな」っていう、強い何かしらを感じたものです。気のせいかもしれないけれど。ニュアンスとしては「ケガレを持ち込んでくれるな」って感じでしたけども。
伊勢神宮と出雲大社に行ったときはさすがに強い何かしらを感じたので、その話もどこかで書きたいですけどね。
また違う話ですが、若い頃、広島に住んでいたとき、隣町の道路の真ん中に「おさん狐」というキツネの銅像が建ってたんですよ(笑)。海外ニキにとってみれば面白いんじゃないかな。
キツネといえば、例えば、九尾の狐「玉藻」が有名ですが、彼女は時の権力者をたぶらかし、人間と敵対して、結局は朝廷の軍勢に討伐されて「殺生石」というヤバいブツを遺して消えた、これは今では火山ガスではないかと言われていますが、まあとにかく暴れていたわけです。
一方、この「おさん狐」は、ウィキペディアによると『年齢80歳、500匹の眷属を操り、京参りをしたり、伏見に位をもらいに行ったりと風格のある狐で、決して人を殺めることはなく、地元では愛される存在だった』ということらしいのです。
江波という町の中央分離帯に、それはそれは立派な銅像が建っていて、これは僕も現物を見たことがあるのですが、当時は「何故ゆえに、あんないい銅像が建つかねえ」と不思議に思ったものです。「アメノウズメ女神」のような女傑だったのかなあと思ったりもしたのだけれど。
不思議といえば、日本の神社の鳥居であるとか、狛犬であるとか、勾玉の形状の由来とか、界隈の皆が満場一致で合意できるような説明ができるかどうかで言えば、全くわからねえらしいですね。日本神話の「記紀」に登場する、例えば「月読尊」でも、歴史上の人物に当てはめて解釈するとかも出来なくて、正直全く意味不明だと。スクナヒコナとかもそうですね。
個人的な見解では、こういう意味不明な状況が記録されたり、物語の中に遺されて表現されていたとき、それはおそらく日本列島外から持ち込まれた、当時の日本の水準を大きく上回る職能集団などの流入が関係しているのではと、雑に解釈してます。
勾玉の形状については、これは全くようわからんという状況らしいけど、個人的には中国の道教などで重要視される太極図に近いよなあという気もします。韓国の国旗になってるアレですね。でも実際には、大した意味は無かったっていうパターンもあったりして。現代人が何かしらの特別な意味を見出したがっているというだけで。まあ、わからないですよ。遮光器土偶とかもね。全然意味わからねえってのがロマンってところもありますけど。
ロマンで言えば、ギリシャ神話のほうがスケールがデカくて、山をもぎ取って投げ合ってギガントマキアって戦争をしてただとか、そういうのも大好きですけどね。インド神話では飛行船みたいなやつに乗って核戦争級の戦いをしてたらしいとか。ホントかよっていう(笑)。話のスケールはデカければデカいほど面白いっていう側面はありますけども。
そこへくると『記紀』なんかは慎ましくて、ヤマトタケルノミコトが卑怯討ちの騙し討ちを繰り返して朝敵を誅したということが悪びれず堂々と書いてあって、そこらへんが日本人独特の価値観なのかもわかりませんね(笑)。「勝てば官軍」って言葉もあるくらいですから。
京都の大江山の酒呑童子討伐なんかも、道中で出会った老人から授かった神便鬼毒酒を用いて倒したと伝承ではありますが、これなんかはおそらくシンプルに毒殺ですもんね(笑)。ただ、これは大江山の鬼が女子をさらったりしたということがあったらしいので、手段を選ばずに殺れという命令があったのかもしれませんが。
この大江山の酒呑童子というのも、海外からやってきた海賊だったのでは?など諸説ありますが、今でも首塚大明神という神社に、はねられたという首級が祀られているということになっていて、結界の作法で封印されているから興味深い。
なお、ここも京都屈指の心霊スポットとして知られていますので、正直、一度は行ってみたいですよね、体調がいいときに。心強い道連れがいたらの話ですけどね。
あとは、平将門公の首塚、こちらも朝廷に弓引いた逆賊とは言われますが、当時の関東地方では英雄でもあったという説もあるので、実際に行ったときに怖い感じがする人と、歓迎されている感じがする人と、明確に分かれるそうです。ここも生きているうちに一度は参拝してみたいものです。ちょっと前に、何かきれいな感じにされて移設されたらしいですけども。
さて、大幅に脱線しましたが、とりあえずは足の骨がくっつまで、多くの人々に助けられました。全ての皆様に改めて感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます! おかげさまで、ほとんど治りましたよ。
さておき、グダグダと前置きを並べましたが、僕が本当に申し上げたいのはこういうことなのです。
以上!! 解散!!!(笑)