要するに「弄りたくなる形をした鼻と口髭だけあればいい」という話
こんばんは。
今回のブログの内容はタイトルそのままの話で、前回の「ラリラリ或いは頭狂か_UNLIMITED FREAK OUT or TOKYO」というイラストを描いた動機の内容そのままでもあります。
あのようなイラストの、見る人によってはエロでもなんでもなく嫌悪感すら感じるかもしれないような描写に性的興奮する人はかなり限られているんやろうなぁという無力感の中、重い気持ちで作画作業を進めていきました。
しかし、私個人はあのイラストで描いたような、
「西日本地方の方言と老人語を交えた言葉責めと、正義や道徳を重んじる良識ある紳士や聖職者が麻薬や催眠術で敵側の性的傀儡となった無抵抗な恍惚状態で、その立派な鼻と口髭が鼻汁に塗れていく鼻髭責めの手練手管」
といった脳内シチュエーションが昔からもう本当に大大大好きで、自分自身がはっきりとゲイだと自覚する以前の幼少の頃から親や友人に見つからないように隠れて、そんな限定された場面だけを罪悪感と表裏一体の情熱のもとに鉛筆でノートに描いてはズリネタにして来たんですね。つまりそこには他者からの批評や批判といった視座は全く存在していなくて、いかに「自分が性的に興奮する頭の中の勝手な世界をどれだけ現実に裏返す事ができるか」というその過程にある自分自身の作画技術の向上や躊躇する己の羞恥心とのせめぎ合いなどが対峙すべきハードルとしてあった訳です。
このように自分の中の性的欲求や性的衝動を基に描きたい理想的な形の鼻や髭は明確に存在していてイラストを描く事には何の迷いもないのですが、じゃあ何故自分はそんな鼻や髭を理想的と思い、ひいてはその男性自身に欲情して性的に興奮するのだろう・・・同性愛者として・・・と考えだすと鬱々とした出口のない迷路にはまり込んでしまい心身ともに動けなくなってしまうのです。
結局は幾ら考えたところで答えの出ないそんな迷路の入り口ではなく出口を探そうという身体的な行為が私の絵を描く動機そのものなのかも知れません・・・と、意味がありそうで多分無い(笑)こんな哲学的な終わり方で今回の文章をそろそろ締めさせてもらいます。
この次の次くらいで普遍的なエロいイラストも描く予定なので皆様ご支援のほどお願い申し上げます。
本当はねぇ・・・この「ラリラリ或いは頭狂か_UNLIMITED FREAK OUT or TOKYO」で私と同じように欲情してセンズリを掻いてくれる読者が(一人でも)居たとしたら次回のイラストを描くモチベーションも上がるし、大変嬉しいんやけんどね・・・(笑)。だってそれってもう作品を媒介としたSEXやん?
それではまた後ほど・・・。