会場限定で配布していた小説です! 題名 『ある雨の日の母港』 作■ひなた華月 どれくらい、俺はこの海を眺めているだろうか? 目の前に広がる水平線の彼方を見つめながら、俺は波止場に佇んでいた。 普段なら、もう太陽が出ている時間のはずなのに、空に広がる馬鹿でけー雲のせいで、光が差さない。朝日が反射する水面は、宝石をちりばめたような輝きを放つのだが、今日はどんよりとした色で、水面が広がっている。 波の音だけが、いつもと変わらず、規則的に耳から聞こえてくる。 それが俺の心を安らげる、唯一の救いだった。 しかし、そんな音に混じって、ポタポタ、と、雨粒が地面に跳ね返る音が混じる。 「くそったれ」 空に向かって毒づくと、瞬間、反旗を翻したように、俺の身体が大量の雨に打たれる。 まるで、俺をこの場所から遠ざけようとしているようだった。 だが、俺は気にせず、帽子を深く被りなおすだけで、ここから動くことはなかった。 ただ、今まで通り、海を見つめる。 ――こんなに服を濡らしたら、またあいつに怒られるかもしれない。 「提督さん」 そう思った矢先、後ろから声を掛けられる。 振り返ると、傘を差した鹿島が、こちらに向かってにっこりとほほ笑んだ。 香取型練習巡洋艦二番艦『鹿島』。 俺の秘書艦だ。 「ごめんなさい。少し、間に合いませんでした」 ぺこり、と、鹿島が頭を下げると、特徴的な白髪のツインテールが一緒に揺れる。やっと夜が明けるくらいの時間だというのに、鹿島はいつもと変わらず、きっちりとした服装だった。 どうしてお前が謝るんだよ。そう言いたかったが、俺が謝罪の言葉を吐くよりも先に、一歩一歩、俺に近づきなら話しかけてくる。 「提督さん。風邪、引いちゃいますよ? もうすぐ夏だといっても、水浴びの季節はまだ早いです」 冗談なのか、はたまた本気で言っているのかは定かではなかったが、俺は鹿島から手渡された傘を素直に受け取った。 「わりぃな」 「いえいえ」 短い、無機質な俺の返事に対しても、鹿島は嬉しそうに笑う。 鹿島は、そのまま俺の隣にきて、同じように海を見つめる。 ずっとずっと続く水平線が、鹿島にはどう映っているのだろうか? 「提督さん、もしかしたら、今日もここに来てるんじゃないかと思って、お迎えに来たのですが、正解だったようですね」 鹿島は、「えへへ」と、得意げに笑ったあと、続けて言った。 「皆さん無事、作戦を成功させましたね」 もちろん、それは俺も知っている報告だ。昨日、鎮守府では、作戦成功の功を労って、待機していた他の艦娘たちが、祝賀会の準備をしようとはりきっていたのを思い出す。 そんな艦娘たちと同じように喜々とした声で、鹿島は俺に言ってくる。 「これも、提督さんの手腕の賜物ですね」 ……俺は、この鹿島の発言に頷くことはできなかった。 この鎮守府から、何度も何度も、艦娘たちの出撃を見送ってきた。 どの艦娘たちも、笑顔で俺に手を振りながら、水平線の彼方へと進んでいく。そんな様子を見て、俺はいつも、居た堪れない気持ちを抱いてしまう。 戦場で戦うのは、俺ではなく、あいつらなのだということを、実感させられるのだ。 俺は、確かに鹿島の言った通り、この鎮守府の提督として配属されてから、多くの戦果を挙げてきた。 だが、それは俺が優秀だからじゃない。あいつらが……俺を慕ってくれる艦娘たちが、優秀だからだ。 それなのに、上層部は、俺を称え、艦隊に次から次へと作戦決行の指示をしてくる。 初めは単純に喜んでいた。良い戦果を挙げれば挙げるほど、認められているような気がしていたからだ。 でも、段々とその環境が、怖くなってきている自分に気が付いたのは、いつからだっただろうか? もうはっきりとは覚えていない。 ただ、あいつらが笑顔で帰投するのと同じくらい、傷ついて帰ってくる姿も見てしまったのが原因だ。 傷つき、ボロボロにさせてしまったのは、俺だ。 俺が未熟だから、こんなことになってしまったのだと、自分を責める毎日だった。 それでも、俺を責めるやつなんて、誰もいなかった。それどころか、名誉ある勲章だという艦娘もいたくらいだ。 俺はその言葉に、素直に喜べなかった。 痛かったはずだ。 怖かったはずだ。 だが、そんなこと、あいつらは絶対に口にしない。 戦いとは、非情なもので、傷つくのが当たり前だと、散々教え込まれて育ってきた俺にとって、こんな自分の感情は、邪魔な存在のはずだった。 それなのに、いつの間にか俺は、作戦成功の報告を受けたら、すぐさま母港の波止場……海の水平線がよく見えるこの場所で、あいつらの帰投を待つようになった。 「なぁ、鹿島」 「はい、何でしょう?」 「俺は……本当に優秀な人間なのだろうか?」 思わず、そんなことを口ずさんでしまった。 きっと、こんな天気のせいだ。雨は人の心の不安を助長させる。傷口に徐々に浸食するような感覚が、俺を襲い、耐えきれない。 そして、こうして今、秘書艦である鹿島の前で弱音を吐いてしまった。 しまった、と思ったときには、もう遅かった。 鹿島は、いつもの笑顔とは一変させて、悲しそうな表情で、俺を見つめる。 俺は、わかっていたはずだ。 鹿島は、相手を思いやる気持ちが人一倍強くて、そして何より、責任感の強い艦娘だ。俺がこんな弱音を吐いてしまっては、ただ鹿島を心配させるだけではないか。 くそっ。本当に、雨は嫌いだ。いっそのこと、俺や鹿島の話す声がかき消えるくらい、けたたましい雨音を響かせてくれれば、どんなに楽だろうか……。 しかし、俺のそんな願いは通じなかったのか、鹿島は俺に、はっきり聞こえる声で、問い返す。 「提督さん自身は、どう思っているのでしょうか?」 俺はすぐに、こう言うべきだった。 当たり前だ。俺は優秀な提督だ。 だから、誰一人として、あいつらを傷つけたりしない、と。 「俺は……情けない提督なのかもしれない」 しかし、俺の口から出やがった言葉は、そんな弱気なものだった。 傘を持つ手が震えるのがわかる。多分、これは雨のせいなんかじゃない。 「俺は、今ここであいつらを待つことさえ、怖いんだ。もし、誰かか帰ってこないんじゃないか……。俺の艦隊に所属してしまったせいで、辛い戦いに巻き込んでしまっているんじゃないのかって……そう思うようになっちまってた」 俺はこれ以上、鹿島の前で、情けない自分を見せたくなかった。 それなのに、湧き出てくる想いは、容赦なく吐きだされる。 「情けねーよな。お前らを指揮する提督だっていうのに、その提督がこんな女々しいやつでよ。畜生……俺、自分ではもう少し、男らしいやつだと思ってたのによ。全然駄目だわ」 俺はもう一度、帽子を深く被りなおしながら、告げる。 「鹿島、悪いけど、一人にしてくれないか?」 さすがに、このときは、鹿島の表情を見れなかった。目の前すら見ることができず、俺はただ、下を向くことしかできない。 鹿島には悪いが、これは俺が向き合わなくてはいけない問題だ。優秀な秘書艦を巻き込むわけにはいかない。 だから、俺は鹿島には先に指令室に帰ってもらうように指示したつもりだった。 だが、一向に鹿島が俺から離れる気配が感じられない。 どうしたのかと、俺が顔を上げる前に、手に温かいぬくもりが伝わっていた。 「鹿島、お前……」 傘を支えていないほうの左手。その手を、鹿島が両手で包み込んでくれていた。 「すみません、提督さん。傘、飛んでいっちゃいました。なので、提督さんの傘の中に入らせて下さい」 見れば、鹿島も俺と同じように、身体がずぶ濡れになってしまっていた。 混乱する俺のとなりに、鹿島はぴったりとひっつく。 お互い、雨で濡れている身体のはずなのに、鹿島のぬくもりのようなものが、俺に伝わってくる。 「提督さん。私は、みなさんのように、戦場で活躍できません。ですが、秘書艦である私は、誰よりも提督さんの傍にいる時間が長いです」 ぎゅっと、俺の手を握る鹿島の両手に、力がこもったのがわかった。 「ですから、提督さんのこと、よく理解しているつもりです。皆さんが不安にならないよう、普段から気丈に、そして自信家のように振舞っていますが、本当は努力家で、私たちのことを大切に想っていることも、知っています」 俺より少し背の低い鹿島は、そのまま上目遣いでこちらを見る。 「そして、こうして雨の日でも、みなさんの無事を心配して、一日中、この場所にいるのも、知っています」 鹿島の一言一言が、俺の胸に、深く突き刺さる。 「提督さんは、お優しいかたです。確かに、軍人には向いていない性格なのかもしれません。ですが……」 と、鹿島はたっぷりと息を吸い込んで、俺に告げる。 「私は、そんな提督さんのことが、大好きですよ」 屈託のない笑みを見せると、鹿島はそのまま、俺の腰のあたりに手を伸ばして、抱きしめた。 「提督さんは、提督さんのままでいいんです。今日みたいに、不安になって立ち止まってしまっても、私がちゃんと、迎えにいきます。雨のせいで、目の前が見えなくなってしまっても、傘を持って、提督さんのいる場所までいきますから」 多分、俺はこれからも、何度もこの場所で立ち止まってしまうことだろう。今日みたいに、ずぶ濡れになってしまうこともあって、逃げ出したくなる日が来てしまうかもしれない。だが、そんな情けない俺でも、鹿島はちゃんと、迎えにきてくれると言ってくれた。 「……鹿島、すまん」 「謝ることではありません。提督さんだって、疲れちゃうときがあって当然ですから。そういうときのために、私がいるんですよ。少しは頼ってください」 最後は、拗ねたような声色だった。 俺は、どうすればいいのかわからず、ただ固まってしまっていた。 「はい、これで提督さんも大丈夫ですね」 しかし、鹿島は俺を抱きしめるのをやめて、隣に立つ。 もう傘はひとつしかないので(いったい鹿島の傘はどこまで飛ばされてしまったのか、謎である)お互いの肩がはみ出してしまう。それでも、鹿島は別段気にしている様子はなかった。 「うーん、どうやら、まだ雨は止みそうにないですね。まったく、迷惑な雨ですね」 私の服までびしょびしょじゃないですか、と、ここでようやく自分の失態に気付いた鹿島の様子が面白くて、俺は笑い声をあげた。 「えっ、えっ? 提督さん、いったい何が面白いのですか?」 しかし、鹿島本人はそのことがわかっていないようで、戸惑う姿がまた俺の笑い声に拍車をかけた。 「もうっ、提督さんは意地悪です!」 「すまん、すまん」 謝ったものの、鹿島は機嫌を損ねてしまったらしい。このままだと俺は傘の中から追い出されかねない。 「なぁ、鹿島」 だから、そうなる前に、俺は鹿島に言った。 「わりぃな」 一瞬、きょとんとした顔になった鹿島だったが、すぐに頬を紅く染めて、 「いえいえ」 と、返事をしてくれた。 先ほど、同じような会話をしたはずなのに、あのときの俺の気持ちより、随分と変化している。 本当に、鹿島が秘書艦でいてくれてよかった。 俺は、心の底から、そう思った。 「では、素直にお礼を言ってくれた提督さんに、私からこれをお貸しします」 特別ですよ、と、鹿島が腰に巻いていた鞄の中から取り出したのは、双眼鏡だった。 「これを使えば、いの一番に、皆さんを見つけることができますよ」 そう言いながら、俺の手にそっと、双眼鏡を握らせる。 この双眼鏡は、鹿島がずっと大事に持っているものだ。 だから、俺に貸すことさえ、『特別』なのだろう。 俺は、それがちょっとだけ誇らしくて、素直に鹿島から双眼鏡を受け取った。 そのまま、接眼レンズから覗き込み、海を眺める。 「よく……見えるな」 「当たり前です。そのために提督さんに貸したんですから」 雨は降っているが、海の波は比較的穏やかだった。 俺は、それからずっと、双眼鏡を使って、海を見つめ続けた。その隣で、鹿島は傘を持って、俺と一緒にいてくれる。 ――帰ったら、温かい珈琲を淹れますからね。 そう言った鹿島に、俺は「今日は、眠気が吹っ飛ぶくらい、とびっきり苦いやつがいいな」と答えた。 あいつらが帰投したら、夜遅くまで、とことん話を聞いてやろう。それくらいしか、俺があいつらにしてやれることが思いつかないから。 「……あっ」 そう思ったとき、水平線から、小さな影がこちらに向かってくるのが見える。 こっちの姿なんて見えていないのに、あいつらも母港を確認したのか、手を振る仕種をみせて、合図を送ってくる。 まるで、俺に向かって、手を振ってくれているようだった。 「提督さん、もう、雨宿りは大丈夫ですか?」 俺の様子で察したのか、隣で、ずっと傘を持っていた鹿島が、そう問いかけてくる。 「……ああ、もう大丈夫だ」 俺は、今度は自信をもって、そう言うことができた。 「えへへ、秘書艦鹿島、無事任務を遂行しました」 最後に鹿島は、とびっきりの笑顔で、俺に敬礼をする。 そうだった。 俺は、この笑顔が見たくて、鹿島を秘書艦に選んだのだ。 不安になったときや、怖くなってしまったときでも、この笑顔さえ見れれば、俺は進み続けられるような気がしたから。 実際、こうして助けられちまったな。 そんな鹿島に対して、俺は「ありがとう」と告げて、歩きはじめた。 「いえいえ」と返事をした鹿島は、俺の隣にぴったりと並んで付いてきてくれる。 俺は、雨が嫌いだ。 だが、今日だけは、雨が少し好きになれそうだった。 〈了〉