・定期の更新以外では大分ご無沙汰になりましたね。 早いものでもう6月。 徐々に気温も上がって、私の部屋なんかは既に日中「蒸し風呂状態」です。 今年に入り「AI作品の取り扱い」や「fanboxでの表現規制」など、創作界隈の話題には事欠きませんが、今のところ私の活動には大きな影響を及ぼすことはなさそうです。今の所は、ですが。 それで、写真でお察しの方もいらっしゃるかもわかりませんが、5月にうちの猫が虹の橋を渡りました。 以前「愛猫の看病で更新が滞った」と投稿したところ、国内・国外から励ましのコメントをいただきとても励みになりました。 ですから、せめて一言ご報告をと思った次第です。 改めて、気に掛けてくださりありがとうございました! 2日に一回の点滴と投薬、日に2回の注射、おしっこの検査も毎日数回しました。治療が長引いたことで「無理に頑張らせてしまったかもしれない」と常々思いながら、結局最後までこちらの思いに付き合わせてしまいました。 それでも1日も休まず約20年間、私達に幸せを届けてくれた猫生でした。今や全てに解き放たれて幸せに過ごしているに違いありません。圧倒的感謝です。 ・で、めちゃくちゃ寂しいわけですが。(ここから蛇足です!) 「タヒ」を必ずしも悲しいと捉えるのはどうも違和感を覚えます。 もう触れられないし、鳴き声も聴けない、同じ空間で生活できない事は「私にとって喪失でしかない」故に寂しいことには違いありません。 しかし人間にして100歳を超えるご長寿、堂々たる猫生を閉じた彼の人生の最後を悲劇とするのは全く違いますよね。 前者の「周囲の人間のそれぞれの寂しさ」と後者の「タヒ」の意味は切り分けて考えなきゃいけませんね。 これはちょっと言うのが恐いんですが、人間の場合でも例外ではないと思っています。死を取り巻くケースは余りに多いですから、この場合は大往生した場合に限定しておきますが。 例え、大義を為していようがいまいが、どれだけ泣く人や悲しむ人が多かろうが少なかろうが、です。 ソクラテスが言ってた(らしい)「その者が賢者がどうかは死を恐れるか否かでわかる。(意訳)」という言葉が私は大好きです。 この世に死後の世界を体験した者はいないのに、それを当然に恐れるのは論理的ではない。というのです。 更に「死はこれまでの人生で最も素晴らしい体験かもしれないじゃないか」という言葉に続きます。痺れますよね。 私もそう思うんですよ。多分死ぬ瞬間はめちゃくちゃ気持ちいいんじゃないかと。(ソクラテスはそこまで言ってないかw) ・滞ってしまった分、動きます この間、意気消沈して無気力とかではなく、なんだかHな妄想も出てこないし、この機会に周辺の片付けやらなんやら色々やってました。 漫画の方もあまり良いお知らせはできませんが、近々進捗をご報告します。また、皆様にお聞きしたいこともあるので、その記事も追々上げて行こうと思います。是非ご意見をお聞かせください。 可愛い猫の写真やエピソードもお待ちしています!